最終回はふわっと終わった、それでもモヤらなかった理由
この回は、前回に続いてドラマ「Tシャツが乾くまで」の話題で始まります。3人はそれぞれ最終回を見終えたところで、感想を持ち寄りました。
中さんによると、前回の収録後に一般論として周りに聞いてみたところ、樋上さんと山根さんの見方のほうがズレていると判定されたといいます。ただ本人たちは気にしていない様子です。
じゃあ前回は最終回直前まで見ていて、結構ね、僕一人浮いてる感じの構図になってましたけど、世の中的にはお二人がおかしいっていう結論になった、ということで大丈夫です。
大丈夫です。なんか見方が違うみたいな話。
樋上さんは、最終回はふわっと終わったと振り返ります。どんでん返しを期待していたものの、大きな展開はなかったそうです。
それでも樋上さんはモヤモヤしなかったといいます。そういうドラマなんやって感じで受け止め、そのまま終わってもモヤらないパターンがあると気づいたと話します。
ふわっと終わって、最後特に何も考え、そこから考察しようとかも特に何も思わんかったんで、そういうドラマやったんで、それでモヤモヤもしなかった。
そのまま終わってもモヤモヤらんパターンあるんやって思いました。
ストーリーを追う人と、メッセージを受け取る人
山根さんは、最終回だけ少し違う印象を受けたと話します。それまでストーリーを追っていたものの、最終回はストーリーに乗せて別のことを言いたかったのではと感じたそうです。
無理せず生きていくというか、自由に生きていくみたいな、って感じのことをストーリーに乗せて言いたかったんかなと思って。
中さんも、物語全体が「ありのままの自分ではない状態で過ごしているから苦しい」という流れだったと整理します。最後は「それでいいじゃん」という着地に見えたといいます。
一方で山根さんは、ストーリーを追いかけて見ていた人には物足りなかったかもしれないと補います。話としての起承転結や落としどころを求めた人には、三振を食らったような終わり方だったと話します。
自由に生きる、ありのままでいいという主人公の気持ちの流れとして満足できる
起承転結や落としどころ、はっきりした結末を求めて物足りなさを感じる
樋上さんは、ネットで最後にピンポンと来たのが誰なのかを気にする声を見たと話します。自分はミツルだと受け取り、それ以上考えなかったそうです。
自由に生きていく、自分として生きていくみたいな感じになってるから、誰でもよろしいやと思ったけど、どうしてもどっちかを知りたい人はまだいてるんやと思った。
中さんは、はっきり終わらせず想像させる終わり方だったと受け止めます。続編も作れる終わり方だと話しました。
なりきりスタイルと、わからなかった一人の登場人物
中さんは、樋上さんが登場人物のあずさになりきっていたことに触れます。ただ、あずさという人物だけは最後まで理解できなかったと、奥さんと話しながら見ていたそうです。
あずさだけは結局よくわからんかったなっていう。結局どういう人やったんやろなみたいな。一人だけよくわからないっていう。
これに対して樋上さんは、自分は全員になりきれると答えます。中さんは、樋上さんが想像でかなり補ってあずさ像を作り上げていたのではないかと指摘します。
想像でめちゃくちゃ補ったあずさ像なんやろなと思って。あんまりようわからんなって二人で言いながら見てた。
中さんによれば、他の登場人物はずっと出ているぶん想像できる材料が多く、あずさは早くに退場したため補いにくかったといいます。ここで、二人のドラマの見方の違いがはっきりします。
じゃあ私はあれってことか。ずっと想像膨らましまくってるから、別に全員同じ感じでしかないってこと?
想像で人物像を作る癖は、現実にも当てはまる?
樋上さんは、その見方が現実の人間関係にもつながるかもしれないと気づきます。相手を自分の想像や知っている範囲で作り上げてしまうところがあるのではないか、と自分で振り返りました。
この人はこういう人やっていうのを、結構自分の想像で補って、自分の知ってる範囲でその人作り上げちゃうとこあるかもってことですよね。現実世界でも。
樋上さんは、それによって「そんな人だと思わなかった」と勝手に裏切られたように感じることもあるのではと問いかけます。中さんも、可能性はあるかもしれないと応じます。
一方で中さんは、そもそも完全な客観は無理で、誰でも自分のフィルターを通して人を見ていると話します。そのうえで樋上さんの補い方は想像力が豊かだと評します。
さらに中さんは、樋上さんの補いが若干ポジティブ寄りである点に注目します。プラスに変換して想像するため、現実では大きな問題になりにくいのではと分析しました。
ポジティブよりやからいいんですよ、これが。ネガティブよりやったら結構しんどい可能性があって。
入り込む人が見られないジャンルと、その理由
話は、樋上さんが見られないジャンルへと移ります。樋上さんは、刑事ものやホラーは怖くて見られないと話します。入り込んでしまうため、事件が起きていること自体が怖いのだといいます。
その事件が起きてることがもう怖いじゃないですか。人が殺されたりしてるのが。自分にも起きるかもとか思い始めるし。
樋上さんは、フィクションだけでなくニュースも見られないと明かします。現実に起きていることだからこそ怖く、暗いニュースばかりで気分が落ちてしまうと話しました。
ニュースは見れないです。それこそもはや現実で起きてることじゃないですか。だから怖くてニュースは見れない。
一方で山根さんは、警察24時のようなノンフィクション番組が好きだと話します。深夜の新宿の映像などを面白いと感じるといい、二人の反応は対照的でした。
現実に近く自分にも起こり得ると感じ、ニュースやリアルな事件ものは怖くて見られない
モザイクの向こうの人の気持ちが気になり、警察24時のようなノンフィクションを面白く見る
山根さんも、竹内涼真のゾンビ作品の映像が今もよぎって怖いと話します。怖かったシーンが頭に刻まれて消えないため、見るのをやめたそうです。
入り込む見方は、日常にどう影響するか
中さんは、それほど入り込めるなら人の何倍もドラマを楽しめそうだと話します。フィクションがリアルに感じられるほどの没入は、うらやましくもある見方です。
すごいな。楽しそう。人の何倍か楽しんでそうな気がする。
一方で山根さんは、その分だけ悲しい方向にも引っ張られるのではと心配します。現場でつらいことがあると、判断できなくなってしまうのではという見立てです。
これに対して樋上さんは、入り込んでもそのまま抜けられないわけではなく、切り替えは得意だと答えます。入り込む力と切り替える力が両方あるからこそ成り立つ見方だといえます。
入り込んでそのまま抜けられへんわけじゃなくて、切り替えもすごいんで。
さらに樋上さんは、人の話でも相手より先に泣いてしまうことがあると明かします。ただし、それもあくまで自分の想像であり、外れていることもあると付け加えました。
同じドラマを見ても、人によって受け取り方はこれほど違います。3人は、ドラマの見方が人柄や日常の見方にまでつながっていることを面白がりながら、この回を締めくくりました。
まとめ
ドラマ「Tシャツが乾くまで」の最終回をきっかけに、登場人物になりきる見方と客観的に追う見方の違いが浮かび上がった回でした。見方の癖は、日常での人の捉え方にも通じていました。
- 樋上さんはふわっとした最終回にモヤモヤせず、「そういうドラマ」として受け止めた
- 最終回はメッセージとして受け取る人と、ストーリーの結末を求める人で評価が分かれた
- 樋上さんは登場人物になりきり想像で補う見方、中さんは客観的に見る見方をしていた
- 想像で人物像を作る癖は現実の人間関係にも通じるが、ポジティブ寄りだと問題になりにくい
- 入り込む見方ゆえに樋上さんは事件ものやニュースが苦手で、切り替え力があるから成り立っている






