縫うのが苦手だから生まれた「縫わない服」
最初に話題になったのは、廣川さんが学生時代から服作りに抱えていた意外な弱点でした。服そのものは大好きだったものの、縫うことは得意ではなかったと振り返ります。
三年生になっても、縫うことはそんなに好きで得意ではなかったですね。頑張ればできるんですけど、そんなに得意ではなかった。
川邊さんは、廣川さんの代表作である無縫製の服が、この縫うことへの苦手意識から生まれたのではないかと問いかけます。廣川さんは、その指摘に驚きながら認めました。
無縫製のいろんな服が代表的に出てきますけど、それはむしろ、縫うことの苦手意識から。
そうなんです。よくお気づきになりましたね。
服そのものには強く惹かれる一方で、実際に作る工程になるとカーブを縫ったり縫い代を処理したりといったテクニックが必要になり、そこで気持ちが沈んでしまったといいます。
縫うことはそんなに好きじゃないだったんですけど、縫わないことは好きじゃないですか。縫わないで作る服はもう超好き。
配属で出会ったニットが「最高かもしれない」
縫わずに服を作る道は、就職後に配属されたニットの部署で開けます。学生時代はニットに触れる機会がほとんどなく、たまたま担当になったのがきっかけでした。
その企業に就職してから、たまたまニットの担当になったんですよ。先輩があと三ヶ月で辞めるんでっていうので。
引き継ぎもほとんどなく、仕様書だけを渡されてゼロベースからのスタートだったと廣川さんは話します。学校で学んだのは西洋の服飾中心で、ニットはほぼ手つかずでした。
何のための学校に行ってたんだろう。
しかし現場でニットに向き合ううちに、その面白さに気づいていきます。平面でデザインした生地が、人が着ることで体にフィットしていく仕組みに廣川さんは魅了されました。
さらに、糸選びから編み方、形までを一貫してデザインできる点が、生地担当と形担当が分かれる布帛 ── 伸びない織物の生地。廣川さんの説明では、この布帛の服はテキスタイルデザイナーと形のデザイナーが分業でつくっていましたの服とは決定的に違ったといいます。
糸をすくって繋ぎ合わせてるんで、あんまり縫わないんですよ。あ、これは最高かもしれないと初めてその時思って。
縫うことの苦手意識が、ニットとの出会いで強みに反転した瞬間でした。入社2年目のことで、川邊さんは思いのほか早い出会いだと驚きます。
失敗を許す環境と「プロダクトアウト」の仕事
ニットの部署では、靴下やTシャツといった小さなものから作り始めたといいます。何もわからないまま作って、思いもよらない失敗も重ねました。
なんかこんなになっちゃったみたいな。すごい硬くなっちゃったとか、思いもよらない失敗をたくさんした。
それでも、そうした失敗を容認してくれる会社だったと廣川さんは振り返ります。デザインチームは数字よりもデザインに集中できる環境にありました。
川邊さんが、マーケットを予測して作るマーケットイン ── 市場や顧客の需要を起点に商品を企画する考え方なのかと尋ねると、廣川さんは「とにかくいいものづくりをするんだ」という方針だったと答えます。
プロダクトアウトですよね、もう完全に。
そうですね、デザインありきで。ビジネスの数字を見る方は別にいて、デザインチームはデザインに集中してるっていう感じだった。
数字や流行りをそれほど意識せずに済んだからこそ、面白い服や実験的なことができたのではないかと廣川さんは語りました。
メンズ配属で学んだ「実用性」という発見
廣川さんはその後もニットを軸にしながら、ブランドや対象を転々とします。途中でメンズに配属された時は戸惑いましたが、それが良い経験になったといいます。
メンズに配属になって、それもえーっと思ったんですけど、私メンズやったことないしって。それが良かったんですよ。
婦人服はワンピースからパンツまでアイテムの幅が広く、何でもありの世界でした。一方でメンズには原型があり、その枠の中で作らなければなりません。
袖も体に沿って着心地が良かったりとか、実用性を考えないといけなかった。メンズの服は実用性が大切なんだって初めてそこで学んで。
色もグレー、紺、白、黒といった限られた範囲で、制限がある中で服を作る経験が大きな学びになったと廣川さんは話します。
川邊さんは、男性にとってスーツは実用性の極みで、カバンの代わりだと語ります。副社長になって初めてオーダーメイドでスーツを作った際、名刺入れのポケットの便利さに驚いたそうです。
カバンだと思って着てますから、スーツは。ポケットいっぱいあった方がいいんだなみたいな。
この意図しないメンズ配属がなければ、服を実用性ではなくファッショナブルかどうかだけで判断していたかもしれない、と廣川さんは振り返りました。
楽しいのに辞める──30歳で浮かんだ問い
話題は独立のきっかけに移ります。廣川さんが辞めたのは、ちょうど30歳になるタイミングでした。その頃、仕事はとても楽しかったといいます。
後輩もいるし、自分のやりたいこともできるようになってきてた。
春夏、秋冬の服作りを繰り返していく中で、廣川さんの中に一つの問いが浮かびます。この次のステップアップって、自分は何なんだろうという問いでした。
卒業制作に打ち込むあまり就職活動を後回しにしていたかつての廣川さんが、ようやく中長期の目線を手に入れた瞬間でもありました。
振り返れば、およそ3年周期でメンズやニットなど、やったことのない仕事に取り組む機会をもらってきたといいます。その積み重ねが「そろそろかもしれない」という直感につながりました。
そこから決めて、辞めて独立しようって思ったんですよね。
当時、廣川さんのような立場の人にとって、同じブランドに残る、他の大手に転職する、独立する、という3つの道はどれもスタンダードだったといいます。その中で廣川さんは独立を選びました。
独立して気づいた「井の中の蛙」
独立を決めた後、廣川さんはニットを中心としたブランドを構想します。しかし今振り返ると、この時は何も考えていなかったと率直に語りました。
今振り返ると何にも考えてなかったんですよ。
大企業では分業制で、プレスやPR、生産管理、営業といった多くの人がいて初めて会社が回っていました。デザインしかしてこなかった廣川さんは、その工程が抜け落ちていたのです。
とりあえず服を作って、それを売る。工程が抜け落ちてて、とにかく服を作ればきっとうまくいくんだろうなと。
独立して初めて、電話をかけることから何まで、すべて自分でやらなければならないと気づいたといいます。川邊さんも、まさに今その状態だと共感しました。
僕は今まさにその状態です。全部自分でやってますから。
それでも、人の紹介でPRを担ってくれる人と出会うなど、人の縁に助けられてきたとしか言えない、と廣川さんは振り返ります。
ファッションショーと「ミラクルメール」
独立後、廣川さんはまず少ない資金で東京コレクションのファッションショーに挑みました。無縫製ニットの雛形となる小さなカプセルコレクションを作り、多くの人に見てもらえればなんとかなると考えていたそうです。
この東京コレクションは支援制度があり、応募して合格すれば会場費が無料でショーができました。廣川さんはその制度に助けられます。
ショーの後の合同展に出したところ、思いがけないメールが届きます。廣川さんはそれを「ミラクルメール」と呼びました。
ミラクルのメール。
差出人は、当時リステア ── 高級輸入ブランドなどを扱うセレクトショップ。廣川さんの説明では、六本木の東京ミッドタウン開業時に大型店を構えていましたという企業でした。ちょうど六本木の東京ミッドタウン開業のタイミングで、そこにオープンする大型店で取り扱いたいという内容でした。
他は海外のブランドしか扱ってなくて、日本のブランドはソマルタだけ。エクスクルーシブで展開したいので、たくさん買ってくださったんですよ。
この買い付けをきっかけに、廣川さんは「生きれるようになった」と語ります。誰かが扱うと他の店も追従してくれることが多く、そこからなんとか生き延びてきたといいます。
そのミラクルメールの相手は、たまたまファッションショーを見に来ていた人だったといいます。会場費無料の支援枠が登竜門として機能していたことに、廣川さんは改めて感謝を口にしました。
iPhoneが壊した「発表のセオリー」
廣川さんは、ファッションショー自体は仕組みを知っていたため、大変ではあっても未知のことではなかったと話します。モデルやヘアメイクを集め、美しい理想を作って服を着せる流れは把握していました。
ここで廣川さんは、服作りにおける発表のセオリーが壊れたタイミングがあったと切り出します。それがiPhoneの登場だったといいます。
いつなんですか?
それがiPhoneが出た時だったんですよね。
従来のファッションショーは、招待客が贅沢な空間で体験し、それが記事化されて広まるものでした。しかし情報が手のひらの中で簡単に手に入るようになり、その機能が通用しなくなっていったといいます。
川邊さんは、変化の要因をより具体的に整理します。iPhoneと、インスタなどのSNS、そして自分の好みに合わせたレコメンデーションの3つが重なったと指摘しました。
インスタ見てる間に新しいコレクションを全部なんか見ちゃったわみたいな体験に変わってったんでしょうね。
同じ時期に多くの雑誌が廃刊となり、ファッションショーで発表しても載る場所がなくなっていきました。廣川さんは、発表の仕方を模索しなければならない時期が一番大変だったと振り返ります。
雑誌がなくなってきているから、発表の仕方を模索しなきゃいけないタイミングだなっていう時が大変だった。
廣川さんのブランドは、そのタイミングで一度ファッションショーをやめ、プロダクトを綺麗に撮影して発表する形に変えました。それでも今なお、何が正解かは見えていない模索の途中だといいます。
AI時代の変化と、両軸で歩む今
話題は現在進行形の変化にも及びます。川邊さんは、スマホ以降の十数年で起きた変化に続き、AI時代のトランスフォーメーションがここから起きると語ります。
川邊さんは、今のAIの使われ方は人手不足を補う経費削減の方向に偏っていると指摘します。その状態を、能力の高い人材に単純作業をさせている状況にたとえました。
ハーバード大学を首席で卒業した人に議事録取らしてますみたいな感じなわけですよ。起きてることは。
本来はもっと事業の根幹の価値を生み出す部分にAIが使われるようになっていくはずだ、と川邊さんは見立てます。自身も経営の中枢にAIを据えていたと明かしました。
そういうとんでもない天才に雑巾かけとけみたいなことをやっちゃってるのが今って感じですね。
最後に、ブランドがとんとん拍子で確立したわけではないと廣川さんは語ります。人の縁に支えられながら、自分のブランドと企業の仕事という両軸で、少しずつ成長してきたと振り返りました。
その両軸でだんだんこう、ちょっとずつ成長はしてきたのかなっていう感じですかね。
まとめ
縫うことが苦手だった廣川さんは、配属で出会ったニットを強みに変え、失敗を許す環境で経験を積みました。仕事が楽しかった30歳で「次のステップは何か」という問いから独立を選び、井の中の蛙だった自分に気づきながらも、人の縁とミラクルメールに支えられてブランドを育てていきます。
- 縫うことへの苦手意識が、縫わない服=ニットとの出会いで強みに反転した
- 靴下やTシャツから作り始め、失敗を容認する環境で経験を積んだ
- 意図しないメンズ配属が、服の実用性という新しい視点をもたらした
- 仕事が楽しかった30歳に浮かんだ「次のステップ」への問いが独立の起点になった
- iPhoneやSNSで発表のセオリーが崩れ、今も発表の形を模索し続けている






