ガソリンスタンドと軽音サークル、大学時代の吉田さんは?
神輝興産の3 shine talk!は今回、前回に続いてメンバーの吉田さん(愛称かややん)の半生を深掘りしています。前回は大学時代のアルバイトの話までが語られていました。
吉田さんは高校まで「結構暗く」過ごしていたといいます。大学に入ってアルバイトを探したものの、応募先に次々と落とされ、最後にガソリンスタンドで採用されました。
最後に行き着いたガソリンスタンドでなんとか拾ってもらえたけど、ガソリンスタンドの店員がみんなヤンキーで。
ガソリンスタンドの職場では、最初はきつい言葉をかけられ続けたそうです。転機になったのは歓迎会のカラオケで、歌を褒められたことから職場での立場が上がったと振り返っています。
大学での研究室は図形情報の分野で、CADのようなアプリを作る側の研究でした。吉田さんのテーマはダムの三次元可視化です。
ああいう検査したデータを元に三次元の可視化して、それを出すようなソフトを作るっていうことやってました。
吉田さんの研究は、非破壊検査 ── 構造物を壊さずに、超音波などを使って内部のひび割れや欠陥を調べる検査方法。橋やダムなどの点検で使われますで得たひび割れのデータをもとにする理系の内容でした。在学中には乙四 ── 危険物取扱者乙種第4類の通称。ガソリンや灯油など引火性液体を扱うための国家資格で、ガソリンスタンドで役立つ資格ですも取得し、ガソリンスタンドの時給が50円上がったそうです。
大学時代の吉田さんは軽音サークルにも入っていました。友達と遊びに行った先で歌が上手いと言われ、みんなでバンドを組むことになり、ボーカルとしてライブもしたといいます。
終電まで働いた12年、カーナビ会社の働き方
吉田さんの新卒入社先はカーナビの会社で、仕事はカーナビのソフトウェア設計でした。神輝興産に移るまで約12年間勤め、部署異動はほとんどなかったそうです。
大きい、すごい大きい会社で。何千人ってそこにいてる会社です。
カーナビ会社での仕事は、北米など海外向けモデルの開発や、下請けに依頼した作業の管理にも広がっていきました。特に大変だったのは、車を買うときにディーラーが取り付ける、自動車会社に納品するモデルだったといいます。
何か終電が、これぐらいに行ったら終電に乗れるだろうっていう時間ぐらいまでいた毎日。
入社して最初の頃は、残業が月100時間ほどになることもありました。夜11時半を過ぎると職場の空気がむしろ楽しくなり、12時ごろに終電めがけて帰る毎日だったそうです。
当時のカーナビ会社は9時始業の決まった勤務時間で、テレワークもありませんでした。同じ製品を作っていても打ち合わせで初めて会う人が多く、課長同士の横のつながりや飲み会がものを言う職場だったと吉田さんは語っています。
子育て中は評価されない?転職を決めた理由
吉田さんがカーナビ会社を辞めたのは、仕事がきつかったからではありません。理由は、子どもができたあとの仕事の割り振りと評価でした。
そんな100時間残業するの結構普通の会社が、子供いて残業せえへん人に(仕事を)同じようにやらせるっていうのが、なかなか難しいですよ。
残業できない吉田さんは、同じチームにいながら以前の仕事を任されなくなりました。いつ帰ってもよいデバッグのような作業が増え、作業量の多いやりたい仕事には就けなくなったといいます。
当時の大企業では、家にパソコンを持ち帰って夜や土曜日に作業するといった柔軟な働き方も、コンプライアンス上できなかったそうです。
評価の面でも、働く時間が短い分、成果の量で比べられると点数が取れません。難しい仕事は時間をかけられる人に流れ、保守の仕事ばかりではスキルも伸びにくくなりました。
残業ができない
子どもがいて、長時間残れない
仕事が限られる
いつ帰ってもよいデバッグなど簡単な作業が中心になる
成果量が減る
量で比べる評価では点数が取れない
スキルも伸びない
難しい仕事は他の人へ流れ、保守ばかりになる
つまらんなとか、どこを目指せばいいんだみたいな。
吉田さんによると、カーナビ会社で結婚した女性社員の多くは会社を辞めていたそうです。
「アンダーな感じでいいじゃない」と言われる社会
山根さんは、仕事を続けたい女性が子どもを持つと働き方に悩む状況を「日本社会の問題」だと受け止めます。吉田さんはそれに同意しつつ、別の見方も示しました。
吉田さんは、ずっとバリバリ働きたい女性ばかりではなく、子どもが小さいうちは扶養の範囲内で働きたい人も多いと話します。その平均像から、男性側は「その枠に収まっておけばいい」と考えがちなのではないかという見方です。
だからそこ(扶養の枠)を超えて働きたいけど、フル稼働もできないんやったら、別にそのアンダーな感じでいいじゃないって。
樋上さんが「そういう仕事しか回ってこない」と受けると、吉田さんはパートさんのお世話のような仕事になると答えています。
山根さんは、男性が短時間勤務にまわる逆のパターンもあり得るのに、まだそうした社会にはなっていないと指摘します。吉田さんは、忙しい会社では夫婦どちらもバリバリ働くのは難しく、パートナー側の仕事が少ないことで役割分担の思想がより強まるのではと考えています。
吉田さんはさらに、男性の育休は短く、子どもは母親になつきやすいと話します。女の子の場合は成長に伴う悩みを母親に相談することが多く、その傾向がより強くなるという見方です。
お父さんにやらせてとか、めちゃめちゃ言われる。もっと感謝した方がいいとか、めちゃめちゃ言われますしね。
年配の人からは同性であっても、こうした批判を受けることがあるといいます。山根さんも、自分たちも頭を切り替えなければと思う一方で、それが常識になりすぎていて難しいと応じています。
神輝興産を選んだ決め手と、まさかの開発担当
吉田さんが転職先に神輝興産を選んだ決め手は、求人に女性への制限が書かれていなかったことでした。他社では、履歴書に子どもがいると書くと懸念されることが多かったそうです。
でも(神輝興産は)女性に対してのそういう制限あんま書いてなかったんですよ。
入社当時はコロナ以前で、神輝興産でも土曜日の出勤を求められることがありました。吉田さんは「え?」と思ったものの、子どもが小さく自分に時間を割けない時期だったため、そのまま働き続けたといいます。
でもなんか別にめっちゃいっぱい(仕事を)するのは嫌いじゃないんですよ。
吉田さんは事務職の募集に応募し、帳簿を作るつもりで入社しました。ところが面接での話や経歴から、開発もできるのではないかという話になったそうです。
当時、神輝興産はフィリピンの会社に開発を委託していましたが、うまく進んでいませんでした。山根さんはその開発を吉田さんに任せることにしました。
全然うまくいかんなみたいな感じで、ちょっともうそこ丸投げですよ。勉強してやってみたいな。
吉田さんは、解説本とテキストで羅列されたプログラムを渡され、それを少しずつ分けて機能拡張していきました。山根さんは今振り返ると「めちゃくちゃな会社」だったと笑っています。
開発から調書作成へ、仕事はどう変わった?
神輝興産に入って約10年、吉田さんは長く開発を担当してきました。ここ数年は調書を作成するチームに入り、開発は調書作成の合間に小さなアプリを作る程度になっています。
山根さんと樋上さんが聞きたかったのは、開発中心の頃と、調書を作ってお客さんとやりとりする今とで、吉田さんの感じ方がどう違うかでした。
人と喋るのは好きだから、別に誰か人とコミュニケーション取る時間があるのはいいんですけど。
一方で吉田さんは、土木分野のシステム開発は各社の思いが強く、要望に応えるほど保守が増えていくため、毎日ハラハラするのは嫌だと話しています。山根さんも、今まさにそういう状況にあり、一人でぎりぎり回せているのはAIのおかげだと語りました。
各社の要望が強く、保守が増えていくのでハラハラする
苦ではなく、電話やお客さんとのやりとりも好き
樋上さんは、吉田さんにずっと調書作成に入ってほしかったと明かします。調書を作る知識と開発の知識を両方持つ人がいることが大きいという考えです。
吉田さんの視点が欲しいってずっと思ってたんで。
実際に吉田さんは、調書作成の現場から見て「ここはこうした方が手が離れるのに」と感じることがあるそうです。山根さんは、当時吉田さんが作ったExcelのマクロのマスターをAIに読ませて開発メンバーが開発を進めており、当時の財産を今も活用していると話しています。
話す力を仕事に、吉田さんのこれから
山根さんは、電話や人とのやりとりを嫌がる人が多いなかで、吉田さんがそれを苦にしない点に注目します。吉田さんは、取引先の人とも個別に連絡して飲みに行ったことがあるといいます。
社内のスキルシートの役割分担表でも、吉田さんは外部とのやりとりに関わる欄に「やりたい」と丸をつけていたそうです。
その食事とかの会とかなったら、やっぱシーンってなったら困るじゃないですか。そつなく面白い話なんか何でもどうぞみたいな。
一方で吉田さんは、コツコツした作業も目的がはっきりしていれば問題ないと話します。
吉田さんの今後について、メンバーの間では「流浪の」と呼んでいる取り組みをやってみたいという話が出ています。吉田さんは、いろんな人と関われるところに魅力を感じているそうです。
山根さんは、吉田さんの話す力という強みを生かす方向に、会社自体も動いていってよいのではと話します。社内で話の上手な人といえば先代くらいだ、というやりとりで今回の深掘りは締めくくられました。
まとめ
吉田さんの歩みからは、長時間労働を前提にした評価のもとで、子育て中の人が力を発揮しにくくなる構造が見えてきます。転職後は開発と調書作成の両方の視点を持つ存在となり、話す力も今後の強みとして期待されています。
- 大学では図形情報の研究室でダムの三次元可視化に取り組み、軽音サークルではボーカルを務めた
- 新卒のカーナビ会社では終電まで働く日々が続き、子育て後は成果量で比べる評価に限界を感じて転職した
- 神輝興産には事務職で入ったが開発を任され、今は調書作成と開発の両方の視点を持つ
- 人と話すのが好きで、外部とのやりとりや新しい取り組みにも意欲を見せている





