男性中心の職場で「助けて」と言えない相談
この回のお便りは、ペンネーム・セタカさんから寄せられたものです。職場は自分以外全員男性で、力仕事もある環境だといいます。
会社全体で男女関係なく働ける職場を整えようとする流れの中、これまで女性が配属されてこなかった部署に配属されたそうです。
そこでセタカさんは「ここでは女性でも活躍できることを証明したい」と思っていました。ですが力仕事はかなり大変で、助けてもらいたいのに、自分のプライドで頼ることもできず、泣きそうになりながら働いているといいます。
その涙は、仕事が嫌だから流れるものではありません。「女性だからできないと決めつけられたくない」と思う一方で、女性だから力仕事はできないという現実を感じてしまったからだと綴られています。
同僚や上司も、あえてなのか「手伝おうか」とは言ってこない。周りからの期待と自分のプライドで押しつぶされそうだ、と相談は続きます。
男女問わず働くことができる環境を目指すことについて、自分の複雑な気持ちが整理できる本を教えてほしいです。
バタやんは、セタカさんがどんな仕事をしているのか思いを巡らせながら本を選んだと話します。
チョ・ナムジュ『彼女の名前は』とはどんな本か
今夜の「勝手に貸し出しカード」は、チョ・ナムジュ著、小山内園子・すんみ訳の『彼女の名前は』が選ばれました。
この本は、もともと新聞連載だったといいます。9歳から70代まで、著者が出会った60人以上の女性たちのインタビューをもとに、28編の小説として構成されています。
バタやんは、前回紹介した伊藤亜紗『体の居場所をつくる』もインタビューをもとにしていたと振り返ります。ただしあちらはドキュメンタリー形式で、生の声のリアリティが胸に迫るものでした。
一方でこちらは、小説というフィクションに昇華されている点が違います。しかもごく短いショートショートになっていて、ぐっと入り込みやすい作りだといいます。
登場するのは、職場の先輩からのセクハラを告発した女性、推し活の中で違和感を覚える女性、地下2階に住む女子学生の悩みなど。女性が生きていく上で当たり前のように直面する不公平な現実を、克明に描いています。
ただ、単なる男性対女性の対立軸では語られません。そうした構造を作ってしまった社会や、内面化されてきた価値観に抗っている点が、バタやんにはフェアでフラットに映ったといいます。
「女の人ってかわいそうだよね」とかっていう一方的な言い分ではないんですよね。
「私たちの頃はもっとひどかった」を手渡さないために
バタやんが最初に心を掴まれたのは、2編目の「ナリと私」だといいます。
主人公の「私」はテレビ局で働く放送作家で、おそらく40代。今はそこそこ安定した地位にあり、評価もされています。後輩のナリは2年目の放送作家で26歳。激務に追われ、現場でさまざまな理不尽に揉まれています。
「私」はナリをとても可愛がり、さっと助け船を出したり、困った局面をうまく立ち回って解決したりします。「これでタクシーで帰りなよ」とお金を握らせたり、「打ち上げに高いタイ料理でも食べに行こう」と言ったりする。けれど自分も忙しく、結局その打ち上げは実現しない。バタやんはそこをとてもリアルだと感じたそうです。
一方で「私」の心にはこんな気持ちも正直あります。もっとしっかり踏ん張ってよ、私はもっとひどい目に遭ったのだから、と。
そんな心情が描かれた作品の最後の部分に、バタやんは強く胸を打たれたといいます。
私たちの頃はもっとひどかったんだから。そんなことを言う先輩にはなるまいと心に誓った。でもそれだけでは足りない。
言ってはいけないことを言わない人で終わらず、言うべきことを言える人にならなければ。自分が今日飲み込んだ言葉、自分しか言ってあげられない言葉について考えている。
バタやんは、この本に関する対談での小説家オン・ユジュンさんの言葉が心に残ったと紹介します。「不幸のマウンティングを取っちゃいけないよね」という言い方です。
「そのぐらい我慢しなよ」という言葉は、次の人へ負のバトンを渡してしまう。『82年生まれ、キム・ジヨン』が女性たちの不合理や絶望を浮き彫りにしたとするなら、『彼女の名前は』は「次の人のために言うべきことは言おう」というたくましさを感じさせる作品だといいます。
愛嬌ポーズをやめさせたい──「彼女へ」に重なる自分
28編は全部を紹介できないほどですが、どれかには「これは私のことだ」と思わされるものがある、とバタやんは言います。もう一つ印象に残ったのが「彼女へ」という一篇でした。
主人公は、あるガールズグループの最年少メンバーを推す女性。CDを何枚も買い、特典イベントに行くほど夢中です。ところが韓国でよくある新曲のプロモーション、いわゆるカムバックで、彼女たちがバラエティや音楽番組に出まくることになります。
そこで求められるのが「愛嬌ポーズ」です。可愛い仕草にとどまらず、セクシーだったり恥ずかしかったりするポーズやダンスをさせられることがある、とバタやんは説明します。
指ハートや猫耳程度ならまだしも、見ていていたたまれないほど人権侵害ではないかと思うものもある。韓国国内でも不快に感じる人がいて減ってきたとこの本には書かれているものの、まだまだあるとバタやんは話します。
「彼女へ」の主人公は、推している最年少の子に対して「愛嬌ポーズをやんなくていいよ」と何とか本人に伝えようとします。本当にそれだけの物語なのに、すごくグッと来てしまったといいます。
「普通できるよね」というバーを次に引き継がない
バタやんが、この本をセタカさんに紹介したいと思った理由がここで語られます。
多くの作品の根底にあるのは、男性中心の社会や会社、労働が作ってきた「普通」だといいます。「普通こうするよね」「普通ここまでできるよね」という、明文化されていない暗黙の基準です。
はっきり言われたわけではないのに、みんなができていることができない。そこからつまはじきにされてしまう。そこに苦しむ女性たちを描いた作品が多く収められている、とバタやんは指摘します。
では、その普通を普通にこなせるようになることがベストなのか。自分が必死にクリアしてしまうと、その「普通」というバーは次の世代にそのまま引き継がれてしまうという葛藤があります。
これはセタカさんの「バリバリ働けた方がいいのだろうけれど、女性もバリバリ働けること自体がどうなのだろう」という葛藤とつながるのではないか、とバタやんは考えます。
バス運転士の矜持──「運転の達人」の神フレーズ
この中でも、セタカさんにぜひ読んで感想を聞きたいと選ばれたのが「運転の達人」という一篇です。
主人公は路線バスの女性運転手。かなりのベテランで、女性だからと同僚や乗客に馬鹿にされることはなくなりつつあります。そこへ足元のおぼつかないおじさんが乗ってきて、運賃が足りない。指摘したことでバスの中がひと悶着になります。
この後は意外な展開になるため、バタやんはあえて詳しく明かしません。ただ、最後の一節を「神フレーズ」として読み上げます。
毎日9時間無事故で運転する人。それが達人じゃなくて誰が達人よ。
今は同僚に馬鹿にされることはなくなったようだけれど、ここまで来るにはいろんなことがあったのだろうと想像させる小説だといいます。
冒頭には、まだ暗い早朝の車庫でバスの準備をする場面があります。他の運転手はタバコを吸いながら喋っている。仲間に入るために自分もタバコを吸い始めようかと思ったこともある、という描写です。
今はそこを通り過ぎ、タバコ部屋トークがなくても仲間として認められている。バタやんは、この部分に胸がキュッとなったと明かします。
ゴルフもタバコもしない──暗黙の「普通」を引き継がない意地
ここからバタやんは、自分の話をしたいわけではないと前置きしつつ、この場面が自分に重なったと語ります。
自分もタバコを吸わず、ゴルフもやらず、会社の人と飲みに行くこともあまり今はしていない。特に局長職のポジションになってからは「なんでゴルフやらないの?」といった言い方をされることもあったといいます。
実はゴルフができないわけではなく、仕事関係ではしないことにしている。理由は明確です。
タバコトークとかゴルフとか飲み会でのつながりで仕事の人間関係を円滑にするのを、もし自分がうまくやれちゃったとすると、また暗黙の普通を次の誰かに引き継いじゃうなって思うんですよね。
その「次」は男女も年齢も関係ない、とバタやんは言います。オフィシャルな仕事の時間はきっちりやるので、そこで見てほしいという姿勢です。
もちろん、それによる遠回りやビハインドはきっとあるだろうとも認めます。ですが、そんな意地の張り方は、セタカさんの「周りからの期待とプライドで押しつぶされそう」「助けてと言えない」という気持ちに重なるといいます。
体力や筋力の男女差は確実にあります。バタやん自身、土日は2日間しっかり休み、平日も仕事が終わったらなるべく早く帰り、家でご飯を作って本を少し読んで寝る。そうしないと、年を重ねるほど心と体の体力が持たなくなっていると話します。
「ナリと私」の放送作家の先輩のように、しんどくてもしんどいと言わず乗り越える時期はあるかもしれません。そういう強さが必要なときもある。けれど、無理なら無理ですと言える強さも、時に必要だといいます。
そうでないと、後輩たちがまた同じしんどさを乗り越え続けなければならなくなる。答えが出るテーマではないけれど、元気をもらえる本だと締めくくられました。
まとめ
この回は、男性中心の職場で「助けて」と言えないという相談に、チョ・ナムジュ『彼女の名前は』を通して答える回でした。自分が必死にクリアした「普通」を、そのまま次の人へ手渡さないこと。NOを言うことは弱音ではなく、次へのバトンになりうる、という視点が示されました。
- 相談は、男性ばかりの職場で活躍を期待され、プライドと体力の間で泣きそうになるというもの
- 『彼女の名前は』は、女性が直面する不公平を28編のショートショートに昇華した短編集
- 「私たちの頃はもっとひどかった」という不幸のマウンティングは、負のバトンを次へ渡してしまう
- 「運転の達人」やゴルフ・タバコの話に、暗黙の「普通」を次に引き継がない意地が重なる
- 無理なら無理と言える強さも、後輩に同じしんどさを繰り返させないために必要



