「言葉のなんとなく消費」という自作の概念から始まる
この回でサエキタカフミさんが題材にするのは、「言葉のなんとなく消費」というテーマです。
これは既存の概念ではなく、サエキさんの中にあった感覚をAIが言語化してくれたものだと説明されています。
BGMもなく、ただ話し続けるノーカットの動画として、寝るときや移動中、家事のお供にしてほしいと語られています。
「飯」も関西弁も使いたくない、言葉へのこだわり
サエキさんは、他の人を見ていて、自分が使っている言葉にあまり自覚的でないと感じる場面があると話します。
その一方で、サエキさん自身は言葉に対するこだわりが強くあるといいます。具体例として挙げるのが、食事の呼び方です。
僕ね、小学校のときから、あの、この飯っていうのね、めっちゃなんか嫌いで。飯っていうのめっちゃ嫌なんですよ。
もう一つの例が方言です。サエキさんの地元は九州の佐賀県で、現在は大阪に住んでいますが、関西弁は使いたくないと考えているといいます。
同僚に関西人が多く、イントネーションが移る場面はあるものの、佐賀弁か標準語を使いたいというこだわりがあると語られています。
言葉はその人の本質が表出したもの
サエキさんは、こうしたこだわりの根本にある思想を、言葉はその人のアイデンティティや本質が表現されたものだ、と説明します。
名は体を表すという言葉を引きながら、名前がその人の形をうまく表現しているのと同じように、言葉も自分の本質がベースになっていると語ります。
サエキさん自身、自分は何者で、何が好きで、どう生きたくて、何が嫌いなのかを常に自問自答する癖があるといいます。
そうしてたどり着いた自分の本質が、声帯の震えや口・舌によって表現され、意味を持つ音になる。それが言葉だと整理されています。
関西弁を使うことは、なぜ「自己否定」に近いのか
言葉が自分の本質の表出だとすると、逆のことも言える、とサエキさんは話を進めます。
つまり、言葉を無自覚に変えることは、自分自身の本質が揺らいでいることになる、という論理です。
周囲に流されて関西弁を使う人は多く、それを否定するつもりはないと前置きしたうえで、サエキさんは自分自身の場合の話として語ります。
僕が関西弁を使うのは、すなわち僕の中にある、佐賀県出身だ、佐賀県を愛しているよっていう心とか、佐伯貴史というものを濁らせるようなものなんですよね。
だからこそ、言葉を通して自分自身の純度を守っていきたい。それがサエキさんが自己分析でたどり着いた思いだと語られています。
「アグリー」「アライン」を言い換える仕事の場面
ここから、テーマである「言葉のなんとなく消費」の話に入ります。サエキさんは、なんとなく消費が嫌だという感覚を、仕事の場面でも出してしまうといいます。
例えば会議で「賛成です」と言うところを「アグリーです」と言う人がいる。サエキさんはオフィシャルな会議であるほど「賛同します」と言い換えがちだと話します。
同様に「コスパ悪い」を「非効率」と言うなど、カタカナのビジネス用語や流行り言葉を意識的に別の言葉に置き換えると語られています。
問題視されているのは、流行り言葉を使うこと自体ではありません。意味を深く考えずに、なんとなくで流行り言葉を乱発している状態です。
意味を深く考えずに世間の流行り言葉を乱発してる人を見ると、この人なんとなく消費してるなって思うんですよ。
サエキさんは、自分がそう見られたくないという思いも語ります。流行り言葉を乱発する人を「嫌だな」と見ているからこそ、自分もそう見られたくないという理屈です。
さらに、言葉を選ぶことは仕事の面で丁寧さや知性を感じてもらうことにつながり、それが言葉にしづらい信頼になるだろう、とも話されています。
冗長な文章は「優しくない」──テキストコミュニケーションの話
サエキさんは、言葉を選ぶ丁寧さや知性は、一つの優しさでもあると話を展開します。特にビジネスの場面での優しさだといいます。
具体例として挙げるのが、SlackやメールなどのテキストコミュニケーションのSlackやメールです。口語的で冗長な文章を書く人がいる、というのです。
端的に言えば三行で済むのに、なんか四行ぐらいドゥルルルルって書いてあるみたいな。あれすごいね、僕優しさがない文章だなと思うんですよね。
なぜ優しくないのか。サエキさんは、冗長な文章が受け取った相手の認知コスト、つまり時間や脳のエネルギーを無駄に奪う行為だからだと説明します。
端的で文字数の少ない文章のほうが質の高い仕事につながる。そしてこの問題も、言葉をなんとなく使っていることとつながっている、とサエキさんは見ています。
なぜ言葉にこだわるのか──自分の手綱を握り続けるために
締めに向けて、サエキさんは自分が言葉にこだわる理由を突き詰めます。
行き着いたのは、周りの空気や流行になるべく流されず、自分の心、自分の人生、自分自身という人格の手綱を自分で握り続けたいという思いでした。
そのうえでサエキさんは、聞き手への提案として、自分がなぜこの言葉を選んだのかに自覚的になって突き詰めてみることを勧めます。それで何かが変わり、間違いなくいい方向に行くと話します。
言葉はアウトプットであり、インプットでもある
具体的な実践として、サエキさんは、自分だけは絶対に使わないと決める言葉を持つのも、逆にできるだけ使っていきたい言葉を決めるのも、どちらでもよいと提案します。
わかりやすい例として、1日に何回「ありがとう」と言うと決めることを挙げ、言霊という言葉にも触れます。
ここでサエキさんは、言葉のもう一つの側面を語ります。自分から出てきた言葉が自分の耳に入り、自分の本質に響くこともある、という点です。
言葉っていうのはアウトプットなものだけじゃなくて、インプットでもあるっていうのがあると思うので。
遠回りでわかりづらい考え方だとしつつ、サエキさんは、こうした言葉との向き合い方が人生を豊かにする一つの考え方ではないか、と語ってこの回を締めています。
まとめ
サエキタカフミさんは、言葉を無自覚に「なんとなく消費」することへの違和感を、自分の本質を守る問題として掘り下げました。言葉は本質の表出であると同時に自分に返ってくるものでもあり、なぜその言葉を選ぶのかに自覚的になることが、自分の人生の手綱を握ることにつながる、というのがこの回の中心です。
- サエキさんは、言葉はその人のアイデンティティや本質が表出したものだと考えている
- 言葉を無自覚に変えることは本質が揺らぐことであり、自分にとって関西弁を使うのは自己否定に近いと語る
- 意味を深く考えずに流行り言葉を乱発する状態を「なんとなく消費」と呼び、それを嫌悪している
- 冗長な文章は相手の認知コストを奪うため優しくないと考え、端的な言葉選びを重視する
- なぜその言葉を選んだのかに自覚的になることが、流されずに自分の手綱を握る生き方につながると提案している





