市民権を得た「ゾス」と、9割が口にする「営業は嫌い」
この回の入り口は、最近定着してきたという「ゾス」という言葉です。挨拶や返事を全部「ゾス」で済ませるような、営業力の強い企業の営業戦士のイメージを指すと説明されています。
岡島さんは、大学時代のアメフト部のように先輩に「ゾス」と返す体育会系のノリを思い出します。片や玉置さんは、いま別の現場で正反対の空気を感じていると言います。
玉置さんはキャリア逆転塾ヒトハタの初回面談で、申し込んだ人の仕事の話を聞いています。そこで気づいたのが、「営業は嫌です」と言う人の多さでした。
9割ぐらい「営業嫌いです」って言いますね。
対象は20代から40代後半まで。「営業好きです」と答えたのは、50代のバブル世代の人1人だけだったと話されています。
寡黙で優しい「トップ営業」の父が教えてくれたこと
玉置さんは、営業のイメージが実像と大きく違うことを、身近な例から語ります。父といとこ2人は営業職で、全国一位で表彰され、100万円の賞金をもらったこともあったそうです。
ところが、その人物像は「ゾス系」とは正反対でした。2人とも、むちゃむちゃ寡黙ですごい優しい人だったと言います。
父は会社の部下を家に招いて飲み会を開いても、自分は黙ってニコニコ座っているだけ。言葉数も多くなく、押しも強くない人でした。
(吉本新喜劇の)最後ちょっと泣かせに来るんですよ。で、そこで泣いちゃうんですよ。
そんな人物がトップクラスの成績を出していた。玉置さんは、社会に出てから出会う「本当に営業ができる人」もまた、この父に近いタイプだったと振り返ります。
だからこそ、多くの人が抱く「営業が嫌い」の「営業」という言葉が、そもそも実像とずれているのではないか、というのがこの回の出発点になります。
なぜ人は営業を嫌う?食わず嫌いの正体を分解する
岡島さん自身も、キャリアの最初にウェブライターを選んだ理由が「営業をしたくない」だったと打ち明けます。
営業とかしたくない、が理由だったんですよ。喋るのも苦手で、スーツとかもあんまり着たくないみたいな。
もっとも、ウェブライターも取材で企業の人に話を聞きまくる必要があり、結局「意味なかった」と苦笑します。漠然としたイメージだけで飛び込んでいた、というわけです。
漠然と食わず嫌いが営業なんですよ。
玉置さんは、営業嫌いの理由をいくつかに分けて整理していきます。まずは、過去に自分がゴリ押しされた経験からくる嫌悪です。
相手の立場や気持ちを無視して押し込まれる。欲しくないものを売り込まれ、断れない状況に追い込まれる。そうした押し売りのイメージが「営業=ゴリ押し」という図式を作っています。
絶対いらんやんってものを売ったやつが偉いみたいなことを自慢する営業の方っているじゃないですか。
玉置さんは、小さなクリーニング屋にコピー機を2台売った自慢を聞いたことがあると具体例を挙げます。そうした文化圏に入りたくない、という拒否感も理由の一つです。
さらに、不条理でも「ゾス」と返さなければならない体育会系の文化そのものが無理、という理由もあります。ここまでは岡島さんも「苦手ですね」と共感します。
ただし、ゴリ押しもせず、体育会系でもないのに営業が嫌だという場合、もっと心理的な要因が隠れていると玉置さんは指摘します。
過去の嫌な経験
ゴリ押し・押し売りをされた記憶から営業を避ける
文化への拒否感
体育会系・不条理な上下関係が無理
自己との同一化
断られる=自分が否定されると受け取ってしまう
下の立場への抵抗
頭を下げ「買ってください」と言いたくない
競争への嫌悪
ノルマや順位づけの環境が嫌
仕事はすべて営業だから「嫌い」は損になる
玉置さんは、心理的な要因の一つとして「自分と商品を同一化しすぎる」ことを挙げます。断られる経験が、自分自身の否定に感じられてしまうのです。
他にも、人に頭を下げてお願いする「下の立場」になりたくない気持ち、ノルマや競争環境に置かれることへの嫌悪などが理由として語られます。
ここで玉置さんは、話を大きく転換させます。ものを売る行為だけが営業ではない、という視点です。
事務でも文章を書く仕事でも、自分を評価してもらい、仕事を任せてもらい、出した結果をアピールして認めてもらう。それは本質的に営業そのものだ、と説明されます。
岡島さんも、フリーランスなら発注し続けてもらう必要があり、会社員なら会社や上司がクライアントのような存在になる、と応じます。
だからこそ、営業を避けると「頑張っているのに評価されない」「嫌な仕事をやらざるを得ない」状況に陥りやすい、と玉置さんは言います。
「営業嫌です」っていう人に限って、やっぱりそういう状況になっちゃってる人が多い。
交渉ができない・しないという選択を取ると、正しい自己アピールもできず、不遇な環境や満足のいかない仕事に甘んじてしまう。岡島さんはこれを「基本バカ損」と表現します。
玉置さんは、ゴリ押しや押し売り、体育会系や不条理を引き算した後の営業は嫌いにならないでほしい、と繰り返します。それができないと、幸せに働くことから距離ができてしまうからです。
売られるのが嫌いな人は、自信のなさを抱えている
玉置さんは、売ることが嫌いな人は、売られることも嫌いだと指摘します。その根っこにあるのは、自分が自分でいられなくなる不安、つまり自信のなさです。
自分に自信があり、判断軸を持っていれば、ゴリ押しされても、営業的な環境に置かれても、染まらなければいいだけの話になります。自信がないから怖くなってしまうのです。
岡島さんは、会社員になった当初のエピソードを紹介します。評価面談で謙遜して「まああんまりでしたね」と自分から言ってしまい、上司から指摘を受けました。
謙遜して「あんまりでしたね」って自分から言ってくるのに対して、「損するよ」って言われましたね。
玉置さんは、自分を低く言うのには2つのパターンがあると分析します。一つは単なる自信のなさ、もう一つは「先に自分で下げておけば、それ以上下げられない」というセーフティーネットです。
どちらもコミュニケーションにはプラスに働きません。必要なのは、盛りすぎず、フラットに自分を伝えることだと言います。
「営業=盛って伝えること」という思い込みを外す
玉置さんによれば、営業嫌いの人は、伝え方そのものを誤解しています。自己アピールも営業も「盛って伝えるのがデフォルト」だと思い込んでいるのです。
営業とか自己アピールは悪なんだ、みたいな方程式を、実は自分の中に持ってるんですよね。
だから自己アピールする人を見ると煙たく感じ、「ああはなりたくない」と思う。それは、自分の中に「盛る=悪」という思い込みがあるからだと説明されます。
その思い込みの根っこには、やはり自信のなさがある。では、その自信はどうやってつくのか。ここで玉置さんは逆説的な考えを示します。
自分が失敗した体験から自信ってつくんですよ。成功体験ではないんですよ、残念ながら。
失敗すると、自分の輪郭がはっきりする。何が好きで、何が嬉しく、何が譲れないのかが、うまくいかなかったときにクリアになる、というのです。岡島さんはこれを「自己理解が進む」と言い換えます。
そのためには挑戦して失敗し、失敗を直視することが欠かせません。ただ「もう二度と嫌だ」と大きな範囲で避けるのではなく、直視して自己理解を進めることが自信につながります。
うまくいっているときだけの自信で、うまくいかなくなると途端にゼロになる
不完全な自分を直視して積み上げるため、うまくいかないときでも揺らぎにくい
岡島さんは、自信とは自分に対する信用だと語ります。これぐらい失敗してきたから、こうやると失敗するとわかる。それ自体が自分への信用になる、という考えです。
玉置さんも、他人との比較で相対的に自分を理解している状態は不安定だと同意します。関係性の中でしか自分がいなければ、自信を持つのは難しいのです。
自分が売るかを決める――フラットな営業のスタンス
玉置さんは、本来の営業とゾス的な営業をあらためて区別します。ゴリ押しし、相手の都合を考えず、ノルマや競争のなかで他人を犠牲にしていくスタイルは、嫌でも理解できると言います。
ただし、営業がすべてそうではありません。相手を考える営業もいて、「営業=全ゾス」ではない、という点が強調されます。
その上で玉置さんが勧めるのが、視点を切り替える心持ちです。相手が買うかどうかではなく、自分がこの人に売るかどうかを判断するという姿勢です。
相手に買ってもらおうとすると、どうしても人間って盛りがちなんですよ。盛る誘惑に負けちゃうんですよ。
一方、相手の困り事を聞いて「この人にこの商品を売ろうかどうか」を自分が判断する視点に立つと、盛る意味がなくなります。困っている人にソリューションを提供するだけの仕事になるのです。
玉置さんは、身近な例で言い換えます。太って困っている友達に、自分がやってよかったことを「これで痩せたよ」と勧める。そのとき自分が思う良さをちゃんと伝える。それが本来の営業だと言います。
ただし、ここには罠もあると釘を刺します。完璧な商品や魔法のような商品は存在しないからです。
- 品質はいいが高い
- 価格は経済的だが不便な点がある
- どんな商品もサービスも完璧ではない
大事なのは、自分の価値観ではなく、客観的に見てその人の悩みを解決できるかどうか。完璧でなくても、相手の困り事に役立つなら勧める、というのが玉置さんのスタンスです。
営業は話し上手より聞き上手――「話下手」は関係ない
岡島さんが最初に挙げた「話すのが得意じゃないから」という理由についても、玉置さんは誤解だと言います。父も話すのは下手だったからです。
相手の困り事の解像度が高くわかるほど売れる。相手の立場に立って、利用シーンや解決シーンをどれだけ具体的に想像できるかが売れる要素になる、と説明されます。
玉置さんは、営業が上手な友人のクロージングに居合わせた経験を語ります。その人は商品の良いところを並べ立てず、「買ってください」の方向にも一切向けませんでした。
お客さんの方から、具体的な申し込み方法とかを聞いてくるんですよ。あんまりにも説明しないから。
押されると人間は防御反応が出ます。「押し売りされるのでは」「悪意があるのでは」という反応です。話が下手な人は、その防御をゼロにする力を持っている、と玉置さんは言います。
ノルマも断りも怖くない――責任と自己否定を切り分ける
ノルマが嫌だという理由についても、玉置さんは捉え方の問題だと整理します。よほどひどいノルマの会社なら辞めるべきですが、ノルマ自体は「責任が数字になっただけ」だと言います。
経理なら金額を間違えず、支払いを遅らせないという責任がある。営業だけが特別ではなく、数字になって見えるから怖く感じるだけだ、というわけです。
ただし、営業は相手があるため確実性が低い。その不確実な責任にストレスを感じる人はいるかもしれない、とも認めます。だからこそ、その分の報酬や対価が設計されているはずだと言います。
岡島さんは、ドラマでよく見る「お前のこの成績はなんだ」と売上グラフで詰められる場面が、営業への漠然とした恐怖を作っているのではと指摘します。
それは会社が悪いのであって、上司が悪いのであって、営業職が悪いわけじゃなくて。
企画職でも、詰める上司は詰める。それは職種の話ではないと玉置さんは言い切ります。岡島さんは部署ごとの色の違いを挙げますが、玉置さんはそれも「決めつけ」に近いと返します。
話は、最初に触れた「断られること=自己否定」というテーマに戻ります。玉置さんは、これも自分と切り分けるべきだと言います。
野球にたとえると、バッターが自分の投げたボールを打ち返しても、「私のことが嫌いなのか」とはならない。同じように、断られても「あなた」が否定されたわけではありません。
商品を売れなくて断られたって言っても、あなたを否定したわけじゃないんですよね。
むしろ良い営業ができていれば、「なぜ今買わないのか」まで聞ける関係が作れています。金額やタイミングの理由を教えてもらえれば、それは営業として成功している証だと言います。
断られてできた信頼関係は資産になります。入れ替えのタイミングで再び選んでもらえるかもしれない。だから無駄は何もない、と玉置さんはまとめます。
これは営業に限りません。ライターが原稿にダメ出しされても、自分が否定されたのではなく、たまたまクライアントのニーズに合わなかっただけ。合わないのがクオリティなら、上げる努力をすればいい、という話です。
「営業嫌い」な人ほど、実は営業に向いている
岡島さんが時間を意識したところで、玉置さんが結論を述べます。それは、この回の核心をつく逆説でした。
理由は明快です。「こうされたら嫌だろうな」がわかり、相手に嫌な思いをさせたくないという想像力が働いている。ゴリ押ししたくない、盛って話したくないという感覚が、すべて正しい営業の方向を向いているからです。
嫌だと思ってることが全部、正しい営業の方向に向いてるんですよ。
岡島さんは、そういう人こそお客さんに信用してもらえるだろうと応じます。玉置さんは、営業嫌いの人にこそこの回を聞いてほしいと呼びかけます。
仕事はすべて営業であり、営業の仕事は悪くない。岡島さんはこれを「営業嫌いは、仕事全部したくないとほぼイコールになってしまう」と言い換えます。
「営業嫌です」っていうマインドが、今の不本意な状況を引き寄せちゃってるんだってことに気づいてほしいんですよね。
乗り越えるのは少し辛いかもしれないけれど、受け入れてちゃんと見てみると、実はそんなに怖くないし、自分がすごく向いていることもある。二人はそう締めくくります。
まとめ
この回は、「営業=ゴリ押し・体育会系」というゾス文化由来のイメージを引き算し、本来の営業を「困っている人にフラットに解決策を伝える仕事」として捉え直す内容でした。営業嫌いという感覚こそ、相手への想像力の裏返しであり、本来の営業に向いているという逆説が示されています。
- 営業のトップ層は、寡黙で押しの強くない「聞き上手」なタイプが多い
- 自分を評価してもらう行為はすべて営業であり、避けると不遇な状況を招く
- 自信は成功ではなく、失敗を直視して自己理解を進めることで積み上がる
- 相手が買うかではなく「自分が売るか」を判断すると、盛らないフラットな営業になる
- ゴリ押しや盛りを嫌う感覚こそ、正しい営業の方向を向いている


