文庫リクエストのお便りと、今夜の一冊『清潔な結婚』
今夜のお便りは、ペンネーム愛子さんから届きました。移動中の読書を始めた愛子さんが、以前番組で紹介された山本文緒さんの『絶対泣かない』を読み、移動中には文庫本が合うと感じて、文庫のおすすめをいくつか知りたいというリクエストです。
バタやんは、山本文緒さんの『絶対泣かない』を紹介した回はとても反響があり、多く再生されたと振り返ります。
山本文緒さんの『絶対泣かない』はかなり短い短編集、ショートショートに近いような短編集になっているので、それも含めて読みやすかったかなと思いました。
この回で選ばれた「勝手に貸出カード」は、村田沙耶香さんの短編集『清潔な結婚』です。講談社文庫から出ており、既発表の短編に単行本未収録作を加えた4編が収められています。
薄い一冊で、村田沙耶香さんの小説の魅力をコンパクトに味わえるとバタやんは話します。名前は知っているけれど読んだことがない人にも、すでにファンで初期作を読み直したい人にも合う入門編的な位置づけです。
表題作「清潔な結婚」が描くクリーンブリードの世界
バタやんによれば、この回で村田沙耶香さんの本を番組で紹介するのは初めてかもしれないとのことです。好みとしてはとても好きな作家だと話します。
表題作「清潔な結婚」は、性別や性愛にとらわれず、仲のいい兄弟のような共同生活を送りたいと望む2人が婚活サイトで知り合って結婚する話です。
2人は、クリーンブリードという性愛を伴わない子作りに興味を持ち、病院を訪れます。バタやんは、これはまさに村田さんらしい設定だと述べます。
バタやんは、人工受精が主流になった世界観を描く他の村田作品とも通じ、ディストピアのようなユートピアのような世界観が短く凝縮された小説だと評します。
このクリーンブリードっていうネーミングが絶妙ですよね。不気味さ、無機質さの中にある、ありえそうであり得なそうな感じというか。
一番好きだった「変容」 怒りが時代遅れになった世界
バタやんが今回一番好きだったと挙げるのは、短編集の最初に置かれた「変容」です。一言で言うと、怒りが時代遅れになった世界を描いた作品だと紹介します。
主人公は真琴という女性です。病気の母親と家事のできない父親の世話を2年ほど続け、一段落した40歳で、再びファミレスでバイトを始めます。
店には理不尽ないちゃもんをつけたり激高したりする客がいます。ところが周りの若いバイトたちは、それに穏やかで丁寧に対応します。
真琴が「よくムッとしないね」と声をかけると、若いバイトは「ムッとするって何すか?」という反応を返します。ムッとするという感情そのものがピンと来ていない様子です。
別の場面では、客に嫌味を言われた女の子に「よくカッとならないね」と言うと、「カッとなるって?」「昔本とか教科書で読んだことあります」という返しが来ます。
つまり、ムッとする、カッとするという言葉を、今の若い世代は言葉としては知っていても、感情としては実感できなくなっているという設定です。バタやんは、この設定だけで天才的な小説だと驚きます。
共感できる設定に潜む、絶妙なジャンプ
バタやんは、この「変容」の設定が単なる荒唐無稽な話ではないと指摘します。介護や仕事のブランクを経て40代で若い頃と同じ仕事に戻ることは、現実にあり得るからです。
やること自体は変わらなくても、周りの若い世代と話が合わなかったり、世代ギャップを感じたりすることはあります。バタやんは、子育てや介護の時間は決してブランクではなく社会とつながる大事な時間だとしつつ、その間にキャッチアップできなかった領域があるとも話します。
その家族の時間を使ってた間、自分は全くキャッチアップできてなかったゾーンというものがあって、そこでちょっと浦島太郎状態になるっていうのは誰しも経験し得ることだと思ったんですよね。
そのうえでバタやんは、村田作品の魅力を、深い哲学論を突きつけるのではなく、共感できる設定の中にSF的なジャンプを混ぜるさじ加減にあると分析します。
設定としてはかなり共感できる、ありえそうな中で、ちょっとしたジャンプがあるというか、そのさじ加減、バランスがとても絶妙だなと思って、天才だなと思いました。
バタやんはこの本をバスの中で読み、久しぶりに外で本を読みながら笑ってしまったと言います。ゲラゲラではなく、息が漏れるような笑いだったそうで、お便りの愛子さんにも読む場所には気をつけてほしいと添えます。
「パブスピホームパー」と古い感情の手放し方
「変容」の主人公・真琴は、カスハラでムカムカする気持ちをバイト仲間の若者にも夫にも共有できません。夫まで「最近俺怒ってないな」「怒るってなんだっけ」という状態になっています。
同級生に相談すると、真琴は「パブリックネクストスピリットプライオリティホームパーティー」という謎の集まりに誘われます。バタやんはこの長い名前にまたニヤニヤしてしまったと話します。
この会、通称「パブスピホームパー」に行けば、今や時代遅れとなった古い感情を手放せると勧められます。会費はなんと6万円ほどするそうです。
6万円の会費になる前に、まあ一回は行ってみたいなと。「パブスピなんとか」経験してみたいなと思うタイプかもしれません。
真琴がこの後どうなるのかは、短い作品なので全部話してしまいかねないとして、バタやんは伏せています。
小説で笑わせることの難しさと、村田作品の妙
話題は、いま別に読んでいる韓国語翻訳家カン・バンファさんのエッセイ『ことばの波間で』に移ります。その中に「笑いが一番難しい」という話が出てきたそうです。
原文の笑える文章を、笑える訳で訳出するのはとても難しいのだと書かれていて、バタやんも確かにそうだろうと感じたと言います。
そもそも文章で笑わせること自体が難しいとバタやんは指摘します。映像やポッドキャストなら間や掛け合いのスピード感で笑わせられますが、文章は読む人次第でテンポも口調も変わるからです。
だからこそ、時々クスッと息を吐かせる場面がある村田沙耶香さんの小説はすごいと、バタやんはあらためて評します。
「なもむ」 名前がついて初めて共有される感情
この回で紹介する「変容」の神フレーズは、登場人物たちが「なもむ」という言葉を口にする場面です。「すごくなもむなあ」「わかる、なもむよね」と交わされます。
なんかすごくなもむなあ。わかる。なもむよね、彼女を見ていると。あんなに怒る人久しぶりに見たもんな。私もすごいなもむ。
「なもむ」がどういう意味かは、バタやんはあえて言わずにおきます。読んだ人の数だけ解釈があるかもしれないとし、村田作品全体を「なもむ」と言ってみたくなると話します。
ここからバタやんは真面目な話として、名前がついて初めて、その感情が認識されて共有されるということがあると語ります。最初は曖昧だった定義が、みんなが使ううちにピントが合っていくというのです。
例として、若い世代が使う「メロい」という言葉が挙がります。「あれはメロくて、これはメロくない」と議論する様子を聞くのは楽しいと言います。かっこいいやイケメンとも違う、その言葉ならではの感覚が生まれているからです。
言葉が消えると、感情も消えるのか
バタやんは、作中でバイトが「イラっとするって何すか?」と反応するように、いま使われている言葉も20年後には消えているかもしれないと想像します。「メロい」も同じ運命をたどるかもしれません。
言葉自体が今は使われないものになって言葉が消えると、同時にその感情、感覚自体も亡き者になるっていうのは、まああり得ることですよね。
一方でバタやんは、韓国ドラマやタイドラマ好きの立場から、ある言語にあって日本語にはない感情語の話へ広げます。訳されていても、その国の人が使う感覚とは違うかもしれないと言います。
例に挙がるのが、カン・バンファさんの本に出てくる韓国語の「シウォナダ」です。冷房が効いて涼しいときにも、熱い風呂に入るときや辛いものを食べたときにも使うそうです。
さらに、ずっとモヤモヤしていたことをぶちまけた後にも「シウォナダ」と言うそうです。バタやんは、すっきり、清々した、爽やかといった感覚が一語で結ばれること自体が面白いと感じます。
言葉を知ると、モヤモヤが解決したときや言い返せたときに「これがシウォナダか」と気づき、それを誰かと共有できるようになります。言葉で感情を定義することの面白さを、バタやんはそこに見ています。
ネガティブな言葉が結ぶ連帯と、清潔な世界への疑問
バタやんは、「ムッとした」「イラッとした」はネガティブな感情ではあるけれど、共有すると連帯が生まれる言葉だと指摘します。悪口で連帯するのと同じように、独特の言い回しで感情を共有すると結束が強まるというのです。
ネガティブな感情って、その独特な言い回しで共有するって、分断も生む一方で結束も強めるものですよね。
さらにバタやんは、怒るという感情を知っているからこそ、怒らせない気遣いも生まれると続けます。
村田さん流に言えば「清潔な世界」を目指してネガティブな言葉を排除するほど、人と人の仲はかえって悪くなるのではないか。バタやんはそんな問いを、この小説を読みながら考えたと語ります。
550円で買える「STORY IN POCKET」という企画
最後に、この文庫の企画についての紹介です。『清潔な結婚』は講談社文庫創刊55周年記念で、価格はなんと550円だとバタやんは伝えます。
これは「STORY IN POCKET」という企画もので、読みやすく気軽に読める短編集を中心に、550円という値段で月に2冊ほどのペースで刊行していくものです。
講談社文庫を代表する人気作家が短い小説を寄せており、4月にスタートしたラインナップには、この後、池井戸潤さん、宮部みゆきさん、辻村深月さんらが続く予定だと紹介されています。
バタやんは、文庫でいくつか紹介してほしいというリクエストに応えて、この55周年記念企画を店頭でチェックしてほしいと締めくくります。
まとめ
移動中に読める文庫として選ばれた村田沙耶香さんの『清潔な結婚』を入り口に、番組は「言葉が消えると感情も消えるのか」という問いへと静かに広がっていきました。共感できる設定にSF的なジャンプを混ぜる村田作品の妙と、感情に名前がつくことの意味が、やわらかい語り口で語られます。
- 今夜の一冊は村田沙耶香さんの短編集『清潔な結婚』(講談社文庫)。村田ワールドの入門編として選ばれた
- 一番好きだったのは「変容」。怒りが時代遅れになり、ムッとする・カッとするという感情が若い世代に通じない世界を描く
- 村田作品の魅力は、共感できる現実的な設定にSF的なジャンプを混ぜる絶妙なさじ加減にあるとバタやんは分析
- 名前がついて初めて感情は共有される。韓国語「シウォナダ」の例から、言葉が感情を定義する面白さが語られた
- ネガティブな言葉を排除するほど連帯や気遣いが失われるのでは、という問いが小説から浮かび上がる
- 『清潔な結婚』は講談社文庫55周年企画「STORY IN POCKET」の一冊で、550円で手軽に読める





