ITバブル崩壊と戦争、2000年代はどう始まった?
2000年代の音楽を語る前提として、安藤さんはまず社会背景を挙げます。2000年代はITバブルの崩壊から始まる時代で、その後アフガニスタン戦争、イラク戦争へと続いていきます。
福の神さんも、2000年代初めは世界情勢がとても不安定だったと補足します。この不安定さが、音楽の側にも影響を与えていったというのが今回の出発点です。
そもそも2000年代って最初何があったの?っていうのだと、実はITバブルの崩壊から始まるんですよ。社会背景から言うと。
安藤さんは具体例として、The Strokesのアルバムで「New York City Cops」が外され別の曲に差し替えられたことや、Jimmy Eat Worldのアルバムが「アメリカン」の語を含まないバンド名を冠したタイトルになったことを挙げています。
安藤さんの語りでは、出来事が短い間隔で立て続けに起きたことが強調されています。この時代の空気が、以降の音楽の変化を読み解く手がかりになります。
RadioheadはなぜOKコンピューターでデジタル化を予見できたのか
音楽面での大きなポイントとして安藤さんが挙げたのが、2000年10月に出たRadioheadのアルバム『Kid A』です。福の神さんは、その前作にあたる1997年の『OK Computer』から話を始めます。
福の神さんによれば、『OK Computer』はWindows 95 ── 1995年にマイクロソフトが発売したOS。パソコンとインターネットが一般家庭に広がるきっかけになったとされますの2年後に出たアルバムで、これからのデジタル化社会に警鐘を鳴らした作品でした。
結局CDが売れるピークって99年なんで、その2年前の97年に、そのコンピューター時代の警鐘を鳴らしているRadioheadのすごさというか。
CDの売上がピークを迎える前に、デジタル化の流れを読み切っていた。福の神さんは、その先見性こそがRadioheadのすごさだと評価しています。
ギターロックの頂点にいたバンドが、なぜギターを捨てたのか
安藤さんは、『Kid A』を今までのロックをある種捨てたアルバムだと説明します。ギターロックから距離を取り、エレクトロミュージック、サンプリング音の切り貼り、チルなアンビエント ── 環境音楽とも呼ばれる、空間に溶け込むような穏やかで雰囲気重視の音楽ジャンルなどを取り入れた作品です。
安藤さんが「チル」を「チャル」と噛み、福の神さんに「チャルアウトなの?」と突っ込まれる一幕も挟まりました。さらに、安藤さんの言う「ワープ系」は英国のインディーレーベル、ワープ・レコードから出ている電子音楽のことだと、福の神さんが加藤さん向けに補足しています。
それまでRadioheadってギターロック、ギターロックのバンドとしては頂点にいたようなバンドなんですよ。
それ(Radiohead)がギターを捨てるんですよ。ギターロックを捨てるんですよ。
福の神さんによると、Radioheadは92年のデビュー当初、グランジ ── 1990年代初頭に米シアトルから広がった、歪んだギターと内省的な歌詞が特徴のロックに影響を受けたギターロックで、悲壮感たっぷりの「Creep」のような曲を歌っていました。『OK Computer』で半分ギター、半分テクノロジーになり、『Kid A』で完全に決別したという流れです。
92年デビュー当初はグランジの影響を受けたギターロック。代表曲「Creep」
2000年の『Kid A』で電子音楽、サンプリング、アンビエントへ。ギターロックから決別
間に位置する『OK Computer』は、その移行の途中段階として語られています。
時代に合わせたのか、抗ったのか。Radioheadの絶妙な立ち位置
ここで加藤さんが素朴な疑問を投げかけます。何も知らずに聞くと、Radioheadは時代に合わせてうまくやっている人たちのようにも聞こえる。けれどデジタル化への警鐘を鳴らしていたなら、主流に抗いながら技術は取り込む、もっと複雑なスタンスなのではないか、という問いです。
この時代の主流派に抵抗しながら、ただ技術は取り込みながら、なんかどういうスタンスの、なんか社会にただ合わせてる人たちではないんだろうなと。
福の神さんの答えは、Radioheadは社会よりちょっと早いというものです。安藤さんも「半歩先ぐらいのちょうどいい」と応じます。
Radioheadが行ってくれて、それ(反応)が良かったから、レコード会社も他のところもそこに追随するみたいな。
福の神さんは、Radioheadを本来は実験的でありながら、すごく売れるバンドだと表現します。歌のうまさやボーカルの雰囲気も、その絶妙なバランスを支えていたといいます。
Radioheadはもともとクラスメイトで組んだバンドで、兄弟もメンバーにいます。安藤さんは、音楽性が変わってもテーマ性で結びつき続けられたのは、その関係の強さがあったからだと考えています。
福の神さんによれば、売れたバンドは求められる水準にスキルが達しないメンバーが出たり、意見が合わなくなったりしてメンバーチェンジすることが多いものです。Radioheadは一度もメンバーチェンジしておらず、メンバーが入れ替わり続けたOasisとは対照的だと話しています。
リンキン・パークが全米1位に。ニューメタルとは何だったのか
同じ時代にもう一つ大きくなったのが、ニューメタル ── メタルやオルタナティブロックにラップやDJなどを掛け合わせたロック。日本では当初ミクスチャーとも呼ばれましたです。安藤さんはKorn、Limp Bizkit、Deftonesを挙げ、売上で最も大きいのはLinkin Parkの『Hybrid Theory』だと説明します。
安藤さんによると、このジャンルは2001年の全米年間売上で1位になりました。福の神さんは日本でのイメージとしてDragon Ashを挙げ、ヒップホップとロックの要素を併せ持つ音を、もう少し激しくした感じだと例えています。
ガレージロック・リバイバルはなぜ起きた?
2001年頃からは、The StrokesやThe White Stripesが登場し、ガレージロックのリバイバルが起きます。安藤さんは、ガレージで荒々しく演奏するような、パンクにも近いロックだと説明します。The White Stripesの根っこにはブルースもあります。
安藤さんは、このリバイバルの背景に音楽のデータ化を見ています。過去の音楽がアーカイブ的に手に入りやすくなり、昔の音楽を再発見して焼き直すムーブメントが起きてきた、という見立てです。
過去の音楽を、あ、これいいなっていうところをもう一回焼き回して出すっていうところだったりとか、過去の音楽をもう一回再発見するっていうムーブメントが徐々に起きてくる。
福の神さんは、当時の若者がジャンル分けされない環境で音楽を自由に聴き、父親世代が聴いていた音を今の感性で解釈したことも、リバイバルにつながったのだろうと話します。ガレージロックは自分たちの車庫で楽器をかき鳴らした音のイメージで、音数は少ないけれど荒々しく生々しい音です。
不安な時代に、なぜ「生々しい音」が求められたのか
福の神さんは個人的な見方として、ガレージロックが火をついた要因に、世界同時多発テロなどの世界情勢の危うさがあるのではないかと話します。
世界情勢が危うくなります。社会が不安定になります。そうなった時に、ものすごく狭い範囲で、自分たちの同級生とか友達とかと楽しくやれればいいやっていう価値観が育ったかなっていうイメージはあるんですよ。
安藤さんは別の角度から、デジタル化が人間の認知を超える速さで進んだことで、逆に生々しさや手触り感が価値を持ったのではないかと応じます。
音楽っていつも何かのメインストリームの反動だったりするんで。
福の神さんは、Radioheadがギターを捨て電子音楽に向かい、メインストリームが高度化する中で、誰でも弾けるシンプルなロックが逆に人気を得たと整理します。
社会の不安定化
ITバブル崩壊、同時多発テロ、戦争
デジタル化と音楽の高度化
Radioheadの電子音楽化など
反動としての生々しさ
誰でも弾ける音、身近な仲間とかき鳴らす音
ガレージロック・リバイバル
The Strokes、The White Stripesの人気
「生々しさ」とは、誰でも弾けるシンプルさと、ガレージに集まる小さな共同体の両方を指すと福の神さんは答えています。
ドラムとギターだけ。The White Stripes「Seven Nation Army」の現在
The White Stripesはドラムとギターだけの超スカスカな編成で、ドラムが女性、ギターが男性です。福の神さんは、そんな編成は他に知らないと驚きを語ります。
代表曲「Seven Nation Army」は今もワールドカップなどで流れる曲で、福の神さんがリフを口ずさみ、安藤さんに「これいつまで続ける?」と突っ込まれる場面もありました。
安藤さんによると、最近この曲をトランプ氏が無断で登場曲に使い、The White Stripes側が声明を出したといいます。安藤さんは「むしろ反対の立場の人たち」の曲を、国を背負っている感を出すために使ったことを笑いながら語っています。
Eminemの176万枚。ヒップホップはいつ真ん中になった?
ロックが変質していく一方で、安藤さんは2000年の時点でヒップホップがすでに中心にいたと指摘します。
もうこっからね、ヒップホップがね、端っこの音楽じゃなくなっちゃうんですよ。真ん中になっちゃうんですよ、いきなり2000年の段階で。
きっかけはEminemの『The Marshall Mathers LP』で、初週で176万枚を売りました。同年にはOutKastのアルバムも出て、Jay-Z、さらに50 Centが続きます。2003年の50 Centのアルバムはアメリカで最も売れたアルバムになったといいます。
それ以前の位置づけを加藤さんが尋ねると、安藤さんは90年代はオルタナやグランジが中心で、ヒップホップはもともと黒人が聴くものという位置だったと答えます。
Eminemは白人で、Beastie Boys以来の白人ラッパーの大ヒットでした。さらに南部出身のOutKastの台頭で、ニューヨーク対ロサンゼルスの東西抗争 ── 1990年代、米国東海岸と西海岸のラッパーやレーベルの間で起きた対立。著名ラッパーの死にもつながりましたという構図から多極化が進み、ヒップホップが席巻していったと安藤さんは整理します。
日本での象徴的な場面として、安藤さんは内田裕也さん主催のニューイヤーロックフェスで、内田さんの息子さんがEminemの曲を歌い、ロックンロール好きの客が固まった光景を見たと振り返ります。
Kanye Westは何を変えたのか
続いて安藤さんが挙げるのが、Kanye Westの登場です。それまでのラッパー像は、悪いことをしている自分を誇るギャングスタラップ ── ギャングの生活や暴力、犯罪を題材にしたヒップホップのスタイル。90年代の西海岸を中心に流行しましたが強いものでした。
安藤さんによれば、Kanye Westはそれとは違い、弱さも見せながら学歴、宗教、劣等感、成功への欲望まで歌の幅を広げました。曲の作り方も含めて、ヒップホップの中で多様化が進んだといいます。
悪いことをしている自分を誇る、強さ中心のラッパー像
弱さも見せ、学歴・宗教・劣等感・成功への欲望まで幅を広げたラッパー像
福の神さんは、このメインストリーム化を紅白歌合戦にヒップホップアーティストがバンバン出るようになったくらいのゲームチェンジだと例えています。
ワンクリックで棚を越える。ジャンルレスはどう生まれた?
福の神さんは、昔の音楽を同時代的に取り込む若者の感性が、2000年代には顕著だったと話します。例として挙げたのがAmy Winehouseで、熟練ミュージシャンのようなセンスを若くして持っていた存在です。
安藤さんもBeckを例に、昔の音楽や前衛音楽とヒップホップを結びつける動きが出てきたのは、楽曲が以前より手に入りやすくなったからだと続けます。
多分CDショップ全盛の時代だったら興味のない棚は行かないんですよ。
福の神さんは、インディーロックの棚は見てもジャズのコーナーには行かなかった体験を挙げ、デジタルではワンクリックで垣根を越えられると話します。物理的なハードルが下がるほどジャンルレスになっていく感覚が大きかったのではないか、という見方です。
CDショップでは興味のあるジャンルの棚にしか行かない
デジタルならワンクリックで別ジャンルに触れられ、ジャンルレスに聴く
ファンが押し上げたArctic Monkeysの衝撃
安藤さんがもう一つの大きな変化として挙げたのが、MySpace ── 2000年代半ばに世界的に流行したSNS。音楽を公開できる機能があり、多くのバンドが活用しましたをきっかけに広がったArctic Monkeysです。デビュー作は初週で36万枚を売りました。
Arctic MonkeysはライブでCD-Rを配り、ファンがそれをファイル共有して口コミで広がりました。MySpaceのページすらファンが作っていたといいます。
ライブでCD-Rを配布
バンドが自ら音源を手渡す
ファンがファイル共有
ネット上で口コミが広がる
ファンがMySpaceのページを作成
ファン主導で露出が増える
デビュー作が初週36万枚
ファンが押し上げた大ヒット
言ってみればファンが押し上げてって、ここまでバンって売れるっていうムーブメントが起きてるから、今までと流通の形態も変わってるし、ここ(ファン)の広げ方もすごい変わったよね。
福の神さんは、イギリスのフェスでトリを取るまでになったバンドが、レコード会社や音楽雑誌の手を借りずに出てきたことを、どこの芸能事務所にも入っていない人が大河ドラマの主役を取るようなものだと例えています。
変拍子が増えたのはなぜ?The Mars Voltaとプログレの焼き直し
Arctic Monkeysのようなギターロックについて、福の神さんは個人的な勘としながら、この頃から変拍子のバンドが増えたと話します。日本の今のロックバンドにも、その流れを汲む変拍子のバンドが多いと感じているそうです。
安藤さんは変拍子を、普通の4分の4拍子「1、2、3、4」が「1、2、3、4、1、2、3、1、2、3、4」のように途中で変わるものだと説明します。そして、過去の音楽が手に入りやすくなり、変拍子の巣窟であるプログレが掘り返されたことと結びつけます。
その例がThe Mars Voltaで、ハードロックと変拍子を現代風に焼き直し、分かりやすくしたバンドだと安藤さんは紹介します。メキシコとの国境の街の出身で、曲の途中でスペイン語で歌ったりもするといいます。
Björk、Sigur Rósから音響系まで。英米以外と実験音楽の広がり
福の神さんは2000年代の別の流れとして、アメリカとイギリス以外の音楽が注目されたことを挙げます。アイスランドのBjörkやSigur Rós、カナダのArcade Fireなどです。
社会情勢がなんか不安定だったからこそ、牧歌的な何かを求めるみたいなニーズのなんかどっかにあったような気がしてて。
安藤さんも同意し、2000年代頭からフリーフォーク ── 1960年代のヒッピー文化のサイケデリックなフォークを、2000年代に再解釈したムーブメントが起きていたと話します。代表的な名前としてデヴェンドラ•バンハートを挙げています。
ヒップホップでも、Anticon ── 米国のヒップホップレーベル。実験的でフォークやインディーロックに近い作風のアーティストを多く抱えましたのように、ヒップホップかと思うほどフォークっぽい曲と、テクニック全開の曲の両方を出す集団が現れました。
福の神さんは、安藤さんの好きなシカゴ音響系 ── 1990年代後半から米シカゴを中心に広がった、音色や響きを重視する実験的なロック。インストゥルメンタルの曲が多いのが特徴ですも挙げます。ボーカルのいない曲が多いジャンルです。安藤さんは例としてGastr del Solを挙げ、きれいな歌ものとノイズのようなアルバムの両方を出し、日本のノイズミュージックとも交わっていたと話します。
フジロックの「ヘブンさん」と、名もなき実力派の発見
福の神さんは、日本のインストバンドtoeなどが注目された背景に、フジロックの存在があったと話します。安藤さんは、特にField of Heavenと当時のOrange Courtが大きかったと付け加えます。
フジロックにはステージが複数あり、それぞれに役割があります。福の神さんの説明を整理すると次のようになります。
世界にはまだ見つかってないけど、結構実力あるバンドとか出たりするんですよ。
福の神さんは一時期、Field of Heavenに入り浸っていて、音響スタッフの知り合いの知り合いから「ヘブンさん」と呼ばれていたそうです。安藤さんは「福の神の前はヘブンの神だったわけですね」と笑いました。
ジャンルが入り乱れた00年代、和さんはついていけた?
ひととおり振り返ったところで、加藤さんは「ジャンルが入り乱れましたね」と感想を漏らします。福の神さんは、90年代以降はジャンルが入り乱れるから頭がついてこないのだろうと応じます。
加藤さんの質問から、ドラッグ文化と結びついた音楽のリバイバルも、フリーフォークの流れに含まれていると安藤さんは説明します。福の神さんは、よりパーティー寄りの人たちはレイブカルチャーを経てEDMへ向かったと補足しました。
最後に加藤さんは、2000年代は自分が思春期だった時代のはずなのに「1秒も知ってる情報なかったです」と白状し、福の神さんに「島根には届いてなかったか」と突っ込まれます。次回は、クラブミュージックとデジタル技術が変えた音楽制作の現場を特集する予定です。
1秒も知ってる情報なかったです今。
まとめ
2000年代の音楽は、ロックの解体と回帰、ヒップホップの覇権、ファン主導の拡散が同時に進んだ時代でした。不安定な世界情勢とデジタル化という共通の背景を置くと、バラバラに見える動きがつながって見えてきます。
- Radioheadは『OK Computer』でデジタル化を先取りし、『Kid A』でギターロックと決別した
- 高度化への反動と社会不安から、The StrokesやThe White Stripesの生々しいガレージロックが支持された
- Eminem、OutKast、50 Cent、Kanye Westによって、ヒップホップは端っこから音楽の中心へ移った
- デジタル化で過去の音楽やジャンルの垣根を越えやすくなり、リバイバルやジャンルレスな表現が増えた
- Arctic Monkeysのように、レコード会社やメディアではなくファンがスターを押し上げる時代が来た






