AIに没頭した1週間と「忙しくなる」現象
冒頭、玉置さんは岡島さんがAIと話し込んでいるタイミングが最近わかるようになったと切り出します。チャットの雰囲気で見分けがつくのだそうです。
チャットで流れるメッセージを見てると、AIと今かなり話してる最中なんだろうなっていうのが。
岡島さんは影響を受けやすい性格だと語り、AIと話しているときは話し方までAIっぽくなると玉置さんに指摘されます。
この1週間、岡島さんはClaude Codeに没頭していました。スマホから外出先で自分のPCのClaude Codeを動かすリモート設定をし、Claude ── Anthropic社が提供する対話型AI。文章生成やコード作成に使われる。Claude Codeは開発作業を支援する機能を指す。の新しいモデルの優秀さに驚いたと話します。
一日12時間ぐらい、多分今週毎日触り続けて、ひたすら喋ってヘロヘロになって寝るみたいな一週間でしたね。
玉置さんは「AIを使い込んでる人ほど忙しくなっている」というニュースを紹介します。岡島さんも実感があると答えます。タスクが一瞬で終わるため、次々にできてしまい、止まるタイミングがないのだと言います。
ジムでベンチプレスをするインターバルの30分だけで、以前なら部下何人分もの仕事ができてしまう。そんな状況に岡島さんは恐れおののいたと振り返ります。
自分は無能か。ダニング・クルーガー効果と組織論
ここから本題です。玉置さんが「岡島さんは無能ですかと聞かれたらどう答えるか」と問いかけます。
無能かどうかの判断って難しくないですか。
岡島さんは、働き始めの頃は就活が1社も通らず、自分をセルフで無能だと決めつけていたと明かします。最初の職場が激しく、無能だと言われがちだったこともしょんぼりの理由でした。
玉置さんは、自分を無能だと思う人はむしろ「中の上」だという説を持ち出します。能力が低い人ほど自己評価が高い、という話です。
2人はこの現象を「バカの山」と「絶望の谷」の曲線として整理します。知らないうちは意気揚々と山を登り、実力がわかると谷に落ち、そこから徐々に回復していくという流れです。
次に玉置さんが持ち出したのが、人を「有能か無能か」と「勤勉か怠惰か」で4分類する組織論です。
岡島さんはリーダーが「有能で怠惰」な人だと言い当てます。そして最も避けたいのが「無能な働き者」で、全力で間違ったことをするため組織から排除される存在だと整理されます。
ピーターの法則。有能・無能は「配置」で決まる
玉置さんは、そもそも無能とは何かを調べる中で「ピーターの法則」に行き着いたと話します。
優秀な新入社員が課長、部長へと昇進していき、ある役職で通用しなくなると昇進が止まる。すると各役職には「その役職で無能な人」が並ぶことになる、という考え方です。
それまでは無能じゃなかったから、有能だったから昇進してきたんですよね。でも、ある天井にいた時に無能になっちゃったんですよね。
ここから玉置さんは重要な指摘に踏み込みます。無能か有能かを決めたのは才能や能力ではなく、単に配置の問題だったということです。
ただし、配置さえ正しければ全員が有能になるのか、という点には2人とも直感的な違和感を覚えます。何でもできそうな人もいれば、そうでない人もいるように見えるからです。
日本人の「努力神話」と自己評価のクセ
玉置さんは、有能・無能の判断がきわめて主観的だと指摘します。人は自分を自分で評価しがちで、その評価には人種や文化による差があるといいます。
調査によると日本人は謙遜しがちで、欧米人のほうが「自分は能力がある」と自己申告する傾向があるそうです。ただし自己肯定の度合いを深く調べると、人種差はそれほど大きくないという結果もあると玉置さんは補足します。
さらに大きな違いは「能力は何で決まるか」の信念にあります。欧米系は生まれ持った才能で決まるという運命論が比較的強く、日本は努力で能力が伸びるという可変的な信念を文化的なデフォルトとして持っているというのです。
日本は努力で才能は伸びる、能力は伸びるっていう、その可変的な信念を文化的にはデフォルトで持ってるんですって。
この視点に立つと、日本人が「私は無能です」と言うのは、才能がないという意味ではなく「まだ努力が足りないだけ」という表現なのだと解釈できます。
岡島さんは「まだ本気出してないだけ」という言い回しを思い出し、それが日本的な価値観かもしれないと気づきます。玉置さんもそのとおりだと答えます。
親ガチャ・タイパも実は「努力信仰」の変形
話は最近の言葉に移ります。玉置さんは、日本でも「親ガチャ」が言われるようになり、運命論に傾いてきたのではと考えたと言います。岡島さんはそこから派生した「運ガキ」という言葉も紹介します。
しかし玉置さんは、これらは単純な運命論とは違うと指摘します。タイパやコスパ、ハックで儲けようとする発想も、実は「正しいやり方を見つければ結果が出るはず」という努力信仰の変形だというのです。
岡島さんは「うまくやりさえすれば自分でもできると思っているから、それを探している」と言い換えて理解を深めます。
玉置さんは、なぜ努力の形が変わったのかにも触れます。昭和はいい大学、いい会社、年功序列という形で努力と成果が結びついて見えやすかったが、その報酬回路が崩壊したことで、運命論や効率主義、努力ゲームからの離脱へと変形していったと説明します。
それでも根っこにある努力神話は生き延びていて、日本人は「まだ開発されていない隠れた才能がある」という信念も持っていると玉置さんは言います。
この努力信仰は日本人の自己肯定感の低さとも結びついていると玉置さんは続けます。「努力すればもっとできるのに、していないから自分はまだダメだ」という方程式になり、自分を肯定しにくくなるという指摘です。
無能は自分でわからない。答え合わせをする方法
一周して話は最初の問いに戻ります。「私は無能ですか」をどう判定すればいいのか、という問題です。
玉置さんによれば、能力は自分で評価するか他人が評価するかしかありません。しかし自分の能力を客観的にメタ認知するのは非常に難しく、様々なバイアスが入ると言います。
自分はもしかして勤勉な無能かもしれないんですよ。
そこで玉置さんは、他者に評価してもらうか、客観的な指標で自分を測るしかないと整理します。具体的には、自分の判断が後でどうなったかをログとして残す方法です。
ただし記録も主観で歪みます。うまくいった話だけを覚えている人もいれば、失敗ばかりコレクションしてしまう人もいるからです。だからこそ記録が必要だと玉置さんは強調します。
第三者のフィードバックにも注意が必要です。AIは強く肯定しがちで、周りの人間も耳の痛いことを言ってくれる人は多くありません。
ここで玉置さんは、自分の実践を明かします。何人かの友達と、おかしなことをし始めたら絶対に指摘し合うと約束しているというのです。
無能化は「文脈」で決まる。行動を変えられるか
玉置さんは、ピーターの法則が示すとおり人は配置によって無能化するのだから、その無能化を教えてくれる人がいるかどうかが重要だと言います。
ここで難しいのは、無能化はその設定込みの話であって、その人固有の問題ではないという点です。岡島さんも、人はつい「その人のすべてが無能だ」と判断しがちだと応じます。
岡島さんは自身の経験を語ります。企画がうまい人に会ってダメ出しをもらい、それ以降「自分はなんて無能なんだ」と思いつつも行動が大きく変わったと言い、その相手に感謝しているそうです。
玉置さんは、大事なのは行動が変わるかどうかだと受けます。無能は文脈で決まるので、問うべきは「私は無能か」ではなく「今のこの役割で、この判断が機能しているか」だというのです。
1人の人でも複数の役割を担えば、ある役割では無能化していることもある。そこをチューニングできれば勤勉な無能にはならずに済むと玉置さんは締めくくります。
AIに仕事を奪われる焦りと、人間が売るべき価値
話はAIへの焦りに移ります。岡島さんは、自分の仕事の大半がAIに奪われそうだと実感し、どうすれば「置いておこう」と思ってもらえるかを考えていたと明かします。
玉置さんは、編集プロダクション周りのフリーランスにはスケジュールを押す人やルーズな人が多いと聞いた話を紹介します。一方でAIは気を使わず、多少クオリティが欠けても確実に納品してくれる。だから「安心して任せられるか」の比重が大きくなっているといいます。
多少クオリティがもし欠けたとしても、確実に納品してくれるじゃん、AIは、みたいになってくるんで。
ここで玉置さんは、仕事がなくなるかどうかの分かれ目を示します。自分の仕事を「文章を書く人」「綺麗な絵を描く人」と機能で定義している人はAIと競合して消える、というのです。
玉置さんはデザインを頼む理由を例に挙げます。デザインを頼むのは課題を解決してほしいからであって、「このデザインでしか解決できないのか」に明確に答えられる人でなければ、もうお金を払う気にはならないと言います。
つまり売りを「機能」にするとAIに負ける。安定や安心、問題解決といった価値に振り切っているライターは、実際に仕事がなくなっていないと玉置さんは指摘します。
「文章を書けます」「デザインできます」。AIと同じ土俵で競合し、置き換えられやすい
安心・安定・問題解決を売る。確実な納品や課題解決に振り切り、仕事が残る
怠惰でいい。AIのリーダーになれるか
岡島さんは、AIが「有能な働き者」なのかと問い、それなら自分はどうすればいいのかと迷います。玉置さんは、AIは有能で怠惰ではなく、有能な働き者に近いと整理します。
そこで導かれるのは、人間はAIに対するリーダーになるべきだという結論です。課題を特定し、これを解決してくださいと指示を出せる人、つまり有能で怠惰な人が求められるということです。
無能な働き者としてなんか任せてくださいって言って、AIを参謀を働かせられる人になったら、人間から仕事がもらえるのかな。
岡島さんは、勤勉という軸がAIによって死んでいくことに一抹の悲しさも覚えます。サボれて嬉しい気持ちと「なんでそんなことするの」という気持ちが同居していると言います。玉置さんはそれこそ日本人の努力神話からするときついのだと応じます。
玉置さんが挙げる人間ならではの価値の一つが「結果へのコミット」です。上場企業の社長が株主に事業計画達成を約束するとき、AIに「数字にコミットします」と言われても数字は読めない。人間がコミットして初めて成り立つ、という例です。
玉置さんは、感情面や人間的な関係性の質を望ましくしてくれる価値は、これから高まっていくのではないかと展望します。
AIと話しすぎた岡島へ、玉置からのクールダウン提案
岡島さんは、自分がAIに翻弄されすぎてリスナーを置き去りにしたのではと気にします。玉置さんは、有能な人ほど自分を無能だと思う説があるので、心配している聞き手も多いはずだとフォローします。
そのうえで玉置さんは、AIが発達すれば人が無能化していくのは道理であり、しかたがないと受け止めます。誰もが無能化するリスクを抱えている、という点では全員が同じだと2人は確認します。
玉置さんは、AIと話しすぎた岡島さんに片田舎の温泉での一泊を勧めます。世間のほとんどの人はまだAIをさして使っておらず、自分が最先端にいることに気づいたほうがいいという助言です。
自分がお頭のとこにいることに気づいた方がいいですよ。
ところが岡島さんの実家は例外でした。福井の農家で、父はMacでAIを叩き、85歳の祖母はGeminiにレシピを聞いていたというのです。玉置さんは笑いながら「それは例外」と断じます。
岡島さんは、熱海で海を眺めたり友達と海釣りに行ったりして、少しクールダウンしようと話し、玉置さんもそれがいいと勧めて、有能・無能から始まった回は締めくくられます。
まとめ
この回は「有能・無能は人ではなく配置で決まる」という視点から始まり、日本人の努力神話、そしてAI時代に人間が売るべき価値へと広がりました。問うべきは「私は無能か」ではなく「今の役割でこの判断が機能しているか」だという整理が軸になっています。
- ピーターの法則が示すように、有能・無能を分けているのは才能ではなく配置や文脈である
- 日本人の自己評価の低さは「努力すれば伸びる」という努力神話の裏返しで、親ガチャやタイパもその変形と考えられる
- 自分が無能かは主観では歪むため、判断の記録・答え合わせ・耳の痛い指摘をくれる人が必要になる
- 売りを「機能」にするとAIに置き換えられ、安心・問題解決など人間ならではの価値を言語化できるかが分かれ目になる
- AI時代に求められるのは課題を特定して指示を出せる「有能で怠惰なリーダー」であり、たまにはクールダウンも大切





