40年以上バスケットを見てきた人が、今もワクワクする瞬間とは?
ゲストのジョー・デュマーズさんは、NBA優勝2回、オールスター選出6回、1989年のファイナルMVPという経歴を持つ選手です。14年間の現役生活をすべてデトロイト・ピストンズで過ごし、引退後はピストンズの経営側として再び優勝チームを作りました。
ジョー・デュマーズさんはその後、NBAのバスケットボール運営責任者を務め、現在はニューオーリンズ・ペリカンズでバスケットボール運営担当のエグゼクティブ・バイスプレジデントを務めています。選手、王者、経営者、リーグオフィスと、あらゆる立場からバスケットを見てきた人物です。
大西さんが最初に聞いたのは、今体育館に入ったときに何がワクワクさせるのか、という問いでした。ジョー・デュマーズさんの答えは、才能や技術ではなく、若い選手が持つ情熱でした。
ジムに入って若い選手たちのプレーを見ていて、本当に高い情熱を持っている1人か2人を見つけられたとき、今でもワクワクします。
時代とともに視点が変わったかと問われると、ジョー・デュマーズさんは「適応と調整が欠かせない」と答えました。今は新しい世代の選手たちで、動機づけや話しかけ方も以前とは違うといいます。
結局のところ、(選手たちは)みんなうまくなりたいし、成功したいんです。求めているものは同じで、違うのはそれをどう実現させるかだけです。
ジョー・デュマーズさんが最も大きな変化として挙げたのは、ポジションレス・バスケットボール ── センター、ガード、フォワードといった役割の固定にこだわらず、選手が複数のポジションをこなす現代的なスタイルを指す言葉ですでした。以前とは違い、今は7フィートの長身選手がチームで一番の3ポイントシューターである可能性もあると話しています。
フットボール一家の末っ子が、15歳でバスケットに賭けた理由
ロイ・ラナさんは、ジョー・デュマーズさん自身の生い立ちに話を移しました。出身地の発音を確かめる場面があり、ジョー・デュマーズさんが育ったのはルイジアナ州ナキトッシュだと訂正しています。
ジョー・デュマーズさんによると、ルイジアナではバスケットボールはアメリカンフットボールに大きく引き離された2番手のスポーツでした。7人きょうだいの末っ子で、5人の兄は誰ひとりバスケットボールをしたことがなかったといいます。
末っ子として、兄たちとは違う自分になりたかったんです。だから「このバスケットボールってやつをやってみて、どこまで行けるか見てみよう」と思いました。
10歳から14歳までは、ジョー・デュマーズさんはほとんどフットボールで、バスケットボールは少しだけでした。転機は15歳で、「バスケットボールでかなりいいところまで行けそうだ」と感じ、バスケットボールに全力を注ぐと決めたそうです。
フットボールでのポジションはディフェンシブバックでした。ジョー・デュマーズさんは、当時はバスケットボールよりフットボールのほうがはるかにうまかったと振り返っています。
サイコロを振るようなもので、大きなリスクでした。でも心の中では、自分ならできると感じていたんです。
この年表は、番組冒頭の紹介とジョー・デュマーズさん自身の振り返りに出てきた流れを並べたものです。
個性派ぞろいのバッドボーイズは、なぜ1つにまとまれたのか
ロイ・ラナさんは、ピストンズが圧倒的に強かった時代について質問しました。ジョー・デュマーズさんがまず挙げたのは、どのリーグでも王者になるにはチーム全員が1つの目標に身を捧げる必要がある、という点です。
誰が得点王かとか、誰が一番注目されるかなんて、誰も気にしちゃいけない。目標は1つ、それだけでなければならないんです。
当時のピストンズは「バッドボーイズ」と呼ばれていました。ジョー・デュマースさんは、自分たちがNBAの人気者ではないことを分かっていたと振り返ります。人気の中心はレイカーズとセルティックスで、シカゴにはマイケル・ジョーダンがいました。
だから、自分たちにできることは勝つことだけだと分かっていました。勝つためにすべての力を注ぎ、犠牲を払い、何でもやったんです。
ロイ・ラナさんは続けて、ビル・レインビア、デニス・ロッドマン、アイザイア・トーマスら強烈な個性がそろうロッカールームを、名将チャック・デイリー ── 1980年代後半から90年代初めにピストンズを率いた名ヘッドコーチ。2度のNBA優勝に導き、1992年のバルセロナ五輪ではドリームチームも指揮しましたがどうまとめたのかを尋ねました。
ジョー・デュマースさんによると、チャック・デイリーさんの考え方は明快でした。全員が勝つことに身を捧げているなら、個性はそのままにしておけばよい、というものです。
(勝利に)コミットしている限り、変えようとするな。デニス・ロッドマンを彼じゃない何かに変えようとするな、ビル・レインビアも、誰であってもです。
(チャック・デイリーさんは)個性について一度も口にしませんでした。でも夜7時半にティップオフするときには、全員が同じ方向を向いていたんです。
スポーツマンシップ賞と「最も手ごわいチーム」は両立するのか?
大西さんは、NBAスポーツマンシップ賞の受賞者に贈られるトロフィーが「ジョー・デュマース・トロフィー」と名付けられていることに触れました。NBA史上でも屈指の威圧的なチームにいた選手の名前であることは、少し皮肉にも見えます。
激しさと相手への敬意の線引きを問われ、ジョー・デュマースさんは、タフで激しく競争的であることは、うるさいことを意味しないと答えました。
型で抜いたような、同じタイプばかりのチームなんて要らない。勝つことにコミットしているなら、みんな違う個性でいいんです。
僕はたまたま一番静かな人間で、あまりしゃべらなかった。でも、それはタフさとは何の関係もありません。いつでも戦う準備はできていました。
静かな選手としてどうリーダーシップを発揮したのかについて、ジョー・デュマースさんは、毎日戦いの場にどう現れるかでチームメイトの敬意を得たと話しています。多くの夜、リーグで一番手ごわい相手をマークしていたといいます。
マイケル・ジョーダンさんからも最もタフなディフェンダーの1人と評されたジョー・デュマースさんは、ブルズとのライバル関係を、人生で経験した中で最も厳しいものだったと振り返りました。
(シカゴの)観客は罵声とブーイングを浴びせてくる。身体的なタフさだけではだめで、あの環境に耐えるには精神的なタフさが必要でした。そして僕らにはそれがありました。
ロッカールームから役員室へ、経営者になって知った「決断の量」
ロイ・ラナさんは、選手から経営者へすぐに移ったジョー・デュマースさんに、選手として身につけたことで捨てなければならなかったものは何かを尋ねました。ジョー・デュマースさんは、捨てたものより持ち込んだもののほうが多かったとしたうえで、1つだけ大きな違いを挙げています。
選手時代は、健康で体を仕上げ、心の準備をして試合に出ることだけを考えていればよかった
フロントでは、スカウト、コーチ、選手、そのエージェントまで、多くの人に関わる厳しい決断を次々に下す
ジョー・デュマースさんは、下さなければならない決断の量に驚いたと話しています。そのうえで、経営者になった直後の不安、いわゆるインポスター症候群をどう扱ったかも語りました。
他のチームの幹部が[[トレード例外::NBAで、トレード時の年俸差を一定期間あとで使える権利として残せる仕組み。サラリーキャップの運用で使われる専門的なルールの1つです]]か何かの話をしたら、「それがどういう意味か分からない。説明してくれ」と言っていました。初日から全部分かっているふりはしませんでした。
ジョー・デュマースさんの言う「トレード例外」は、例として挙げた用語の1つです。相手側は丁寧にルールを説明してくれたといい、ジョー・デュマースさん自身もかなり勉強したそうです。
アシスタントコーチを長く務めていても、ヘッドコーチの席に座ったときにすべてを知っているわけじゃない。(経営者になるのも)それと同じです。
30年間走り続けた後の空白期間は、なぜ必要だったのか
ロイ・ラナさんは、ジョー・デュマースさんがピストンズを離れてから、2人がサクラメント・キングスで出会うまでの空白期間について尋ねました。ジョー・デュマースさんの答えは「本当に必要な休息だった」というものでした。
30年連続
ピストンズで選手14年、経営約16年。休みなく全力を注ぐ
休養
ドイツでプレーする息子を訪ね、ヨーロッパで過ごす
サクラメント
約1年、決断を下す立場ではなく助言役として復帰
リーグオフィス
約4年、30チームすべてと関わる
ペリカンズ
再びチームを率いる準備ができ、ニューオーリンズへ
ジョー・デュマースさんは、現役引退後すぐに経営を引き継ぎ、30年間休みがなかったと振り返っています。
君も僕も、仕事で手を抜かないでしょう。その30年間、コートでもフロントでも、僕はすべてを注ぎ込んだんです。
休養中は、ドイツでプレーする息子ジョーダンさんのもとへ行き、2〜3週間一緒に過ごしたこともあったそうです。辞めた直後は何も探しておらず、離れることが必要だったといいます。ただ、キングスから連絡が来た頃には、戻って何かをする準備ができていました。
ロイ・ラナさんは、空白期間はその最中には苦しく感じることもあるが、休むことは大切だと誰もが知っておくべきだと受け止めています。
ジョー・デュマースさんは、キングスで決断を背負わず助言する立場から戻れたことがよかったと話しました。そして、リーグオフィスで30チームのコーチ、オーナー、選手、GMと関わったことが、再びチームを率いようと思う後押しになったそうです。
Bリーグが「2番目のリーグ」になるには、何に力を注ぐべきか?
ロイ・ラナさんは、Bリーグが世界的に本格的なリーグとして地位を築きつつあると紹介し、NBAのリーグ側の内情を見てきたジョー・デュマースさんに、Bリーグが今後注力すべきことを尋ねました。
NBA以外で最高の選手を集めれば、2番目に優れたリーグになれる
最もよく運営されたリーグが2番目と見なされ、最高の選手が自然と集まる
ジョー・デュマースさんは、リーグオフィスで働いた経験から、選手集めを優先する考え方には少し異論があると話しています。
最高の選手たちはこう考えるんです。「NBAに行けないなら、一番きちんと運営されているリーグに行きたい。全部プロフェッショナルで、ちゃんと面倒を見てくれるから」と。
いい選手を2、3人集めても、リーグがうまく運営されていなければ長続きしない。いずれ(選手は)去っていきます。
ジョー・デュマースさんは、日本ではすでにそれが起きていて、だから選手が日本に行き始めているのだと思うと述べました。ロイ・ラナさんも、ガバナンスと運営のよさが、自分がBリーグに来た理由の1つだと応じています。
優れた組織の共通点は、派手な計画ではなく「毎日の当たり前」
ロイ・ラナさんは、ペリカンズで組織を率いる立場になったジョー・デュマースさんに、優れた組織に共通するものは何かを尋ねました。ジョー・デュマースさんが社内で繰り返しているのは、単純なことを外さないという方針です。
時間を守ること、毎日言ったとおりのことをきっちりやること。大きなプロジェクトじゃなく、毎日やる日常のことです。
ジョー・デュマースさんが挙げる例は具体的です。会議が9時開始なら9時に始め、飛行機が4時に出るなら4時に出し、リーグオフィスに提出すべき書類は必ず出す、というものです。
ジョー・デュマースさんは、日々の業務が時計のように正確に回るようになれば、非常に高いレベルの組織への道を歩んでいると話しています。
大西さんは、選手、フランチャイズ幹部、リーグ職員、そして再びチーム運営という一巡した経験から、何を得たのかを尋ねました。ジョー・デュマースさんが挙げたのは忍耐です。
(リーグオフィスでは)指を鳴らせば全部片づくわけじゃない。プロセスを経て、会議をして、ダブルチェックをする。忍耐を強いられるんです。
ジョー・デュマースさんは今も急がないよう心がけ、「この件は一度保留にして話し合い、今日ではなく明日決めよう」と言うことがあるそうです。ただし、忍耐はリーグオフィスだけで身についたものではなく、人生が忍耐強くさせ、リーグオフィスでそれがはっきり表に出たのだと補足しています。
ペリカンズでチームを率いる決め手は「オーナーとの価値観」
大西さんは、ペリカンズで再びチームを率いることになった理由を尋ねました。ジョー・デュマースさんはリーグオフィス時代、同僚から「いつチーム運営に戻るのか」とよく聞かれていたそうです。
みんな、僕が戻りたいと思う唯一の理由は、自分にとって正しいオーナーシップがあるかどうかだけだよ。
その相手になったのが、ペリカンズのオーナーであるゲイル・ベンソンさんでした。ジョー・デュマースさんは、ゲイル・ベンソンさんが自分と同じアプローチ、考え方、価値観を持っていると感じ、一緒に働きたいと思ったといいます。
ジョー・デュマースさんは、経営の席に座る人にとって、報告先のオーナーと考えがそろっていることが本当に大切だと話しています。正しいオーナーが現れるまでは、戻らなくても構わないと考えていたそうです。
選手とコーチに求める資質は? 鍵は「勝利の環境」
聞き手は、ジョー・デュマースさんが選手とコーチに求める資質を尋ねました。日本やアジアの選手やコーチにとっても参考になる話として投げかけた問いです。
| 対象 | 求めるもの | 避けたいもの |
|---|---|---|
| 選手 | 勝ちたいという精神と、激しい競争心 | 数字だけの選手、才能に頼るだけの選手 |
| コーチ | 組織との方向性の一致、他者に尽くす姿勢 | 自分が中心になる利己的な振る舞い |
選手については、勝利を求める精神と競争心が同率1位だとジョー・デュマースさんは話します。その2つがあれば、あとは指導や対話で伸ばしていけるという考えです。
才能に頼るだけで、激しい競争心がない選手には、僕は苦労します。
コーチについてジョー・デュマースさんが挙げたのは、方向性の一致です。ペリカンズのヘッドコーチ、ジャマール・モズリーさんとは、同じ考えを共有しているといいます。
ジョー・デュマースさんは、毎日「今日のこれは勝つための環境になっているか」と自分に問えば確認できると話しています。利己的な振る舞いを許した時点で、それは勝つための環境ではなくなるという考えです。
ペリカンズで具体的に何をしているのかを聞かれ、ジョー・デュマースさんは犠牲について多く話していると答えました。
勝者になりたい、それが最初の一歩です。次の一歩は、勝つために必要なことを全部やる覚悟があるかどうかです。
ジョー・デュマースさんは、今やっていることが勝利につながるのかを毎日全員に問いかけ、勝つために何が必要かを話さない日は1日もないそうです。
元選手がフロントを目指すなら? そして、なぜコーチにならなかったのか
大西さんは、10シーズン目を終えたBリーグにも、コーチやフロントに転身した元選手が多くいると紹介しました。そのうえで、同じ道を目指すベテラン選手への助言を求めています。
NBAにたどり着くためにどれだけ必死に努力したか分かっているよね。フロントやコーチに移るなら、それとまったく同じだけ努力しなければなりません。
ジョー・デュマースさんは、選手時代より少ない努力でよいとは考えないでほしいと話しています。同じだけの時間とコミットメントを注げないなら、本当の意味で本気とはいえないという考えです。
ロイ・ラナさんがコーチになる選択肢はあったのかと尋ねると、ジョー・デュマースさんは「一度もない」と何度も繰り返しました。
試合を知っていること、IQが高いこと、賢いことが、コーチを作るわけじゃない。コーチを作る何かが内側にないといけないんです。
ジョー・デュマースさんは、自分にはコーチとしての何かはなかったが、フロントに必要なものはあったと話しています。チームを作り、環境と文化を作り、人を導き、引き上げる力です。その「何か」を言葉にできるかは分からず、コーチのロイ・ラナさんなら名付けられるかもしれない、と笑いを交えて語りました。
アナリティクスやスポーツ科学の部署を増やすときの落とし穴
ロイ・ラナさんは、NBAの組織がアナリティクス、パフォーマンスチーム、スポーツ科学、キャップと戦略などの領域で大きくなっていると指摘しました。アジアで同じ方向に成長しつつある組織への教訓を尋ねています。
ジョー・デュマースさんの答えは、目的を持って人を加え、チェック欄を埋めるためだけに採用しないことでした。
そうしないと、周りを見たら大勢の人がいるのに、その人たちがどう勝利に貢献するのか全然分からない、ということになります。
ジョー・デュマースさんは、アナリティクス部門があると言うだけで満足せず、毎日顔を合わせるたびに、その人が勝つために何をしているのか正確に分かっている状態を目指すべきだと話しています。
一番つらいトレードと、ドラフトで確信を持つ方法
ロイ・ラナさんの「これまでで一番つらかったトレードは?」という問いに、ジョー・デュマースさんはテイショーン・プリンスさんをデンバーへ送り、アレン・アイバーソンさんを獲得したトレードを挙げました。
ジョー・デュマースさんは、チームの全盛期が終わり、チームの解体を始めなければならなかったと説明しています。多くの素晴らしい瞬間を共にし、家族ぐるみで親しくなった相手を手放すのは、それでもつらかったといいます。
兆候
以前は対処できた試合や相手に苦しみ、負け始める
変化
チームに以前ほどの熱が見えなくなる
自問
自分に正直になり、全盛期は終わったかもしれないと考える
確認
早すぎる決断にならないよう、もう1年ほど様子を見ることもある
ドラフトで一番手応えがあった指名を聞かれると、ジョー・デュマースさんはテイショーン・プリンスさんのドラフトを挙げました。ロッタリー級だと考えていた選手が23位ほどで残っていて、その後のキャリアでもそれが証明されたからです。
ジョー・デュマースさんは、イタリアでプレーしていたカルロス・デルフィノさん、トルコでプレーしていたメフメト・オクルさんの指名も気に入っていると付け加えました。ロイ・ラナさんは、国際的な選手の発掘がまだ新しい領域だった時代に、どう見つけたのかを尋ねています。
ジョー・デュマースさんの答えは、大西さんの「単に好きな選手と、確信を持てる選手をどう見分けるか」という問いへの答えでもありました。映像やスカウティングだけでなく、食事をしながら数時間話し、何がその人を動かすのかを知ったときに確信が生まれるといいます。
美しいジャンプシュートに惚れ込んでも、チームメイトとして最悪なら、たぶんうまくいかない。才能だけに惚れ込まないことです。
大西さんは、アメリカ流と国際流のバスケットボールはまだ別物なのかとも尋ねました。ジョー・デュマースさんは、2つの世界はどんどん融合していると答えています。
僕が現役の頃は、トニー・クーコッチをNBAに来る前に見たことがなかった。今はU18やU17の大会で、ずっと早く(海外の選手を)見られます。
ジョー・デュマースさんによれば、日本の子どもたちもヨーロッパやアフリカの子どもたちもNBAを見ていて、14歳のヨーロッパの選手がNBA選手と同じ動きをしているそうです。
特定のメンターはいない。それでも学んだ人たち
聞き手は、亡くなったコーチ・ラヴさんやサクラメント時代の経験に支えられてきたと語り、ジョー・デュマースさんにとってのメンターは誰かを尋ねました。ジョー・デュマースさんは、1人のメンターを挙げることはできないとしたうえで、他の人々の振る舞いを見て学んできたと答えています。
ジョー・デュマースさんが最初に憧れたのは、テニス選手のアーサー・アッシュ ── 1970年前後に活躍したアメリカのテニス選手。黒人男性として初めてウィンブルドンなどの四大大会で優勝し、品位ある振る舞いや社会活動でも知られていますさんでした。
(アーサー・アッシュさんを見て)「もし大人になってプロのアスリートになれたら、あんなふうに振る舞いたい」と思いました。
ジョー・デュマースさんはモハメド・アリさんのカリスマ性も好きだったものの、自分にその性格はないと話しています。チャック・デイリーさんについては、人を変えようとせず、全員を同じ方向に向かせ、細かく管理せずに自由を与える姿を何年も見てきたといいます。
ジョー・デュマースさんは、そうした人たちから少しずつ学び、自分のスタイルを形作ってきたと振り返っています。
スポーツマンシップ賞は「家族の賞」。日本へのメッセージ
大西さんは、殿堂入りや選手と経営者での優勝とはまったく別の意味を持つスポーツマンシップ賞について、改めてジョー・デュマースさんの思いを尋ねました。ジョー・デュマースさんは、毎回同じ答えをしていると前置きしています。
あの賞は、本当は僕の母と父のものなんです。
7人のきょうだいを育てた両親は、謙虚さを何より大切にしていたそうです。家では「傲慢になるな、謙虚であれ、人を正しく扱え、外に出たら家族を代表するつもりで振る舞え」という言葉がいつも聞こえていたといいます。
僕にとって、あれはバスケットボールの賞というより家族の賞です。
ロイ・ラナさんから日本、アジア、名古屋の人々へのメッセージを求められると、ジョー・デュマースさんは、若い選手たちに毎日聞かれる「今日の言葉」の話をしました。そのうえで伝えたのは、毎日、良い心持ちで一日を始めることでした。
宗教の話じゃなく、人としての良い心持ちのことです。毎日がいい日になるわけじゃないし、悪い日もある。でも毎日、良い心持ちで目覚めようとすること。それが僕の成功の大きな鍵でした。
ジョー・デュマースさんは、前の晩に30点差で負けても、最後のブザービーターで負けても、毎朝同じように「おはよう」と声をかけてオフィスに入るといいます。落ち込みや緊張があってもいいが、何より良い心持ちを先に立てることが大切だという考えです。
番組の最後に、ジョー・デュマースさんはロイ・ラナさんとの友情に感謝し、無理のない本物の関係で、いつも互いの最善を願ってきたと語りました。
まとめ
ジョー・デュマースさんの話は、選手時代のバッドボーイズから現在のペリカンズまで、勝利への一貫したこだわりで貫かれていました。勝つための環境を作り、日々の当たり前を外さず、才能だけでなく人を見る姿勢が繰り返し語られています。
- チャンピオンになるには、全員が勝利という1つの目標に身を捧げる必要があり、それさえあれば個性は違っていていい
- 優れた組織は、時間を守ることや約束を果たすことなど、毎日の単純なことを外さないところから生まれる
- リーグは最高の選手を集めるより、最もよく運営されることで、結果的に良い選手を引き寄せる
- 選手を迎えるときは「選手」と「人」の両方を知り、両方を好きになれるかを見極める
- 結果に関係なく、毎日良い心持ちで一日を始めることが、ジョー・デュマースさんの成功の鍵だった




