番組初のゲストは橋梁点検の「ボス」永瀬さん
今回の「3 shine talk!」は、樋上さん、吉田さん、中さんの3人に加えて、ゲストの永瀬さんを迎えて進みます。番組にとって初めてのゲスト回です。
メンバーは、53回目や54回目あたりでついに初ゲストが実現したと盛り上がります。予算がついたのかもしれない、という冗談も飛び交いました。
サンシャイントークにゲスト。5回目、55回目、54回目ぐらいからついに初のゲストが。
永瀬さんは橋梁点検部門の責任者です。メンバーは永瀬さんを、うちの「キングカズ」だと紹介します。
永瀬さんの下の名前が一樹であることから「キングカズ」と呼ばれる、というのが理由でした。永瀬さん本人は、その呼び名を初めて聞いた様子でした。
大学卒業後はニートと現場仕事の日々
永瀬さんが橋梁点検の仕事を始めたのは、大学を出てすぐではありませんでした。25、6歳の頃からだと話します。
大学出てからは全然違うことやってて、25、6の時に橋梁点検をやり始めた感じです。
それまで何をしていたのかを聞かれると、永瀬さんは「ニートしてたり、仕事してたり」と答えます。配送や配達、空港での貨物の積み下ろしなどを経験してきたそうです。
(それまでは)ニートしてたり、仕事してたり。
現場仕事がメインだった点について、永瀬さんは特に現場をやりたかったわけではなく、たまたまだったと振り返ります。
橋梁点検3年、その後の空白期間と溶接への挑戦
永瀬さんは26歳ぐらいのときに、橋梁点検をやっている会社に入り、3年ほど働きました。ただし、それは今の神輝興産ではなく、別の会社でのことです。
その後、永瀬さんは再び1年から1年半ほど、仕事から離れる期間を過ごします。本人は「ニートというか、職業訓練所みたいなところに行っていた」と説明します。
樋上さんは、仕事に真摯に向き合う今の永瀬さんの姿からは、ニート時代が想像できないと驚きます。誰よりも仕事と向き合っている時間が長いという印象があるためです。
今から考えたら長瀬さんのニートとか想像できんくないですか?ずっと仕事に真摯に向き合ってる時間が断トツ長いじゃないですか。
一方で永瀬さん自身は、今でもニート生活は「多分全然できる」と話し、周囲を驚かせます。
職業訓練の期間には、永瀬さんは溶接の練習をして資格を取っていました。その後、重工の会社に就職します。
しかし、就職先ではほとんど溶接をさせてもらえず、「なんか違うな」と感じるようになったといいます。
声をかけられて30歳で神輝興産へ
永瀬さんが「なんか違うな」と感じていたころ、神輝興産の現オーナーである小原さんから声がかかります。橋梁点検の人を探している、という間接的な話だったそうです。
永瀬さんが神輝興産に入ったのは30歳ぐらいのとき。収録時点で44歳ほどなので、入社してから14年ほどになると振り返ります。
中さんによると、会社は当初、オーナーの小原さんと中さんの2人で始めました。人を増やそうとしたとき、最初に名前が挙がったのが永瀬さんと、そのマブダチである長身の日野さんだったそうです。
声をかけた理由の1つには、以前の接点がありました。永瀬さんが別の会社で橋梁点検を3年やっていた時期に、小原さんと一緒に仕事をする流れがあり、立場は違えど面識ができていたのです。
でも(永瀬さんは小原さんに)目つけられてたんですか。
「チョーキングが綺麗」と目をつけられた美大出身コンビ
中さんは、当時の小原さんの言葉を紹介します。永瀬さんも日野さんも美術・芸術関係の大学を出ているため、チョーキング ── 橋梁点検で、ひび割れや損傷の位置・範囲を現地でチョークなどを使って記していく作業のこと。を綺麗に描けるだろう、という理由だったそうです。
2人とも(日野さんも永瀬さんも)美術芸術関係の大学を出てるから、チョーキングとかめっちゃ綺麗に描くでみたいな。
ただし中さん自身は、チョーキングを綺麗に描く必要性には疑問を感じていたと明かします。決められた線を引くだけの作業なので、綺麗さはあまり意味がないのではないか、という思いです。
いずれにせよ、声をかけられた永瀬さんと日野さんは、どちらも即決で入社を決めました。永瀬さんは、その理由をタイミングだったと振り返ります。
(当時は)もうちょっとどうしようって考えてたくらいのタイミングだったんで。
モチベーションは「お金」、そして忙殺された日々
永瀬さんは、橋梁点検が好きで神輝興産に入ったわけではないと率直に語ります。3年やった経験があり、当時の職場の給料が安かったため、収入が上がる点も大きかったといいます。
吉田さんは、中さんも永瀬さんも今は同じように仕事にガッツリ向き合っているが、出発点のベクトルは違ったのではないかと指摘します。それでも仕事に向き合い続けられていることを、すごいと評します。
モチベーションを長く保てている理由を問われると、永瀬さんは「ただただ忙殺されていた」と答えます。特にモチベーションというより、有無を言わさず働いていた当時の状況をそう表現しました。
いや、ただただ忙殺されてた。当時はそういうもう有無を言わさずって感じですね。
段ボールとジャンプが机だった創業期
当時の永瀬さんは、車の中でずっと寝ているような働き方だったといいます。中さんは、車から出てきた永瀬さんが目ヤニで目を開けられないほどだったと振り返ります。
目が開かなかったのは、コンクリート片などが目に入りまくっていたためでした。吉田さんはその状況を「地獄」と表現します。
コンクリート片とかが(目に)入りまくって目が開かへんつって。
事務所は一応借りていましたが、永瀬さんの家からは離れていました。それでも最初は通ってくれていたそうです。
ただし、永瀬さん専用の机は用意されておらず、ずっと地べたで仕事をしていました。段ボールを置いたり、少年ジャンプを積み重ねて机代わりにしたりしていたといいます。
少年ジャンプ積み重ねて机にしたりとか。
中さんは、当時を「会社とは言えないような」時代だったと振り返ります。永瀬さん自身も「会社っぽくなかった」と認めます。そうした創業期から、橋梁点検はスタートしていきました。
今回は「始まり」だけ、続編もありそうな長編に
ここまでで語られたのは、あくまで永瀬さんの生い立ちと、神輝興産に入るまでの経緯でした。中さんは「短いんですけど」と言いつつ、話はまだ始まったばかりだと整理します。
メンバーは、この経歴の続きは今後さらに聞いていきたいと盛り上がります。3回でも何回でもいけそうだ、という声も上がり、長編になりそうな気配です。
これ3回ぐらい、何回でもいけちゃう。長編ですね、これは。
今回は、橋梁点検部門を率いる永瀬さんの「始まり」を紹介する回として締めくくられました。
まとめ
番組初のゲストとして登場した永瀬さんは、ニートや現場仕事を経て橋梁点検にたどり着き、声をかけられて神輝興産に入社しました。橋梁点検が好きだったわけではなく、経験や収入がきっかけだったという率直な語りと、机もない創業期のエピソードが印象的な回でした。
- 永瀬さんは大学卒業後、ニートや配送、空港での貨物の積み下ろしなどを経験している
- 26歳ごろに別の会社で橋梁点検を3年経験し、その後溶接の資格も取得した
- 現オーナー小原さんに声をかけられ、30歳ごろに神輝興産へ。入社から約14年になる
- 美大出身で「チョーキングが綺麗に描ける」という理由も、声かけの一因だった
- 創業期は机もなく、段ボールや少年ジャンプを机代わりにするほどの環境だった





