HOOP!はなぜ「ただ仕事する場所」ではないのか
伊東さんは、大阪府枚方市のコワーキングスペース「HOOP!」を、一般的なビジネスとしてのコワーキングスペースとは少し違う場所だと感じてきたといいます。
伊東さんがHOOP!に見たのは、社会起業家や地域コミュニティの発展に近い動きでした。しかもオーナーの中岡豪さんは、それを会社勤めと二足のわらじで続けています。その背景にあるコンセプトを、伊東さんはインタビューで紐解こうとします。
中岡さんの本業はパーソルキャリアでの仕事です。現在は、企業が求職者に直接メッセージを送るダイレクトソーシング ── 企業が求人広告や紹介会社を介さず、自ら候補者を探して直接アプローチする採用手法。スカウト型採用とも呼ばれますのサービスを担当しています。
初めて来た人にHOOP!をどう説明するのかという質問に、中岡さんは「コミュニティアンドコワーキング」という名前の通り、人のつながりを大事にする場所だと答えます。
ただここで黙々と仕事するだけではなくて、一緒に仕事したり勉強したりしてる人たちと繋がったり、我々運営の方とも繋がったり。
「人と人の繋がりみたいなものが生まれるような場所なんです」っていうことは、お伝えはしています。
HOOP!のイベントも個性的です。伊東さんが挙げたのは、保護猫の譲渡会、オールナイトのコント、オープンマイク、モルックなどでした。中岡さんによれば、どれも利用者が参加しやすく、来やすいイベントであることが前提になっています。
商売に直結しないのでは、という伊東さんの問いに対し、中岡さんは経済的な観点も必要だと認めたうえで、人のつながりが場を支える力になると考えています。
人と人が繋がっていけば、いずれそうやって維持をしていくために、何らかの力が働いていくのかなと。それは金銭的なものだけではなく、ですね。
中岡さんは、将来どうなるかよりも「今できることをやっていく中で、将来につながっていく」と話します。10年ほどの付き合いがある二人は、ここから少し砕けた口調で話を続けます。
山形の過疎地で見た「人がいなければ何もできない」現実
中岡さんは、枚方市出身のバンド・アンダーグラフのコンサートを主催者側として手がけることもあります。これもHOOP!としての取り組みだといいます。
HOOP!を立ち上げたきっかけは、パーソルキャリアの仕事で関わった山形県の過疎地の案件でした。廃校の体育館を活用する事業を考える仕事で、中岡さんは現地を訪れています。
(山形の過疎地に)行かせてもらった時に、人がいなければ何もできないんだなということをすごく感じまして。
中岡さんは、自分が住む枚方市もいつか人が減り、同じようになってしまうのではないかと強く感じたといいます。そこで、人がたくさんいる今のうちに街をより良くしたいと考え、人が集まって一緒に何かできる場所としてコワーキングスペースをつくることにしました。
HOOP!があるのは、かつて宿場町だった枚方宿です。中岡さんは枚方をもっと多くの人に知ってもらい、訪れてもらいたいと考えています。
アンダーグラフの応援もその延長にあります。枚方を愛し、東京に出ても枚方のことを発信してくれるメンバーを応援することで、結果的に枚方が広く知られていく。中岡さんはこの活動を「HOOP!の課外活動」のようなものだと表現しました。
地元愛の正体は「身体の延長としての、自分が住んでいる街が好き」という感覚
伊東さんは、中岡さんの枚方市への愛が非常に強いと感じ、なぜそこまで好きなのかを尋ねます。中岡さんの答えは少し意外なものでした。
否定するわけではないんですけど、枚方が好きというわけではなく自分が住んでいる街が好きという感覚ですね。
伊東さんは、住んでいる街は自分の身体の延長ではないか、自分を肯定することと街を好きになることはつながっているのではないか、と投げかけます。中岡さんもその見方に同意しました。
やっぱりここ(HOOP!)にたくさんの人が来れば、何か自分を認めているような感覚になったりとか、認めてもらえたんだという、この承認欲求というか、そういったものは少なからず感じますね。
地域を変えたいなら選挙に出る道もあります。それでも中岡さんは、自分が影響を及ぼせる範囲から始めることを選んでいます。
社会を変えるとか、世の中を変えるとか、まあそうなったらいいですけど、まずは自分のその住んでいる街っていうところを、なんとかしたいなと。
40代の中岡さんが「誰かの役に立つ」ことに目覚めた原体験は、中学生のころにさかのぼります。サッカー部だった中岡さんは、休みの日に小学校のグラウンドでサッカーをしていて、そこにいた児童会の子どもたちにサッカーを教えていたといいます。
ブラジル留学をやめ、12年間のサッカーコーチへ
中岡さん自身が「ちょっと特殊」と話すキャリアは、サッカーから始まります。高校までサッカー部で、大学には進まず、卒業後はブラジルにサッカー留学するつもりでした。
高校3年の夏に引退し、留学資金のためにアルバイトをしていたころ、転機が訪れます。弟が所属する地元のサッカークラブの試合を見に行ったところ、そこの先生からコーチを手伝ってほしいと声をかけられたのです。
当時のその子供たちが、本当にやんちゃだったんですけど、やればやるほど上手になる姿を見ていて、自分がやるよりもその子供たちが上手になる方が、すごい楽しいというか。
コーチにはまった中岡さんは、ブラジル留学をやめてサッカーコーチの道を選びます。夢はプロサッカー選手からコーチへと切り替わり、そこから12年間、29歳まで続けました。
20代半ば、サッカーに関わって食べていく道として、中岡さんはコーチを続けるか、学校の先生になるかを考えます。教員免許を取るため、コーチを続けながら佛教大学の通信教育部の国文学科に入りました。昔から本が好きだったことも理由だといいます。
教育実習まで進んだものの、その頃にはすでに就職していて、教員免許は取りに行かないままになりました。中岡さんは「完全に忘れてました」と笑います。
コーチを辞めることになった理由について、中岡さんは率直に語ります。高校3年から子どもや保護者に「コーチ、コーチ!」と崇められる存在で、時間を守ることや、当時任されていたお金の管理など、社会人としての基本が雑になっていたといいます。
そこで初めて気づくんですけど、いかに自分がいい加減にやっていたかということを気づきまして。
すでに結婚していた中岡さんは、すぐに仕事を探して就職します。最初の会社は医療系の人材会社で、東京に2週間、大阪に1週間、中四国に1週間と、広い地域を担当していました。
PUMAのシャツで受けたキャリア面談と「恩返し」の転職
中岡さんが前職の医療系人材会社からパーソルキャリアに移ったきっかけは、ある説明会でした。関東の医療法人グループが人材紹介会社を集めた場で、当時のパーソルキャリアの社員から声をかけられ、食事を経て誘いを受けたのです。当時の社名はインテリジェンスでした。
この誘いには伏線がありました。29歳でコーチを辞めて仕事を探したとき、中岡さんは同社の転職ブランドdoda ── パーソルキャリアが運営する転職サービスのブランド。求人検索に加え、キャリアアドバイザーによる転職支援も提供していますに登録し、大阪のハービスでキャリアカウンセリングを受けていたのです。
そのとき中岡さんは、スーツのシャツの下にPUMAのシャツを着ていました。
席に着くなり、キャリアアドバイザーの方が、おそらく当社では中岡さんをご支援することは難しいですと言われまして。
アドバイザーからは、柄物のシャツを下に着ないこと、くるぶし丈の靴下はよくないこと、スニーカーではなく革靴を履くことなどを指摘されました。ネクタイの長さもおかしかったといいます。さらに履歴書や職務経歴書の書き方、面接対策まで指導を受けました。
何にもこう社会人経験ない29歳の人間に対して、ここまでこういろいろ教えてくれて、そこに恩を感じたのがあったんです。
中岡さんはこのとき、人材業界はすごいビジネスだと感じたそうです。伊東さんが指摘するように、アドバイザーにとっては一銭にもならない支援でした。
中岡さんは自分で見つけた会社に就職し、3年半ほど勤めます。その後インテリジェンスから声がかかったとき、「恩を返せる時が来た」と考えたといいます。
今でいうブラック企業のような厳しい会社だった前職についても、中岡さんは、厳しく鍛えられたからこそ声をかけてもらえたと捉え、恩を感じていると話します。
負荷をかけてくれる人がいないとき、どう成長するか
伊東さんは、能力を伸ばすにはある程度の負荷が必要だが、独立すると誰も負荷をかけたり叱ったりしてくれなくなる、とキャリア形成の難しさを挙げます。中岡さんの答えは明快でした。
中岡さんは、負荷が自動的にかかる状況を意図的につくっているといいます。そして、この姿勢はパーソルキャリアで学んだものだと振り返ります。
33歳でインテリジェンスに転職した中岡さんは、立ち上がったばかりの医療系人材サービスに配属されます。医療・介護の知識と経験はありましたが、競合が強く成果が出ず、サービスはクローズしてしまいました。
その後、医療と関係のないキャリアアドバイザーの部署に異動すると、中岡さんは周囲との圧倒的な力の差を感じます。手順に沿って仕事を進める同僚たちに対し、自分はずっと自己流でやってきたと気づいたのです。
異動した途端何もできないことに気づくわけですね。自分よりも7つ8つ年下の方が自分を指導するみたいな感じになって。
年下の同僚は仕事ができるうえに人柄もよく、文句のつけようがありません。伊東さんが「ひがむことすらできない」と言うと、中岡さんは「自分にしかぶつけられない」と応じました。
「誰よりも早く始める」という策
成果が出ず、周囲との差は一生埋まらないのではと考えていた中岡さんに、社内の新規事業コンテストが転機をもたらします。事業案が通ると東京に集められ、グロービス ── ビジネススクールや企業研修を運営する教育機関。経営大学院も持ち、事業づくりや経営の講座で知られますの講師から事業のつくり方を学べる仕組みでした。
集められた50人でチームを組み、新規事業を考えます。案が通れば会社が1億円まで出資するという制度でした。中岡さんは選ばれて上京しますが、そこには仕事ができて野心にあふれ、人柄もいい人たちが集まっていました。
講師の秦先生が、花王のビジネスモデルをその場で端的にまとめるよう問いかけ、参加者が次々と答えていきます。中岡さんは、他の人が話す言葉さえわかりませんでした。
うわ、これえらいとこ来てしまったなと。もう初日に思ったんですね。で、帰りの新幹線で、これはちょっともう辞退しようかなと。
半泣きで帰る途中、新幹線が名古屋駅に止まったときのことです。ホームで幼稚園くらいの子どもが走り出し、ゴミを捨てていた母親が追いかけても、なかなか追いつけない場面を見かけます。
その数十秒の光景から、中岡さんは、身体能力で劣る子どもでも大人に勝てる方法があるとひらめきました。
もうスタートって言われる前にスタート切っちゃう。(それ)が、あ、これが自分にできることだってその時にひらめいたんです。
2週間後の講義で、中岡さんは答えがわからなくても一番に手を挙げます。持っている知識を総動員して何かを答えると、講師は否定せず「こういう考え方もありますよ」とアドバイスをくれました。
伊東さんが「授業のクラッシャーになってません?」と笑うと、中岡さんも「クラッシャーです」と認めます。ところが昼休みには、チームのメンバーが「あれってこの本に載ってますよ」と教えてくれるようになり、他のチームの人からも声がかかるようになりました。
約4か月で6〜7回上京し、チームの案は最終選考まで残ったものの採用されませんでした。それでも中岡さんは、オフィスに戻ってから変化に気づきます。以前は圧倒されていた同僚の説明の食い違いに気づき、「なんで違うんですかね?」と質問できるようになっていたのです。
中岡さんがここで得た結論は、自分が言い出しっぺになってやることが、できることを増やし、考えを広げていくということでした。今もその感覚で動いているといいます。
先に手を挙げる
答えがわからなくても一番に挙手する
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講師が否定せず、別の考え方を示す
周囲が助ける
チームや他チームの人が本や知識を教えてくれる
できることが増える
職場で同僚の説明の違いに気づき、質問できるようになる
なぜカフェではなくコワーキングで、なぜ枚方宿なのか
伊東さんは、100%能動的に始めたHOOP!について、カフェなど他の選択肢もある中で、なぜコワーキングスペースにしたのかを尋ねます。中岡さんの理由は2つありました。
1つ目は、保護猫コワーキングにしたかったことです。中岡さんは渋谷にあった保護猫のコワーキング「猫ワーキング」を見学し、利用者の滞在時間が長く、日常的に猫と接したうえで相性が合えば引き取る形が、猫にも人にもよいと感じたといいます。
2つ目は、コミュニティのできやすさです。中岡さんは、カフェと違い、コワーキングには目的を持った人が来るため、同じ目的の人同士が「一緒にやりましょう」とつながりやすいと考えました。
話をしたり勉強したり、目的がなくても立ち寄れる
目的を持って来る人が集まり、共通点からコミュニティが生まれやすい
場所として枚方宿を選んだ理由について、中岡さんはまず「街が盛り上がる」とはどういう状態かを考えたといいます。
住んでる人たちもいて、そういった人たちがなんか住む中で、こう、ここに住んでよかったなと、なんかここがやっぱり一番いいなというふうに思えることが、僕としてはその街が栄えているような状態でもあるんですね。
中岡さんが目指すのは、観光を過度に強化することではなく、ポジティブな思いがあふれていく街です。枚方宿にはかつて市役所や警察署もあり、過去に栄えた場所ならまた盛り上がれるのではないかと考えました。
HOOP!はちょうど枚方宿の中心地にあり、ここから枚方宿を発信する拠点になればという思いがあります。後編では、HOOP!の詳細や運営のリアルな経営面が語られる予定です。
まとめ
中岡豪さんのキャリアは、サッカーコーチ時代の挫折、キャリアアドバイザーへの恩、インテリジェンスでの力の差、名古屋駅でのひらめきを経て、「言い出しっぺになる」習慣へつながっていました。その姿勢が、住む街をより良くするためのHOOP!の立ち上げにも表れています。
- HOOP!は、仕事の場であると同時に、人と人のつながりを生む場所として運営されている
- 立ち上げのきっかけは、山形の過疎地で「人がいなければ何もできない」と感じたこと
- 負荷をかけてくれる人がいないときは、自分で言い出して自分でやることで成長の機会をつくれる
- コワーキングを選んだ理由は、保護猫とのマッチングと、目的を持つ人同士のつながりやすさ
- 枚方宿を選んだのは、かつて栄えた中心地から住む人が誇れる街をつくりたいと考えたため






