2度の落選、大惨敗のあとに乙武洋匡が選んだ道
この回は、2018年に日本へ戻ってからの乙武さんの再出発から始まります。メディアの仕事やSNSでの発信を再開したところ、「お前の力が必要だ」と声をかける人が増え、その支えで2022年に初めて本格的に選挙へ挑んだと乙武さんは話します。
川邊さんは、この2回の選挙で結局落選したこと、特に去年の補欠選挙は勝てる見込みもあった中での敗北で、ショックが大きかったのではないかと問いかけます。
まあこの2回、結局落選してしまうわけですけども、結構やっぱ僕はショックなんじゃないかなと思うんですよね。特に補選の方とかは。
乙武さんは、2022年の初陣は負けはしたものの、どの政党にも頼らない完全無所属としては思いのほか票を取れて手応えを感じたと振り返ります。ところが、その手応えをもとに戦った去年の東京15区補選は、思った以上の大惨敗でした。
これは結構ね、砕けました。半年はちょっと何か次をやる気が起きなかったです。
半年後に乙武さんが選んだのは、15区補選で自分に推薦を出してくれた国民民主党と都民ファーストの会のうち、都民ファーストの会の扉を叩き、顧問に就任するという道でした。
「ベクトルを逆に向ける」政治家から応援する側へ
乙武さんは、顧問就任の理由を語ります。これまでは自分が政治家になろうと努力し、周りもサポートしてくれたけれど、10年近く結果が出ていない。それなら一度ベクトルを逆に向けてみようと考えたといいます。
もう10年近くそれで結果が出ていないんだから、一旦ベクトルを逆に向けてみようと。自分の思う政策や社会を実現してくれそうな近いところをしっかりと応援し、自分がそこに汗をかくという時期を人生の中でちゃんと取ろうと思ったんです。
乙武さんは、これは自分の人生を歩んできた自分にとって、かなり革命的な話だと言い添えます。今年6月に行われた都議選に向けて、一人でも多くの仲間を当選させるため、裏方として汗をかき切ろうと決めたのです。
ただ、そこには不安もありました。自分のために、あるいは社会のためにと頑張ってきた人間が、他人のために8ヶ月も汗をかき切れるのか、という不安です。
思いのほかやりきれて。しかも結構楽しくて。
結果として都民ファーストの会は第一党になり、乙武さんは「やってよかった」と話します。川邊さんはこれを「新たな境地」と受け止めました。
自分が政治家になろうと10年近く努力してきたが、2度の選挙で落選し結果が出なかった
都民ファーストの会の顧問となり、考えの近い候補を裏方として応援する側にまわった
乙武さんは、政治はあくまで手段であるべきで、政治家になること自体が目的化してしまう人が多いと語ります。自分はそうなりたくないと常に言い聞かせてきたといいます。
政治というのは僕はあくまでも手段であるべきで、政治家になることが目的化してしまう方って。
現在、乙武さんの立場は顧問から代表補佐に変わりました。バッジをつけなくても、東京都の第一党で政策提言などに関われるのであれば、思っていた道とは違ってもいいのかなと今は思えていると話します。
思ってた道と違うけどいいのかなって。結構人生でいっぱいあることだし、そっちの方がうまく作用することってね、いっぱいありますからね。
一方で乙武さんは、党の象徴であり選挙的な強さの源泉が小池百合子東京都知事である以上、都民ファーストの会の黄金期はひとまずあと3年だと見ています。まだ52歳前後という自分の年齢を踏まえ、その先をどうするかは考えたいと語りました。
600万部の『五体不満足』より、義足プロジェクトを誇る理由
ここから川邊さんは、乙武さんに人生を総括してもらうため、いくつかの定番の質問を投げかけます。まず、自分のトラックレコードだと思う出来事や仕事について尋ねました。
乙武さんは、世間的には五体不満足 ── 乙武さんが学生時代に出版した自伝的エッセイ。手足のない自身の日常や考えをつづり、大きな反響を呼んだだろうと答えます。日本で歴代4位のベストセラーで、発行部数は600万部にのぼります。
乙武さんによれば、1位が黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』、2位が松下幸之助さんの『道をひらく』、3位が『ハリー・ポッターと賢者の石』で、その次が『五体不満足』だといいます。
ただ乙武さん自身は、この記録を「宝くじに当たったようなもので、努力して達成した記録ではない」と受け止めています。むしろ自分のトラックレコードだと感じているのは、別の取り組みだと語ります。
それが、2018年から2022年まで4年間取り組んだ義足プロジェクトです。川邊さんは、初めて義足で歩いたときの感覚を尋ねました。
乙武さんは、自分の中での感慨は意外と少なかったと明かします。普段の車椅子でも背が高く周囲と同じ目線で話しているため目線の変化に感動はなく、目線を無視すれば自分の足で歩くこと自体はあったからです。
その初めて立ち、数歩歩いた動画を母に送ったら、えらく感動してくれてて。あれはなんかその後の4年間頑張る糧になりましたね。
義足界のF1。特化した技術が次世代へ降りていく
川邊さんは、義足プロジェクトの波及効果について尋ねます。乙武さんは今は練習も日常での使用もしていないものの、このプロジェクトは次世代への研究データを蓄積することに意味があったと説明します。
プロジェクトリーダーだったエンジニアの遠藤謙さんの言葉が、乙武さんには腹落ちしたといいます。それは、自分たちがやっているのは「義足界のF1」だ、というものでした。
その我々がやっているのは義足界のF1なんだと。
乙武さんは、その説明を具体的にこう語ります。F1 ── 自動車レースの最高峰。極限性能を追う中で生まれた技術が、のちに市販車へ応用されていくことが知られているで培った技術がやがて一般の車へ降りて普及し安くなっていくように、まず乙武さんに特化したすごい義足を作って見せることが目的だ、という説明です。
そしてその技術が次の世代に生かされ、多くの義足に汎用されていく。乙武さんは、この説明を受けてプロジェクトにちゃんと意味があるのだと納得したと話します。
乙武さんに特化した義足を開発
極限まで高性能な一台を作り「こんなにすごいものができる」と示す
研究データの蓄積
開発の過程で得た技術やデータを次世代へ残す
次世代の義足へ汎用
技術が一般の義足に降りていき、普及して安くなっていく
乙武洋匡が「遥か遠くのロールモデル」と呼ぶ人物
川邊さんは、乙武さんが最も印象深く、尊敬している人物を尋ねます。乙武さんは会ったことのない人物として、ネルソン・マンデラを挙げました。
乙武さんが挙げた理由は、逆転の局面での姿勢です。アパルトヘイト ── かつて南アフリカで行われた人種隔離政策。黒人などの権利を厳しく制限し、国際的に強く非難されたで尊厳を踏みにじられてきた立場が権力を握れば、人間はどうしても報復に向かうと乙武さんは指摘します。
ところがマンデラは、白人を含む違う人種と混じり合う「虹の国」を作るのだと語りました。27年間投獄され、ようやく権力を握った人物がそう言うのは、なかなかできないことだと乙武さんは話します。
それをやっぱり混ざり合うんだ、虹の国作るんだっていうのは、僕はやっぱりリーダーとして素晴らしいなと思います。
多様性ということを言い続けてきた乙武さんにとって、マンデラは遥か遠くにいながらも目指したいロールモデルだといいます。川邊さんは、ラグビーワールドカップの優勝を描いた映画にも触れ、南アフリカという共通点を確かめました。
「停滞の10年」だった40代と、成熟でありたい50代
最後に川邊さんは、これまでの人生を振り返っての総括と、未来への抱負を尋ねます。乙武さんは、生まれてから順を追って話してきた中で、40代が薄かったと感じたと語ります。
40歳の誕生日をお通夜で迎えてから、2度の選挙にも挑み義足プロジェクトにも取り組んだ。人から見ればそれなりに充実しているものの、それ以外の10年間と比べると思うように歩みを進められなかった、と乙武さんは振り返ります。
来年4月に50歳を迎える乙武さんは、次の10年について語ります。躍進でなくてもいいから成熟ではありたいと話しました。
乙武さんは、この停滞の10年も成熟には多少寄与したかもしれないと言い添えます。思うようにいかなかったことを飲み込む力や時間ができ、若手に時間を割くこともできたからです。
川邊さんは、大きな挫折があった方が成熟する、ただ快進撃しているだけでは生まれない人の気持ちがあると応じます。乙武さんは、最近のプライベートの過ごし方を具体的に挙げました。
友達の19歳の息子が引きこもりになったから会いに来てって言われて、横浜の自宅まで会いに行ったり、
乙武さんは、知り合いの大学生がマルチにハマったのをやめるよう3時間説得したり、大学に行かず政治活動をしたいという若者の父親を説得しに宇都宮まで行ったりしていると話します。川邊さんはこれを「夜回り先生ですね」と表現しました。
でもいい人生だなと思って。だから思ってもみなかったことやってますし。なんか躍進ではないけど。
川邊さんは「成熟してますよ」と応じます。想定していなかった道の先で、乙武さんが静かに手ごたえを感じている様子がうかがえる締めくくりでした。
まとめ
この回では、2度の落選という挫折を経て、乙武洋匡さんが政治家を目指す立場から応援する裏方へと舵を切った経緯と、40代を「停滞」と振り返りながら次の10年に成熟を望む心境が語られました。想定外の道の先にも、本人なりの納得と手ごたえがあることが伝わる最終回です。
- 2度目の補選での大惨敗のあと、乙武さんは都民ファーストの会の顧問に就き、政治家から応援する裏方へと「ベクトルを逆に向けた」
- 裏方として臨んだ都議選で都民ファーストの会は第一党となり、乙武さんは「思ってた道と違うけどいい」と手ごたえを語った
- 600万部の『五体不満足』より、努力と結果の両面で義足プロジェクトを自身のトラックレコードと位置づけている
- 義足プロジェクトは「義足界のF1」として、特化した技術を次世代の義足へ降ろしていくことに意味があった
- 40代を「停滞の10年」と振り返りつつ、飲み込む力や若手に割く時間を得たことで成熟は進んだとし、50代は成熟でありたいと語った


