「科学系ポッドキャストの日」のテーマは「悪」
番組冒頭、ジョルノさんは9月になった物悲しさに触れます。日が落ちるのが早くなり、西日本でも18時台には真っ暗になる季節です。
八月も終わって九月になってしまったんですけど、九月ってなんかちょっと物悲しくないですか。
この回は「科学系ポッドキャストの日」というイベントへの参加回です。決められたお題について、さまざまなポッドキャスターがそれぞれの視点で話す企画だと説明されます。
今回のホストは、ジョルノさんが好きだという2人組のポッドキャスト「リケダン健康論」です。健康の科学がテーマかと思いきや、出されたお題は「悪」でした。
今回のテーマは「悪」です。
ジョルノさんは、地獄の人事総務と言われる嬉野さんらしいお題だと受け止めています。
わかりやすい悪と、立場で変わる善悪
ジョルノさんはまず、悪と聞いて思い浮かべるものを挙げます。殺人や詐欺、暴力といった、誰もが違和感なく悪だと感じるものです。
好きな漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のブチャラティのセリフも引きます。何も知らない無知な者を、自分の利益のためだけに利用することが邪悪だ、という趣旨の言葉です。
吐き気をもよおす邪悪とは、何も知らぬ無知なる者を利用することだ。自分の利益のためだけに利用することだ。
一方で、今回のテーマを見て感じたのは、世の中の悪はそんなにわかりやすいものばかりではない、ということでした。
ジョルノさんは、善と悪は立場によって左右されるのではないかと問いかけます。たとえば嘘は悪だと思われがちですが、誰かを守るためにつく嘘もあります。
悪い人に追われている人をかばうために、逆の方向を教える。それも嘘ですが、悪と言い切れるかは微妙だと話します。
同じように、覗きは犯罪でも、犯罪を防ぐための監視カメラは悪とは言えない。戦争は悪でも、戦争を終わらせるための攻撃を悪と呼べるかは難しい、と例を重ねます。
拉致監禁は悪でも、社会秩序を守るために警察が悪い人を逮捕するのは正義と呼ばれることもあります。結果として人を傷つける行為は変わらないのに、評価が分かれる点をジョルノさんは面白いと感じています。
拉致監禁して自由を奪う、傷つけるための攻撃
社会秩序を守るための逮捕、戦争を終わらせるための攻撃
ここから、必要悪という考え方にも触れます。必要なことなのに悪と呼ばれるものがある。では必要なら悪をやっていいのか、悪意がなければ悪ではないのか、という問いが立ち上がります。
本当に悪い人は、相手側に小さな悪を作る
ジョルノさんが一番怖いと感じるのは、悪いことをしている人が、自分を悪人だと思っていないことです。
僕がね、一番怖いのって、悪いことしてる人が自分を悪い悪人だって思ってないっていうところが一番怖いんですよ。
具体例として、DVをする人は「お前が悪い」と言い、強盗は「戸締りしていない方が悪い」と言い、詐欺師は「騙される方が悪い」と言う、という言い回しが挙げられます。
詐欺をする人間も、いつも「自分は悪人だから金を奪おう」と考えているとは限らない、とジョルノさんは指摘します。こんなものに騙される方に責任がある、金持ちならこのくらい許される、といった理屈で自分を正当化するというのです。
犯罪者の手口として、年寄りは金をため込んで世の中に流通させないから奪う、といった論法もあると紹介されます。自分は今まで搾取されてきた、という理由づけもありますが、それは関係ないだろうとジョルノさんは言います。
ここでジョルノさんは、本当に悪い人は相手側に小さな悪を作る、と整理します。相手のちょっとした隙をつくのが、悪い人のやり方だというのです。
弱い人や優しい人は、自分に少しでも隙があるとそれを罪悪感に感じ、相手の大きな要求を飲まざるを得なくなったり、つい受け入れてしまったりする、とジョルノさんは話します。
この構造は会社でもネットでも戦争でも同じだ、というのがジョルノさんの見立てです。
悪は「正義の名のもと」に行われる
悪について考えるうちに、ジョルノさんの中で一つの言葉が浮かんだと言います。悪は正義の名のもとに行われることがとても多い、というものです。
もちろんすべての悪がそうではありません。金が欲しいから盗んだ、ムカついたから殴った、という、本人も悪いとわかっている行為もあります。
ただ、人間が継続的に誰かを傷つけたり、ひどいことをしたりするときには、自分の中に大義名分を作り、自分は正しい側だとして行われることが多いと話します。
例として、ナチスがユダヤ人を迫害したときのロジックが挙げられます。相手が悪いことをしたから、今から自分が行う残酷な行為は正義の名のもとに行われる、という形にする人が多い、というのです。
「本人の成長のため」という便利な言葉
窓際族的な観点として、職場での例が語られます。少し偉い人が、嫌いな社員や目障りな人間を追い込むとき、「俺があいつを嫌いだから」とは言わないというのです。
代わりに使われるのが、チームのため、本人の成長のため、会社の秩序を守るため、といった理由です。これで大義名分も立ち、自分も正義側でいられて楽になれる、とジョルノさんは説明します。
本音は「気に入らないから叩いている」だとしても、「あいつが悪いことをしたから叩いている」という形にしないと、自分も他人も納得できない。挙句に自分を誤魔化して、相手が悪いことにしてしまう人が多い、と指摘します。
俺はこいつが嫌いだから冷遇してるって言ったらいいのにって思いますけどね。
その代わりに使われるのが「本人の成長のため」という便利な言葉です。この言葉があれば、人前で怒鳴っても、仕事を大量に与えても、嫌な仕事ばかり押し付けても、すべて正当化できてしまいます。
ジョルノさんは、これは立派な悪ではないかと問いかけます。それでも本人は善人のつもりで、会社からも善人に見えているかもしれない、と付け加えます。
SNSで「悪人だから何をしてもいい」という正義
もっとわかりやすい例として、SNSやネットの世界が挙げられます。誰かが失言したり不祥事を起こしたりすると、大勢がその人を攻撃し、誹謗中傷が何千件と寄せられることがあります。
その背景には、悪い奴だから批判してもいい、何をしてもいい、という正義がある、とジョルノさんは分析します。だからこそ「死ね」「消えろ」といった強い言葉が出てくる、というのです。
ただ、ここでジョルノさんは疑問を投げかけます。人を傷つけることが悪なら、悪人を傷つけることは善になるのか。罰なのか、というものです。
悪い人に相応の罰が下ること自体には賛成でも、どこまでもやっていいわけではないだろう、とジョルノさんは考えています。
怖いのは、人は自分が正義の側にいると思った瞬間に、相当強く相手を批判でき、かなり残酷にもなれる点だと話します。こここそが悪の怖いところだ、というのがジョルノさんの結論です。
芸能人の不倫や政治家の決断を批判すること自体は否定されません。ただし、本当に事実や背景、ディテールまで見て批判しているのか、批判のつもりが誹謗中傷になっていないか、と自問すべきだと語られます。
ジョルノさんは、これが自分がSNSと距離を取っている理由の一つでもある、と明かしています。
一番怖いのは、自分を疑っていない人
ジョルノさんが本当に怖いと感じるのは、「俺は悪人だ」と分かりやすくやってくる人ではありません。そういう人はまだ分かりやすいと言います。
怖いのは、自分は正しいことをしていて正義の側だと本当に信じ、「自分も間違うかもしれない」とあまり思っていない人だ、というのです。
会社のため、家族のため、社会のため、国のため、子供のため。そうした理由をつけて、会ったこともない人をネット上で激しく批判する光景が例に挙げられます。自分を疑っていないことが怖い、とジョルノさんは述べます。
最後に、尊敬する人の言葉が紹介されます。差別をなくすためには、自分の中の差別性を見つけ、認めることが大事だ、というものです。ジョルノさんは、本当にそれに尽きると受け止めています。
自分の正義を、時々疑うくらいがちょうどいい
ジョルノさんは、自分自身の発信にも同じ視点を向けます。番組では上司の理不尽さなどを語っていますが、それは自分から見た景色にすぎない、と認めます。
相手には相手の事情や正義があるのは理解している。それでも自分が間違っていないか、時々振り返りながら録音するようにしている、と話します。
腹が立っているときは冷静に考えられないこともあるため、録音した後に数日寝かせて「大丈夫か、俺」と考え直すこともあると明かします。
自分が絶対的に正しいとは思わないようにし、自分の正義を時々疑うくらいがちょうどいいというのがジョルノさんの姿勢です。
一方で、正義や正しいことがまったくなければ、物事を決める基準やルールがなくなり、支離滅裂な世界になってしまう、とも考えています。だからこそ、自分なりの信念を持ちつつ、時々自分を疑うバランスが大事だと語られます。
ジョルノさんは、子供の頃から悪い人やずるい人を多く見てきたため、悪への耐性も対抗する能力も高い方だと自認しています。だからこそ、慣れ親しんだ悪について話してみた、とこの回を位置づけています。
「悪は正義の顔をしてやってくる」
この問いを通してジョルノさんが強く感じたのは、悪は正義の名のもとに行われることが多い、ということでした。そこから、もう一つの言葉も浮かんだと言います。
関連して、耳障りの良し悪しの話もされます。ジョルノさんは職場でいろいろなことに気づくタイプで、このまま行くと失敗する、と先を伝えることがあると言います。
ただ、面倒だから途中を少しはしょると、相手にとっては耳障りの良くないことを言う人になってしまう。いざこざが続くと、もう何も言わずに「いいんじゃない」と返すようになるそうです。
相手にとっては仏の顔に見えても、腹の中では「このまま行くと失敗するけどね」と思っていることもある、とジョルノさんは打ち明けます。
だからこそ、苦言を呈する人の声も聞いてほしい、と呼びかけます。自分に甘いことばかり言ってくれる人が、本当に自分の味方とは限らないという視点です。
なんとかしてあげたいと思ったら、相手にとって耳障りの良くない言葉でも僕は言っちゃいますね。
他の番組も聞いてほしい、エンディング
エンディングでジョルノさんは、今回の「科学系ポッドキャストの日」では、いろいろな番組がそれぞれの視点で悪について話していると紹介します。同じテーマでも全然違う話が出てくるはずだ、として、他の番組も聞いてほしいと呼びかけます。
感想はハッシュタグ「絶窓」や「絶望の窓際族」をつけてXへ投稿するか、DMや概要欄のフォームから送ってほしい、と案内されます。少しでも面白かったらSpotifyのフォローや高評価を、とお願いして番組は締めくくられます。
まとめ
この回は、「科学系ポッドキャストの日」のテーマ「悪」を手がかりに、悪が正義の顔をして現れる構造を、職場やSNSの身近な例からジョルノさんが考えた回でした。
- 善と悪は立場によって左右され、同じ行為でも悪と正義に評価が分かれることがある
- 本当に悪い人は相手側に小さな悪を作り、自分の行為に理由があるというロジックで正当化する
- 職場の「本人の成長のため」やSNSの「悪人だから何をしてもいい」も、正義の名を借りた悪になりうる
- 一番怖いのは、自分は正しいと信じ、間違うかもしれないと疑わない人である
- 自分なりの信念を持ちつつ、自分の正義を時々疑うくらいがちょうどいい







