AIに任せると「筋肉」は衰えるのか
今回の雑談は、今井さんが初めてAIでイラストを作っている話から始まります。先輩に頼まれて雑誌のカットのような絵を作っているものの、今井さん自身が「下手だ」とわかるほど、AIへの指示がうまく出せないといいます。
「もっとこうして」が言葉にならない。
今井さんによると、記事や雑誌の企画であれば、AIにもかなり細かく指示を出せるそうです。企画の分野には、長年の仕事でついた「筋肉」があるからだと今井さんは考えています。
一方で、企画の分野でもAI(Fable5など)がかなり良い案を出してくれるため、時間は大きく節約できています。今井さんはその便利さの裏で、筋肉の衰えがこれから起きるのではないか、まだ筋肉をつける前の若い人は大変ではないかと感じたといいます。
今井さんの心配に対して、青木さんは「もういらなくなるんだ」と返します。たとえに出したのは、現代人が狩りをしなくなったことでした。
もう俺なんてもう狩りの時代ね、狩猟採集民の時代ったら即死だよ。
だから逆に狩猟採集民の時には必要なかった何かを私が死ぬほど使ってるわけだろ。
青木さんの見立てでは、AIで不要になる力がある代わりに、人間はきっと違う何かを負わされることになる、というものです。今井さんも青木さんに触発され、PCの操作をAIに預け始めたと話します。青木さんは最近、1〜2時間分の作業をAIに仕込んでから収録に来るため、区切りがつかないと来られないそうです。
善意の裏目は「聞かなかった側」の責任?
今回のテーマは「『聞かれなかった』は、説明しなかった理由になる?」です。今井さんが最初に挙げたのは、家族の服を善意で洗濯して柔軟剤を入れたら、「この服は柔軟剤ダメじゃん」と言われてしまうような場面でした。
今井さんは、善意に基づく行動が、知らなかったために裏目に出ることは仕事でもありうると話します。たとえば「メールの1行目には相手の名前を入れる」といった、ごく基礎的なルールです。
メールのルールの例に、青木さんは「俺は一切やってない」と応じます。いまのメールはほぼチャット状態で、相手にもそれに慣れてもらおうと考え、形式でごちゃごちゃ言う人は一度無視しようと思っているそうです。
今井さんが問題にしたいのは、知らない側は何を確認すればいいのか、どこまで意見を言っていいのかがわからないまま物事が進み、後から「自分が聞かなかったから仕方ない」と飲み込んでしまうことです。それは本当に聞かなかった側だけの問題なのか、「聞いてくれればよかったのに」と言う側にもできたことがあるのではないか、という問いです。
今井さんから「聞いてよ」と思うことはあるかと聞かれ、青木さんは「あるとは思うけど、多分極小」と答えます。その理由として青木さんが挙げたのは、自分と他人は認識も価値観もナラティブ ── 人がものごとを理解するときに使う物語や筋書きのこと。同じ出来事でも、その人の背景や経験によって違う意味づけがされますも違う、という前提で生きていることでした。
だからあるあるがいっぱいあるんだよね。そういう失敗のあるあるみたいな。
いや、言ってよそれとかって思った時期がすごくあって。それの蓄積がさすがに50代も半ばになってくるとだいぶあるから。
青木さんの中には、「こういうタイプの人はこういうことをする」「ここですれ違うと後が面倒だ」という失敗のあるあるが蓄積されています。そのため最近は「言ってよ」と思うことがあまりなく、そうなっても「まあしょうがないか」と思うことが多いそうです。
ただし青木さんによると、妹さんや家族のような近しい相手との間では、お互いに「そのぐらいわかってよ」「察してよ」が出やすいといいます。今井さんの「甘え」という言葉に対し、青木さんは、同じものを共有しているという信頼を疑わなさすぎることであり、期待でもあり甘えでもある、と整理しました。
今井さんも、自分の会社のメンバーに「この言い方だとこう思われる可能性があるから、こう書こう」と伝えることがあるそうです。ただ、今井さんがそのあるあるを把握しているのは実際に失敗が起きたからであり、まだ失敗していない人にはなぜその言い方が必要なのか納得しにくいかもしれない、とも感じています。
「言ってよ」と「聞いてよ」は同じ思い込み
青木さんは、今回の話には「聞いてよ」と「言ってよ」の両方があり、実はどちらも同じものだと指摘します。どちらも、自分のものの見方を相手も共有しているはずだという前提に立っているからです。
この今の話ってさ、聞いてよっていう話と、言ってよって話が両方あるわけじゃん、お互いにね。で、これね、結局同じなのよ。
青木さんが挙げたのは、「普通それは言うじゃん」「気になるなら普通聞くじゃん」「そんなこと普通は気にならないでしょ」という言い方です。今井さんの「聞かれなかったから」も同じ構造で、青木さんは「まさかそんなこと気にすると思わなかった」も含め、こうしたすれ違い自体は起きるものだといいます。
普通それは言うはずだ、と相手に説明を期待する
気になるなら普通は聞くはずだ、と相手に質問を期待する
2つの言い分はどちらも、自分の視点からしかものを見ない人間の癖から生まれる、と青木さんは話します。さらに難しいのは、「客観的に見る」こと自体にも落とし穴があることでした。
青木さんによると、自分と今井さんの関係を俯瞰して見ているつもりでも、意識していなければ、それは自分の価値観や好みを引きずった「もう1人の自分」が見ているだけです。見え方は変わっても、解釈は変わりません。
だからその監視カメラじゃなくて幽体離脱みたいな。
今井さんのたとえに青木さんは強く同意し、重要なのはカメラの数ではなく、物語や文脈といった判断基準をいくつ持てるかだと続けます。
観察力と洞察力はどう違う?
青木さんは、クラシコムの社内で「正しくものを見て判断するための力」をケイパビリティ ── 英語のcapabilityで、能力や力量のこと。ビジネスでは組織や個人が持つ実行力・対応力を指して使われることが多い言葉ですとして定義していると紹介します。説明によると3つ定義していて、この回で詳しく語られたのは観察力と洞察力の2つです。
青木さんの定義では、観察力は自分の価値観や常識を基に状況を把握する力です。周りの人が何をしているかが見えるようになれば視野は広がり、細かいところまで見えるようになれば解像度は上がりますが、どちらも視点は自分のままです。
解像度が高いっていうのは、観察あくまでもどこまで行っても観察力がどんどん増してるって話なんだよと。俯瞰してようが。
青木さんは、観察力は上げたほうがいい力だと認めたうえで、もう1つの洞察力を挙げます。洞察力とは、関係する人や見る人が、自分と全く違うナラティブや価値観でそのことをどう見るかを捉える力です。
自分の価値観や常識を基準に見る力。視野の広さや解像度は上がっても、判断基準は自分のまま
自分と違う価値観やナラティブを持つ人が、物事をどう見るかを捉える力
青木さんは、この洞察力を想像力だと勘違いすることが、多くの人の洞察力を阻んでいると考えています。今井さんの「どう違うのか」という問いに、青木さんは具体的に答えます。
例えばさ、今井さんがどう考えるかを俺が一人でね、想像してたところで、間違いしか起こらないじゃん。
青木さんの考えでは、洞察とは、違うと思ったら「あなたはどう思いますか?」と率直に気軽に聞くことです。直接聞けない相手の場合は、たとえばクラシコムがお店としてお客様の反応を知りたいときのように、小さな実験をします。
ただし、聞くことにも実験にもリスクがあります。「そんなの当たり前だろ」と言われたり、関係性が悪くなったりするかもしれません。そこで青木さんは、洞察力の本質を次のように言い表しました。
青木さんによると、想像力が本質だと思ってしまうと、独りよがりで見当違いの方向に暴走してしまいます。「あれ?」と不安になったら「俺はこう思うんだけど」と聞いてみれば、「いやいや同じっすよ」とも「青木さんそんなふうに思ってたんすか?」とも返ってきて、想像しなくても洞察できるといいます。
青木さんは、そうして聞いた答えが蓄積されると、想像の力だけでもかなり精度が高くなると話します。今井さんはそれを「あるあるが増える」と受け止めました。
20代後半にぶつかる「わかってる」の壁
青木さんは、観察力がある程度まで育った20代後半ぐらいの人が突き当たりやすい壁があると話します。視野も解像度もあり、客観的にも見ているつもりなので、ナラティブが全く違う人に出会うと「この人はおかしい」「悪人だ」「常識知らずだ」と思ってしまうのです。
実はね、判断基準だけがずっと自分のもののままだってことに気づくのむずいのよね。で、僕自身もその辺で結局一番苦しかったの。
青木さん自身も20代後半のころは「わかってる系」だと思っていて、「皆まで言うな、わかってるから」という姿勢だったそうです。だからこそ各所で「なんで」と感じ、周りがおかしな人だらけに見えていたといいます。
青木さんの場合、人の見方がこんなにも違うと実体験でわかったことで、振る舞いが変わりました。すぐにわかったつもりになる自分は今も変わらないものの、自分には自明なことでも全く違う考えの人がいると思い直し、一応聞く、一応エクスキューズを多めに言っておく、という習慣がついたそうです。
自分はわかっていると思い込み、考えの違う人を「おかしい」と感じて苦しんでいた
すぐわかったつもりになる自分は変わらないが、「待てよ」と立ち止まり、一応聞く・エクスキューズを言っておく
今井さんも、番組スタッフが「青木さんからの戻しはどういう意図だろう」と悩んでいると、青木さんとこの距離感で仕事をしているなら、もう聞いてしまえばいいと伝えることがあるそうです。
ポイ捨ても悪も、別のロジックで動いている
今井さんは、本当に違う視点の例として、アメリカなどでよく言われるポイ捨ての話を持ち出します。ニューヨークで誰かがゴミを捨てたら「大丈夫?」と思いそうですが、実はそれが清掃員の仕事を作っていて、ゴミを拾うと仕事を奪ってしまう、という見方です。
青木さんは、こうした違いは海外だけでなく、年代や、同年代・同性の間でも起きると話します。さらに、以前どこかで読んで印象に残った話として、悪人の内側にあるロジックを紹介しました。
あの自分で自分のやってることは悪だと思いながらやり続けられるやつってね、どんな悪人でもあんまいないと。
青木さんによると、外から見て悪いことをしている人も、正しいかどうかは別として、本人のロジックではやってもいいことになっています。たとえば「もっと悪いことを自分はされてきた」という思いがあればやれてしまうように、それぞれの中に「これは悪じゃない」という機構が働いているといいます。
今井さんは、悪のロジックが環境にも由来すると考え、35歳ぐらいの友人が「自転車の二人乗りって交通違反なの?」と言って驚いた話をします。ただ、その友人の周りでもみんなしていたことでした。
二人乗りの話から、青木さんは「最近あまり二人乗りを見ない」と気づきます。昔は後輪にステップを付けたりしていたのに、今は荷台のない自転車も多いという話になり、今井さんは「東京にいないだけかと思っていた」と返しました。
いやほら、こういうことよ。こういうことなんだよ。
青木さんが指摘したのは、「東京で見ない」を「いなくなった」と受け取ってしまうのも東京のナラティブだということです。今井さんは、22歳まで滋賀で過ごした経験が、東京とそうでない場所の違いを見るうえで役に立っていると話します。
青木さんはその経験を「ちゃんと別のカメラがもう1個ある」と表現します。性能の良いカメラでなくても、違うように見えているらしいとわかるだけで対話ができるのに対し、そのカメラの存在を知らない人は、やらかしが多くなってしまうといいます。
下手な対話と上手な対話の差は何か
洞察力を身につける方法について、青木さんは対話することだと答えます。言葉を使った対話だけでなく、世界との対話として試してみる実験精神も含まれます。
ただし、試すにも対話にも技術がいると青木さんは話します。青木さん自身、最初の事業を始めたときは、いきなり全てを賭けてしまう下手な試し方をしていたそうです。
青木さんによれば、「言ってよ」「聞いてないよ」は、まさに下手で後手後手の対話です。一方で、先手を打つにしても、あらゆる可能性を想定して事前に全部契約で決めておこうとする対話は、相手のディフェンスを高めるだけだといいます。
今井さんの「やぶへびなこともある」という言葉に青木さんは同意しつつ、それを恐れていては上手くならないと話します。気にしすぎるほど気にするセンシティブさと、勇敢に投げかける実験の両方が必要で、失敗は受け入れて経験値を上げていくしかない、というのが青木さんの考えです。
これをね、やらずに40代ぐらいになっちゃうと怖いよ。
青木さんによると、自分の常識しかないまま40代半ばになると、いろいろな人に価値観を押し付けて事故を起こしているのに、「この世界はひどい」と思ってしまいます。自分から見て正しくないことを平気でする人だらけに見えるからです。
青木さんは、そうなった人を「やばいというよりかわいそう」と表現します。実際にはいろんな正しさで人が動いているだけなのに、世界がどんどん悪くなっていると思ってしまうからです。だからこそ、世界は多元的で多義的だと早く気づくことが大切だといいます。
「男女が逆でも同じことを言ったか?」という反省
今井さんは、自分のカメラの少なさゆえの恥ずかしい経験をいくつか思い出します。1つ目は、広島出身の友人と原爆の話をしていたとき、「原爆が落ちた時にさ」と言ったら、「原爆は落とされたんだよ」と返された話です。
台風が来たとかって話じゃないから。
2つ目は、フリーランスの女性の後輩から「夫が無職になった」と聞いた場面です。後輩は「いい仕事があったら紹介してください」と軽いノリで話していましたが、今井さんは「大変だね、収入が」と反応しました。
後輩は「基本的に私が大黒柱だと思っているので、お金の心配はそんなにしていない」と返したそうです。今井さんはその頼もしさに感心しつつ、自分の反応を振り返りました。
これでも僕男女逆でも言ったかなと思って。
今井さんは、「妻が最近無職になってさ」と言われたら少しテンションの違う返しをしそうだと感じ、すごく反省したといいます。青木さんも、あるあるとしては「この機会にゆっくりやりたいことでもやって、次の人生を考えたらいいじゃん」などと言いそうだと応じました。
数年前の出来事だという今井さんの反省に、青木さんは「そうやって違う物語を獲得していく」と話します。
好きな物語の大量摂取はあるあるを強化するだけ?
違う物語を獲得する方法として、青木さんは本やアニメなど、物語をたくさん見ることを挙げます。ただ最近、その考えを少し修正しているそうです。
青木さんが気にしているのは、好きなものが明確になると、韓国ドラマや異世界転生もの、日本のアニメなど、同じジャンルばかり見続けてしまうことです。そうしたジャンルは「狭いあるあるの集積」だと青木さんは話します。
青木さんは、死亡フラグ ── 物語の中で、その台詞や行動をした登場人物が後で死ぬことを予感させるお決まりの展開。「この戦いが終わったら結婚するんだ」などが典型例ですがまさにその例だと言います。「こうなると死ぬんだよな」とわかるのは、慣れ親しんだあるあるが強化されているからです。
だからやっぱり違和感残るようなやつ見ていかないと。
青木さんによると、共感できて「わかる」となる作品は楽しいものの、そればかりでは糧になりにくいかもしれません。価値観が近い人のあるあるさえわからないのはまずいので、見ないよりは見たほうがいいとしつつ、その先もあると考え始めたといいます。
たとえば文芸作品を読んで、面白かったかと聞かれると「どうだろう」と答えるような、なんなら嫌な感じで終わる体験の大事さを、青木さんは今更ながら思うようになったそうです。青木さん自身は気持ちいいものだけを大量摂取してきたタイプだといいます。
一方で青木さんは、そういう作品を意識して読むのは修行に近く、続けるのは難しいとも認めます。モヤモヤする作品をたくさん読む人も、その価値観にハマる人であって、意外と違う方向に固まっている場合もあるからです。
今井さんも、仕事柄多様なコンテンツに触れているほうだとしつつ、特定の思想のものばかり見すぎではないかと感じることがあるそうです。その思想がダメという話ではなく、極端に言えば真逆のことも知っておかないと、ちゃんと光を当てられないという感覚です。
めんどくさい人生が洞察力を育てる
青木さん自身は文学作品や芸術的な映画をあまり見ず、面白いものだけを見てきたタイプです。それでも自分比では洞察力が高まってきていて、その理由の1つが会社を経営したことだと青木さんは話します。
青木さんによれば、経営者は付き合う人を選べるようで選べません。社員だけでも100人ほどいて、お客様や取引先、株主など、いろんな人と付き合いながら、誰のこともあまり否定できないといいます。
それはあくまでも対話の一つじゃん。何かを言われてお断りするって。
青木さんの考えでは、法的にまずいことや受けられない要求を断ることはあっても、それも対話の一部です。対応できる程度に調整はしても、対話のチャンネルを閉じきるのは、キャパが狭い自分のような人間でも不可能だといいます。
経営以外の例として、青木さんはPTAの会長、マンションの理事会の会長、結婚、子どもの誕生、友達でもない5人とのルームシェア、サークル、地元のスナックの常連になることなどを挙げます。どれも面倒ですが、ああいうことが良いのかもしれない、と青木さんは話します。
さらに青木さんが大事だと話すのが、揉めた相手と仲直りする癖をつけることです。関係が断絶した相手と、どこかのタイミングで当時どういう思いだったかを答え合わせできると、世界の別の見え方が手に入るといいます。
選べない人間関係
経営、PTA、理事会、ルームシェアなど、価値観の違う人と付き合う
揉めて仲直りする
当時どういう思いだったかを答え合わせする
別の見え方を獲得
1回ごとの実感はなくても、10年単位で振り返ると大きな差になる
青木さんは、自分が損なわれない程度にギリギリ、という条件付きで、めんどくさい人生を勧めます。「若い時の苦労は買ってでもしろ」について、以前は苦労はいるのかと思っていたものの、一定はいるかもしれないと考えるようになったそうです。
青木さんによると、観察力はいくらでも鍛えられますが、洞察力はそうした苦労なしには難しいかもしれません。どんな苦労でもいいわけではなく、常識や価値観、文脈の違いから生まれる面倒くささの中で、揉めて仲直りするような苦労に意味があるといいます。
同年代でも人がバラバラになるのはなぜか
青木さんは、同窓会など同年代の集まりに行くと、人間がバラバラすぎて同じ年齢でくくれないと感じるそうです。経験の違いによって洞察のレベルだけでなく、あり方そのものが違ってくるため、同年代として連帯しきれない、でもだからこそ良いところもある、と青木さんは話します。
今井さんは、大学生のころ、高卒で働いている同世代がとても大人に見えた経験を挙げます。青木さんは、その人は早くに学校と職場の2つを手に入れたが、働き始めた職場しか知らないままだと、今度は追い抜かれるかもしれないと応じました。
青木さん自身も、ブラブラしていた時期があり、その後とても苦労したものの、それが良かったのかもしれないと振り返ります。ただ、子どもが「後で良かったと言ってたから自分もブラブラする」と言ったら、絶対にやめてほしいとも笑います。
青木さんによると、ブラブラした時期のルートで獲得したカメラは、今井さんの滋賀の話と同じようにあるといいます。そうした経験のない人からは「よくそんなことできましたね」と言われますが、当時の青木さんからすれば、相手のほうが大変そうに見えていたそうです。
いやいや、俺にからその時の俺からしたらあいつの方が大変そうに見えてたよっていうのが、まあ少なくともみんなじゃないけど、僕のそのリアルだったら。
今井さんが「登校拒否もそうかもしれない」と言うと、青木さんは、当事者の中には楽しかったという人もいるかもしれないし、周りが「大丈夫か」「それじゃダメだ」と言うことが辛かったのかもしれない、と応じます。登校拒否という同じ出来事にも、いろんな見方ができるという話で、この回は締めくくられました。
まとめ
この回では、「聞かれなかった」「言ってくれなかった」というすれ違いが、どちらも自分の見方を相手も共有しているという思い込みから生まれると整理されました。青木さんは、そのすれ違いを超える洞察力の本質を想像力ではなく勇敢さだとし、聞く・試す経験と、価値観の違う人と揉めて仲直りする面倒な人生がその力を育てると話しています。
- 「言ってよ」と「聞いてよ」は、自分の見方を相手も共有しているはずという同じ前提から生まれる
- 観察力は自分の基準で視野や解像度を上げる力、洞察力は違う価値観の人の見方を捉える力として区別されている
- 洞察力の本質は想像力ではなく、率直に聞いたり小さく試したりする勇敢さだと青木さんは話す
- 後手の「聞いてないよ」も、全部を事前契約で縛る先手も下手な対話で、慎重さと勇敢さの両立が必要とされる
- 好きな物語の大量摂取だけでなく、違和感の残る体験や、揉めて仲直りする面倒な人生が別のカメラをくれる




