2,500万人規模のPairsを生んだ起業家は、なぜ悩むのか
赤坂優さんは、2018年からfrankyという会社を経営しています。アパレルを含むブランド事業を主軸に、最近はAI関連デバイスの新規事業も始めました。
frankyの前に赤坂さんが創業したのが、エウレカです。広告事業と受託開発から始め、その延長でマッチングアプリ「Pairs」を生み出しました。エウレカは2015年にM&Aで売却され、赤坂さんは2017年に会社を離れています。
えっと、2,500万人ぐらい国内で(Pairsの)会員がいると思います。正確な数字はちょっとわかんないです。
赤坂さんが在籍していた頃、Pairsの会員は500万人から1,000万人ほどだったといいます。高木さんが売却額を尋ねると、赤坂さんは非公開としたうえで、ざっくりとした規模を明かしました。
数十億後半から三桁みたいな。
売却額が確定するまでには事情があり、赤坂さんによれば、エウレカの売却にはアーンアウト ── M&Aで、売却後の業績に応じて追加の対価が支払われる仕組み。最終的な売却額は、売却後の業績が確定してから決まりますという業績連動の条件が付いていました。公開時の数字と最終的な数字は異なるそうです。
高木さんは、ITスタートアップをやりきって、今は好きだったファッションの領域で事業をしている赤坂さんを「めちゃめちゃ幸せじゃないですか」と評します。それなのに、赤坂さんには悩みがあるといいます。
ニトリか、アメリカンヴィンテージか
赤坂さんの悩みは1つではありません。いくつもの悩みが並行していて、整理できていないこと自体が悩みだと話します。
悩みの前提として赤坂さんが語ったのは、エウレカ創業期の話です。もともと自分に自信がないタイプだった赤坂さんは、社長として「会社はこうあるべきだ」と語る立場になることに、大きなギャップを感じていました。
創業1年目、社員がまだ3〜4人の頃、エウレカのオフィスは白金高輪の小さなリノベーション物件にありました。同じ建物の上の階では、フリマアプリのフリルが創業していたそうです。
そういうのをポンポンポンポン入れてったら、その従業員メンバーに、なんかその金もないスタートアップなのに、なんかそんなもん入れないでニトリで全部いいでしょみたいなことを言われた時に、本当にそうかもと思ったんですよ。
赤坂さんが買ってきたのは、目黒の家具屋で選んだアメリカのヴィンテージ家具でした。スタッフの指摘はもっともで、赤坂さんは「なんでその通りなことに、すごい悲しみを感じたんだろう」と考え込み、心が縮こまっていったといいます。
(西川さんが)「自分で決めていいんだよ」っていうのを言ってくれて。で、そのおかげで吹っ切れて、いや、もうやりたい風にやるんだよというふうにやってて。
赤坂さんを救ったのは、前職の上司でもあった共同創業者・西川さんの「自分の会社なんだから、自分で決めていい」という言葉でした。赤坂さんは吹っ切れて好きなように会社をつくり、少しずつ自信をつけていきます。
赤坂さんの好き嫌いがはっきりしたオフィスは、当時のエウレカのカルチャーになりました。エウレカはUSのApp Storeを漁ってUXの良いアプリを研究し、それを受託開発に生かす、デザイン会社のような存在になっていきます。
当時のそのオフィスのイベントがないと、なんか自分たちのカルチャー発信とかっていうのがあまりできないから、そういう人も集まらないし、そういう事業にも行き着かなかった気がするんですよ。
失われた「衝動」と、ゴミ捨て場で泣いた夜
エウレカの時代と比べて、frankyを創業してからの赤坂さんは、当時ほどの成長幅を実感できなくなったといいます。大人になって他人の価値観に共感できるようになったことも、変化の1つです。
自分自身の意見が絶対だっていう価値観を持つとか、なんかそういう生き方が難しくなってきたっていうのが、多分三十代後半で。
赤坂さんは現在43歳です。この変化が、40代以降をどう生きるかを悩ませる最大の要素ではないかと話します。周囲から見た評価ではなく、自分軸で見たときに「全然」できていない感覚があるそうです。
成長幅が減った理由を問われた赤坂さんは、「主体性」「手触り感」と言葉を探し、さらに奥を掘ると「衝動」だと答えました。そこで高木さんは、Pairsを立ち上げた頃の衝動がどんなものだったのかを尋ねます。
赤坂さんの衝動の原点は、新卒で2年間働いた上場企業の子会社での体験でした。赤坂さんと上司の西川さんは、利益を生んでいる部門のメンバーの評価を上げてほしいと、役員に何度も掛け合っていました。
しかし会社全体は業績が苦しく、評価は上がりませんでした。強く訴えた赤坂さんは、役員から「低レイヤーの視点だよね」と返されてしまいます。
目黒の居酒屋で飲んでたんですけど、悔しくて外に出て、ゴミ捨て場で泣くみたいな。
その時に結構強く思いましたね。自分たちで会社やらないと、なんか正しいことってできないのかみたいな。
店の中から出てきた西川さんに「戻ろう」と声をかけられた、この夜の悔しさが強い衝動になりました。大企業にできないことを自分たちがやりたいという気持ちが、漠然とした大企業への敵対心と結びつき、スタートアップという立ち位置がしっくりきたといいます。
インターン中心の組織から、「人に向いた矢印」へ
反骨心から始まったエウレカは、採用も中途ではなく、学生アルバイトやインターン生が中心でした。当時はまだインターンが少ない時代で、赤坂さんはインターン求人媒体の注目枠をすべて押さえに行ったそうです。
なんかただでさえインターンがそんなに多くない中、インターネットっていう産業に身を投じてくる若者ってそもそも優秀なんで。
エウレカは、大企業と小さなスタートアップの対比や、古い概念を壊すこと、マイナーである強みを組織カルチャーの原点にしていました。会社では西川さんが毎晩料理をつくり、洗濯機やシャワールームまであったといいます。
今の赤坂さんに衝動が足りない理由について、赤坂さんは、当時の衝動は「自分の感情が認められない」というコンプレックスから来ていたと振り返ります。エウレカで価値を証明したという自負がある今、自分の中にその強い衝動が見当たらないのが課題だと話します。
一方で、赤坂さんがAIデバイスという新しい挑戦に向かう理由は、別のところにありました。エウレカで最も心に刻まれたのは、世の中を見返す気持ちではなく、その過程で得た仲間やチームの絆だったといいます。
まあだから矢印がもしかしたら人に向いたのかもしれないですね。
赤坂さんの強い衝動には、もう1つの源がありました。中高時代に親を悲しませた自覚があり、母親が37〜38歳で赤坂さんを産んだこともあって、「30歳までに親を安心させたい」とうっすら思っていたそうです。
赤坂さんが決めた親孝行は、サッカー好きの父親をワールドカップに連れて行くことでした。2010年の南アフリカ大会か2014年のドイツ大会を目指したものの、事業の成長が想定通りに進まず、当時は叶いませんでした。
時間軸がやっぱりずれてくるんで。で、この間ようやくアメリカに連れてきました。
三角屋根の家と、日能研の席順
赤坂さんは東京・目黒区の池尻大橋近くで生まれ、のちに横浜へ移ります。父親は建築パースを描く仕事をしていて、赤坂さんは図面の裏に落書きする子どもだったそうです。
最初に住んだのは4畳半ほどのアパートで、父親は玄関でパースを描いていました。その後、バブル期を経て横浜の郊外に一軒家を建て、建築家とのつながりから、天井に三角の窓がある尖った家になったといいます。
やっぱなんか幼い頃から、なんかその建物とか構造、そういう、なんか構造とか、なんか家に巻き上がる環境とかっていうのは、なんか自分の中でデフォルトでインプットされてたっていうのはあるかもしれないですね。
赤坂さんは小学3年生から中学受験のため日能研 ── 首都圏を中心とする中学受験の進学塾。定期的なテストと成績に応じたクラス編成で知られていますに通いました。そこで目の当たりにしたのが、徹底した競争の仕組みです。
クラス名は「A班1組」「A班2組」で、その後に1組から5組が続いていました。赤坂さん自身はA班1組と2組の間を行き来していたそうです。当時はレールにはまっていて何も思わなかったものの、社会人になって同期から「受験の猛者だから、絶対に競争に負けたくないんだ」と指摘されたといいます。
進学先は法政二中でした。赤坂さんは自信過剰な子どもで、テストで高い点を取った気がしても結果はそれほどでもなく、その差を埋める努力もしなかったと振り返ります。
「悪い子」の正体と、就活で知った出遅れ
高木さんは、順風満帆に見える赤坂さんがどこでレールから外れたのかを尋ねます。赤坂さんの答えは、自己認識だけが高かったことでした。
中学に上がると塾で得た勉強の差はなくなり、サッカー部でも上には上がいました。勉強でも運動でも上位ではないと気づいた赤坂さんは、目立とうとして高校生の頃から「悪いこと」をし始めます。
大して悪くないんですよね。だから見た目が悪いぐらいです。
赤坂さんの「悪さ」は、髪を明るくし、服装をだらしなくし、人より早くピアスを開ける程度でした。それでも私立校から親が頻繁に呼び出され、苦労をかけたという思いが残っているそうです。
法政大学に進んだ赤坂さんは、ファッションが好きだからファッション系の企業に行けばいい、という安直な考えで就職活動を始めます。そこで初めて社会や経済というリアルに触れ、大きなギャップを感じました。
その時点で大きい会社、いい会社、いわゆる当時いい会社って言われてる会社に就職してる人たちとのギャップが生まれるじゃないですか。なんか何もない、今持ち始めたばかりの自分と。
当時はサイバーエージェントやインテリジェンスのように若手に権限を与える会社が注目され、そこへ入る友人も多かったといいます。何も持たない自分が成長するには、若いうちから意思決定できる環境に身を置くことだと、赤坂さんはうっすら感じていました。
父の「これから大変だね」の意味
エウレカを大きく育てて売却し、人生にひと区切りついたように見える赤坂さんに、高木さんは当時の気持ちを尋ねます。赤坂さんが思い出したのは、32歳のときの父親の言葉でした。
当時、まあ親父にあの人生まだまだ長いのに大変だねって言われたんですよ。
父親の言葉は「おめでとう」ではありませんでした。赤坂さんは当時その意味がわからず、むしろ手札が増えたのになぜ素直に祝ってくれないのかと思っていたそうです。しかし数年後、「マジでそれ」だったと気づきます。
狭い空間で与えられた武器があって、脱出しなさいって言われると、なんか人って結構集中力を発揮してできると思うんですけど、なんか大きい空間の中で、あなたはなんのために生まれてきたか考えなさいって言われると、結構そのスタートダッシュ効かないじゃないですか。
何も持たず出遅れた状態から、やることが明確。自分の正義だけを信じて走れた
選択肢が広がり、何に時間を使うかを自分に問う必要がある。いろんな価値観を受け入れるようになった
会社が大きくなる過程で辞めていった人たちが、今それぞれの場所で活躍していることも、赤坂さんの価値観を広げました。自分の正義と違っても、世の中にはいろんな活躍の形があると理解できるようになったといいます。
受け入れる力は事業にも生きています。アパレル事業は、バックグラウンドの違う熊谷さん熊谷さん・ブランド名「インナーシー」との出会いから始まり、うまくいきました。赤坂さんは、それを自分の能力ではなく、広い自分を持っていたことの恩恵だと捉えています。
僕、その自分の世界は結構本当はあるのに。それもいいねって言ってる自分が結構、結構好きじゃないんですよね。
投資と「合理は逃げ」という気づき
赤坂さんは、個人とファンドを合わせて多くのスタートアップに投資しています。高木さんは、資産を得た人がエコシステムに機会を返すのは自然なことだと認めつつ、そこに潜む難しさを指摘します。
なんか本当に鰹節のように薄く切ってるんだけど、(自分でやるっていう選択肢を)少しずつ削っていくっていう感覚があるような気がしてて。
高木さんの見立てでは、投資をしすぎると、自分でやるより他の人に任せたほうが経済合理的に正しくなっていきます。赤坂さんも「マジでそう」と応じ、会社の意思決定も合理側に寄っていると話しました。
赤坂さんにとって、それは創業期の家具の話と同じ構図です。合理的に考えればニトリを入れたほうがいい。けれど赤坂さんは、合理ではない生き方こそが自分のアイデンティティだったはずだと感じています。
なぜ合理的な判断が増えているのかと問われ、赤坂さんは長く考え込んだあと、1つの仮説にたどり着きます。
赤坂さんによれば、強い思いがあれば、周りから見て非合理でも自分の意志で進みます。意志がそこまでないときや、自分の中で解き明かせていない問いがあるとき、合理的な方向に逃げるほうが簡単なのだといいます。
だけどわけわかんない数十万のヴィンテージとかどうしたの?これみたいな。何なのこれ?どこがいいの?ってめっちゃ説明しなきゃいけないですからね。
高木さんの言う通り、コスパの良いものを選べば説明はいりません。赤坂さんは、会社を背負って売上や利益を考えるほど、気持ちが乗る非合理な選択はしにくくなると話しました。
盤面が見えすぎる経営者と、IT起業家の「二重人格」
高木さんは、お金に余裕があるのになぜ合理に絡め取られるのかを重ねて尋ねます。赤坂さんが挙げたのは、自分の共感力の高さでした。
その盤面が見えてるから、どこに自分をプロットすると人がどれぐらい嫌がるかなんとなくわかるっていう。
高木さんはこれを、こだわりと合理の対立ではなく、受容力が行き過ぎた結果だと整理します。すべての正しさを尊重すると、個人のこだわりはテーブルに出せなくなり、数字や合理性で合意を取るしかなくなる、という見立てです。
世界が広がる
いろんな人がいて、いろんな正しさがあると知る
受容が強まる
すべての正しさを尊重しようとする
主観を出せない
個人のこだわりはその場で出せないタブーになる
合理に収束
数字や合理性で合意を取り、判断が合理的になる
一方で、自宅の内装づくりでは、赤坂さんは異常なほどのこだわりを出すといいます。誰にも迷惑をかけないからです。売却後に七里ヶ浜で買った別荘のリノベーションは評判を呼び、スタジオとしても多くの人が訪れました。
高木さんは、ITスタートアップの経営者には、事業で徹底的に合理化する反動として、趣味の建築やアートで表現する「二重人格」型の人が多いと話します。赤坂さんは「それなのかもしれない」と応じました。
(会社を)そっち側だけで生きていくのって、やっぱ結構自分に嘘ついてる感じもあって。
高木さんは、frankyの事業はこだわりのある顔つきなのに、経営はスピード重視の合理的なやり方をしているため、嘘をついている感覚が生まれるのではないかと指摘します。赤坂さんは、ITの印象で集まった人材が商材とのギャップで辞めていくこともあったと明かしました。
クリエーションとスピードを両立している例として、高木さんはNOT A HOTELを挙げます。赤坂さんは、あれは仕組みが先にあり、美しい仕組みの中で必要なクリエーションを綺麗にやっているから成り立つのだと分析しました。
文化は遅い。カルチャーが先にあり、ビジネスは後から来る
高木さんは、赤坂さんの歩みを「ショートカット」にたとえます。普通の人が階段で登る山を、リスクを取って森を切り開き、仲間を集めて違う道から登った。それができたのは、価値観が狭く思い込めていたからだといいます。
つまり向こうに道がある、あ、ここで困ってる人もいるとか、いろいろ見えちゃうと多分突き抜けれないと思うんですよ。
そのうえで高木さんは「文化って基本的には遅い」と話し、元『WIRED』日本版編集長の若林恵さん若林さんのフルネームから聞いた話を紹介します。
カルチャー
夜に踊っている人たちがいる
価値観
夜に踊るという価値観が生まれる
マーケット
ナイトタイムエコノミーが誕生する
ビジネス
夜の出店やクラブ、ホテルがお金になる
高木さんによれば、この流れには時差があります。踊っているあいだは儲からず、じわじわ浸透してマーケットになるまで時間が必要です。不動産や金融という経済の仕組みに乗るNOT A HOTELと違い、アパレルはショートカットが効きにくい世界だと高木さんは見ています。
赤坂さんもこれに同意します。服そのものは1,000円でも10万円でも「着られる」価値は同じで、差をつくるのはトレンドやデザイン、フックアップといったコンテンツだといいます。それは自分がやってきた構造の置き換えとは違う、と赤坂さんは話しました。
Pairsはディスラプト、ファッションは「救い」
高木さんは、Pairsが何をしたのかを改めて言葉にします。お見合いや合コンという巨大な市場にあった古い価値観が、短期間でまとめてマッチングアプリへ移った。それは価値観の変容とスピードが重なった、パンクでディスラプティブな出来事だったという見方です。
いやー、そうですね。ディスラプトっていう言葉やっぱ好きなんですよね。
高木さんは、ファッションや音楽を「こういう選択肢もある」と示す救いの世界だと位置づけます。新しい音楽を聴いて「まだ生きていける」と思えればいいので、巨大な経営ゲームとは根本的に相性が良くない、と話しました。
古い価値観や商習慣を壊すディスラプト。マッチングの選択肢を増やすために拡大が欠かせず、拡大と利用者の幸せが一致する
「こういう選択肢もある」と示す救い。目の前の人の思いを汲めていれば十分で、たくさん売ることと客の幸せが一致しにくい
すでに現時点でその人の思いを汲めてるならそれでいいじゃないですか。っていう風になると、なんかその、僕のエゴとそのお客さんの幸せが全然イコールになってないっていう。
赤坂さんは、Pairsやメルカリのように拡大することで喜ばれる事業と、そうでない事業の違いが大きかったのかもしれないと気づきます。高木さんも、こだわり系の事業をしている経営者ほど悶々としている印象があると応じました。
高木さんは自身の高校時代も明かします。地元では天才扱いだったのが、進学校で280人中270位になり、ファッションやグラフィティに逃げた経験から、価値軸をずらしたい気持ちがよくわかるといいます。
なんかその上司だったりとか、その前に走ってる人たちが当たり前にやりそうなことで、でも古いことを変えれたらすごい爽快な気がしてて。
赤坂さんは、パンクな表現の仕方そのものにこだわると事業が狭くなるのではないかと懸念します。これに対して高木さんは、少子化と出会いの場の話を例に、世の中に積み重なった習慣を相手にすればテーマは自然と大きくなり、表現の余白をそのまま事業にするから狭くなるのではないか、と話しました。
お金の使い方を分け、構造を変えるゲームに立つ
高木さんは赤坂さんに、まだ満たされていないものは何かを尋ねます。赤坂さんは、視覚的な表現を含むクリエーションと、仕組みで解決するゲームチェンジが、自分の中で同じくらいの比重だと答えました。
赤坂さんがクリエーションに関わる人たちを尊敬していて、その感性を生かしたいと話すと、高木さんは明快な提案をします。
良くないのはスタートアップに投資するから、それやめた方がいいんじゃないですか。それ自分のゲームなんで。
だけど構造を変えるゲームは投資やらないっていう。そっちで満たされちゃうと、別にやんなくていいって思っちゃう。
高木さんの提案は、お金の使い方と事業を分けることです。投資や寄付はアーティストや作家、研究者に回して表現を支え、事業では「こんな価値観、ぶっ壊れたらいいのに」と思う領域に挑み、その中でクリエーションをどこまで利かせられるかに挑戦します。
投資はスタートアップに。会社はブランド事業を合理的に運営。突き抜けた表現はプライベートで
投資や寄付はクリエイターや研究者に回して表現を支える。事業は古い価値観を壊す領域に絞り、その中でクリエーションに挑む
赤坂さんは「そうかも」と応じ、相反する2つの要素を行き来してきたせいで、自分の位置を決められずにいたと振り返ります。高木さんはさらに、構造的課題を解ける人はそちらをやったほうがいいと話しました。
かっこいい服作っても、時給が安くて昼ご飯ちょっとした弁当食ってっていう世界線はあんま変わらないわけじゃないですか。なんでかっていうと、業界の構造が変わってないから。
自分をどちらに置いているのかと問われた高木さんは、構造的問題は自分では解きに行っていないと答え、目指しているのは吉田松陰だと明かしました。牢屋の中でも看守に生き方を問い、授業を始めてしまった人物です。
その突き抜けた思考とかセンスとか、または経験なのか、ポーションを持ってる人を、その人のビジョンで突き抜けさせる生き様、布教はできるなって思って。
「その人にしかない革命がある」と信じて聞く
赤坂さんは、これまで多くの人に悩みを話してきたのに、方向が見えたのは初めてだと話し、どうすればそう見えるのかを高木さんに尋ねます。高木さんの答えはシンプルでした。
僕がその人にはその人しか、でしか突き抜けられないビジョンがあると信じて話聞いてるからなんですよ。
高木さんは、聞き役として話を聞いているのではなく、相手に憑依して聞いていると話します。経験の量などの細かいテクニックもあるものの、それは誤差だといいます。
高木さんから見た赤坂さんの生い立ちは、特別なものではありません。郊外のほどほどに裕福な家庭で育ち、トップでもなく、わかりやすく落ちぶれたわけでもない。そこから差別化を求めてファッションへ向かう感覚は、多くの人が共有しているものだといいます。
ほとんどの人はなんとなくの劣等感と、なんとなく何かを起こしたいっていう気持ちがあって。
多くの人はその不満と諦めの中で人生を受け入れていきます。けれど赤坂さんは早く抜け出し、テクノロジーの力も借りて、当たり前だった出会いのマーケットや習慣を変えました。高木さんは、それ自体が赤坂さんの使命だと話します。
(中流の人たちに)溜まってるなんかを、新しい仕組みというか、を通じて爆発させて解放することが赤坂さんなりの革命なのかなって思いましたけどね、僕は。
メメント・モリと、EXITしていない人への羨望
赤坂さんは、新たに手がけるAIデバイス「MORI」に込めた思いを語ります。名前はメメント・モリから来ていて、死を意識して今を大切に生きることがベースにあるそうです。
30歳を区切りに生きていた頃は短距離走で、矢印を最大化しないとたどり着けませんでした。その後は、今が大切だとわかっていても盤面が見えすぎて、方向が定まらない時期が続いたといいます。
MORIのように日常を変えるものをつくることは、赤坂さんにとって事業のチャンスであり、自分自身を変えるチャンスでもありました。それでも、父親の「人生まだまだ長い」という言葉はいつも心にあり、長い人生でどんなスタンスで生きるかの答えは出ていなかったと話します。
高木さんは、父親の言葉の背景を社会の仕組みから説明します。日本で一億総中流 ── 1960〜70年代の日本で、多くの国民が自分を中流階級だと考えていた意識を指す言葉。高度成長と安定した雇用が背景にありますが実現したのは、終身雇用で少しずつ上る階段が社会全体で設計されていたからだ、という見立てです。
でもなんかマジでなんかそのEXITしてない人を羨む時期ありました。
高木さんによれば、EXITは満たされた状態がゼロに戻ることでもあります。そこから何をやるかを見つけなければならず、その答えは自己表現ではなく、自分にしかやれない役割なのではないかと話しました。
村上龍の一節と、「利他的無関心」
高木さん自身も、今の役割を最初から望んでいたわけではありません。それでも続けられる理由を、高木さんは村上龍の『13歳のハローワーク』の一節で説明します。
彼が言ってるのは、僕は僕は小説を書くのが好きじゃないって言うんですよ。文章を書くのが好きじゃない。ただ書き続けることができる。これが才能なんだって。
高木さんは、ヨウジヤマモトのようなクリエイションや、イーロン・マスクのようなスケーラブルな事業に憧れ、近い世代の起業家に嫉妬もしてきたといいます。けれど、やり続けることはできなかった。人のビジョンを引き出して着火することは、やり続けられたのです。
昔、起業家の友人から「人の起業のサポートなんかしていていいのか」と言われ、悔しかったこともあったそうです。しかし続けるうちに、誰かのビジョンが見つかることが、高木さん自身の希望にもなると気づきました。
しかも僕、仕事でこういろんなビジョンの原稿、文章とか書かせてもらうんですけど、それ見返すと半分俺が言いたかったことだよなって思ってるんです。
赤坂さんは、人のことはよく見えるのに自分のことは見えにくい点で、自分は高木さんと似ていると話します。ところが高木さんは「全然違うタイプ」だと返しました。
あなたは利他的無関心だねって言われるんで。
高木さんは妻からこう言われるほどで、社会のことは考えていても、目の前の人には関心がなく、才能にしか興味がないといいます。共感力があったら、会ったばかりの人の人生に踏み込めない、というのが高木さんの自己分析です。
細部に傷つける人こそ、大きな勝負を
高木さんは自分を、図々しくて大雑把だから切り込める人間だと言い、だからBtoCのサービスはつくれないと話します。一方の赤坂さんについては、まったく違う見方をしていました。
でも赤坂さんは今日話してて、過去のエピソードを一つ一つ取っても、むちゃむちゃディテールで景色で思い浮かんでて。で、それに対しいちいち傷ついてるし。
細部まで景色が浮かび、道を選ぶことの重さを知っているからこそ、赤坂さんは簡単に決められない。高木さんはそれを、インターフェースまで考え抜けるBtoCの作り手の資質だと評価しました。
BtoCの、まあ、素敵なお店を作るアプローチもあるけれども、その感性を持ちながらでっかい勝負張れる人の方が少ないんで。
高木さんは、赤坂さんが3部屋だけの素敵なホテルをつくれることはわかっていると言います。ただ、それをやる人は他にもいる。赤坂さんも、オンとオフで分けるという考え方は、自分の中で答えとして見えてきたと話しました。
高木さんは、Pairsのような体験を持つ人が日本にほとんどいないことにも触れます。人口の4人に1人ほどが使う規模のサービスを生んだ経験は、他の人が持ち得ない特権だといいます。
その経験を持って、違う業界とか産業とかより大きいインパクトでやるっていうことで、日本のスタートアップの桁感とか、ここまで変えられるんだってことを証明することの方が、なんか業界の恩返しになるような気しますけどね。
時代の波を待つ。ディスラプトが難しい時代に
赤坂さんは、自分の成功の背景にはスマートフォンとApp Storeの普及という大きな時代の変化があったと振り返ります。そして今、また別の変化が来ていると話しました。
高木さんは、グローバルプラットフォームが強くなり、AIも登場したことで、2010年代に比べてディスラプトはやりにくくなっていると見ています。それでも、日本には旧態依然とした仕組みが残っているといいます。
そのムカついた上司も多分まだ普通に生きてると思うんですよ。
赤坂さんは、高木さんが話した文化とマーケットの時差の話が、まさにこれだと受け止めます。最初からマーケットを変えようと入るのではなく、文化に紐づいて入ることになるからです。
うん。まあだからそこはサーフィンの波乗りのように待つしかない。
高木さんは、経済になってから入っては遅いと話します。若い頃は早く掘り当てて、何でもやる仲間が集まっていた。けれど、テーマが決まっていないと動けないこと自体が合理的な振る舞いで、狙っている最中は周りにうまく説明できないものだ、と付け加えました。
中景とビジョン。見えていないのに言うのがビジョン
赤坂さんは、自分はリアリティが強いのかもしれないと話します。理想を掲げた瞬間にそこからの逆算を考えてしまい、現実的なものになってしまうからです。
高木さんは、ユニクロの柳井さんの「世界一」や、サイバーエージェントの藤田さんの「21世紀を代表する会社」を例に挙げます。どちらも根拠なく決めて言い切り、やりきっているビジョンだという見方です。
逆算できるってことは近すぎるのかもしれないです。
見えてないのに言うっていうのがビジョン。
高木さんによれば、逆算できる目標は「中景」にすぎません。P/Lで計算できる世界しか信じてこなかったと気づいた赤坂さんは、初めて自分が中景で生きてきたと思ったといいます。
見えているから言える。P/Lなどで計算でき、逆算できる目標
見えていないのに言う旗印。実現方法は証明できず、結果でしか証明できない
嘘をつきたくない赤坂さんにとって、3年後に「違った」と言うのは避けたいことでした。それでもこの対話で、ビジョンが何のためにあるのかがわかった気がするといいます。
人のためでもあるけど、自分のため。
自分がブレなくここ目指すんだってやり続ける。でも証明はできないです。それは結果でしか証明できないんで。
テーマは巨大に、解き方はファッショナブルに
高木さんがたどり着いた提案は、テーマと解き方を分けることでした。テーマは、多くの人が構造的な課題を感じている大きな領域で選ぶ。解き方やスタンスは、自分らしく選ぶというものです。
赤坂さんは、最後の「ファッショナブル」や「チャーミング」が自分には大事なピースだと応じます。高木さんも、ただ速くするだけではだめで、「この回答だから美しい」と思える解き方が必要だと話しました。
赤坂さんは、テーマ選びは困っている人の数や規模の話で、解き方は誰がやっても十人十色だと整理しました。最初から両方を一緒に考えていたから、景色が見えなかったのだと気づいたといいます。
なんか分離できました。
赤坂さんは、この悩みを5年間誰にも相談せず、この日に初めて口にしたと明かしました。高木さんは、社員もぼんやり気づいているはずだと返し、「楽しみ」と送り出します。
収録後、赤坂さんは、普段は自分がファシリテーションする側なので、思考を分散させられて高木さんに委ねる体験は新鮮だったと話します。高木さんは、人が出来上がったロジックで綺麗に話してしまわないよう、意図的に話を分散させていると明かしました。
まとめ
エウレカを売却した赤坂優さんの悩みは、衝動の喪失と、受容が広がったことで合理に寄っていく経営でした。高木新平さんとの対話を通じて、赤坂さんは「合理は逃げかもしれない」と気づきます。そして、テーマと解き方を分け、見えていないのに言うビジョンを掲げる方向にたどり着きました。
- 赤坂さんの原点は、新卒時代にゴミ捨て場で泣いた悔しさと、「自分の会社なんだから自分で決めていい」という言葉だった
- 共感力が高まり盤面が見えすぎた結果、こだわりを出せず、判断が合理に寄っていった
- Pairsはディスラプト、ファッションは救いであり、事業の拡大と客の幸せが一致するかどうかが分かれ目になる
- 高木さんの提案は、お金で表現を支え、事業では巨大な構造的課題にファッショナブルな解き方で挑むこと
- 逆算できる目標は中景にすぎず、ビジョンは自分がブレないための「ホラ」であるべきだという







