CEDEC登壇はどんな場だったのか
番組冒頭、宮田さんと塩川さんが番組紹介をし、CEDECのセッションに登壇したゲストを迎えます。
ゲームディレクターに聞きました。この番組はゲームのクリエイティブゼロイチ、企画が生まれて形になっていくその瞬間を、ご自身のディレクターさんのお口で語っていただくポッドキャストです。ゲームディレクター研究会の宮田と。
塩川がお送りします。
ちょっと今回、特別回というところだと思うんですけれども。
そうです。今日もゲストの方々にいらっしゃっていただいておりますので、お一人ずつ簡単に自己紹介をお願いします。
インディーゲーム開発やっています、株式会社ネストピの生田です。よろしくお願いします。
インディーゲーム会社というか、クリエイターのチームのデポットの川勝と言います。よろしくお願いします。
もう一人のゲスト松永純さん(株式会社セガ)も自己紹介をします。塩川さんは、5人でCEDEC 2026のセッションに登壇し、その打ち上げ前に収録していると説明しました。
さっき宮田さんが少しありました通り、我々つい30分ぐらい前まで、CEDEC 2026の方にセッション登壇しておりまして、この5人で。今その打ち上げをやってるんですけど、打ち上げが始まる前に話しましょうということでご協力をいただいてっていうことになります。
乾杯からいきますか。
乾杯しときますか。お疲れ様ということで。
数百人の前で他人のゲームを語り合う緊張
今回のセッションは、生田孝志さんの許可を得て、登壇者たちで『Öoo』を分析する内容でした。数百人の観衆の前で語った感想を、それぞれが振り返ります。
ご本人の許可をいただいて、(『Öoo』を)我々登壇者の間で語り合う分析のセッションをやらせてもらったんですけれども。どうでしたか。(生田さんが)一番緊張されていた。
緊張しました。一番慣れてないんでしょうね、僕がね。でも本当に、松永さんに救われましたっていう印象がすごく強くて。率先して拾ってくれるんですよ。
松永さんは「拾うのは頑張ります」と応じます。続けて松永さんは「みんな前を見て喋る感じになってキャッチボールしづらかった」と語りました。生田さんは、誰から喋るか迷う緊張感の中でやったと続けます。
テーブルが横並びで、誰が喋ってもいいよみたいなスタンスだったんで、じゃあ誰が一番に行くのって話になるじゃないですか。全然考えまとまってないから、これで塩川さんに無茶ぶりされたらどうしようって思いながら。
(無茶ぶりを)川勝さんどうですか?って(振り返す)、そういう緊張感の中でやれたんですけど。普通な感想ですけど、楽しかったっていうところですかね。久々にいい緊張感を味わわせてもらって、気が引き締まったなっていう感じですね。
川勝さんどうでした?
ディレクターというか開発のリーダーみたいな人たちが5人集まって、一つの作品に対してこう言うっていうのはあんまなくて。かつCEDECでやるっていうと初だったんじゃないですか。
内容も作り手の軸としてしっかりできてるし、あんま見たことのないようないろんな意見もあったのがすごい良かったですよね。(生高橋さんの)一つのものをみんなでいろんな角度から見るのは、すごい知見が広がって良かったです。
作者公認だから「好き放題」語れた
生田さんは、他人の作品を公の場で語ることの難しさに触れます。ネットでは好き嫌いが炎上しやすく、集まって語りづらいと言います。
こういうのってなんか最近結構炎上しやすいじゃないですか。好きな人もいるし嫌いな人もいる。これ好き好きあっていいものなんだけど、ネットで喋るとちょっとそういうの言わないでほしかったみたいなのもあるから、相場に言いづらいし、集まりづらいですよ。
むしろもう好きなことを何でも言ってくれって、我々太鼓判を押されて。本人公認なんだこれはと。
松永さんは登壇の感想を語ります。「何百人も見ている中で人のゲームの話を全員でするのはハードルがある」としつつ、60分は短すぎたと振り返りました。良い面だけを語って終わった感があると言います。
いつかやりたいですよね。否定することがダメみたいなんじゃなくて、嫌だと感じた部分も含めて受け入れて、いい部分もあったんだから。それを素直に議論できる環境の方が健全ですよね。
全員が100点満点でもゲームっていうのはなかなかないですから。いいとこ悪いとこあった上でのゲームっていう、だと思いますよね。
松永さんは「いずれ非難だけする回やってください」と言います。
褒めてはいけません(回を)。
ディレクター研究会(闇)。
松永さんは、ディレクター同士でゲームを語るのは少ないと指摘します。
ディレクターが同じテーブルで語る貴重さ
塩川さんは、ディレクター同士が互いのゲームを語る機会がなぜ少ないのかを話します。それぞれが自分の作るものを一番面白いと思って作っているからです。
お互い作ってるものが一番面白いと思ってやってるわけで。他の人たちの作るものもすごいけど、若干プライドがあって、いやいやこっちの方が面白いよなって。そういうバチバチみたいなとこもありつつ、やっぱ決めていく仕事ですから。
普通はプロジェクトにディレクターって一人しかいないから、複数人が共存空間にいること自体がないですし、会社に複数いても大体別のプロジェクトだから、仕事上の接点もほとんどない。同じテーブルで一個のクリエイティブについて語り合うのは相当貴重な場なのかなっていう。
気をつけてますね。ディレクターさんと話す時、自分の信念とか話し始めたらこれ終わるなって。
真逆の場合とか、何だったら相手の否定につながっちゃうようなこととかありますからね。
松永さんは「否定もしたくなっちゃう」と言います。
でも多様であることが、ある意味ディレクターとしてむしろいいことだと思うんで、それぞれ全然違うことを考えてることがむしろ正解だったりする。そういう意味だと、セッションの中では四者四様、いろんな意見が出て良かったのかなと思いました。
登壇者それぞれの『Öoo』分析
ここから、セッションで各自が話した内容を発表順に振り返ります。まず松永さんは、ナラティブの視点から『Öoo』のシチュエーション設定を語りました。松永さんは「芋虫が鳥に食われることがすごい」と語ります。
松永さんは、『Öoo』は奥へ進むのが基本のモチベーションだが、「戻ってくるかもしれない」とユーザーに思わせないと試行錯誤を促せないと説明します。その状況が、鳥に食われて口の中から始まる設定で全て説明できていると言います。松永さんは、鳥に食われる以外のシチュエーション設定を考えたが思いつかなかったと語り、「差し替え不能のシチュエーション設定じゃないか。それがすごい」とまとめます。
(次に発表したのが)川勝さんですね。どんな話だったんでしたっけ。
僕は、爆弾の設置、爆破の仕方、ゲームの仕組みそのもの、遊びの部分を深掘りするお話をしました。一つのやれることのデータに、そのギミックをどこまで使い倒すのかっていう、これロマンじゃないですか。よくそこまでいろんな使い方したなみたいな。
昨今のゲームってボリュームが大きいから、いろんな要素をたくさん入れる分、分かりづらいんですよ。それがすごくシンプルにいろんなものをそぎ落として、そこをしっかり見せていく作り方の妙みたいな話をしましたね。
ユーザーを信頼して、ヒントをどこまで削るか
川勝さんは、生高橋さんの「ユーザーを信頼した作り」に触れます。ここまでは理解してくれるはずと信じる、チャレンジングな設計です。
(生高橋さんの)ユーザーを信頼した作り、ギミックとか含めて、ここまでは理解してくれるんじゃないかみたいなところ、かなりチャレンジングな作り方ですよね。実際になった中でも、いやこれはちょっとやりすぎでしょ、わからないでしょみたいなところもあったりして。
喉ごしのいい、すっと入るものって忘れるんですよ、結局。
味しないですからね。
だから何か一つでも話題になるような引っかかりみたいなものがあって、それの一つのやり方が今回の作り方だったんじゃないかな。このお話をしてる段階でもう話題になってたじゃないですか。これ多分価値なんですよ。
自分がこの範囲内で遊ぶ面白さなんてたかが知れてるんで、いろんな人たちに遊んでもらう遊びを許容するっていうのも一つのものなんじゃないかなと思います。
続いて生田さんは、レベルデザインの視点から発表しました。プレイヤーに問題へ集中してもらう工夫が徹底されていると言います。
今回、要はÖooが(言い間違えて)自己成長感って僕は呼んでるんですけど、そういう気持ちよさを味わいたくて。問題の難しさとか発見のアイデアにばかりフォーカスしかねないんですけど、実際は(プレイヤーが問題に)集中することが大事で、それが徹底されてるんじゃないかっていう。
徹底してるからこそ、逆にそれを利用して裏切るっていう形で戻る、最後の大オチ、ラストに向けて少しずつ伏線を張っていく構造をやっていた。そこについて今日話してました。
自分が話したのは、このゲームって脱出ゲームと同じだよねっていう話をまずさせていただいて。基本的には探索と記憶と、それを連想するっていう、調べて見つけたものを覚えていて、覚えていたもの同士を組み合わせて突破していくゲームなんですよね。
これ、謎解きをそのままデジタルにしましたよねって話ではなく、今回そこがノンバーバルであったり、ミステリー要素ではなくアクション要素に振っていたり、何よりマスコットキャラクターがとっつきやすい可愛さみたいな、そういうところですごく食べやすいものにしてる。
本質的な遊びは謎解きなんだけど、食べやすさがすごくあるゲーム。それが多くの人に受け入れられて評価されることまで繋がった一因なんじゃないのかなっていう。あえてそうじゃない角度でお話しすると、その辺がディレクターの視点ですごく気になったなと。
アクションはパズルに集中させるための設計
後半戦では、松永さんが語った「気持ちよさの作り方」を掘り下げます。ジャンプの制御が、パズルへの集中を邪魔しない設計になっている点です。松永さんは、ジャンプ中の制御でパズルに集中できる状態を作っていると語ります。
松永さんは、当たり判定の緩さもストレスにならないよう絶妙に調整されていると指摘します。塩川さんは、当たり判定に揺らぎがあると同意しました。
確かに結構揺らぎがありますよね。ちょっとだけかすってこれでOKな場合もあれば、ダメだよねって場合もあったりで、かっちりしてない部分も意外とあるなっていう、そこに幅があるなってのをプレイして思いましたよね。
松永さんは「パズルゲームだから答えはあくまで一つ」と言います。
あのゲームって、一昔前の、こちらが想定したルールの中でちゃんと解かないとクリアできないタイトルなんですよ。最近のゲームはいろんな解き方ありますねっていう形で変えていったのに、その昔のパターンをあんなにストイックにやり切ったのはなかなかできることではない。
一人で作るからできる、決め切る胆力
塩川さんは、個人クリエイターが「これでいける」と決め切る胆力の凄みを語ります。ダメだったら次に何年かけられるのか、それも分かった上で踏み切っています。
インディクリエイターの場合、3年で四面体作ってるわけですよ。これがダメだったら次どれぐらい大丈夫なの?2月いけるの?3月って話なの。それも分かった上でこれでいけるって踏んでる。その胆力。
松永さんは「よりどころがないから己を信じていくしかない」と語り、このゲームは会社では絶対作れない、二人以上のプランナーが考えた瞬間に崩壊すると語ります。
松永さんは、進んでいく中での解き方やヒントのつながりの設計が、生高橋さん一人の頭の中で作られているから成立すると言います。だから自分もやってみたくなったと語ります。
企業っていう観点でいうと、まずこれ普通の企業が作ってたらチュートリアル入れてると思うんですよ。ポップアップが出てきて、何々押したら何々ですみたいな。2個目の道具を手に入れたら、その使用方法を説明してみたいな感じが入ってくるだろうな。
松永さんは「やっちゃいますよね」と応じます。
やらずとも、少なくともそういう意見は絶対出てくる。これチュートリアル入れなくて大丈夫なの?みたいなところが出てくる中で、まあ胆力ですよね。逢ったことないですけど、確かに生高橋さんは絶対頑固ですよ。
作家性は、服を脱いだところに何があるか
塩川さんは、作家の顔が見えるゲームだと語ります。多数決をしないこと、ディレクターの個性を残すことを、自身も会社で意識していると言います。
個人で作られてるからこそ、あれだけご自身が好きなことを一貫してるからこそ、すごい作家の顔が見えるゲームですよね。逢ったことないし顔も知らないんですけど、目の前にいる感じがするんですよ。僕の中の生高橋さんはめちゃくちゃ頑固ですね。
うちも会社でやってる時に気をつけるんですけど、とにかく多数決をしないようにしようと。ディレクターが間違った選択をしても面白い、それが味になるから、その個性を残してほしいっていうことを、うちのスタッフにお願いしてるんですよね。
松永さんは「2025年ベストゲームに挙げていたくらい好き」と語ります。続いて川勝さんは、トンマナの一貫性が作家性の魅力だと語ります。作り手が作品を通じてユーザーと会話しているようだと言います。川勝さんは、グラフィックも音楽も、作り手の設計思想に一貫性があると語り、ゲームを通じてユーザーとクリエイターが会話していると語ります。
ディレクターはやっぱこう、特にゼロイチをやる人って、いかに癖を込めるかっていう、もう最終そこなので。まず服を脱いでからがスタートだと思ってるんで、服着てる時点ではまだディレクターじゃないかなっていう。
服を脱いだところに何があるのかが人それぞれ個性になってくるのかなっていうところでは、(生高橋さんは)だいぶもうスポンポンで。
救われない人をどう救うか、その発明
松永さんは、アクション性とパズルの難しさに線を引いた設計を評価しつつ、そのラインに届かず遊べなかった人もいると指摘します。その人たちを救う発明が欲しいと言います。松永さんは、一定の腕前さえあればパズルに集中できるよう線を引いた設計を評価します。
松永さんは、遊べなかった人全員を救う必要はないとしつつ、作家性を損なわない形で作品がもっと広がる発明があればいいと語りました。単純にボタンでヒントを出すようなものではダメだと言います。
自分は普段パズルゲームはほとんどやらないんですけど、パズルアクションで思うのは、答えが分かっててもアクションで解けないパターンがある。解法はわかってるけど、でもタイミングや位置取りで失敗するみたいになった時の、この苛立ちたるや。
頭で解かせるんだったら頭で解かしてくれよと。腕前求めるんだったらアクションで解かさせてくれよっていうのが、一ユーザーとしては結構思うことなんですけど、その辺りって皆さんどうですか?
それはね、結構ありますよ。もともとパズルがあんま好きではないんですよ。考えても考えてもわからなかったりすると、できればアクションでなんとか突破したい。
誰かが考えた道筋通りに行くことが気持ちいい人って意外といて。僕は気持ちいいと思わない。自分の解法を決めたい。
もっと言うと、人の手のひらによって遊ばれてるのが嫌なんですよ。ここで面白いと思ってるでしょっていう、どうしても見えるものが若干あったりすると、うん?って思ったりもする。
前作からの正当な進化と、生高橋さん本人の登場
塩川さんは、過去作『エレキヘッド』はアクション要素で「どっちだよ」と思う部分があったと語り、『Öoo』はよりパズル寄りに正当な進化を遂げていると評価します。
僕の過去作を含めた印象だと、エレキヘッドは結構アクション要素あるんですよ。いいゲームなんだけど、同時にどっちだよとは思いました。パズルで解決したいの?アクションやらせたいの?どっちなの?ってちょっと思った部分がある。
矢印の話あるじゃないですか。ミニマップ見てみると矢印があって、透明な壁の位置がわかる。(前作エレキヘッドには)なかったから、親切と思いました。相当寄せてる。アクションもタイミングのみにしたんで、ちゃんと着地のさせ方をしてて、僕はバランスいいなと。
(塩川さんの話は)彼のゲームの否定じゃないですよ。前作と今回の文脈の違いでこうなってすごいっていう話。音楽で言ったらファーストアルバム、セカンドアルバムみたいな、その流れの中でクリエイターとしての文脈込みで楽しんでる。
それって嬉しくないですか?バンドみたいな、クリエイターとしてそんな風に見てもらえるっていうのは。
そのとき、生高橋さん本人が収録の場に現れます。答えを聞きたくない、好き勝手に喋りたいと言いながら、5人は対話を締めくくりました。
ご本人がいらっしゃいました。この今、ポッドキャスト収録中に。
じゃあちょっとご本人も来たということで、我々は二次会をこれからオフラインで。
一言も喋らずにこれ終わるって、本当に来たのか、みたいな感じで。あえてその謎を残す。
曖昧にして。我々が早くご飯食べたいから、ただ切り上げてるだけかもしれませんので。皆さんありがとうございました。
まとめ
CEDECのセッションを終えた5人が、個人制作ゲーム『Öoo』を多角的に語り合いました。鳥に食われる状況設定、少ない要素を使い切るデザイン、ユーザーを信頼してヒントを削る判断など、それぞれのディレクター視点が交わされました。一貫して語られたのは、一人で作るからこそ成立する緻密さと、「これでいく」と決め切る胆力です。作家性とは、いかに自分の癖を込め、個性を残すかにあると考えられます。
- 『Öoo』は「鳥に食われて口の中から始まる」設定で、戻る動機を自然に説明している
- 喉ごしのいいものは忘れられる。引っかかりを恐れず、ユーザーを信頼する作りが話題を生む
- 会社では二人以上のプランナーで崩壊するほど、一人の頭の中だからこそ成立する緻密な設計
- ダメでも次に何年かけられるかを分かった上で「これでいく」と決め切る胆力が、個人制作の強み
- ディレクターは多数決をせず個性を残す。服を脱いだところに何があるかが作家性になる




