お国によって違う常識という今回のテーマ
今回のテーマは「お国によって違う常識」です。ここでいうお国とは、日本と海外の違い、そして海外でも国ごとに違う常識を指しています。
Manaさんが言う常識とは、生活の上での常識です。どういったものに価値を見出すのか、どういったものにNGがあるのか、そうしたものが国によって違うと話されています。
この話をするきっかけは、X上で見かけた1つの事例でした。中国で印刷しようとした際に、印刷所を通して中国当局からNGが出そうだという連絡が来た、というものです。
中国当局からちょっとNG食らいそうだよと。ちょっと印刷できないかもというような連絡が印刷所から来た
当事者からすれば、いきなりNGを食らうとイベントに間に合わないなど大変そうですが、Manaさんはこの事例を興味深いものとして紹介しています。
世界観・フレーバーを作り込むメリット
ボードゲームにとって世界観は重要だと、Manaさんは話します。「あなたは何々です」という語り口から始まるゲームも多く、カードゲームなどでは多くの人がフレーバーを作り込んでいます。
世界観はアートワークにもルールにも影響するため、作り込んでいこうという風潮があるとManaさんは見ています。Mana さん自身もフレーバーが好きだと語っています。
作り込むほどしっかりした作品に感じられ、以前の配信で触れたようにIP化などの展開も見込めると話されています。裏側の設定を多く用意することにもつながります。
裏設定まで作り込んでおくと、シリーズ化もしやすくなります。同じ世界観の別の場所にスポットを当てた作品を作れるからです。
フレーバーは何のために作るのか。Manaさんは、ゲームをプレイする上での没入感を高め、なぜこういうプレイをするのかというルールへの納得感を促進する効果があると説明します。
そのため、説明書以外に世界観を伝えるフレーバー資料を別紙として入れるゲームも見かけると言います。中にはライトノベルや人物相関図を同梱するものもあるそうです。
没入感・納得感
世界観がプレイへの没入感と、ルールへの納得感を高める
資料としての厚み
別紙やライトノベル、相関図など、遊びを深める素材が生まれる
展開のしやすさ
裏設定が充実するとIP化やシリーズ化がしやすくなる
中国で印刷NGになりかけた新聞風フレーバー
今回の事例のゲームは、ざっくり言うとテロのような世界観だったとManaさんは説明します。
その背景資料として、新聞記事風のフレーバー資料が用意されていました。かなり作り込まれていて、本物の新聞そっくりに、何が起こったのかがニュースの形で載っていたそうです。
こういうの作るんだよっていうのをXの投稿とかで見てた時に、かっこいいなあって思っていた
ところが、これを中国で印刷しようとしたところ、当局からNGを食らいそうだという話になりました。テロ系の世界観で、国家転覆の陰謀を彷彿とさせるような記事だったためです。
Manaさんは、それがリアルだったからこそだと見ています。日本では爆弾テロなどの記憶があまりないものの、海外のニュースではテロは非常にセンシティブな内容だと話します。
フレーバーにはスパイのような要素もあったそうです。日本ではスパイに馴染みが薄い一方、海外では当たり前だとManaさんは指摘します。
さらに国家転覆やクーデターといった内乱に関わるものも、センシティブなテーマです。日本ではファンタジー的なエンタメとして作れても、世界に目を向けると日常であり社会課題である場合があると語られています。
テロ・スパイ・国家転覆はファンタジーやエンタメの世界観として扱いやすい
日常であり常識であり、常に解決すべき社会課題として身近にある
なぜ「印刷」がとりわけ問題になるのか
中国がそこまで敏感な理由はわからないとしつつ、Manaさんは「印刷する」という点がポイントらしいと話します。
印刷は基本的に、その内容を多くの人に周知しばらまく行為です。もし中国当局を倒そうといった記事を印刷すれば一発でアウトだろうと、Manaさんは説明します。
無差別にばら撒ける媒体だからこそ、そうした内容ではないかを審査する必要が出てくるのかもしれない、という見立てです。
一方で、その資料は日本語で書かれていました。雰囲気はなんとなく読め、しかも新聞の号外のような形だったため、確認するから待ってほしいという話になったのだろうとManaさんは推測します。
ボードゲームのフレーバーであることは印刷所に伝えているものの、審査の結果はまだ出ていないという状況でした。中国印刷は時間がかかるため、イベントに間に合うか分からないと告知されていたそうです。
中国印刷も時間がかかるので、ちょっとイベントに間に合うか間に合わないかちょっとわかりません
ワンピースが受け入れられない国がある理由
日本では馴染みがなくても海外では当たり前という話は、今回のケース以外にもあるとManaさんは言います。その例として、世界的に人気のワンピースを挙げています。
ワンピースは海賊がテーマで、海賊を正当化して冒険に出るような物語です。しかし、この世界観に手を出せない国々もあるらしいと紹介されています。
その理由は、海賊が今も実際に存在するからだとManaさんは説明します。未知の島に挑む冒険家ではなく、貿易船やクルーズ船を襲って金品を奪う盗賊が、カリブ海のあたりで社会問題になっていると話します。
海賊に苦しめられている地域からすれば、海賊は身近にある恐怖です。それを美化して冒険家のように描き、憧れられてはたまらない、という感覚だとManaさんは語ります。
ワンピースでさえもダメな国っていったものがあるっていう話を聞いて、そういうのもあんだなっていうふうに思っていた
神社を題材にしたボードゲームが作れなかった話
日本国内の事例として、Manaさんは神社や神様を題材にしたボードゲームの話を紹介します。地域性を出せる題材として、以前から可能性を感じていたそうです。
地域ごとに七福神のような神様がいて、御朱印やシンボルマークもあります。キャラクター性や裏設定もしっかりしていて、地域復興にもつながるため、ボードゲーム化はよさそうだと考えていたと言います。
実際に、地域のために神社をベースとしたボードゲームを作りたいと、商工会など地元の団体に掛け合った人がいたそうです。Manaさんが聞いた話として語られています。
団体からは「いいですね、ぜひやりましょう」と歓迎され、ガンガン開発を進めて、ボードゲームが完成しました。役所の人たちも「これで復興になりますね」という反応だったそうです。
ところが、実際に神社の人たちや地域の集まりに持っていったところ、NGが出てしまいました。街も盛り上がり、お土産にもなるのになぜ、という展開です。
そしたらNGが出たらしくてですね、なんで?って感じじゃないですか。街は盛り上がるし、ゲームとしてもできるし、お土産にもなるし
怒り出したのは、その神社を信仰している人たちだったそうです。理由はボードゲームに勝敗があること、つまり誰が勝って誰が負けたか、何が強くて何が弱いかが決まる点にありました。
大きな指摘は2つでした。まず、神様ごとに優劣の基準をつけるなということ。そしてもう1つは、ゲーム中に神様が負けるとはどういうことか、というものです。
企画・許可
地域のため神社を題材にしたゲームを企画し、商工会などが歓迎
完成・自治体側の反応
ゲームが完成し、役所は「復興になる」と好意的
信仰する人たちの反発
神様に優劣をつけること、神様が負けることに反感が出る
結果
反感を受け、最終的にゲームは作れなかった
自分が信仰している神様が、他の神様よりステータスが弱いのは嫌なものです。ゲーム中に力比べで負けたり勝ったりするのも受け入れがたい、という感覚はわかるとManaさんは話します。
神話の世界では力比べの話もあるため、史実に沿っている形なら問題なかったかもしれないと補足しつつ、結局このゲームは作れなかったと紹介されています。
映画やドラマは許されて、ゲームのフレーバーは引っかかる差
ここでManaさんは、疑問を投げかけます。テロや殺人はダメなものなのに、映画やドラマではそうしたセンシティブな題材が許されている感覚があるのはなぜか、というものです。
テロはアメリカにとって重大な問題であるのに、テロを題材にしたドラマは数多くあります。殺人事件を扱うミステリーも、残虐性の高いスプラッタ系も存在します。レーティングで見られる年齢層を上げている点はあると補足されています。
なぜ映画やドラマは許されて、ボードゲームのフレーバーは許されないのか。Manaさんはこの点に引っかかりを覚えつつ、よく考えると1つの違いに気づいたと話します。
その違いとは、映画やドラマは最終的に「悪いものは悪い」「滅ぼされる」という体裁になっている点です。殺人は悪い、テロは駆逐される、といったオチまで描かれているからだと説明します。
一方でボードゲームのフレーバーは、あくまで世界観しか語らないことが多く、悪が最終的にダメになるという絶対的なオチを作りにくい、とManaさんは指摘します。プレイによっては悪者が勝つかもしれないからです。
センシティブな題材でも、悪は滅ぼされるというオチまで描かれる
世界観しか語らず、悪が必ず負ける結末を作りにくい
特に「これから遊ぶぞ」という動機付けまでで止まるゲームも多いと言います。「あなたはテロ組織です、国家を滅亡させましょう」という語り口だと、本当に誘っていると思われても仕方ない、とManaさんは納得を示します。
それでも世界観は作り込んだ方がいい
気をつけて作るべきだとしつつも、Manaさんは「正直気にしてられない」と本音を語ります。フレーバーはとことん作り込んだ方がよく、そればかり気にしていてはクリエイティブなことができないタイプだと話します。
正直気にしてられないんですよね
たとえ表現としてボードゲームに入れたり、フレーバー資料を用意したりしなくても、自分の中で裏設定がしっかりしていればボードゲームに深みが出ると、Manaさんは信じていると語ります。
国によってNGだという話があっても、それはそれ、これはこれだとManaさんは考えます。そのゲームはその国では展開できなかった、というぐらいの受け止めでいいという立場です。
NGな部分に引っ張られると、OKな部分の魅力まで削がれてしまいます。だからOKなところに特化して、こだわって伸ばしていくべきだと話されています。
薄味にして届けようとしても、結局その国には受け入れられないうえ、特定の場所ではウケたのに全体的にウケなくなりかねない、とManaさんは指摘します。だからこそ世界観は作り込んだ方がいいという結論です。
賛否両論こそいい作品という考え方
話はさらに広がり、Manaさんは「何かしら尖らないといい作品はできない」と語ります。賛否両論が起こるボードゲームは、むしろいいボードゲームだという見方です。
賛否両論が起こるには、そこそこ売れていることと、何かしら尖っている、つまりこだわりが強いことが必要だとManaさんは説明します。
何かを特化させると、反対意見の人は否定的になります。しかし否定的な人がいるからこそ、肯定的な人がとことん肯定するという構図になると語られています。
否定が出ないものは、肯定もそれほど出ず、じわっとした中途半端な作品になってしまうとManaさんは話します。だから突き抜けて話題になり、賛否両論が出るものこそ、刺さる人には強く刺さるということです。
ただし、商業デザイナーとして依頼を受けて作る場合は万人受けを意識する必要があると補足されています。インディーズであれば、刺さる人にとことん刺さる作品を作り、刺さる人を探していく作業だと捉えるくらいがちょうどいい、というのがManaさんの考えです。
今回の結論として、Manaさんは、ダメな理由は人・地域・国によって違うのだから、自分の内面で何が素晴らしいのか、何をこだわりたいのか、そこに注力して突き進むのが一番いいと語ります。
まとめ
国や地域によって常識は違い、テロや海賊、神様といった題材が思わぬNGを生むことがあります。それでもManaさんは、NGに引っ張られるのではなく、OKなところと自分のこだわりに注力して世界観を作り込むべきだと語っています。
- 生活上の「常識」は国や地域で異なり、テロ・スパイ・海賊などの題材が海外では受け入れられないことがある
- 新聞風フレーバーは中国の印刷審査に引っかかりかけ、「印刷してばらまく」点が特にセンシティブだと考えられる
- 神社を題材にしたゲームは、神様に優劣をつける・神様が負ける点が信仰する人たちの反感を招き、実現しなかった
- 映画やドラマがセンシティブな題材を扱えるのは「悪は滅ぼされる」オチまで描くからで、ゲームのフレーバーは作りにくい
- NGに引っ張られず、OKなところと自分のこだわりに特化し、賛否両論を恐れず作り込むのがよいという結論



