番組名「健康と経営の間」に込めた思い
今回の産業医の本音は、株式会社ワンセルフ代表で産業医の小橋正樹さんが1人で進める回想回です。まず前回の「産業医の本音ができるまで」という制作秘話の続きから話が始まります。
小橋さんは、この番組名「健康と経営の間」を気に入っていると話します。健康と経営は相反するものではなく、合一していくべきものだと考えているそうです。
一方で現実には、健康と経営の間で葛藤しながら、絶妙な一点を模索し続ける試行錯誤の連続だと小橋さんは言います。だからこそ結果的に筋の通ったいい番組名になったと、手前味噌ながら振り返っています。
40分あった「幻の第1回」がお蔵入りになった理由
小橋さんは、産業医の本音には「幻の第1回」が存在すると明かします。ワンセルフの設立が2019年11月1日で、その5周年も兼ねて番組を始めることになりました。
記念すべき初回は2024年11月6日に配信されましたが、本当は設立日ぴったりの11月1日に出したかったそうです。そのため前日の10月31日、小橋さんは1人でオフィスにこもって収録しました。
収録を終えたのは夜中で、生データをすぐに編集担当のおビブさんへ送り、翌日の配信に間に合わせてほしいと依頼します。小橋さん自身、その依頼ぶりを冗談めかしてこう振り返ります。
やってることほぼカスタマーハラスメント状態なんですけど、しかもできれば11時1分に出したいみたいなことまで言ってましたからね。
おビブさんは11月1日の10時に納品しますが、配信前に聞き直すと、その音源はとにかく長かったといいます。
なんとですね、40分あったんですよ。
現在公開されている第1回も25分とそれなりに長いのですが、当時の音源はそれに輪をかけた長さでした。小橋さんは、初回の収録をすることだけで当時はいっぱいいっぱいで、時間がまったく見えていなかったと明かします。
内容にも違いがありました。いま公開されている第1回は、ワンセルフの現在の取り組みや今後やっていきたいことといった未来志向の話が中心です。
これに対し、幻の第1回は、自分がなぜ産業医になったのかという自身のキャリア的な内容がメインだったそうです。
いや別に自分はそんな有名人とか著名人でもないし、そんな自分のキャリアヒストリーをいきなり40分誰が聞くんだろうな。
結局、小橋さんは台本を書き換えることを決め、11月1日の配信は泣く泣く諦めました。番組は予定より遅れて11月6日に無事初回配信を迎えます。
「キャリアの話をしていない」と気づかされた指摘
初回配信から1年やってくる中で、小橋さんはある指摘を受けて気づいたことがあると言います。番組の中で自身のキャリアヒストリーをあまり話していない、というものでした。
小橋さん自身は、幻の第1回でそのあたりを存分に話したつもりでいたため、すでに語った気になっていたそうです。しかし過去53回分を見返しても、確かに触れていませんでした。
ワンセルフを立ち上げた後の話は、ビジネスパートナーを取り上げた第9回や第10回で触れていました。一方で、それ以前に個人で産業医をやっていた時期の話には、まったく触れてこなかったといいます。
ゲスト回であれだけ人様の人生に踏み込んでるのに、自分のことは全然話してないやないかい。
そこで小橋さんは、1年間聞き続けてくれた人になら少しは聞いてもらえるだろうと考え、お蔵入りになった幻の第1回の内容をブラッシュアップして伝えていくことにしました。
岡山で生まれ育った、ちょっと元気寄りの少年時代
キャリアヒストリーは、生まれたときから語られます。小橋さんは1985年8月27日、岡山県の川崎医科大学で生まれました。
出生体重は2620グラム。小橋家は比較的小柄な家系で、父・母・本人・妹の4人家族だったといいます。
ただ、体は小さくても態度は大きく、あまり小さく見られなかったと小橋さんは笑います。高橋でも大橋でもなく、小橋くらいでちょうどよかったのではないかと振り返りました。
小中高はそのまま地元の岡山で過ごします。家の周りは田んぼだらけで、遊びといえば週に1〜2回、友達の家でゲームやスポーツをするくらいでした。
街に出てもカラオケ、ボーリング、たまにビリヤードという程度で、小橋さんは自分を「田舎によくいる、普通よりちょっと元気寄りめな少年」だったと表現します。将来を真面目に考えるタイプではなかったそうです。
削られたバトル鉛筆と、親との「リアルバトル」
平穏な少年時代の一方で、親からは勉強しろ、資格を持て、医者になれとよく言われていたと小橋さんは話します。その象徴として今でも覚えているのが、小学生の頃のバトル鉛筆のエピソードです。
バトル鉛筆は、削らずに使うのが当時の美学だったといいます。削ると鉛筆としてのアイデンティティが失われるという、不思議なこだわりがありました。小橋さんも20〜30本ほど大事に持っていたそうです。
ところが親は、鉛筆は勉強するためにあるものだと言いながら、そのバトル鉛筆を容赦なく削ってしまいました。綺麗に削られて並べられた鉛筆を見て、そこから親とのリアルバトルが始まったと小橋さんは振り返ります。
当時は90年代から2000年代で景気が冷え込んでおり、小橋家は医療家系でもありませんでした。親は自身の会社員としての経験を踏まえ、よかれと思っていろいろ言ってくれていたのだろうと小橋さんは受け止めています。
ミスチルの桜井さんのような歌が書けるのか
当の本人は、今が楽しければいいというマイペースな人間でした。高校生になるとバンドを始め、このまま音楽の道に進もうかと考えていたといいます。
転機は高1の終わりか高2の初め頃、ある夜に訪れます。別の件で学校の先生を怒らせたことをきっかけに、父親にブチ切れられ、そのまま将来の話になりました。
音楽の道に進むなら高校は必要ないだろうと言われた小橋さんですが、極めつけの一言を今でも鮮明に覚えていると話します。
この一言が当時の小橋さんには衝撃だったそうです。それまで父親からミスターチルドレンという言葉を一度も聞いたことがなく、なぜここでその名前が出てくるのかと戸惑ったといいます。
しかもここ岡山なんだから、なんかこう、B'zの稲葉さんとかブルーハーツの甲本さんとか、他にももうちょっと表現の仕方とかあるだろう。
それでも素直な側面もある小橋さんは、その晩、ミスターチルドレンのCDを聞きながら本当に考えてみたと言います。そして翌朝、1つの結論に至りました。
うん、俺にミスターチルドレンの桜井さんのような曲は書けない。
主語をB'zやブルーハーツに置き換えても結論は同じで、自分にそんな才能はない、と小橋さんは判断します。その結論を父親に伝え、そこから本格的に将来の道を考え出していったそうです。
続きは大学時代へ。工藤先生のポッドキャスト出演
小橋さんは、今回の内容はリスナーの学びにはなっていないかもしれない、と離脱率を気にしながら振り返ります。本当の幻の第1回は、この先の大学時代や臨床医時代がメインだったといいます。
そのため今回は、少年時代を語るだけのオリジナルな内容になったと小橋さんは言います。続きは次回に持ち越されました。
なお、キャリアヒストリーを話していないと指摘してくれた人物は、独立系の産業医である工藤知徳さんでした。工藤さんは「産業医くどうのつぶやき」というポッドキャスト番組を毎週配信しています。
小橋さんは、その番組にゲストとして出演しました。ゲスト回では小橋さんの人としての部分がメインに取り上げられており、興味があればぜひ聞いてほしいと案内しています。
まとめ
今回は、初回配信でお蔵入りになった「幻の第1回」を掘り起こし、小橋正樹さんが自身のキャリアヒストリーを少年時代から語り直す回想回でした。岡山での平穏な日々や親とのやり取りを通じて、後に将来を真剣に考え始めるきっかけまでが語られました。
- 番組名「健康と経営の間」は、両者の間で絶妙な一点を模索し続ける試行錯誤を表している
- 設立日に合わせて収録した幻の第1回は、40分という長さと未来志向でない内容のためお蔵入りとなった
- 番組でキャリアヒストリーを話していないという指摘を受け、今回から改めて語り直すことにした
- 岡山で生まれ育ち、バトル鉛筆を削られるなど、親との「バトル」を経て育った少年時代が明かされた
- 音楽の道を考えていたが、父の「ミスチルの桜井さんのような歌が書けるのか」という一言で将来を考え始めた







