リスナーの一冊が開いた「脳の可動域」
この夜のきっかけは、ペンネーム・メグさんからのお便りでした。講談社選書メチエの藤川直也さん『誤解を招いたとしたら申し訳ない』を取り上げてほしいというリクエストです。
バタやんさんは、お題やテーマを指定してもらえるリクエストのありがたさを話します。知らない本なら新しく出会えて、読んだことのある本なら読み直すきっかけになるからです。
これを読んでみてください、これについて語ってくださいっていうパターンもとてもありがたいです。もし知らなかった本ならそこで知れるし、読んだことある本だったらもう一回読んでみようってなりますからね。
この本は自社の講談社から出ているにもかかわらず、バタやんさんは知らなかったといいます。メッセージをもらってすぐに買い、読んでみたそうです。
読後の感想は、脳の普段使っていない部分を刺激されたような感覚でした。
脳の中の普段使ってないスペースを刺激されて可動域が広がったみたいな、そんな感じがした本でした。ストレッチのような、筋トレのようなですかね。
「謝っているようで謝っていない」言葉の正体
『誤解を招いたとしたら申し訳ない』は、タイトルどおり「謝っているようで謝っていない言い回し」を掘り下げた本です。
「誤解を招いたとしたら」のほかに、「不快な思いをさせたとしたら」「差別的な意図はなかった」「そういうつもりじゃなかった」といった言い回しも取り上げられています。バタやんさんはこれらを謝罪もどきと呼びます。
著者の藤川直也さんは東京大学の准教授で、言語哲学を専門としています。バタやんさんは、言語哲学という学問分野があること自体を初めて知ったと話します。
この本はタイトルからいい意味で期待を裏切られた、とバタやんさんは言います。不誠実な謝り方を「ダメだ」と一刀両断する本だと思いきや、そうではなかったからです。
誤解や解釈の余地がまったくない言葉がよいかというと、そうではありません。言葉は誰が言ったか、どんな関係性や状況かによって意味や解釈が変わります。
意図したことと違う伝わり方をすることはあり、そこに言葉や意味の遊びがあります。それこそがコミュニケーションや人間関係の妙でもある、と本書は捉えています。
裁判で重ねられる「バナナはおやつに入りますか」
バタやんさんは、この本の面白さを「バナナはおやつに入りますか」という小学生の屁理屈にたとえます。「じゃあ何々はどうなんですか」「ダメな理由は何ですか」と食い下がる、あの感覚です。
この本を読むと、裁判沙汰になると、意外とその屁理屈のカードの重ね合いのような論争が起きていることがわかる、といいます。定義をめぐる応酬です。
例として、政治家が差別的・一方的な思想の投稿に「いいね」を押した件が紹介されます。本人はブックマークのためで、支持や共感の意図はなかったと主張しました。
前後の発言からすれば偏った思想や差別的な意図があったとも言えますが、本人が意図を認めていない場合、悪意を証明することは非常に難しい、とバタやんさんは指摘します。
この件がどんな判決になったかは本書に書かれており、一審と二審で裁判官の判断が違っていた点も含めて面白い、と話します。争点は「意図をどう定義するか」でした。
批判をかわす「イチジクの葉」の二つの効力
バタやんさんがこの本で一番「確かに」と思ったのが、「イチジクの葉」という言葉です。
たとえば「私には外国人の友達がいっぱいいるんですが」と前置きしてから、排外的・差別的な発言をする。こうした前振りをイチジクの葉と呼ぶそうです。
トランプ大統領の発言も例に挙げられます。「男尊女卑的に取られたら嫌なんだけど、家に帰ってご飯ができてないとイラッとする」という言い方です。
「男尊女卑的に受け取られたら嫌なんだけど」と前置きすることで、女性蔑視の人だとカテゴライズされる批判を先回りしてかわしながら意見を言う、というやり口です。
この前置きさえつけておけば、公然とひどいことを言っても責任や攻撃を回避できる、免罪符のような言葉だと本書は分析しています。
バタやんさんは、イチジクの葉には二つの効力があるといいます。ひとつは、批判を先にシャットアウトすることです。
もうひとつが、バタやんさんが特に「その通りだ」と感じた点で、批判を回避しながら内輪へメッセージを送れることです。
トランプ発言の裏には「食事ぐらい女が作っておけ」という本音があり、口には出さないけれど同感する層に「そうだよね」と連帯を生み出せます。
最近はセクハラや女性差別だと言われて本音が言いづらい、という空気を共有し、大っぴらには言わない中間層を「言ってくれてありがとう」と引き込む。非常に作為、悪意に満ちた前置きだと、バタやんさんは受け止めます。
前置きを置く
「差別のつもりはないが」と先に言う
効力1
批判を先回りしてシャットアウトする
効力2
本音に同感する内輪へ連帯のメッセージを送る
ただ、これは政治家や経営者に限った話ではない、とバタやんさんは自分を振り返ります。
「ダメっていうわけじゃないけど、職場で何々するのってどうかな」「最近の若い人が何々なのってどうかな」といった言い方をすることはある、と認めます。
自分は古い価値観ではない寛容なタイプだと前置きしつつ、一言物申したい欲求と「あなたもそう思うでしょ」という共感を求める気持ちが、うっすらあるからです。
責任を相手に転嫁する「条件付き謝罪」
タイトルに戻り、「誤解を招いたとしたら申し訳ない」という謝り方を、本書では条件付き謝罪と表現しています。
「何々だったとしたら謝ります」という言い方は、その「何々だったかどうか」の判断を相手に委ねています。誤解した、不快に思った方が悪い、という責任転嫁になっている、というわけです。
これも自分に心当たりがある、とバタやんさんは言います。上司が部下に「邪魔してたら悪いんだけど」「二度手間だったら申し訳ないんだけど、この資料を直してほしい」と頼むような場面です。
本書は「邪魔をしていたら申し訳ない」と「邪魔をして申し訳ない」はまったく違う、と指摘します。
邪魔をして申し訳ないは、今あなたの邪魔をしているよってことを認めて、ごめんなさいしてすでに謝っているけど、邪魔をしてたら申し訳ないは邪魔してるってことは認めてないってことなんですよね。
手間をかけた事実を認めず、判断を相手に委ねる
手間をかけたことを認めたうえで謝る
だから資料の修正を頼むなら、「手間をかけたとしたら」ではなく「手間をかけて申し訳ない」とはっきり認めて謝る方がいい、とバタやんさんは考えます。
神フレーズ「今の発言は聞かなかったことにします」
この夜の神フレーズは、本書の一節から紹介されます。「Aはどうしようもないクズだ」という主張に対する、二つの聞き手のリアクションの比較です。
ひとつは「いや、そんなことはない。いい人だよ」。もうひとつは「今の発言は聞かなかったことにします」です。
「Aさんはどうしようもないクズだ」と言ったのが同僚のBさんだとします。それに聞き手のCさんが「そんなことないよ、いい人だよ」と否定した場合を考えます。
この否定は、BさんがAさんを評価してよいこと自体を認め、Cさん自身もその評価に加わっていることになります。
一方で「今の発言は聞かなかったことにします」と言うと、BさんがAさんをとやかく言うこと、その場でその発言をすること自体を認めない、という意味になります。
その結果、BさんにもCさんにも発言の責任が生じません。バタやんさんは、発言の責任は受け手がいることで初めて生まれる点が重要だといいます。
発言には責任と権利がセットになっていて、聞き手がそれを与えている、という捉え方です。「言質を取る」とは、発言に責任が生じることを聞いた側が提起することにあたります。
「聞かなかったことにします」という返しは、その発言をする権利自体を認めず、受け取らないという、かなり強い抹消、デリートな言葉だとバタやんさんは表現します。
不快な会話を断ち切る「言葉の護身術」
バタやんさんは、この神フレーズを飲みの場面に置き換えて考えます。その場にいない誰かの悪口や、セクハラ的で卑猥な冗談が出たときです。
一緒になって言いはしないけれど、その場では笑ってしまう、「やだー」と流してしまう。そうやって場を壊さないでいると、その発言をすること自体は認めてしまっている、といいます。
かといって「そんなことないですよ、いいところもあります」と言い返せば、言い合いになるかは別として、その人がいない場で評価すること自体は良しとしたことになります。
だからこそ「聞かなかったことにします」は、その場でその会話を持ち出すこと自体を否定できる強いカードだ、とバタやんさんは受け止めます。
職場や飲み会、立ち話でゴシップやセクハラ的な話になったとき、自分の身を守る護身術として、どこかで使ってみようと思ったと話します。
ただし言葉が強いので、実際には「聞かなかったことにしますね」と少しやわらげて使うくらいかもしれない、とも言い添えます。
そもそもそんな場面に出くわさないのが一番だとしつつ、「この人は乗ってこないな」と思わせることが繰り返されれば、そういう会話に巻き込まれにくくなる気もする、と続けます。
話は条件付き謝罪という本題からは逸れたものの、この本は言葉遣いによってコミュニケーションを主体的にデザインしていくことを深く考えるきっかけになった、と締めくくります。
まとめ
言語哲学者・藤川直也さんの『誤解を招いたとしたら申し訳ない』を手がかりに、謝っていない謝罪や差別的な前置き、そして不快な会話を断ち切る言葉を読み解いた回でした。
- 「誤解を招いたとしたら」は、判断を相手に委ね責任を転嫁する条件付き謝罪だと分析される
- 「差別のつもりはないが」という前置き=イチジクの葉は、批判をかわしつつ内輪に連帯を送る二つの効力を持つ
- 「手間をかけたとしたら」ではなく「手間をかけて申し訳ない」と、事実を認めて謝る方が誠実になる
- 「今の発言は聞かなかったことにします」は、発言の権利ごと無効化する強い切り札になる
- 不快な会話を無効化する言葉は、コミュニケーションを主体的にデザインする護身術になり得る




