週2回のお風呂の話に寄せられた「しょうがない」という声
この回のきっかけは、川﨑さんが先々週に公開した動画でした。テーマは、お風呂に週2回しか入れないと言ったら怒られた、というものです。
この動画には多くのコメントが寄せられ、大きな反響がありました。川﨑さん自身、その反応をとても嬉しく感じたと話しています。
一方で、寄せられたコメントの中には、川﨑さんの心に引っかかるものもありました。介助が大変で人手も足りないのだから、週2回入れれば十分だろう、という声です。
障害持ってると、介助が大変だし、人手が足りないんだから、週に2回も入れればいいだろう。
さらに、自分も重度障害があったら我慢します、という趣旨のコメントも一定数あったといいます。川﨑さんは、こうした声を聞いて悲しさや切なさを感じたと率直に話しています。
「しょうがない」を超えて、素直に言える社会へ
もともとの動画の締めくくりで、川﨑さんは研修での経験を紹介していました。障害者はお風呂に週1回しか入れない、これでいいのかと問いかけたところ、「しょうがないだろう」というコメントが返ってきたそうです。
その上で川﨑さんは、気持ちはわかるとしながらも、それでも声に出していいはずだと語っていました。お風呂に入りたいという思いを素直に言える社会を作ろう、という呼びかけです。
しかし今回、その動画に対しても、なお「しょうがないだろう」という声が寄せられました。川﨑さんは、障害当事者として、これはシンプルにつらいと感じたと話します。
川﨑さんが求めているのは、お風呂に必ず入れることではありません。入りたい日も入りたくない日もある、そのどちらも自分で選べる状態にしたい、ということです。
選択肢のなさと、決められてしまう生活様式
川﨑さんは、健常の人との違いを具体的に挙げています。入りたい日も入りたくない日もあり、午前に入りたい日も午後に入りたい日もある。そうしたいくつもの選択肢がある状態です。
ところが障害がある人は、その選択にたどり着くことができないと川﨑さんは指摘します。住みたい場所を自分で選ぶことすら難しいのが現状だといいます。
そしてその手前で、限定された生活様式の中で、お風呂の回数もトイレの回数もある程度決められてしまっている。川﨑さんは、そこに人としての尊厳がまだ守られていない部分があると語ります。
この問題を、川﨑さんは日本の法律や制度の充実具合とつながるものだと捉えています。当事者であり経営者でもある立場から、そうだよな、と受け止めている様子でした。
制度の前提に、「変わらない生活」の視点はあるか
川﨑さんは、制度設計の仕組みについても触れています。かけられるお金は決まっていて、その中でどんな人が介助に来てくれるかを設計していく流れです。
問題はその前提だと川﨑さんは言います。障害を持った人も他の人と変わらない生活を送る、という前提が、そもそも置かれていないのではないか、という指摘です。
だからこそ、まず人権意識や前提の部分をきちんと持つ必要がある。川﨑さんは、これを常日頃から思っていると語っています。
自己肯定感と、優しい社会に「近づける」ということ
川﨑さんは、障害がある人はもともと自己肯定感が低いと感じているといいます。自己肯定感はいろいろなことを成し遂げ、積み上げていくものだからです。
その積み上げが難しい状態に、さらに「我慢しなきゃいけない」という視線が重なる。お風呂に入れない生活が、一般の人から見てもそういうものだと思われてしまう、その苦しさを川﨑さんは語ります。
川﨑さんは、自分の発信が微々たる力であることも認めています。それでも、こうした思いや考えを伝えられるようになりたいと話しています。
川﨑さんが目指すのは、願うだけでなく、実際に近づけていくことです。そうすれば、少しでも生きやすい人が増えていくのではないか、と締めくくっています。
悔しさは募る。それでも一つずつ力に変えてやっていくしかない。川﨑さんはそう語り、この回を終えています。
まとめ
お風呂やトイレの回数まで決められてしまう日常に、「しょうがない」という言葉が重ねられる現実。川﨑さんは、それを我慢の問題ではなく、選択と人権の前提の問題として語りました。
- 以前の動画への反響には、「週2回入れれば十分」「自分なら我慢する」という声もあった
- 川﨑さんが求めているのは、入る・入らないを自分で選べる状態そのもの
- お風呂やトイレの回数が決められる背景には、選択肢のなさと限定された生活様式がある
- 制度設計の前提に、「障害があっても変わらない生活を送る」という視点が欠けていると指摘
- 優しい社会を願うだけでなく、そこへ近づけていくことを川﨑さんは目指している




