売却、MBO、上場、統合、TOB。30年で何が起きた?
宇佐美進典さんは現在、2025年5月に立ち上げたVoyage Capitalというファンド会社で、ファンドの組成を準備しています。宇佐美さん自身は、この会社を「PEっぽいファンド」と表現しています。
宇佐美さんのキャリアは、1996年に大学を卒業してコンサルティング会社に入ったところから始まります。約2年間、システムコンサルティングや業務改善のコンサルティングに携わったあと、3〜4人のベンチャーに転職しました。
1999年に最初の起業をしますが、うまくいきませんでした。その後、友人と2度目の起業をして立ち上げたのが、現在のCARTA HOLDINGSにつながるドットコムベンチャーのaxiv.comです。
ホストが驚いたのは、サイバーエージェントに入ったときもMBOしたときも、会社の「箱」が同じだった点です。宇佐美さんによると、サイバーエージェントの中でMBOという形をとったのは、初めてかもしれないといいます。
当時のサイバーエージェントは、2000年から2004〜2005年ごろにかけて10社近くをM&Aしていました。axiv.comはそのうちの1社でした。
ホストが30年を振り返った感想を尋ねると、宇佐美さんは上場の光と影の両方を挙げました。
この上場したからこそ、やっぱやれたこともたくさんあったし、できたことっていうのもあったけど、
一方で、そういったこと(上場)を前提として経営してきたからこそ、やれなかったこととか、やりにくかったことっていうのもやっぱり同時にあったなと思っていて。
宇佐美さんによると、axiv.comは最初から上場を前提として資金調達や仲間集めをしてきました。Voyage Capitalは、会社そのものが上場することを前提にしません。そのうえで、エクイティとデットの両方を使えば、今ならもっとうまくやれるという考えがあるといいます。
永久保有で上場も求めない。Voyage Capitalは何が違う?
Voyage Capitalには、通常のVCやPEファンド ── 未上場企業の株式を大きな比率で取得し、経営に関与して企業価値を高めたあと、売却や上場で回収するファンドと異なる特徴が2つあると宇佐美さんは話します。
1つ目は、永久保有を原則とすることです。一般的なファンドは8年や10年の期限の中で投資し、最後に上場や売却でエグジットします。Voyage Capitalも形式上は20年ほどの期限を設けるものの、実質的には期限なく持ち続ける設計にするといいます。
2つ目は、投資先に上場を求めないことです。上場しないのであれば、利益が出るようになった段階で配当を出してもらう、という関係を想定しています。
投資先に対して必ず上場してくださいというふうに言うのではなくて、上場しなくてもいいですよと。
上場しないんだったら、ちゃんと利益出るようになったら、それは配当出してくださいねっていう形でやっていく。
投資領域は、結果的に宇佐美さんが価値を出せる、これまで経験してきた分野の周辺が多くなりそうだといいます。一方で、事業承継型の案件にはあまり興味がないとも話しています。
では、なぜVCではなくPEと呼ぶのか。宇佐美さんは、多くの会社にマイノリティで薄く投資するのがVCだとすれば、1社ごとにマジョリティかそれに近いシェアを持って深く投資するスタイルをPEと呼んでいるのだと説明します。
多くの会社に広く薄く、マイノリティで投資する。8〜10年の期限内に上場や売却でエグジットする
少数の会社に狭く深く、マジョリティかそれに近いシェアで投資する。永久保有が原則で、上場しなければ配当を求める
資金の集め方にも特徴があります。外部の事業会社や金融機関から資金を集めると、20年という期限や持ち続けるという設計が難しくなるため、宇佐美さん自身と、知り合いの経営者や個人を中心にするといいます。
以前番組に出演したミダスのように、投資先の経営陣にもLPとして入ってもらう形も考えています。ただしミダスは投資先の上場を通じてグループの時価総額を高める方針で、上場を求めないVoyage Capitalとはスタンスが違うと宇佐美さんは話します。
最初のファンド規模は約10億円を想定しています。そのうち7〜8割は宇佐美さん自身が出すといいます。
LBO7割、エクイティ2割、ゼロイチ1割の設計とは?
ホストは、10億円という規模はスタートアップのアーリー投資にも、成熟した会社のテコ入れにも見えると問いかけます。宇佐美さんが示したのは、3つの投資スタイルを組み合わせる設計でした。
| 比率 | スタイル | 対象 |
|---|---|---|
| 約7割 | LBOでレバレッジを使う投資 | EBITDAが1億〜5億円弱の会社 |
| 約2割 | エクイティだけの投資 | 数名〜10名規模で、VCもあまり入っていない会社 |
| 約1割 | 自分たちで新事業をつくる | ゼロイチの新規事業 |
7割を占めるLBO ── 買収先の資産や将来のキャッシュフローを担保に借入れを行い、少ない自己資金で企業を買収する手法では、EBITDA ── 利払い前・税引き前・減価償却前の利益。企業が本業で生むキャッシュの目安としてM&Aの評価でよく使われますが1億から5億円弱の会社を対象にします。デットを使うと銀行交渉などでスピードが落ちるため、小さな会社にはエクイティだけで素早く投資するという切り分けです。
宇佐美さんは、ストラクチャーはPEファンド的でも、投資スタイルや事業づくりはかなり事業会社に近いものになると話しています。
ホストはさらに、PEとVCが互いに近づいている業界の動きについて尋ねます。宇佐美さんの見方では、PEがVCに寄っているというより、大型案件中心だったPEがミッド、スモール、マイクロキャップへと対象を広げ、SaaSのような会社も扱うようになったのだといいます。
一方でVCは、LPから見たリターンのばらつきが大きい業態です。PE的なレバレッジを取り入れたほうがリターンを出しやすいことが見えてきて、VC側がPEの要素を混ぜる方法を模索しているのが今だ、と宇佐美さんは見ています。
生き残れないっていうよりも、LPからなかなか選んでもらえないというか、アセットクラスとしてというふうにちょっとなってる傾向はあるんじゃないかなと思うね。
ただし宇佐美さんは、日本のVCが「やばい」とは考えていません。独立系VCが出てきてからまだ24〜25年ほどの新しい業態で、進化の途上にあると話しています。
配当を再投資し、NAVで値付けする。20年後はどうなる?
Voyage Capitalは投資先から配当を受け取ることを想定しています。ただ、宇佐美さんは配当をそのままLPに返しても額は知れていると考えています。
この配当をさらに再投資できるような、この形にしていこうというふうに思ってるのね。
通常のファンドは1号、2号、3号とファンドを重ねて規模と管理報酬を大きくしていきます。Voyage Capitalはそうではなく、配当を再投資に回し、1つのファンドの中で投資を増やしていく設計です。
では、ファンドの途中から入るLPはどう扱うのか。宇佐美さんは、投資先の企業価値を合算したNAV ── 純資産価値。ファンドでは、保有資産の価値を合計して1口あたりの基準価額を計算する際の基準になりますをもとに、1口あたりの基準価額を常に計算するといいます。
LPには分配をしない代わりに、NAVの基準価額をもとにLP同士が持ち分を売買できるようにし、ファンドが持ち分を買い取る仕組みもつくろうとしているといいます。
20年の満期が来たらどうするのかという問いに、宇佐美さんは「伸ばすかな」と答えます。自身の寿命の問題もあり、いろいろと仕込んでおくつもりだと話しました。
例えば株式会社にこの期限ありますか?って言われたらないじゃないですか。
例えばバークシャー・ハサウェイは20年後に解散しますかって、解散しない。多分同じで、今回僕らがやろうとしてることって。
一方で、ファンドには出資者を49人までしか入れられないといった制約もあります。資金を長期間引き出せないため、考え方に共感し、資金に余裕がある人でなければ難しいと宇佐美さんは話しています。
最初の投資先サポーターズと、事業を切り出す基準
Voyage Capitalの社名は決まっていますが、投資領域はまだ固めていません。最初の案件になったのは、CARTA HOLDINGSにあった新卒エンジニアの採用支援事業、サポーターズでした。
宇佐美さんがCARTAの代表を退任した際、NTTドコモ側から、デジタルマーケティング以外の事業の1つとしてサポーターズを買い取らないかという話があったといいます。宇佐美さんは2025年4月、個人の会社でサポーターズをLBOで買収しました。
宇佐美さんによると、コンピューターサイエンスを専攻する学生の3分の1ほどがサポーターズを使っているのではないかといいます。ファンドができればファンド側に移し、周辺でロールアップも考えやすいと話しています。
10億円規模のファンドでは、2%の管理報酬で、ソーシングからバリューアップまでをこなすチームを採用するのは難しいといいます。そのため宇佐美さんは、バリューアップを担える会社に先に投資したいと考えています。
(EBITDAで1〜5億円の会社は)大体規模的には数人から大体多分100人ぐらいの会社。そうすると、この大体バックオフィスが結構弱い会社が多いなと思っていて。
組みたい相手についても、宇佐美さんははっきりしています。株を売って別の挑戦に移りたい経営者より、資本構成などの事情でやりにくさを抱えながら、もっとお客さんやユーザーに向き合いたいと考えている経営者と組みたいといいます。
VCから出資を受けたものの、事業モデルがVC向きではなかった会社の株をセカンダリで買うことも、あり得ると話しています。
上場企業からカーブアウト ── 企業が事業の一部を切り出し、別会社として独立させたり外部に売却したりすることされる事業も対象です。宇佐美さんは、本業にリソースを集中する会社では、良い人材や投資がコア事業に寄せられ、それ以外の事業は伸ばしきれない状況になりやすいと説明します。
そういう事業っていうのは逆に、もっと投資しようと思ってる人であったり、投資できる体制にした方が、そこで働いてる人たちもこう、まあハッピーだし。
当面はソロに近い状態でのスタートですが、一人でやりたいわけではないといいます。規模を急ぐと歪みが出るため、誰と一緒にやるかにこだわりたいと話しています。
黒字化した途端に3社から買収オファー。なぜサイバーを選んだ?
宇佐美さんの会社は2001年9月にサイバーエージェントグループに入りました。当時のサイバーエージェントは上場時に時価総額1000億円ほどで、200億円ほどを調達しており、新規事業も買収も進めるフェーズでした。
接点は、共同創業者の友人でした。この友人はサイバーエージェントに新卒入社し、2〜3カ月で辞めたものの、社内の人とは仲が良かったといいます。
2001年5月ごろ、会社を作って2年ほどで単月黒字になった直後、1カ月のうちに3社から個別に買収のオファーが届きます。今のようなM&A仲介会社があったわけではありません。
ようやく黒字になったぞと思ってたら、3社からこれ1カ月の中でこのオファーがポンポンポンとこうそれぞれ個別に来て。
オファーを出したのは、東北に野球球団を持つ「R社」、外資系企業、日本最大のポータルサイトを運営する「Y社」の3社でした。当時の事業は、メルマガ登録でデジカメが当たるといった懸賞情報を集めたポータルサイトで、広告でマネタイズしていました。
英語が話せないため外資系は早々に断り、EC企業はカルチャーが合わないように見えたといいます。業務提携していたYahoo!とは、当時の井上社長とも話し、Yahoo!の中の懸賞サービスとして展開する方向で最後のハンコまで進みました。
最後の最後で本当に、あ、でもこれでいいんだっけ?みたいな。この完全(に)会社が吸収合併される感じ。
自分たちがこの作ってきたこの会社というか、組織も含めて、これを残した上で、やっぱこの会社は上場するっていう風にやっぱしていきたいなっていう思いがやっぱり。
そこで共同創業者の友人が「藤田さんに話してくるよ」と動きます。サイバーエージェント側で対応したのは、当時社長室長で現セレス社長の高木さんでした。サイバーエージェントであれば会社を残したままグループに入り、業績が良くなれば上場してもよい、という条件でグループ入りが決まりました。
ドメイン好きの原体験。孫泰蔵さんとの出会いと我究館
懸賞サイトは、axiv.comが手がけていた複数の事業の1つでした。宇佐美さんはドメインが好きで、季節に合わせたキャンペーンサイトを運営していたといいます。
僕は結構ドメインが好きで。
いろんなドメインを持ってたの。例えばあのクリスマス(.ne.jp)とか。
七五三、サマー、ウインターといったドメインのほか、結局使わなかった「ワールドカップ.ne.jp」も持っていたそうです。ガラケーの公式サイトで、懸賞や着メロ、着うたのサービスも事業として運営していました。
インターネットとの出会いは大学時代です。Windows 95やネットスケープが登場し、周りにはホームページ制作代行の学生ベンチャーが何社かあったといいます。
就職活動で知り合ったコンサル志望の仲間とお茶をしていたとき、友達の友達として孫泰蔵さんが現れました。1995年ごろの話です。
宋(孫)さんの弟さんの泰蔵くんが来て、「いや、今ちょっとジェリー(・ヤン)に会ってきたよ」みたいな。
Yahoo! JAPAN立ち上げる(ために)サーファーを集めて、今Yahooのディレクトリ作ってるんだみたいなっていう話を聞いたりもして、うわ、同世代にね、そんな人がいるんだみたいな。
社会人1〜2年目には、『絶対内定』の著者・杉村太郎さんが運営していた我究館 ── 杉村太郎さんが設立した、自己分析やキャリア設計を支援する就職・キャリア支援スクールが始めた「インターネット我究館」を、ボランティアに近い形で手伝いました。コンサル会社の同期に誘われたのがきっかけです。
中身は会員制の掲示板で、学生の自己PRを添削するものでした。それでも5万〜10万円を払う学生がいて、宇佐美さんはインターネットがビジネスになると実感したといいます。
こんなのにお金払う人(がいて)、インターネット(は)ビジネスになるんだみたいな。
19歳で学生結婚。なぜ起業するしかないと考えた?
新卒でコンサルティング会社に入った理由を聞かれた宇佐美さんは、「話すと長い」と前置きして、大学1年生での学生結婚を打ち明けます。一浪していたため19歳でした。
1年生の終わりぐらいの時にもう子供生まれてたんで、もう普通の会社にそもそもね、もう入れないな、就職できないなというふうに思っていて。
普通の会社に入れないんだったらどうしようみたいなっていう時に、じゃあもう自分で起業するしかないかというふうに思うようになって。
とはいえ、自分に何ができるのか、何をしたいのかもわからない状態でした。会社経営がわかりそうだという理由で、コンサルティング会社を選んだといいます。宇佐美さん自身、「すごい浅い感じ」と振り返っています。
学生時代の生活は、結果として双方の両親に認めてもらい、支援も受けていました。
宇佐美さんの地元は愛知県です。生まれは相模原ですが、2〜3歳で三河地方の三好に移りました。尾張と三河の境の境川に近い三河側で、名古屋市と豊田市の中間にある新興のベッドタウンだったといいます。
小学校は地元の学校で、中学から名古屋の私立・東海中学に進みました。中高一貫の男子校で、今は医学部への進学者がとても多い学校だと宇佐美さんは話します。
地元では勉強ができる子でしたが、小学6年生で河合塾に通い始めると下のクラスに入れられ、井の中の蛙だったと気づいたそうです。両親は、本についてだけは読みたいものを何でも読ませてくれたといいます。
東海高校のA群・B群。B群から早稲田へ
東海高校では、高校2年生から成績順に「A群」と「B群」に分かれます。宇佐美さんによると、1学年約550人のうち216番以内がA群、217番以降がB群で、校舎まで分かれていたといいます。
B群はB群で、このみんな小学校の頃、神童と言われてるような、このプライドだけ高い人たちがやっぱり多い中で、
A群はね、勉強しかできないけど、俺らは勉強(以外)もなんかやるんだみたいな、そういう。
宇佐美さんは高2も高3もB群で、ずっとB群の仲間と過ごしました。A群の7〜8割は現役で進学する一方、B群は9割ほどが浪人したといいます。プライドが高く、良い大学しか受けないからだそうです。
成績上位216番以内。真面目で、7〜8割が現役で進学する
217番以降。勉強以外にもアイデンティティを求め、9割ほどが浪人する。起業する人は結果的にB群のほうが多い
宇佐美さんは一浪して早稲田大学商学部に進みました。受かった大学の中で一番偏差値が高かったのが早稲田だったといいます。
そこ(名古屋)にいたら、ある意味なんだ、コンフォートゾーンだなとも思ったから、やっぱちょっとそうじゃないところに行ってみたいなっていうのがあったから、
中高ではサッカー部でしたが、高校では近くの女子高の生徒と仲良くなるほうに熱心だったと笑います。起業する人は、結果的にB群のほうが多いそうです。
子育てと大学の両立、そしてトーマツで学んだこと
結婚相手は、予備校時代に名古屋で付き合い始めた女性でした。妊娠は大学に入ってからで、宇佐美さんが同期で一番早く結婚したといいます。
夫婦ともに休学せず、東京で子育てをしながら大学に通いました。宇佐美さんによると、両立を助けたのは、1990年代の早稲田に残っていた学生運動でした。
テスト期間中にこのテストが受けられないっていうのが結構あったわけ。
そうすると、あのテストじゃなくて全部レポート。
宇佐美さんの記憶では、4年間の試験の半分ほどがレポートだったといいます。同世代には電脳隊の川邊さんや堀江さんのように、学生時代から目立つ人たちがいました。宇佐美さんはそれを横目で見ながら、子育てと単位取得に追われていたと振り返ります。
新卒で入ったのはトーマツコンサルティング(現在のデロイト トーマツ)です。経営や戦略に携われると思っていましたが、「体力がありそうだから」とシステムコンサルティングの部署に配属されました。
システムコンサルティングとかやっても、なんか全然起業に結びつかないなというふうに思ってたら、
でもやっぱりインターネットってシステムじゃない、サービスを作る上で、後々そこでやった、システムの設計の考え方とか、そういうのが実はすごい役に立ったりとか。
文系採用ながら、新人研修では同期6〜7人でVisual Basicを使って在庫管理システムを作ったといいます。トーマツには2年間在籍しました。
「それを考えるのは君の仕事だ」。XMLとIPA助成金1億円
トーマツを出た宇佐美さんは、3〜4人のソフトウェアベンチャーに営業本部長として転職しました。Adobeのアクロバットに近い、プリンタードライバー経由でファイルを生成し、それを閲覧するビューアを開発する会社でした。
伊藤忠など大企業が出資する合弁で、友人の紹介だけで、社長と話さないまま入社を決めたといいます。
それ誰が使うんですか?って聞いたら、いや、それを考えるのは君の仕事だみたいなっていう風に言われて。これか、ベンチャーかみたいな。
宇佐美さんはパッケージを作り、ソフトバンクに流通口座を開き、家電量販店に営業をかけました。インターネットでキャンペーンも試しましたが、ソフトは売れませんでした。
1998年ごろ、ラスベガスのCOMDEXという展示会を訪れると、インターネット企業が何社も出展していました。宇佐美さんはそこで、これからはインターネットだと感じたといいます。
宇佐美さんは会社のプロダクトに関わるXML ── テキストをタグで挟んでデータとして扱えるようにする記述規格。1990年代後半に登場し、データ交換の基盤として注目されましたに注目し、事例を調べるうちに、AmazonがXMLを使った検索エンジンのJungleeを買収した記事を見つけます。論文も読み、日本でも似たものが作れそうだと考えました。
当時のIPA ── 情報処理推進機構。宇佐美さんは当時の名称を情報処理振興協会と説明していますにはベンチャー支援の助成金があり、申請すると1億円の助成が決まりました。エクイティを出さずに得た資金です。
構想
XMLを使った求人検索エンジンを企画する。今でいうIndeedのようなサービス
資金
IPAから1億円の助成金を得て起業する
体制
開発者がいないため、知り合いの会社とコンソーシアムを組む
対立
1億円の分配と権利の持ち方をめぐって各社の思惑がぶつかる
結果
報告書の納品までは行ったが、サービスはリリースできなかった
これはもう自分の本当に力不足で、どうやってサービスを作るかっていうところと、どうやってサービスを運営するかっていうところのやり方もよくわからない。
この経験で自分の限界を感じた宇佐美さんは、コンサルのような形でいくつかの会社を手伝い始めます。その1つが、のちに共同創業者となる友人からの依頼でした。
ネットエイジからのスピンアウトとビットバレー誕生の飲み会
その友人は学生時代にネットエイジで働き、サイバーエージェントに入ってすぐネットエイジに戻っていました。二人でネット上のマーケティングやプロモーション関連のサービスを作ろうと始めたのが、ネットエイジ内のプロジェクトです。
ネットエイジでやってたプロジェクトを、じゃあこれスピンアウトさせて、じゃあ事業化しようって言って作ったのがactive.com(axiv.com)だったわけ。
ここからの話は、書き起こしの話者表記が乱れています。記事では、内容から宇佐美さんの説明と読み取れる部分を地の文で整理します。
宇佐美さんが共同創業者の小関さんと出会ったのは、1999年5月ごろに渋谷で開かれた飲み会でした。まだビットバレー ── 1999年ごろ、渋谷周辺に集まったネットベンチャー群の呼称。渋谷を「ビター・バレー」と英訳したことに由来しますという名前もない時期に、渋谷界隈でネット事業を営む30〜40人が大衆居酒屋に集まりました。
宇佐美さんは当時「XML通信」というメルマガを書いており、それを読んだ松山さん(現EV)から誘われたそうです。会場には、ネットエイジの西川さん、ネットイヤーの小池さん、アイスタイルの吉松さん、DeNA創業者の川田さん、加藤さんらがいたといいます。
飲み会のあと、みんなで歯医者の上にあったネットエイジのオフィスを見に行き、宇佐美さんは「これがガレージベンチャーか」と衝撃を受けたと語っています。
この飲み会で、渋谷にビットバレーという名前を付けようと盛り上がったといいます。その後「ビットな飲み会」という定例会が生まれ、クラブを貸し切ったイベントや、孫正義さんが登場したベルファーレのイベントへとつながっていきました。
MyIDが懸賞サービスになったのはなぜ?
axiv.comの創業時には、明確な事業アイデアがありませんでした。1999年ごろにAmazonがアソシエイトプログラムを始め、米国でアフィリエイトやポイント関連のサービスが伸びていたため、先行事例を調べるところから始めたといいます。
小関さんはGoogleやFacebookのログインのような「ユニバーサルID」を、宇佐美さんはアフィリエイトASPを作りたいと考え、当初は二人が別々のサービスを立ち上げようとしていました。
社外取締役だったネットエイジの西川さんから「立ち上げ時に2つ別々のサービスをやるとはどういうことだ」と言われ、1つに絞ることになります。国内ではバリューコマースがアフィリエイトASPを先に始めていたため、プロトタイプもあったユニバーサルIDを選びました。サービス名は「MyID」です。
ところが、使う目的がないIDサービスはなかなか広がりませんでした。当時はパソコンを買っても、ブラウザでやることがほとんどない時代だったといいます。
1つのIDでさまざまなサービスを使えるユニバーサルID。便利だが、使う目的がなく広がらない
懸賞キャンペーンに、名前やメールアドレスを入力せずに簡単に応募できるサービス。2004〜2005年ごろまで続き、結果として伸びた
会社設立は1999年10月、単月黒字は2001年6月、サイバーエージェントのグループ入りは2001年9月でした。創業から約2年です。
最初に出資したのは、JAFCOを退職して独立したばかりの赤浦さんでした。現在のインキュベートファンドの前身となる会社の、おそらく最初の投資先だったといいます。
潜在株でいつでも連結から外れられた?共同創業者との別れ
サイバーエージェントのグループ入りには、特殊な資本構成がありました。宇佐美さんの説明では、潜在株 ── 新株予約権やワラントなど、行使されると新たに発行される株式。行使されると既存株主の持ち分は薄まりますが顕在株とほぼ同じ数だけあったといいます。
顕在株だけを見ればサイバーエージェントが80〜90%を持つ連結子会社でした。しかし、経営陣が持つワラントを行使すれば、いつでも連結から外れられる状態だったそうです。潜在株の6割ほどは小関さんが持ち、行使条件もなかったといいます。
宇佐美さんは、今なら成立しないM&Aだろうと話しています。サイバーエージェント側には、連結を取りたいことと、代理店事業の中でメディアを強化したい狙いがあったのではないかと振り返りました。
2002年、宇佐美さんと小関さんの間に「音楽性の違い」が生まれ、どちらかが残るほうがよいという話になりました。小関さんが会社を出て、宇佐美さんが社長になります。
宇佐美さんは小関さんのワラントを買い取るつもりでしたが、サイバーエージェントに売りたいという話になりました。その結果、ワラントを行使してもサイバーエージェントが過半を持つ構造になったといいます。
業績が良くなるほど、サイバーエージェントから離れての上場は難しくなりました。宇佐美さんは藤田晋さんに会うたびに上場の話をしましたが、藤田さんは呆れながら「無理よ」と答えたそうです。
2004〜2005年ごろ、宇佐美さんは上場の話をやめ、目の前の事業に集中すると藤田さんに伝えました。すると藤田さんから、サイバーエージェントの役員をやらないかと声がかかります。
宇佐美さんは一度断りましたが、半年後に再び誘われ、なぜサイバーエージェントはこれほど伸びているのかを中から見てみたいと考えて引き受けました。30歳ごろのことです。藤田さんは宇佐美さんの1歳下だといいます。
技術部門の内製化と、MBOを選んだ理由
サイバーエージェントの役員として、宇佐美さんは当初メディア部門の副統括を務め、自分の会社と、担当が決まっていなかったメディア事業をいくつか見ていました。
その後、サイバーエージェントは技術力の強化を課題にします。藤田さんと親しかった堀江さんのライブドアは技術が強いと見られていましたが、サイバーエージェントにはCTOがおらず、営業の会社と見られていたためです。役員の中で誰が技術部門を担うかという話になったとき、みんなが宇佐美さんを見たといいます。
2007年ごろから技術部門担当役員となり、採用、開発スタイル、育成の仕組みに加えて、外注していた主要サービスの開発を内製に切り替えました。最初の起業で開発を外部に任せて失敗した経験から、axiv.comではエンジニアを社内に置いていたことが下地になったといいます。
本業では、懸賞サイトのMyIDに似たサービスが増え、差別化が難しくなっていました。最初の起業で分野特化型の検索エンジンの良さを知っていた宇佐美さんは、2004年ごろ、MyIDをショッピング特化の検索エンジン「ECナビ」に切り替えます。
5年間役員を務めるうちに、アメーバやゲームなどサイバーエージェント本体の事業が伸び、自分の会社の比重は相対的に下がっていきました。2年ごとに役員2名を入れ替える「CA8」の制度のタイミングもあり、宇佐美さんは自分が作った会社に集中するため役員を退任しました。
上場して良かったことについて宇佐美さんは、競合とのM&AやCCIとの経営統合など、それまでの延長線上にない挑戦ができたことを挙げます。一方で、ここ5年ほどは上場企業に求められる責任や基準が重くなったとも感じているといいます。
サイバーの強さの源泉と「外様」としての距離感
サイバーエージェントの強さについて宇佐美さんが挙げたのは、会社を好きで入ってくる新卒と、その人たちが活躍できる仕組みでした。21世紀を代表する会社をつくりたいという思いを持った人が入り、若手を抜擢して任せるカルチャーがあったといいます。
宇佐美さんによると、個々のヒーローより、そうした人材を生み出し続ける仕組みのほうが重要だったと考えています。仕組みづくりは藤田さんが途中から意識的に進めたもので、言語化は2003〜2004年ごろに進んだのではないかと話します。
M&Aでうまくいかなかった経験を経て、「小さく生んで大きく育てる」といった標語や、行動規範を書いた「CA Maximus」などで価値観を揃えていったことも、言葉づくりのうまさとして挙げました。
一方、グループ会社の代表としての距離感については、江戸時代の外様 ── 江戸時代、関ヶ原の戦い前後に徳川家に従った大名。譜代や親藩に比べ、幕府の中枢から距離を置かれる立場でしたにたとえています。反目するわけではないものの、完全に染まるには自分たちのアイデンティティもある、という感覚だったといいます。
ただ、宇佐美さん自身はサイバーエージェントの役員として事業を担当したことで、外様というより中の人としてやれたそうです。サイバーエージェントで学んだことをVOYAGE側に、VOYAGEでうまくいったことをサイバーエージェント側に伝えられたのは良かったと振り返っています。
業界2〜3位からどう1位を狙う?売却を決めた戦略
そもそもなぜ会社を売ろうと思ったのか。宇佐美さんは、1カ月で3社からオファーが来て「ちょっと舞い上がっちゃった」と正直に明かしたうえで、懸賞サイト市場の構造を説明しています。
当時、宇佐美さんの会社は業界2〜3位でした。1位は老舗の競合で、4〜6位の会社はすでにサイバーエージェント、セプテーニ、オプトなどのネット専業代理店に買収されていました。サイバーエージェントも「懸賞のツボ」というサイトを買っていたといいます。
現状
懸賞サイト市場で2〜3位。自力では1位に追いつけない
リスク
1位の会社が大手代理店と組めば、逆転は不可能になる
判断
2〜3位だからこそ、自ら局面を動かしにいく
選択
販売力がありグループ入り後も上場を目指せるサイバーエージェントと組む
Yahoo!と組んで懸賞カテゴリーを取れば確実に1位になれるものの、完全吸収のスキームには迷いが残りました。そこで、メディアと広告代理店の関係で販売力があり、上場も目指せるサイバーエージェントを選んだといいます。このときには、顕在株の一部を売却していました。
当時の資金調達についての話も印象的です。1999〜2000年ごろは投資契約がない場合もあり、紙1枚でお金が振り込まれることもあったそうです。創業2〜3カ月の時期に、あるVCから「2億円で10%どうですか」と持ちかけられ、怖くなって断ったこともあったといいます。
最終的にはインキュベートファンドの赤浦さんのほか、みずほキャピタル、オリックス・キャピタル、第一生命、伊藤忠、Yahoo!などから、合計3〜4億円ほどを調達したそうです。
「まさか電通に行かないよね?」藤田さんの言葉と統合の決断
MBOのきっかけは、業績の悪化でした。宇佐美さんが役員を退任して1〜2年後、主力事業の1つが急に赤字に近づき、藤田さんに予算から大きく外れると報告したときのことです。
宇佐美さんによると、藤田さんは、こういうタイミングならリスクを取ってMBOで離れるのもありではないかと応じたといいます。もう少し業績が良くなってからにしたいと言うと、それでは難しいと返されました。
その際、藤田さんからは「まさかこの後、電通グループには行かないよね」と釘を刺されたといいます。宇佐美さんは「そんなことあるわけないじゃないですか」と答え、その言葉がずっと頭に残っていたそうです。
上場後もサイバーエージェントは5%ほどの株を持っていましたが、2019年9月に全株を売却しました。その約1カ月後に、CCIとの経営統合が発表されます。統合交渉は1年ほど続いていました。
統合を選んだ背景には、市場環境の変化がありました。SSPやDSPなどのアドテク ── 広告配信や取引をテクノロジーで効率化する技術の総称。SSPは媒体側、DSPは広告主側の取引を支援します事業を展開する中で、Googleやメタといったメガプラットフォーマーが存在感を増し、国内の広告プラットフォームは差別化が難しくなっていたといいます。
何もしなければ既存事業の将来も危うくなるため、自社の能力を最大化しつつ新しい可能性を切り開ける一手として、CCIとの統合を選んだと説明しています。むしろこれを選ばなければ株主への説明責任を果たせない、という判断もあったといいます。
発表当日、宇佐美さんが藤田さんに電話で伝えると、CCIはサイバーエージェントのメディアも扱うメディアレップだったこともあり、「じゃあAbemaもっと売ってよ」と言ってくれたそうです。
インサイダー規制の中で、上場企業経営者は誰に相談できる?
統合の話は、誰にも相談できませんでした。インサイダー情報だったためです。社内の人も、藤田さんとの関係や、釘を刺されたときの温度感までは理解しにくかったといいます。
発表日が近づくほど、藤田さんにどう伝えるかというストレスは高まっていきました。10月に株主名簿を見て初めて、サイバーエージェントが株を売っていたことに気づいたといいます。
宇佐美さんによると、上場企業の株を売る側が事前に相手に相談することは基本的にありません。売ったあとに報告を受けることはあっても、最近は政策保有株を順次売却すると方針で示す程度だといいます。
5%未満の保有であれば大量保有報告 ── 上場企業の株式を5%超保有した場合に提出が義務付けられる報告書も不要で、売却がわかるのは3カ月に1回ほどのタイミングだけです。一方、20%規模の保有は資本業務提携などシナジーを前提にしているため、勝手に売ることはまずないだろうと話しています。
藤田さんへの連絡は、午後3時半ごろの適時開示に先立ち、その日の昼に行いました。当時のサイバーエージェントは毎週木曜に役員会を開き、昼にはみんなでランチをしていることを知っていたため、その前後なら電話に出てもらえると考えたといいます。
上場企業の経営で一番つらかったのは、この電話だったと宇佐美さんは話しています。取引がなくなってもおかしくない一方、社内の人たちはそのリスクをそれほど認識していないように感じていたといいます。
それ(藤田さんへの連絡)は、でもさっきの藤田さんに連絡するが一番つらかった。
キュレーションメディア時代と、VOYAGE出身の起業家たち
2017年ごろのスタートアップ業界では、キュレーションメディアでの学生起業とエグジットが目立っていました。宇佐美さんは、記事を量産して被リンクを作るようなシステマチックな手法まではやらなかったと話しています。
一方で、VOYAGE GROUPは起業家を多く輩出してきました。MERYを立ち上げた綾太郎さんは2011〜2012年ごろにインターンをしていたといい、FRILの堀井兄弟もVOYAGE出身です。
宇佐美さんは、山っ気のある人がネット業界に集まっていた時代であり、会社としてもそういう人を積極的に採用していたと振り返ります。その象徴が、2011年ごろに始めた無人島インターンでした。
当時のECナビの事業は、ポイントサービスやアドテクの前身となるサービスで、学生に説明しても伝わりにくいものでした。そこで会社名をほぼ出さず、無人島での宝探しインターンとして募集したところ、多くの応募が集まったといいます。
宇佐美さんは、面白いと思うだけでなく実際に応募する人は限られているため、エッジの効いた人が集まりやすかったと見ています。インターンで知り合った人同士は、今でも交流があるそうです。
無人島インターンを考えたのは人事の担当者で、その人がのちに事業をやりたいと言って立ち上げたのがサポーターズでした。宇佐美さん自身は、遠くて一度も無人島に行けなかったと明かしています。
スキー、サウナ、そして40年読み続ける漫画
宇佐美さんの趣味はスキーで、ここ10年ほど冬は滑っているといいます。仕事の後より、誰も滑っていない朝のファーストトラックを1〜2本滑ってから仕事をするのが理想だそうです。コロナ以降は、冬の多くを北海道で過ごしています。
平日は、新宿御苑近くの自宅から渋谷まで歩き、渋谷でサウナに入ってから10時ごろに出社する生活です。毎週日曜日には、スタートアップ関係者のランニングコミュニティ「スタラン」にも参加しています。
今年はサッカーのワールドカップを見るため、オランダ戦に合わせてアメリカへ行きました。旅行は年1〜2回だそうです。
意外だったのはアニメと漫画です。宇佐美さんは毎シーズン5〜10本のアニメを見ており、趣味というより「ライフワークに近い」と話します。
(リゼロは)見てるよ。俺元々(小説家に)なろうで読んでたから。
いまだに(小説家に)なろうのこの方でちゃんと最新話の方を追ってるから。
小学2〜3年生のころから『ジョジョ』や『ドラゴンボール』を読み、40年ほど漫画に親しんできました。自宅に居場所が少ないため、会社の図書室に自分の漫画を全部寄贈したといいます。作り手ではなく「見る専」だそうです。
社名VOYAGEの原点は社内バー「海賊の隠れ家」
VOYAGEという言葉は、ECナビ時代に社内バーを作ろうとしたことから生まれました。子どもが作る秘密基地のような隠れ家を作り、そこでお酒を飲みたいという発想だったといいます。
僕は本当に最初からとにかく秘密基地にしたいっていう話をしてたのに、3社お願いしたんだけど、残り2社はなんかスノッブなワインセラーがあるみたいな感じのやつを提案してきて。
ラム酒の樽で、なんかみんながワイワイ乾杯してるみたいな。
コンペで選んだのは、「近未来海賊の隠れ家」というコンセプトでした。その後、オフィス全体の内装を海賊風に改装したときのプロジェクト名が「プロジェクトVoyage」で、社名変更の際に自然と「VOYAGE GROUP」になったといいます。
宇佐美さんは、ジョブズの「海軍になるな、海賊であれ」という言葉にも触れています。規律を重んじるより、自分たちで時代を切り開く存在でありたいという思いがあったそうです。
好きな映画には、『スタンド・バイ・ミー』や、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』を挙げました。ノスタルジックで、どこか不条理な作品に惹かれるといいます。
創業メンバー募集に2日で80名。退任して何が変わった?
代表を退任して大きく変わったのは、毎週や毎月の定例会議が大幅に減ったことだと宇佐美さんは話します。時間を調整しやすくなり、自分から人に会いに行く機会が増えたといいます。
2025年8月初めには、XとFacebookでVoyage Capitalの創業メンバー募集を告知しました。すると2日間で約80名から連絡があり、いったん受付を止めたといいます。
新たなボヤージュキャピタルって形で、最初一人から始まって、そこからこう、ある意味無限の可能性があるなっていう中でやっていこうと思うと、
そういう新しい人たちとの新しい関係が本当に作りやすいなっていう、そういうふうに思ってるかな。
学生インターンの採用は、ファンドが組成されてからになるそうです。ただ、今後は若い人たちと働きたいとも話しています。
時価総額100億問題の先に、どんな場所をつくる?
Voyage Capitalで何を成し遂げたいのか。宇佐美さんが挙げたのは、上場市場からこぼれ落ちつつある中規模企業の存在でした。
宇佐美さんは、時価総額100億円問題を含め、今は時価総額1000億円以上でなければ上場のメリットを生かしにくいと指摘します。一方で、営業利益1億〜10億円ほどの良い会社は世の中に多く、日本国内に限ればむしろそうした会社のほうが多いといいます。
上場市場とその間にある新しい市場というか、こういうのでもあってもいいじゃんみたいな、そういう新しい、
その存在でも世の中にちゃんと価値出していけてるよねっていう、そういうのを作りたいなっていう。
一番手応えを感じた時期として宇佐美さんが挙げたのは、MBOから2年目ごろ、上場直前の時期でした。PEファンドとは3年後の上場を目指す計画を立てていました。
計画はほぼ根拠のないものだったと宇佐美さんは言います。しかし最初の月はいきなり予算を下回り、赤字でした。経営委任契約には、数字を大きく外せば解任もあり得る厳しい条項が入っていたといいます。
それでも宇佐美さんは、月ごとの変動が大きい広告事業の話なので強い危機感はなかったといいます。その後、SSP事業が想定以上に伸び、2年目で営業利益15億円を超えて、3年ではなく2年で上場を果たしました。
ソシャゲに乗り遅れ、半歩先のアドテクに賭けた
アドテクに注力した背景には、ソーシャルゲームでの失敗があったと宇佐美さんは明かします。ガラケーからスマホへ移るソシャゲブームに乗り遅れ、2周目、3周目のころに手を出しましたが、うまくいかなかったといいます。
改めてやっぱ自分得意じゃねえなと。
よーいどんでみんなが一斉に走って、このゴールを目指すようなビジネスで、このある意味頭角を表して結果を出すよりも、
今はまだ流行ってないけど、半歩先ぐらいでこの流行るかもみたいなっていうところに、勝機を見つけて勝負をかける方がいいなと思って。それがアドテクだったんだよね。
みんなが一斉に走る市場。人もお金も集中していて、宇佐美さんの会社は乗り遅れた
まだ流行っていない半歩先の市場。リアルタイムビディングは米国で始まったばかりで、日本ではこれからだった
当時の日本にも、アドネットワークやアフィリエイトの会社はありました。ただ、DSPやSSPのようにリアルタイムビディングで広告を取引する世界観は、日本ではまだこれからの段階だったといいます。
生成AIについて、宇佐美さんは自分が思いきりテック寄りの人間ではないと話します。AIを手段としてどう活用するかに関心があり、投資先の事業をDXやAIでどう伸ばせるかに取り組みたいそうです。
PEファンドって、なんかね、総合格闘技みたいな感じなんだよね。
いわゆるBSとPLとキャッシュフローとエクイティとデットを活用してっていう、
藤田晋さんのアクセルの踏み方と、社外取締役を引き受けた理由
尊敬する経営者として、宇佐美さんは藤田晋さんの名前を挙げます。本質を見極める力が非常に強く、若手を抜擢するという方針を20年以上一貫して貫き、それをもとに組織をつくってきた点に表れていると話します。
そのうえで宇佐美さんが強調したのが、藤田さんのアクセルの踏み方でした。
経営方針を発表するときにはアクセル、こんだけ投資するぞって言いながら、なんか日報とかではもっとこのコストを削減しろとかなんか言ったりとかするみたいな。
まあ藤田さん(は)多分ね、ブレーキはほぼ踏まない。
宇佐美さんによると、藤田さんのアクセルには強弱があり、ブレーキ役は社内でうまく切り分けているといいます。
退任を控えた宇佐美さんのもとには、社外取締役の依頼がいくつも届きました。ファンドの立ち上げに集中したいため断っていましたが、ミラティブの若川さんからの依頼は、これまで経験していない領域で面白そうだと感じて受けたといいます。期待する役割を書いたメモまで渡されたそうです。
断った相手に報告すると、今度はスマートニュースから声がかかります。メディアと広告プラットフォームを組み合わせてグローバルに展開するスマートニュースは、CARTAで本当はやりたかったのにやれなかった心残りに重なったといいます。
さらにサイバーエージェント時代に同じ役員だった西條さんからエキサイトの話があり、もう一度一緒に働いてみようと引き受けました。もともとのアイスタイルを含め、4社の社外取締役を務めることになったといいます。
あとから振り返って「始まり」だったと気づくのが伝説
3時間を超える対談の最後に、ホストは恒例の「宇佐美さんにとって伝説とは」という問いを投げかけました。
宇佐美さんにとってのその象徴は、渋谷の居酒屋で開かれたあの飲み会でした。当時はただの飲み会だと思っていましたが、振り返れば多くの始まりの場所だったといいます。
多分時代時代にそういうホットスポットというか、何かそういう熱量がぐっと集まるタイミングだったり、場所があるなと思っていて。それが多分今ね、伝説ラジオなんじゃないですか。
ホストは、宇佐美さんに若手を集めた飲み会を開いてほしいと頼みます。10年後、20年後に「令和のビットバレー」と呼ばれるような伝説の飲み会を開こうと約束して、対談は締めくくられました。
まとめ
宇佐美進典さんの30年は、学生結婚から始まり、補助金での起業の挫折、ビットバレーでの出会い、サイバーエージェントへのグループ入り、MBO、上場、CCIとの統合へと続きました。それぞれの局面で、事業を伸ばすために資本の形を選び直してきた歩みです。その経験を束ねたVoyage Capitalでは、上場を前提としない永久保有型のファンドとして、中規模の良い会社が輝ける場所をつくろうとしています。
- Voyage Capitalは永久保有を原則とし、投資先に上場ではなく配当を求める。配当を再投資し、NAVで基準価額を計算する設計
- 投資配分はLBO約7割、エクイティ約2割、ゼロイチの新事業約1割を想定。最初の案件はCARTAから買収したサポーターズ
- 業界2〜3位から1位を狙うためにサイバーエージェント入りを選び、メガプラットフォーマーの台頭を受けてCCIとの統合を決断した
- 藤田晋さんの「まさか電通には行かないよね」という言葉を抱えたまま、インサイダー規制で誰にも相談できなかった電話が一番つらかったと語る
- 伝説とは、当時は気づかなくても、10年後、20年後に振り返って「始まり」だったとわかるもの





