荒木さんの新刊『成長の地図』と刊行記念イベント
番組の冒頭では、荒木博行さんの新刊が話題になります。成長をテーマにした本で、タイトルは『成長の地図』。9月24日の発売で、渡邉康太郎さんが帯を書いています。
龍之介と康太郎と二人に挟まれた感じになりましたけど。
渡邉さんは、半年ほど前に書いた自身の本でも「成長をいかに捉え直せるか」を考えていたといい、荒木さんの新刊には共通する問題意識があると感じながら読んだと話しています。
刊行記念イベントは、9月30日の水曜日の夜に三省堂書店神田神保町本店で開かれる予定です。深井龍之介さん、渡邉さん、荒木さんの3人で登壇し、荒木さんはイベントそのものを番組の収録にもしたいと話しています。
SF作家・津久井五月さんとTakramの関わり
この回のゲストは、作家の津久井五月さんです。荒木さんは今回が初対面ですが、渡邉さんは仕事の場で何度も一緒になってきました。
渡邉さんによると、津久井さんにはTakramのプロジェクトでトークイベントに出てもらったり、インタビューに答えてもらったりしてきました。まちづくりのプロジェクトでは、未来の銀座を舞台にした短編小説も書いてもらっています。
基本的には小説家とかSF作家っていう風に名乗って活動してるんですけども、たまに企業相手のお仕事っていうのをやることがありまして。
津久井さんは10代の頃からポッドキャストが好きで、自身でも番組を持っているそうです。ラジオやポッドキャストのような音声番組が非常に好きなので、出演はありがたいと話しています。
荒木さんが作家業と企業向けの仕事の比重を尋ねると、津久井さんは企業向けのほうが多いと答えます。
どっちかっていうと企業相手の仕事の方が多いですね。7、3とか6、4とかっていう感じで。
名前を出さない仕事も含めると、純粋な小説執筆は2〜3割、年によっては1割ほどだといいます。理想としては小説家をメインにしたい気持ちもあると語っています。
SFプロトタイピングとはどんな手法か
荒木さんは、一時期バズワードのように広まったSFプロトタイピング ── SF的な物語を書くことで、製品や社会の未来像を構想・検討する手法。2010年代にアメリカで提唱され、日本では2020年前後から注目を集めましたに話を向けます。
津久井さんによると、日本では2020年から2021年ごろに、SFプロトタイピングという言葉が先行して広がりました。津久井さんは大学院時代に小説でデビューし、約2年会社員として働きましたが、会社を辞めたころにちょうどこの流れが起こり始めたといいます。
それにもう自ずと巻き込まれていくというか、結構葛藤しながらその流れと付き合ってきたみたいなところはあるかなと思いますね。
津久井さんは、詳しい歴史は正確に伝えられないと前置きしたうえで、インテルなどの社内にいた未来学者が本を書いたことがきっかけだったのではないかと説明します。企業の新製品や戦略を考える際に、従来のリサーチやデザイン思考とは別に、SF小説を書くことで未来を構想しようという提案だったといいます。
津久井さんの理解では、SFプロトタイピングの核は、SF小説が持ちがちな社会的テーマや「キャラクターの目を通して未来社会を見る」特徴を使い、自分たちが構想する技術やサービスを批判的・客観的に見直すことにあります。
ただし津久井さんは、決まった方法があるわけではないとも話しています。断片的にアレンジされてあちこちに広がり、デザインフィクションなど呼び名もさまざまで、「結構不確かな存在」だといいます。
シェルのシナリオプランニングは「伝説」なのか?
荒木さんのSFプロトタイピングへの接点は、2020年前後のブームや『WIRED』の特集を本として読んだ程度だといいます。現場で携わった経験はないため、企業が実際にどう取り入れているのかに興味があると話しています。
荒木さんが引き合いに出したのが、シェルのシナリオプランニング ── 起こりうる複数の未来像をシナリオとして描き、それぞれへの備えを検討する戦略手法。1970年代のロイヤル・ダッチ・シェルの取り組みで広く知られるようになりましたです。ただ荒木さんは、シナリオプランニングは小説的に描くところまでは踏み込んでいなかったはずだと振り返ります。
津久井さんは、ロイヤル・ダッチ・シェルがオイルショックの前ごろにこの手法を導入し、起こりうる事態を短いシナリオにして多数持っておいたことで、オイルショックのダメージを軽減したという「伝説」があると補足します。
伝説ですね。
一方でSFプロトタイピングについて、津久井さんは手法の側から先に広まった印象を持っています。コンサルティングファームや大学の研究者が取り組んではいるものの、「これはSFプロトタイピングで生まれた製品です」と言える成果はあまり見かけないといいます。
そういう方法があるよとか、そういうことやってみたよっていう発信がすごく先行して出てきたっていう印象が個人的にはあります。
「未来について考えることに意味はあるのか」という問い
ここで津久井さんが、この4週連続企画の問いを投げかけます。それが「未来について考えることに意味はあるのか」というテーマです。
津久井さんによると、未来を考えようという呼びかけは、あらゆるスケールで聞かれます。企業のビジョン、学校や就活など人生の節目での個人の未来、さらには国防のような国家レベルでも、今後起こりうることを想定しようと言われています。
そのすべてが完全に無意味だと僕は全く思わないんですけど、未来について考えるってそもそも何だろうっていうことと、それについて考えたら何をしたことになるのかっていうのって全然ピンとこないなと思っていて。
津久井さんの違和感は、SF作家としての立場とも結びついています。世間ではSFを「未来を描くもの」と短絡しがちですが、SFを未来を描くことが目的の文芸ジャンルだと言われても、津久井さん自身はあまりピンとこないといいます。
そのうえで、「SFイコール未来」という前提の上にSFプロトタイピングのようなビジネス手法が広がっていることにも、はっきりとした対抗言説ではない曖昧な違和感があり、前々から掘り下げたかったと話しています。
未来から逆算するビジネスのリテラシー
渡邉さんは、この問いはほぼ未来を考える仕事をしているビジネスパーソンにはグサッと刺さるのではないかと受け止めます。
荒木さんは企業の側から見ると難しい問題だとしたうえで、都合のいい恣意的な未来を作り出してしまう危うさを指摘します。
荒木さんが例に挙げるのは、個人レベルの目標設定シートです。1年後のありたい姿を定義し、それをブレイクダウンして、今日の行動をその未来にアラインさせる。こうした考え方が、ビジネスの中にめちゃくちゃ浸透していると話しています。
未来を定義する
1年後のありたい姿を目標設定シートに書く
ブレイクダウンする
その未来を細かな目標に分解する
今日の行動を合わせる
日々の行動を、定義した未来にアラインさせる
津久井さんは、SFプロトタイピングの現場でも「未来を予測する一番確実な方法は、自分で未来を作ることだ」とよく言われると応じます。未来の到達点を定めて道筋を逆算するバックキャスティング ── 目指す未来の姿を先に定め、そこから現在に向けて逆算して取るべき行動を考える手法。現状の延長で予測するフォアキャスティングと対比されますも、ビジネスでよく使われているといいます。
何が起こるかを見通そうとする。津久井さんは、未来が本質的に未来的であるほど予測できないと感じている
望む未来を定めて逆算する。津久井さんは、現在の願望を未来に投影しただけになりがちだと見る
未来っていう言葉がなんか曖昧なまま、なんとなくそれっぽく正しく聞こえる言葉として結構使っちゃってるみたいな面もあるのかなっていうふうには思います。
クライアントの現場で未来はどう扱われるか
荒木さんは、スペキュラティブデザイン ── 製品の実用化よりも、ありうる未来を提示して「どうあるべきか」を問い直すデザインの考え方。社会への問いかけを主な目的としますなどにも触れながら、渡邉さんがクライアントの現場で未来をどう扱っているのかを尋ねます。
渡邉さんは、未来を予想するより自分たちで作ってしまおうという考え方は、それ自体すごく妥当だと感じているといいます。問題はむしろ、外部の条件から未来を組み立てるやり方にあると話します。
渡邉さんによると、オンラインにある未来年表などを材料に、起こりそうなことを列挙して「生活がこうなってるはず」と考えると、みんな同じようなものに収束しがちです。一人ひとりの生活の手触りやちょっとした違和感とは関係のない、他人事の未来を描き始めてしまうといいます。
これ来るでしょうとか、これ儲かるでしょみたいな感じになって、プロジェクトを構成していくと、どうしてもなんか空虚なものになり、大体みんな似てくるっていうのはあると思うんだよね。
渡邉さんは、自分事として考えられるかどうかは、未来という切り口に限らず、今の仕事ぶりや生き方にも関わることではないかと述べています。
未来を考えることの「ダサさ」とは?
渡邉さんが注目したのは、事前のやり取りで津久井さんが出したキーワードでした。未来について考えることは無意味とは言えないにしても、いろんな功罪や「ある種のダサさ」を伴っているかもしれない、という一文です。
津久井さんは、功罪の話だけだと堅苦しくなるとしたうえで、「未来を考えましょう」と言われたときの抵抗感は、感覚的には「ダサさ」として感じることが多いと説明します。
SF作品に何か感動したとか、何か受け取ったなって思うものって、別に未来を描いてること自体に別に感動したりとかしてるわけじゃないなと思うんですよね。
津久井さんによると、SF映画を見終わって「こんな未来を構想したのはすごい」と感じるのは表層的な感想にすぎません。未来設定は、未来的なスペクタクルを見せるための入り口にすぎない作品も多いといいます。
さらに津久井さんは、優れたSF作品ほど、SFや未来という構造を内側から破壊しにかかるものが多い気がすると話しています。
映画『メッセージ』の主人公は未来をどう受け止めたか
津久井さんが具体例に挙げたのは、2016年の映画『メッセージ』です。テッド・チャン ── アメリカのSF作家。寡作ながら短編の評価が非常に高く、「あなたの人生の物語」は映画『メッセージ』の原作として知られていますの短編「あなたの人生の物語」を、ドゥニ・ヴィルヌーヴ ── カナダ出身の映画監督。『メッセージ』のほか『ブレードランナー 2049』『DUNE/デューン 砂の惑星』などを手がけています監督が映画用に膨らませた作品で、荒木さんも渡邉さんも原作と映画に触れています。
津久井さんの説明では、『メッセージ』の主人公は最終的に未来予知のような能力を得ます。ただそれは未来を予測するというより、過去・現在・未来の区別がなくなり、すべてが目の前にあるように見える状態だといいます。
主人公はその感覚によって戦争を止めます。一方で主人公には、これから自分が産む子どもが死んでしまうという個人的な悲劇が確実に待っていることもわかってしまいます。
主人公からすると、もう未来っていうのはすでに起こってしまっていることで、もうすでに存在する現在として見ていて。
津久井さんによれば、主人公は悲劇とそれを避ける可能性のどちらかを選ぶのではなく、起こりうることはすでに起こっているものとして、運命や自分の存在全体に腹をくくるしかない状態に至ります。その生き様や覚悟が、この映画の胸を打つ部分だと話しています。
未来におびえる側が「浅い側」に置かれる構図
津久井さんは、『メッセージ』の主人公の境地を、物語の外側で起きる出来事と比べます。宇宙人の飛来によって、アメリカや中国の軍人たちは何が起こるか不確実な未来にあわあわし、楽観論と悲観論が入り乱れていきます。
相手がよくわからないことによる敵意が高じて戦争が起こりかけ、それを主人公の「未来と現在を区別しない思考」が解決する。津久井さんは、映画のプロットをそう整理しています。
不確実な未来に右往左往し、最悪の事態を避けようとして、かえって戦争を引き起こしかける
起こりうることを今ここの現実として受け止め、腹をくくることで戦争を止める
津久井さんの見立てでは、未来について心配し、最悪の事態を回避するために戦争という悪い事態を招く人たちは、この物語では「浅い側」、敵側に置かれています。
むしろ考えることが、その戦争だったりとか、何かやらなくていい余計なことを引き起こして、多くの人とか自分自身を不幸にするみたいなことがあり得るんじゃないか。
津久井さんは、これが「ダサさ」を考えるヒントの1つ目になる作品だと位置づけています。
津久井さんは、外から何が来ようと自分で受け止めるスタンスがあれば、未来を構想・予測しなくてもいいのではという見方があると話します。渡邉さんはこれを面白い切り口だと受け止め、次回は『メッセージ』とテッド・チャンの物語をどう解釈するかを出発点に、未来を捉えることとダサさの可能性をさらに掘り下げたいと締めくくりました。
まとめ
この回は、SFプロトタイピングの広がりへの違和感から始まり、「未来について考えることに意味はあるのか」という問いが立てられました。映画『メッセージ』を手がかりに、未来にあわあわする姿勢の「ダサさ」と、今ここを受け止める覚悟という視点が示され、議論は次回へと続きます。
- SFプロトタイピングは、決まった方法よりも「やってみた」という発信が先行して広まったと津久井さんは見ている
- 未来を考えることには「予測」と「意思をもって作る」の2つの側面があるが、どちらにも危うさがある
- 渡邉さんは、外部条件から描いた未来は他人事になり、みんな似てくると指摘する
- 『メッセージ』では、未来を案じる側が戦争を招き、未来と現在を区別しない主人公が覚悟によって事態を解決する
- 津久井さんは、覚悟があれば未来をあれこれ考える必要はないのでは、という視点を「ダサさ」の最初のヒントとして示した






