否定的なアンケートも嬉しい?
この回の冒頭で今井さんは、番組が実施中のリスナーアンケートを紹介しました。青木さんは、アンケートをもらうと番組を続けたくなると話します。
本当にアンケートをやっぱもらうとね、続けたくなるよね。
今井さんは、多少否定的な意見でも嬉しいとしたうえで、アンケートの結果をクラシコムという組織がどう読むのかに興味があると話しました。
(強い否定的な意見が)一つだけあった時に、いや、これはもうこの人が言ってるだけだからとするのか、これ一人言ってるってことは、この裏に1000人の人が同じ(ように思っている)とするのか。
今井さんは、こうした判断に組織の癖が出るのではないかと考えています。これに対して青木さんは、件数よりも全体にどっぷり浸かって、自分がどう動くかを考えていると答えました。
ツドイが10年目で初めてつくった理念とは?
今井さんが代表を務めるツドイは創業10年目に入り、初めて理念、つまりミッションを設定しました。今井さんがその参考にしたのは、青木さんが2016年に書いた、クラシコムのミッションやバリューの考え方をまとめた記事でした。
その記事で青木さんは、なぜ自分は会社をやっているのか、なぜ働いているのかという起業の動機から考え、それを会社に落とし込んで「フィットする暮らし」という理念と、発揮すべきバリューを導いていました。今井さんは、この動機から考える手順が自分に合っていたと話します。
青木さんは、企業が目指すものは大枠で「なりたい」「成したい」「ありたい」の3つしかないと説明します。そして、どれも結局は動機とつながっていると続けました。
青木さんによれば、「なんで」に答えられないことはさまざまな意味で弱さになります。だからこそ、自分が世界をどう認識しているかまで遡っておくと、迷いなく答えられるようになるといいます。
世界の認識
自分は世界をどう認識しているか
願い
その認識から生まれる願い
ミッション
願いから導かれる会社の理念
なんでに答える
源流まで遡れるので迷いなく答えられる
悪口を言うと、なぜ相手を嫌いになるのか
この回の本題は、北海道のリスナーから届いたお便りです。今井さんが読み上げました。
お二人にぜひ考えていただきたいテーマがあります。それは悪口についてです。これまでいろんな職場で働いてきましたが、悪口や陰口ばかり言う人もいれば、全く言わずにストレスを溜め込むタイプ、そもそもあまり何も考えてなさそうな方まで、本当に様々でした。ネガティブな言葉には何か必要性があるんでしょうか?コミュニティの中で悪口はどのように扱われるものなのでしょうか。
今井さんは、悪口は基本的に言わないほうがいいとされる一方で、盛り上がってしまうものでもあり、愚痴はシェアすると気持ちが軽くなる面もあると整理しました。
今井さん自身は、悪口を言うつもりはないのに、同業の先輩から「今井君と飲むと悪口ばっか言わされるからやだ」と注意されたことがあるそうです。今井さんとしては、業界の出来事や人物について先輩の考えを聞きたかっただけでした。
青木さんは、そもそも世の中に手放しで評価できることは多くないと話します。だからこそ、「あれってどう思いますか」と聞かれたときに、思っていることを言わないでいるには鍛錬が必要だといいます。
それで相手もですよねって言ってくれそうな相手であればあるほど、(悪口を)言わないっていうためには鍛錬がいるな。
青木さんは、どうしても言うなら家族やプライベートの友達など、相手に届かない場所に留めるべきだと考えています。相手に届く可能性のある場所で悪口を言うと、関係が悪くなる前に、言った側が後ろめたくなるからです。
その気まずさの原因が自分の悪口だと認められないと、人は相手の嫌いなところを探し始めてしまう、と青木さんは説明します。
悪口を言う
相手に届く可能性のある場所で言ってしまう
後ろめたさ
伝わったかもしれないと思うと気まずい
理由探し
気まずさを相手のせいにしようとする
嫌いになる
相手の嫌いなところをどんどん探してしまう
そのため青木さんは、どこででも悪口を言わないほうが、人を嫌わずに済むと考えています。ただ、言いたくなる気持ちもわかる、とも付け加えました。
ネガティブな感想で、絆が深まることもある
今井さんは、初対面の同業者たちとの会話を例に挙げます。業界で評判のよいあるコンテンツについて、テーマに対してビジュアルとコピーが合っていないという疑問を話したところ、全員が賛同したそうです。
好きなものをシェアするのと同じか、それ以上ぐらい、あれって嫌だよねみたいな話って、人との絆、関係性を深めるなってのは。
青木さんは、今井さんのその話はある種の批評でもあると指摘します。批判的な批評がなければ、絆だけでなく理解や新しいアイデアも生まれにくいからです。
一方で青木さんは、トラブルを避けて当たり障りのないことだけを言うのが社会にとってよいのかはわからないと話します。自分自身は当たり障りのないおじさんになっているとしつつ、リスクを取る人がいるからこそ発展するものもあると認めました。
だけどさ、それ(コンテンツ)をやった人が聞いたらさ、あいつら悪口言いやがってって思うよな。
今井さんはさらに、批評は人間にも向けられると続けます。大学時代、尊敬していた先輩について別の先輩から「あいつがやってることは完全にこれのマネだ」といった話を聞くと、急に視点が俯瞰に切り替わり、世界が広がる感覚があったそうです。
このカメラで見てたのに、目線のカメラ、急に俯瞰のカメラになってみたいな。でもそれって多分なんか僕の成長には寄与して。
リングの上の批評と、急にビンタする悪口
青木さんは、会社の中で起きている悪口の多くも、人格攻撃ではなく、仕事上の納得いかない何かや振る舞いへの「物申したい」気持ちだと見ています。受け取る側からは悪口に見えても、批評と何が違うのかと問われると答えにくいといいます。
ただ青木さんは、全体の秩序に責任を持つ立場として、身近なところで批判的な批評を頻繁にやるべきではないとも直感しています。作家同士が文壇バーで取っ組み合いをし、「あの先生とあの先生は一緒に呼べない」となるような話は、少しダサいと感じるそうです。
そこで青木さんは、批評することと、関係性やその場の穏やかさを保つことは、本来それぞれ別の課題なのに、ごちゃまぜに語られていると整理しました。その違いを表す例えがプロレスです。
お互いがそのつもりで上がっており、了解と信頼関係の中で行われる
そのつもりのない相手に、急に仕掛ける
ただし、了解の上でしか批評できないわけではない、と青木さんは考え直します。例に挙げたのは、読んでいる途中のフロイト ── オーストリアの精神科医で、精神分析の創始者。無意識の概念を理論化し、20世紀の思想や文化に大きな影響を与えましたの本の話でした。
当時、治療に使われていたモルヒネの中毒が問題になり、新たに発見されたコカインを称賛する論文をフロイトが書きました。その後、より深刻な中毒症状がわかって激しく批判され、それがフロイトが活躍の場を移すきっかけになった可能性がある、と本には書かれていたそうです。
だけどやっぱり当時それ批判されたフロイトとしては、まあまあ自分のその責任もあったにしても、辛かっただろうし。
青木さんは、その批判はされるべきものだったと認めつつ、悪口と思われるものの中には重要な告発や批評も含まれる、と話を広げました。
悪口の多くは、正義感や美意識から来ている?
青木さんは、大半の悪口は正義感や美意識から来ていると考えています。心から相手を貶めたいだけで悪口を言うのは、恥ずかしくて難しいからです。
今井さんは、相手を貶めるより、自分の評価を上げたい気持ちから来る場合もあり、自分にもそういうところがあると話しました。
青木さんが例に挙げたのは、SNSで着物の着方を指摘してくる「着物警察」です。そうした人にも、みっともない、正さないと日本のよい文化が失われる、といった本人なりのナラティブがあるのではないかといいます。
じゃあそれ(着物警察)、批評とかね、なんか問題提起と何が違うんですかみたいなのはね。難しいね。
批評が「上から目線」と言われる時代
今井さんは、批評は今どんどんしにくくなっていると話します。X上では批評が上から目線に見られやすく、青木さんも「お前書いてみろ」の一言で終わってしまうと応じました。
今井さんは、ある批評家による考察と批評の違いを紹介します。考察が流行る背景には、批評が上から目線とされることに加え、1作品を掘るだけで注目を集められる事情もあるといいます。
1つの作品を何度も見ればできる。素人に近い人でも取り組みやすい
複数の作品を比較し、相対化しないとできない
青木さんは、なぜこれがよいのかという批評なら受け入れられるが、批評家があえて言いたくなるのは「大衆が受け入れているのにダメなもの」だと指摘します。そうなるとどうしても上から目線が入る、といいます。
いろいろわかってる私からすると(これは)ダメなんだ。みんな目覚めよ、なんか覚醒せよみたいな。
悪口を一旦やめてみたら、本当に困るのか
青木さんは、身近な場所での悪口や批評については、相手に届いたときに差しで対話する用意があるかどうかが分かれ目かもしれない、と考えます。今井さんは、本人に言えない批評や悪口は言わないと決めているそうです。
ただ青木さんは、相手が対話を望まない場合もあると指摘します。会社なら、本人に言えなければ自分の上司と話すほうが、関係が決定的に壊れずに済むといいます。
一方で、「世に出したんだから何を言われてもいいだろう」というXの風潮には、ハードルが高すぎると疑問を示しました。そこで青木さんは1つの思考実験を出します。
悪口言うのやめてみよっか。本当に困るんだっけ?みたいなのはちょっと見てみたい。
今井さんが「批評も含めて、否定的に論じることを一切やめる」と確認すると、青木さんは困ることもあると考え直します。倫理観のアップデートは、批評的なところからしか出てこないというのが理由です。
「俺は好きなんだけど」と、悪口の保留
答えが出ないなか、青木さんは別の話として「いや、俺は好きなんだけど」と前置きして批判する人が苦手だと話します。リスクを取らずに言いたいだけに見えるからです。
ただ青木さんは、自分も「悪い人じゃないんだけど」と言ってしまうことがあると認めます。今井さんは、そのほうが思い切って踏み込めるのかもしれないとし、青木さんも好き嫌いで話していないと示さないと話がこじれる面もあると応じました。
いや、何も今日さ、決められねえわ。
青木さんは悪口を「保留」とします。何が悪口かは受け取り次第で、あとは距離感次第だからです。見知らぬ人の意見なら批評の範疇でも、「今井さんが飲み会で青木さんのことをこう言っていた」と聞かされれば、当たっていてもいい気はしないといいます。
会社に置き換えても、健全な批評がない会社がよいとは思わない一方、好き勝手な批評が飛び交ってギスギスする会社にはしたくない、と青木さんは話しました。
今井さんは、ツドイのインターン生に伝えているルールを紹介します。社内では、何が悪いかを知らないとよいものを作れないため、コンテンツのダメなところを日常的に話します。そのうえで、社内で話したことを外で言わないよう伝えているそうです。
昔はもっと、バチバチに言い合う時代だった?
青木さんは、現代の人は喧嘩が苦手なので、批評や悪口はなおさら難しいと話します。今井さんは、手厳しい評価を上手にしている人として宮川さんの名前を挙げました。
青木さんが振り返るのは親の世代です。野坂昭如 ── 直木賞作家で、歌手やタレントとしても活動した人物。代表作に『火垂るの墓』がありますと大島渚 ── 『愛のコリーダ』などで知られる映画監督。討論番組での激しい発言でも知られましたがパーティーの場で殴り合った出来事を例に、昔は公衆の面前での取っ組み合いも珍しくなかったと話します。
青木さんは、田原総一朗さんの世代のように、言い合って仲違いしてもよしとする文化があったと考えます。人口が多く、関係を切っても仲間を作れた時代だったからかもしれない、とも推測しました。
今井さんは、SNSがなかった当時は、対峙したとき以外は相手のことを考えずに済み、新聞や週刊誌で論陣を張っても週1回程度だったと指摘します。青木さんは、仕掛けられた側がちゃんとやり返せるという信頼感があったのかもしれないと続けました。
(今は)言ってる側もさ、なんかいじめみたいになっちゃうじゃん。
今井さんは、配信で見られる「三島由紀夫vs東大全共闘」の討論も紹介します。当時の好感度ランキングで1位だったという右派の三島由紀夫が、左翼の全共闘のもとに単身で乗り込み、そのチャーミングさに相手がほだされていく様子が面白いといいます。
悟空みたいな感じじゃん。オラワクワクすっぞ、どんな世界に強い奴がいるかみたいな。なんかね、そういう世界観あったよな。
弱さが強さになる時代、悪口はどこへ行く?
青木さんは、昔は強さで争っていたのに対し、今はより弱さを抱えている側が議論で有利になってきていると見ています。そのため、言い返さないほうが状況をよい方向へ持っていけるといいます。
強さで争う。言われたら言い返せるという了解があり、バチバチの喧嘩も辞さない
弱さが強さになる。仕掛けた側が不利になり、「どうしたどうした」と心配される
青木さんは、悪口を言う動機自体はなくならないのだから、そのエネルギーはどこへ向かっているのかと問いかけます。今井さんは、若い世代で人気があるのは、むしろ言い返せる人たちかもしれないと答えました。
今井さんが挙げたのは宮川さん、ダーティハスミさん、サイキポインティーさんです。青木さんは、こうした人たちが品よく言い返していると受け止め、議論は洗練されてきているのかもしれないと話しました。
青木さんはその姿を、ウィットに富んだイギリス議会に例えます。ジョンソン首相がスキャンダルで自宅前に集まった報道陣に、質問には答えず紅茶を勧め続けた動画を紹介しました。
こんなどうでもいいことにこんなに時間使って、お前らくだらねーよなみたいなことをひたすら礼儀正しく紅茶を勧めるっていう体で言うみたいなのが、なんかすごくある種イギリスっぽいというか。
青木さんは、これは極端な例だとしつつ、悪口はウィットとして洗練されてきているのかもしれないとまとめました。
欧米の極端な比喩は、なぜ生まれる?
最後に今井さんは、思い出した話として、欧米の人はなぜ極端な比喩が得意なのかという問いを紹介します。例に挙げたのは「お父さんのすね毛をのこぎりで刈ったような芝生」という表現です。
今井さんによれば、番組のゲストだった古賀史丈さんがnoteで、その理由はオノマトペがないからではないかと書いていたそうです。青木さんは、チクチクした感じのような感覚を表す言葉がないから比喩で言うしかないのだと受け止め、理由を突き詰める古賀さんの考え方に感心していました。
(オノマトペがないから)言葉で尽くすしかないから、彼らの。
番組の締めくくりでは、今井さんが「珍しく保留ですね」と振り返り、青木さんも悪口についてもう少し考えていこうと話して、この回は終わりました。
まとめ
今回の考えすぎフラグメンツは、悪口の必要性を問うお便りから始まり、悪口が人を嫌いにさせる仕組み、批評との違い、時代による言い合いの文化の変化まで広がりました。悪口と批評は受け取り方と距離感次第で切り分けられず、番組では珍しく結論は保留とされています。
- 青木さんは、嫌いだから悪口を言うのではなく、悪口を言うと後ろめたさから相手を嫌いになると話した
- ネガティブな感想の共有は絆を深め、批判的な批評は理解や倫理観のアップデートに欠かせない面もある
- 批評と悪口の違いを、了解のあるリングの上の試合と、場外で急に仕掛ける格闘に例えた
- 強さで争う時代から弱さが有利な時代になり、悪口はウィットとして洗練されていくのかもしれない
- 何が悪口かは受け取り次第と距離感次第で切り分けられず、二人は結論を保留にした







