『失敗の科学』が扱う2つの軸
今回紹介されるのは、イギリスのジャーナリスト、マシュー・サイドさんの著書『失敗の科学』です。伊東さんは、スモールビジネスは大なり小なり失敗の繰り返しだとして、その失敗をどう捉え、どう活用するかのヒントになると考えて読んだと話します。
本書は失敗を大きく2つの軸で述べています。1つ目は、なぜ重大な失敗や事故が起こるのかという原因の部分です。
2つ目は、それを防ぐ科学的な手立てはないかという部分です。命に関わる二大業界として、医療業界と航空業界の事例が多く扱われているといいます。
なぜ重大な失敗や事故が起こるのか
それを防ぐ科学的な手立てはないか
失敗の核心にある「認知的不協和」
本書の最大のキーワードとされるのが「認知的不協和」です。本書の表現を借りると、自分の信念と事実が矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指すと説明されます。
事例として挙げられるのが医療ミスです。ベテランの医師が高い技術とプライドを持って全力で手術に挑む一方、想定外の事態は確率的に起こりえます。
たとえば手術中の容体急変の原因が非常に稀なアレルギー反応だったとします。部下の医師や看護師が気づいても言いづらく、指摘しても「そんなはずはない」と受け入れられず、適切な対処の機会を逃してしまうことがあると語られます。
結果として患者が亡くなり、遺族には「最善を尽くしたが偶発的な事故だった」と説明される。そして当のベテラン医師自身が、それを医療上防ぎようのないことだったと心底信じ込んでしまう状態です。
もちろんご本人としては、適当にやっているわけじゃなくて最善を尽くしているわけですしね。でも、認知的不協和に陥っていること自体に、自分で気づくことができないんですよね。
アメリカ国内だけで、医療過誤による死亡は年間12万人にのぼるといいます。ただし本書は、個々の医療従事者が悪いのではないと指摘します。
問題は、医療業界において、完璧ではないことが無能に等しいと思われてしまう。そういう考え方が浸透して、関係者を怯えさせていることだ。
確証バイアス・後知恵バイアスと非難の連鎖
本書は、事実を無視して「こうなるはずだ」と信じ込む「確証バイアス」の存在も指摘します。さらに、大変な労力を払っていることには間違いがあってほしくない、という人間の心理も挙げられます。
例として裁判の冤罪が挙げられます。裁判官になること自体に膨大な労力が払われているからこそ、一度認定されたことに間違いはありえないという心理的な力学が働き、後から冤罪の証拠が出ても認めにくくなるといいます。
もう1つの重要なキーワードが「後知恵バイアス」です。その立場になった人にしかわからない状況や判断があるのに、後から第三者が「こうすればよかったのに」と好き勝手にジャッジする現象です。
歴史上の戦争を「あの戦略は愚かだった」と後世が簡単に断じることや、児童虐待事件で制約の中でルールに沿って対応していた児童相談所の職員が激しく非難されることが、身近な例として語られます。
結果として職員の退職者が増え、悪いループに陥ることがあると指摘されます。関連して本書は日本についても言及しているといいます。
責任を取らせて辞めさせるみたいな文化が、特に日本は強い。なので起業家が育たないんじゃないか、という指摘もされていましたね。
情報が閉じる「クローズドループ現象」
上下関係で意見が取り上げられにくい問題や、集中すると時間感覚が麻痺し、トラブルが急に起きたように錯覚してパニックにつながる性質など、失敗の原因はほかにも多く挙げられています。
こうした背景が積み重なって起こる現象として紹介されるのが「クローズドループ現象」です。閉鎖的な状況での負のループで、失敗や欠陥に関する情報が内々に放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない状態を指します。
処罰ではなくシステムを見直す
ではどうすればよいのか。本書はまず、失敗を処罰に直結させないことが重要だとしています。
そして改善すべきは、人間の癖を考慮しないシステム側だと述べます。人間側の癖を変えるのは難しいため、当事者個人ではなくシステムを見直すべきだという考え方です。
さらに、失敗が公開されて学べるフィードバックのあるシステムにすると費用対効果が高いと述べられています。イギリスでは医療の過失責任の賠償費用として、2015年で日本円換算で3兆円がかかっているといい、これも抑えられると語られます。
失敗を処罰・非難し、情報を内々に処理する。隠蔽や繰り返しにつながる
失敗を公開して学びに変える。人命も費用も抑えられる
航空業界のオープンループと「事前検視」
具体的なシステムとして、航空業界で取り入れられているオープンループが挙げられます。事故は一定数起きるものの、事故調査の強い権限を持つ独立の調査機関が存在するといいます。
この調査機関があることで過去の事故がオープンになり、業界全体の学習の機会になっているそうです。さらに、事故の調査結果を民事訴訟の証拠として採用することは法的に禁じられていると書かれています。
ミスの報告も処罰しないのが基本的な決まりだといいます。ミスして処罰されれば隠蔽につながるためです。
失敗ありきの究極のアプローチとして紹介されるのが「事前検視」です。すでにプロジェクトは失敗したという状態を想定し、先に検証してしまう方法です。
プロジェクト開始時に、リーダーから「このプロジェクトは大失敗して終わってしまいました」と告げるところから始め、その理由をメンバーで検証していきます。これがコスパが良いと語られます。
高速な改善とランダム化比較試験
システムと切り離せないのが各自のマインドセットです。ビジネスにおいては、失敗や小さな改善を高速で繰り返す考え方が紹介されます。
ソフトウェア開発のリーンスタートアップやMVP(Minimum Viable Product)が例に挙げられます。煮詰めてからリリースするのではなく、早くリリースしてアーリーアダプターのフィードバックを受け、どう改良するかを見極めるという考え方です。
伊東さんは「巧遅は拙速に如かず」という格言に近いと話します。事例として滴滴やAppleStoreの立ち上げの話も本書で触れられているといいます。
小さな改善という意味では「マージナルゲイン」も重要です。ゴールを分解し、1パーセントずつの改善を重ねる方法で、メルセデスベンツのF1チームやスポーツ選手の手法が事例として挙げられています。
さらに、やったことに本当に効果があったかを認知的不協和の影響を受けずに評価する重要性が説かれます。それがランダム化比較試験(RCT)です。
たとえば重病の患者20人のうち、10人に治療Aを行う介入群、残り10人には何もしない対照群とし、結果を比べます。何もしなかった対照群の方が回復するという結果が出ることもありうるといいます。
中世から近代にかけて、血を抜く瀉血という治療が長年強く信じられてきました。RCTで調べると、瀉血は害はあっても効果がなかったといいます。クローズドループによって、こうした治療が長年続けられてきたと語られます。
この瀉血の話は、伊東さんが名著だと考える『代替医療解剖』という別の本に詳しいと補足されています。
非行少年更生プログラムが示した逆の結果
RCTのエピソードで印象的だったものとして、アメリカの非行少年を実際の刑務所に見学させ、受刑者に激しく脅される体験をさせる更生プログラムが挙げられます。日本のテレビ番組『世界まる見え!テレビ特捜部』でも取り上げられていたのではないかと語られます。
ドキュメンタリー内ではこのプログラムを受けた子は更生したという結果になり、伊東さん自身も見たときは素晴らしいと感じたといいます。ところがRCTで調べると、結果は逆でした。
これは瀉血と同じで、効果があった人だけが結果を示し、バイアスがかかった状態になっていたためだと説明されます。非行や犯罪の要因は複雑で、3時間の刑務所訪問で変わるわけがないという指摘です。
むしろ受刑者に怒鳴られた経験が心に傷を残したり、「怖くなんかなかった」と仲間や自分に証明するために再び罪を犯した子供もいたといいます。
感覚的に効果がありそうで派手なストーリーを人は信じてしまうが、客観的データを見なければならない、と伊東さんは話します。それでもこのプログラムを信じる人は多く、RCTのデータを示されても強く反発するそうで、これこそ認知的不協和だと本書は指摘します。
ドキュメンタリーでは更生した、素晴らしいと紹介された
RCTでは参加した子の方が再犯率が高かった
RCTの限界と手法の組み合わせ
RCTにも限界があります。たとえばアフリカの貧困国への援助の効果を測る場合、アフリカは1つしかないため、RCTを当てはめにくいと語られます。
そうしたときに有効になるのが、マージナルゲインとの組み合わせです。要素を細かく分解し、それぞれにRCTを行うという手法です。
その結果、貧困国への援助では教科書の配布はあまり意味がなく、寄生虫の駆虫薬の配布はとても効果があり、学校の欠席率も下がったことがわかったといいます。組み合わせによって効果が得られる例として紹介されます。
まとめ
本書は、人は誰でも簡単に認知的不協和に陥ると知ることを第一歩に置きます。その上で、失敗を責めるのではなく、オープンループになるシステムを構築し、事前検視やマージナルゲイン、MVP、RCTといった手法を組み合わせていく示唆のある本だと伊東さんはまとめます。
- 失敗の原因の核心は、自分の信念と事実の矛盾を認められない「認知的不協和」にある
- 改善すべきは人間の癖ではなく、それを考慮しないシステム側だと本書は主張する
- 航空業界のオープンループや「事前検視」は、失敗を前提に学びへ変える仕組みの例
- 派手なストーリーより、ランダム化比較試験による客観的データを重視する必要がある
- 本書はAmazon PrimeのPrime ReadingでKindle版を無料で読めると紹介されている





