初版は35年前、なぜ『キャズム』は今も読まれるのか
今回のGrowth Radioは、前回に続く名著再読の回として、ジェフリー・ムーアの『キャズム』を取り上げます。加藤さんは新卒の頃に読んだ印象があると振り返り、まさに再読だと話します。
浜田さんがまず驚いたのは、その古さです。『キャズム』の初版は1991年で、35年前にあたります。
これ、でもびっくりしたのは、その初版が1991年っていうので35年前。
一方で、実際に読んだ人は違和感を覚えるかもしれません。本文にはSalesforceなどネット系の事例が登場するからです。これは2014年に第3版が出ており、コンセプトはそのままに事例だけが更新されているためだと浜田さんは説明します。
日本語で普通に読める版は、初版から23年後に出たものです。コンセプトは一貫しています。新しいハイテクサービスが出たとき、最初は調子がいいのに、人員を拡大した途端に急に売れなくなる会社がある、という現象への分析です。
その原因を、新しいプロダクトが一部の人に受け入れられるまでと、全市場に受け入れられるまでの間にある「谷」として理論化したのが『キャズム』だと浜田さんはまとめます。
それこそスタートアップの人はみんなぶち当たる壁。
そうです、そうです。超重要な本だと思ってます。
買い手は5タイプに分かれる――誰が「キャズム」の向こう側にいるのか
『キャズム』はプロダクトを買う側の話で、買い手にはいろいろな人がいるという前提に立ちます。浜田さんはこれを大きく5パターンに分けて説明します。
新しいもの好きな順に、イノベーター ── 最も新しいもの好きで、技術そのものへの関心から製品を試す層。市場のごく一部を占めるにすぎません、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードと並びます。
イノベーター
技術そのものを試したい層。市場の2〜3%
アーリーアダプター
未来志向で新しいものに飛びつく層。10%強
アーリーマジョリティ
実用性を重視し、リスクを取りたがらない層
レイトマジョリティ
さらに慎重で、周囲が使ってから動く層
ラガード
最も保守的で、新しいものを避ける層
この本の核心は、アーリーアダプターまでは新しいものが受け入れられるが、そこからアーリーマジョリティへ行くのは極めて大変だという一点にあると浜田さんは言います。
比率で見ると、イノベーターが2〜3%、アーリーアダプターが10%強で、この2つを足しても市場の15〜16%程度です。残りの84%が遠い、というのがキャズムの構図です。
ここまで行くんだから、残りの84%が遠いよねっていうところですよね。
加藤さんは、スタートアップから見るとイノベーターやアーリーアダプターは考え方が近いと指摘します。浜田さんも、これから未来がこうなると思って新しいものを世に問いたいスタートアップと、新しいものに興味がある層は近いと応じます。
アーリーマジョリティは「保守的な人」ではない
キャズムの壁となるアーリーマジョリティとは、どんな人たちなのでしょうか。浜田さんは、実務的で実用性を重視する層だと説明します。
重要なのは、彼らが新しいものを試したくないわけではない、という点です。導入事例があり、本当に自社でいけると確認できれば嫌ではない。ただ、自分でリスクを取ろうとは思わない人たちだと浜田さんは言います。
あの、導入事例ありますみたいな。本当にうちでいけますみたいな感じで。嫌いじゃないんだけども、別に自分でリスク取ろうと思わないっていう人たちですよね。
加藤さんは、新卒の頃はこの層を「性格的に保守的な人」と捉えていたと振り返ります。しかし今読み直すと、置かれている環境や会社のフェーズによっては、それが正しい姿なのだと感じると話します。
浜田さんは、エンタープライズ企業はほとんどこの層だと補足します。エンプラの中にもリスクを取りたい人はいて、スタートアップはその人をチャンピオン ── 社内で製品導入を後押しし、組織を動かす起点になってくれる担当者。スタートアップ側が起点として頼りにする存在ですと呼んで起点にしようとしますが、多くの場合は難しいと言います。
加藤さんは、相手の立場に立てば当然だと言います。ソリューションを入れて失敗すれば担当者のキャリアに傷がつき、全社導入で何千人に使わせることを考えれば、慎重になるのは当然の真理だという見方です。
大企業だと評価が減点主義になりやすいみたいなところもあった時に、ちょっとリスク取りたくないなってなりますよね。
キャズムを越える一点突破――「絞り切る」ことがなぜ勝ち筋なのか
では、なぜ成長がキャズムで止まるのか。浜田さんは逆に、成功するパターンから説明します。その1つが「一点突破」です。
印象的な例として挙げられるのが、大戦中のノルマンディー上陸作戦です。連合軍がフランスへ向かうとき、一箇所をこじ開けて上陸してしまえばそこから進めるが、力をいろいろな場所に分散させると絶対に勝てない、という発想です。
技術も同じで、マジョリティを取ろうとして全部の業界をやると失敗すると浜田さんは言います。むしろ業種も用途も絞り切ることが鍵になります。
例として、BoxやDropboxのような文書管理サービスが登場します。「製薬業界のこの用途のドキュメンテーションにはこのサービス」というように徹底的に絞り込む、という戦い方です。
製薬業界の1社が取れると「あそこもやっているのか」と数珠繋ぎに広がります。同じ業界内で別の用途にも使われ、プロダクトが磨かれ、売上と営業が増える。やがて製薬業界の標準になれば、製造業など他業界へも展開できる、という順序です。
ともかく最初の最初、もう業種も用途もめちゃくちゃ絞り切る。その代わり絞ったところでは、アーリーマジョリティとかレイトマジョリティ含めて全部取り切るみたいな。
加藤さんが「業界のセンターピンを攻める話とはニュアンスが違うのか」と尋ねると、浜田さんは近いと答えます。まず1つの業界を落とす際、そこにはインフルエンサーとなる企業があり、そこがやればみんなが続く、という狙い方です。
浜田さんは、銀行ならトップ3のどこか1社が導入すれば他も続く、という例を挙げます。数珠繋ぎで倒していくことを狙うからこそ、余計にピンポイントである必要があると言います。
N1から始める――Airbnbが「ニューヨーク」に集中した理由
一点突破の考え方について、加藤さんは「スケールしないことをしよう」という言葉に通じると指摘します。まずはここに攻めていく、というN1の発想です。
浜田さんはAirbnbを例に挙げます。需要が大きいニューヨークまで自ら足を運び、写真映えが課題だと分かれば、自らカメラマンになって物件写真を撮っていった、というエピソードです。
そうしてニューヨークというコアのマーケットが取れると、「ニューヨークに行くときはAirbnb」となり、「ボストンは?」「サンフランシスコは?」と周りが自然についてくる、という流れになります。
すごい大きいマーケット、ど真ん中のマーケットを一個落とすと周りがついてくるみたいな。
加藤さんは「〜と言ったら〜だよね」という状態を作れると強いと応じます。浜田さんは、最終的には民泊がAirbnbと呼ばれるような世界を作る戦いだと表現します。加藤さんは、メッセージするがLINEするになる状況に近いと重ねます。
ドリルではなく穴を売る――ホールプロダクトという考え方
もう1つの重要な考え方が「ホールプロダクト」です。お客さんが買っているのは一義的にはプロダクトですが、最終的に求めているのは価値や目標だ、という前提です。
浜田さんは、ドリルが欲しいのではなく穴を開けたいのだ、というたとえを紹介します。尖った機能だけでは目標は実現できず、周りの機能や実装してくれる人がいて初めて実際に使える、という話です。
加藤さんは、これは本当に「事に向かう」ことだと受けます。そのうえで、初版が1991年でありながら、今のPaaSの流れやホールプロダクトの発想は、まさに今みんながやっていることだと指摘します。
浜田さんは、これはAIとFDE ── Forward Deployed Engineerの略。顧客先に入り込み、汎用的な技術を実際の業務やシステムに合わせて設計・実装する役割を指しますの話とも同じだと言います。AIは何でもできるものですが、自社のオペレーションへ落とし込み、既存システムとつなぐことまで考えると、AI単体で使える人はいないからです。
だから結局そのOpenAIがFDEの会社を作ったとかも完全にそういう感じですよね。
浜田さんは、根底にある考え方はずっと変わっていないと言います。1991年から本が何度も版を重ねながら、今でも「アーリーアダプターしか取れていないかな」「あの人たちはもうラガードだから」といった言葉が現場で通じることを、その証拠として挙げます。
競合はいない、より「既存のこれが競合」と言い切る
戦略として、競合の扱いにも面白い論点があります。それは「何を置き換えるのかをはっきりさせる」という考え方です。
浜田さんは、SaaSがエクセルを置き換える、紙を置き換える、という語り方を例に挙げます。今あるものが置き換わる形にすると、買い手も検討しやすくなるからです。
逆に「全く新しいプロセスです」と言ってしまうと、「それって必要なんだっけ」となりがちです。だからこそ、むしろ既存のこれが競合だと言い切ったほうが売れやすい、というのがセオリーだと浜田さんは言います。
普通は新しいサービス出す時って競合いない風に見せたいんですけど、むしろこれ既存のこれが競合ですと。で、既存のよりいいんですっていう風に言い切った方が売れやすい。
浜田さんは、カテゴリー戦略 ── 新しい市場カテゴリーそのものを定義して先行者になる考え方。サスワークの田岡さんが提唱するもので、成功すれば強い一方、実行の難易度が高いとされますのようにカテゴリーを作れれば強いが、それは極めて難しいと指摘します。それよりは、競合から少しずらすと見せたほうが、アーリーマジョリティより先へ届きやすいという見立てです。
加藤さんは、ここで競合として出てくるのがマイクロソフト系、エクセルやパワーポイントであることに驚きます。浜田さんは、エクセルはもはや固有名詞と思えないほどで、スプレッドシートや表計算とは言わないと応じます。
PMFの後こそ危ない――キャズムをSaaS・AI時代に読み直す
最後に、SaaSやAIの現在の観点から『キャズム』を読み直すとどう見えるかが語られます。浜田さんが面白いと感じるのは、PMF ── Product Market Fitの略。製品が市場に受け入れられ、需要と供給が噛み合った状態。SaaSではARR1億円超えを一つの目安にすることがありますという言葉と掛け合わせたときの見え方です。
浜田さんの見立てでは、PMFとはアーリーアダプターに届いたということです。イノベーターが買ってくれて少し実績ができ、「気になる」という人が来出す。ARR1億円超えをPMFと呼んだりしますが、それは市場の10数%に届いた段階にすぎないと言います。
問題は、そのプロダクトだけで全市場を取れるかというと、取れないことが多い点です。エンタープライズに入ることをキャズム越えと捉えるなら、そこでも特定の用途に絞って勝負する必要がある。PMFしたときと戦い方を変えていく必要がある、というのがハマりがちなポイントだと浜田さんは言います。
それこそPMFした後に(キャズムの壁で)「あれ?」みたいな。
で、そのまま突き進むと痛い目遭うっていう。
浜田さんは、最初のユーザーがうまく使えるプロダクトでも、より広くやろうとすればオンボーディングを整え、誰にでも使いやすい形にする必要があると言います。PMFは一度きりではなく、何度も繰り返すものだという考えです。
自分たちが向かっているのが、今アーリーアダプターに向き合ってるのか、それともマジョリティに入っていくのか。入っていくとすれば突破点はどこなのか。
加藤さんは、実務では戦略をいきなりガラッと変えるより、別のチャネルや獲得手法を並行して試すケースが多いのではないかと尋ねます。
浜田さんは、Sansanのタグラインの例を挙げます。Sansanは毎年タグラインを変えており、中身は大きく変わらないものの、タグラインに沿ってプロダクトをアップデートしているといいます。
これは、市場に何が求められているのかをタグラインを変えながら試す取り組みだと浜田さんは説明します。タグラインが刺さればそれに基づいて機能を作り、刺さらなければ変えていく。見せ方を変えるだけでも全然違うという指摘です。
その中身、完全に作り変えることはできないので、やっぱりそういうどうデリバリーするかみたいなところですよね。
加藤さんは、これは「先進的なものです」と言うか「今あるものがもっと良くなる」と言うかにもつながると応じます。浜田さんは、あえて既存のものの延長線上に自分たちを置き直すこともあるかもしれないと重ねます。
加藤さんは、タグラインと聞くと大ごとに捉えてしまうが、いろいろ試すことも大事だと締めくくります。浜田さんは、この本は何度も読んだほうがいいと応じました。
まとめ
『キャズム』が示すのは、初期顧客の高評価だけではメインストリーム市場に届かないという構造です。アーリーマジョリティは実用性とリスク回避を重視するため、越える側は市場を広げるのではなく絞り込み、ホールプロダクトと見せ方の両面で戦い方を変える必要があります。
- 買い手は5タイプに分かれ、アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間に深い「キャズム」がある
- アーリーマジョリティは保守的なのではなく、実用性を重視しリスクを取らない層で、エンタープライズの多くがこれにあたる
- キャズムを越える鍵は市場を広げることではなく、業種も用途も絞り切る一点突破にある
- 顧客はプロダクトそのものではなく目標達成を買うため、周辺まで含めたホールプロダクトが必要になる
- PMFはアーリーアダプターに届いた段階にすぎず、その後は戦い方や見せ方を変え続ける必要がある




