誰も引き取らなかった赤字事業を、なぜ自分で背負ったのか
有線グループの事業を次々と売却していく中で、最後に残ったのが当時始めたばかりの赤字事業、U-NEXTでした。この事業も売却対象になっていたと宇野さんは振り返ります。
ところが、この事業の引き取り手が誰も現れませんでした。売却できなければ、事業を停止するしかない状況だったといいます。
さすがにこれは絶対将来、大きなビジネスになるはずだと。ここでやめるのはもったいなさすぎると。
当時の宇野さんは、銀行側の見立てに納得がいかなかったと語ります。だったら自分で引き取ってやる、という判断に至りました。
失礼ながら、本当に銀行の方々も(U-NEXTの将来を)わかってなさすぎるみたいな、勝手に思ってたもんですから。
折しも銀行側からは、有線から早く出てほしいという空気もあったといいます。宇野さんは有線を抜け、U-NEXTを個人で引き取りました。
47歳でもう一回ベンチャーをやるっていうことになるんですけど。
「いけるのか」と誰もが疑った再起業を支えた確信
U-NEXTは、GYAOをヤフーに売却した後に始めていたセットトップボックスの事業でした。広告モデルのGYAOに対し、当時ギャオネクストと呼ばれていた有料課金型のサービスとして小さく存在していたといいます。
買い手が見つからなかった理由について、川邊さんはユーザー数かコンテンツ調達力かと尋ねます。宇野さんは、事業モデルそのものへの懐疑が圧倒的に大きかったと答えました。
川邊さん自身も、宇野さんが再びこの事業をやると聞いたときには疑問を感じたと明かします。
いやまあ正直僕もこれいけんのか、宇野さんがまたそれでやったって話を聞いた時に、いけんのかとはちょっと正直思った記憶はありましたね。
宇野さんが挨拶に回ると、周囲からも同じような反応が返ってきたといいます。
みんな、なんでそんなまた苦労するの?ですよね。難しいところやってみたいな。
コンテンツ調達力の高さに加え、NETFLIXのような世界資本と戦わなければならない点でも厳しいのではないか、というのが当時の一般的な見方でした。それでも宇野さんには確信があったといいます。
本当にいい格好すると、もう私たちだけが(U-NEXTの将来を)信じてたみたいな。
利便性の高いものは必ず選ばれる、という信念
信じた根拠を問われた宇野さんは、利便性の高いサービスは伸びるという考えを挙げました。大学生の頃、毎日のようにレンタルビデオを借りていた経験がその原点だといいます。
これがいずれ返さなくてもいいとか、いつでも見れる時代になったらいいなと思ってたので。
利便性が高いものは、使い始めれば必ずそこに人が流れていく。それはインターネットのスピードと同じで、自分がいつも考えていることだと宇野さんは語ります。
競争が激しくなることについても、宇野さんは悲観していませんでした。国内サービスだからこそできることがあると考えていたといいます。
さらに、NETFLIXのような外資の参入は、必ずしもマイナスばかりではないとも指摘します。サービス自体の市民権を世の中に広げるうえで、むしろ外資の参入がプラスに働く面があるという見立てでした。
世の中にサービス自体の市民権を広げていくということでいうと、むしろ外資のサービスが参入した方が広がるみたいなことって、このネットの世界ってまあまあ(ありますよね)。
無料GYAOはなぜ閉じ、有料U-NEXTはなぜ伸びたのか
無料のGYAOは2年前に閉じる一方で、有料のU-NEXTは大きくなり続けています。この対比の本質を川邊さんが問いました。
宇野さんは、広告モデルそのものが難しいわけではないとしたうえで、GYAOで最も難しかったのは広告の見せ方だったと振り返ります。地上波に似た形で広告を出すと、視聴者の習慣と合わなかったといいます。
何か何かのもう一つ発明なりもう一つの技術の進化なのか、何かがないと(広告モデルは)ダメだったんだろうなという感じですかね。
一方でU-NEXTの成長は、コロナで一段上がったものの、それ以外はこの10年ほどでなだらかに伸びてきたと宇野さんは説明します。
伸びを支えた要因は複合的でした。安定したネットワーク、そして視聴デバイスの広がりが大きかったといいます。中でも印象的だったのが、テレビのリモコンにボタンが入ったことでした。
(U-NEXTが)テレビのリモコンに入るようになったっていうのは結構大きかったと思うんですけど、そこの時にやっとこのサービスがまさに市民権を得たなみたいな。
SONYのブラビアに入ったときはとても嬉しかったと宇野さんは語ります。コロナを経て、一部の人だけが使うサービスから、みんなが知るサービスへと変わっていきました。
地上波に似た広告の見せ方が視聴者の習慣と合わず、成立させるにはもう一段の技術や発明が必要だった
利便性を軸に、安定したネットワークとデバイスの広がりを背景になだらかに成長した
一度手放したUSENを、なぜ買い戻したのか
U-NEXTが躍進していく中で、宇野さんは一度離れたUSENを買い戻します。その理由を川邊さんが尋ねました。
宇野さんは、USENの一株主として株主責任を果たす立場にあったこと、そしてU-NEXTで培った経営の考え方がUSENでも活かせると考えたことを理由に挙げます。BtoCとBtoBという違いはあっても、シナジーを出せる部分があるという見立てでした。
同時に、47歳で起業して3度目の上場をなんとか果たした宇野さんは、同じスタイルを続けるのではなく、新しい経営マネジメントの形を模索していました。そこで思いついたのがホールディングスという形態です。
私はホールディングスのトップとして、その全体を俯瞰的に見守るようなスタイルに変えていきたいと。
USENもU-NEXTも、その他の会社も含めて完全にホールディングス化し、それぞれが事業として自立する。これが、会社が機能的に継続する仕組みなのではないかという結論でした。
川邊さんはこの転換を、連続起業家から永続するホールディングスのCEOへの脱皮だと表現します。買い取り自体は細かな苦労はあったものの、有名な人物が横から動く場面もあったと宇野さんは振り返りました。
父の病床で交わした約束と、その約束を「半分騙すように」破った決断
USENへのこだわりの背景には、父から会社を託されたという家族の物語がありました。宇野さんはもともと2代目経営者になることが嫌だったといいます。
初代の人はすごかったんだけど、2代目の経営者がダメで潰しちゃったんだよねみたいな話をよく聞くじゃないですか。絶対それにだけはなりたくないって。
一度は継ぐことを断った宇野さんでしたが、父の生前に、やると伝えることができたといいます。しかし父の反応は、宇野さんの想像とは違うものでした。
そんなにやらなくていいからみたいな感じで。もうとにかく10年持たせてくれって言われたんですね。
どうすればいいのかと問う宇野さんに、父はすぐには潰れないから何もしなくていいと答えたといいます。むしろ10年間は会社の形態をいじるなと言われました。
この会社の形態、その正常化の問題も含めて、とにかくいじるなということだけを言われてて。
わかりましたと答えながらも、宇野さんの頭の中ではすぐに大改革するしかないという結論が出ていました。死にゆく父に改革を宣言することはできず、半分騙すように聞いていたといいます。
結果として、宇野さんは会社を大きくいじり、一度手放したうえで、ホールディングスとして買い戻しました。父との関係において今どう感じるかを問われ、宇野さんは静かに答えます。
天国からもし見てくれたとしたら、まあまあ、よくやってくれたなぐらいに思ってくれてるかなという感じはしますね。
託されたものへの責任、そして共に苦労してきた社員を幸せに導きたいという思い。それがUSENをちゃんとしたいという気持ちの源にありました。
経営バカだった男が、山とIRONMANに挑んだ理由
話題はプライベートに移ります。宇野さんは登山やIRONMANといった過酷な挑戦を続けてきました。川邊さんがその動機を尋ねます。
宇野さんは、それまで経営バカと言えるほど仕事しかしてこなかったため、そうでないことへの挑戦が面白かったと語ります。加えて、個人競技ならではの手応えがあったといいます。
完走できようができまいが、全部自分の責任以外何者でもないんで。
会社経営はチームで行うものなので、成功しても自分の役割がどれだけだったのか見えにくい。それに対し、個人で頑張って達成感を得られることが面白かったと宇野さんは説明します。
さらに、経営者として苦難の時代だったからこそ、プライベートでも苦労すれば仕事の苦痛が相対的に和らぐという、変わった感覚もあったと明かしました。
プライベートでもっと苦労してたら、こっち(仕事)がそんなに苦痛に感じねえじゃねえかみたいな、そんな変な感覚もあってですね。
実際にやってみて、それは精神性を保つうえで有意義だったと宇野さんは振り返ります。どんな苦労も頑張っていればいずれ終わるという感覚や、結果として得られた体力が、精神的苦痛に負けない支えになったといいます。
最悪の失敗と最高の成功、そして「意志の力」
インタビューの終盤、川邊さんは宇野さんの人生における最悪の失敗と最高の成功を問いました。
最悪の失敗として宇野さんが挙げたのは、リーマンショックのときの判断ミスでした。自分の実力以上に投資を重ね、やりきれなかったといいます。
この判断のミスによって、自分は苦労したと言いますけど、周りにはやっぱりいろいろご迷惑をかけて。
この失敗によって、経営者として処理に追われるだけの時間ロスがあったと宇野さんは振り返ります。やり直せるなら、これが一番後悔することだといいます。
一方、成功したポイントとして挙げたのは、U-NEXTというサービスが広がってきたことでした。宇野さんが事業家になりたかった理由そのものと重なります。
自分が考えて自分が作ったサービスが世の中に広げていって、何かその人の生活を変えていくんだとか、そういうのを一つでもやり残したいというのは、それはあったんですよね。
NETFLIXよりも先にこの事業を始めていたという自負とともに、自分の考えた事業が世の中に浸透していくことが一番嬉しいと宇野さんは語りました。まだ戦いの途中だとも付け加えます。
これから起業を考える人へのメッセージを求められた宇野さんは、自らを至って普通の人間だと表現します。
ただやりたいという気持ちが強かったりだとか、諦めなかったりだとか、それだけで今ここにいるんで、まあある意味誰でもできることなんだなと思って挑戦してもらえれば嬉しいなと思います。
最後に川邊さんは、話を通じて感じた意志の力について尋ねます。なぜそこまで意志の人になったのか、と。
宇野さんは、高校生の頃から人生観を哲学的に考える習性があったと明かします。なぜ生まれ、なぜ死んでいくのかを悩んでいたといいます。
短い人生の中でやれることって本当に限られるなと思った時に、やっぱり強い意志を持って何かをやり遂げるっていう風にやらないと。
生まれて死んでいく意味がわからなかった、という死に方はしたくない。その思いが強く、意志の源になっているのかもしれないと宇野さんは語りました。
まとめ
誰も引き取らなかった赤字事業を背負い、U-NEXTを主要3社の一角へと育て上げた宇野康秀さん。連続起業家から永続するホールディングス経営への脱皮、父との約束をめぐる家族の物語、そして意志の力という一貫したテーマが、この回を通して語られました。
- 誰も引き取らなかったU-NEXTを個人で背負ったのは、利便性の高いものは必ず選ばれるという確信からだった
- 無料広告モデルのGYAOと有料課金型のU-NEXTの明暗は、広告の見せ方と利便性の違いに象徴される
- 一度手放したUSENの買い戻しは、株主責任と、永続する経営への転換という2つの動機によるものだった
- 父の病床で交わした「10年いじるな」という約束を、宇野さんは半分騙すように大改革へと踏み切った
- リーマンショックの判断ミスを最悪の失敗、U-NEXTの浸透を最高の成功と位置づけ、根底に強い意志の力があると語った





