久々の収録は、日向夏のクラフトビールから
およそ2ヶ月ぶりの収録から始まったこの回。ユウジさんがお土産に持ってきたのは、九州クラフトの日向夏缶でした。
門司さんはパッケージを確かめながら、宮崎県特産の柑橘を使ったビールだと読み上げます。製造は宮崎の日出津ビールでした。
飲んだ?
美味しい。相当爽やか。
一口飲んだ門司さんも「美味しいね」と反応します。そしてビールの話から、いきなり創作への欲求が語られ始めます。
やっぱさ、ビール作りたいよね。
いや、なんかちょっと創作物をひたすら作りたいな。
情報処理に飽きた、という感覚
ユウジさんが創作物を作りたいと言う理由はシンプルでした。「もう飽きた」というのです。門司さんはそれを「情報処理に飽きているのでは」と読み解きます。
もう飽きた。
ここでの情報処理とは、プロンプト ── AIに指示を出すための文章。指示の精度で出力の質が変わるため、近年は指示書として作り込むことが増えていますを使ってAIから成果物を出すような、クリエイティブではない処理作業を指しています。ユウジさんはそれ自体を否定しているわけではありません。
情報処理をやりたくないんじゃなくて、それだけをやってることにすごく飽きた。
門司さんは、ユウジさんが人よりAIを多用して情報処理をしているからこそ、その反動でクリエイティブな方向へ気持ちが寄っているのではないかと分析します。
だからその反動で、クリエイティブな方に寄ってるんだろうね。気持ちが。
ユウジさんが飽きた背景には、「誰でもできる」という感覚もありました。ある程度の知識があればプロンプトで一定の精度が担保される時代になり、自分にしか作れないものではなくなったと感じているのです。
心が病んだ女性が、料理で回復した話
門司さんは10年ほど前に読んだ、あるnoteの記事を思い出します。心が病んでいった女性が、どう回復したかを書いたものでした。
その女性の回復の手段は料理でした。久々に自炊をしているうちに、自分が消費に寄りすぎていたことに気づいたといいます。
私が消費に寄りすぎていることに気づいた瞬間が料理やってる瞬間だって。
無心で料理をして、食べて美味しいと感じたとき、ネガティブな感情がなくなっていることに気づいた、という話でした。門司さんはここに、消費と情報処理の共通点を見ています。
人は本質的にこう消費していくだけっていうのは疲れる。
いや、そうでしょ。圧倒的につまらない。
テレビをダラダラ見るように受け取るだけ。AIによる処理も一定は生み出すが、料理のような手ごたえのある生み出しとは違う
料理のように自分の手で無心に作り上げる。自分のネガティブな感情が消えていくような手ごたえがある
脳が溶ける感覚と、増える精神障害
ユウジさんは、情報処理を続けることの疲れを体の感覚で語ります。
なんか脳がめっちゃ疲れてるなって感じがする。
いやなんか脳が溶けてる感じする。
ユウジさんは、最近出たという本の話にも触れます。精神障害者が増えていて、その原因に情報量が関係している、という内容だったといいます。
門司さんは、江戸時代と比べて情報が何万倍にもなっているという話を引き合いに出します。それを処理し、生き方の選択も迫られる時代では、豊かになる一方で精神障害も増える、と受け止めます。
その生き方の選択とかね、まあ疲れるよ。それは精神障害も増えるね。豊かになっている一方でね。
仕事の配分と、一次産業から離れた不健全さ
ユウジさんは、仕事の配分をすごく考えるようになったと話します。今は9割ほどがリモートワークでの情報処理で、その割合を減らして違うことがしたいと感じているのです。
なんか健全じゃない。人として健全じゃないってすごい思ってる。
門司さんは、この健全さの話を「一次産業から離れていることによる感覚」と結びつけます。狩猟の時代と違い、今はコンビニで買ったものを食べ、食材がどこからどうなっているのかもわからない、というのです。
自分で育てたものを食べる喜びに触れながら、門司さんはエンジニアやマーケターといったIT系の仕事が不健康になりやすいと指摘します。
めちゃめちゃ目痛いし、腰も肩も痛いし。よくない。
ユウジさんの周りでは、数名の経営者が農業を始めているといいます。一次や二次産業のように、何かを生産する方向へ向かう人が増えた気がする、というのです。
一次なのか二次とか、なんかそういった生産するみたいな方向に行ってる人がなんか増えた気がする。
門司さんは、これをAIの時代背景によるものだろうと受け止めます。同時に、ITやコンサル、マーケの仕事にも、仕組みを変えて売上が上がるような面白さがあることも忘れていません。
陶芸をやりたい。生き方を「創作」する
ユウジさんは、やりたいことを具体的に口にします。
陶芸やりたい。
門司さんは自身も兄夫婦とガラス細工を作った経験を語り、その面白さに共感します。ユウジさんは、福岡で立ち寄った陶器のお店の話をします。
ユウジさんがGoogleマップで調べてふらっと入った店では、おばちゃんが一人で自宅のスペースを使って陶器を売っていました。可愛いお皿を何枚か買ったといいます。
ただ、話を聞くと売るのは難しいとのことでした。粘土の仕入れが難しかったり、夏は焼くのが暑かったりと、いろいろな事情があるのです。
そこからユウジさんは、秋冬にまとめて作って夏はやらない、というシーズンごとの働き方を思い描きます。
冬場とかに秋冬ぐらいにガーって作って、もう夏やりませんとか、最高じゃんと思って。
門司さんは、北海道でホタテだけを作って生活し、あとはのんびり暮らすような街の話も持ち出しながら、自分の暮らしを創作できるのではないかと話を広げます。
お金の引力と、自分でかけた制限
門司さんは、自分でも気づかないうちに制限がかかっていると実感していると話します。「これぐらいの稼ぎがないといけない」という思い込みです。
いや、マジで常に常に問うた方がいいですよね。
門司さんは、独立するときに「独立時の売上を下回らない」と決めていたことを振り返ります。しかし最近、それが何のためだったのかがわからなくなってきたといいます。
最近それって何でだっけ?みたいな。
だからこそ、どう生きたいかを起点に働き方を設計できるはずだ、と門司さんは考えます。この時期だけ陶芸をやり、それ以外はこう稼ぐ、という組み立て方です。
門司さん自身も、考えた結果として自分でお菓子作りを始めてみようという気持ちになっているそうです。ユウジさんはそれを健全だと思いますけどねと受け止めます。
ストレスで出た頭痛と、動けなくなった朝
話は「健全さ」から、体に出るサインへと移ります。門司さんは先々週、すさまじい頭痛に見舞われたと打ち明けます。移住した理由や仕事の面白さと大変さなど、いろいろと考える時期だったといいます。
目がちらついて焦点が合わなくなり、脳神経外科を受診しました。医師の見立ては「ストレス性だと思う」というものでした。後日MRを撮ると、脳はとても綺麗で、そのときにはもう頭痛は消えていたそうです。
それは自分の中の心の整理がついてきたというか、ストレスが減ってきたからだっていうので、だから本当にその体に出ちゃう。
これに対しユウジさんは、自身が過去にうつ病 ── 気分の落ち込みや意欲の低下が続く精神疾患。睡眠障害や食欲の変化など、体の不調として現れることもありますと診断された経験を語ります。眠れず、ひどいときはご飯を食べても味がしなかったといいます。
ある朝、仕事に行こうと着替えて玄関を出ようとしたとき、体が動かなくなったそうです。
家の玄関出ようと思ったんですよ。動けなかったんですよ。あ、やばい、動けないと思って。
門司さんは、心が思いのほか簡単に壊れることに驚きます。五体満足で学校に通ってきた「普通」が、当たり前ではないと感じたのです。
絵が描けなくなる脳のエラーと、心の声
ユウジさんは、精神科での診断のときに絵を描くよう言われた経験を話します。木や道、山、太陽を描くように指示されたのです。
もうね、めちゃめちゃブレてる。まともに描けない。
驚くのは、描けないという自覚があるのに手が動かないことでした。門司さんはこれを、脳と体のあいだにエラーが起きている状態だと理解します。
描けない描けないと思って。あ、やっばって思って。
薬を飲み、仕事を休んで時間を置いてから描き直すと、割と綺麗に描けたそうです。ユウジさんはその回復を「すごい」と振り返ります。
門司さんは、同じことを言われても感じ方は人それぞれだと話します。詰められたと感じる人もいれば、感じない人もいるのです。
感じてないのか、本当に感じてないのかどうかもわかんないですからね。言い聞かしてるだけなのかもしれない。
門司さんは、怪我で競技に線が引かれたことでかえって整理がついた、という友人の話も交えながら、体のSOSや心の声を時々ちゃんと聞くことの大切さを語ります。
刷り込まれた「幸せ」と、消費をやめる選択
門司さんは、幸せがある程度定義されてしまっている難しさに触れます。結婚することや、これくらい稼げている人が成功者だ、という基準です。
SNSでそうした姿が見えやすくなり、「自分はこう生きなきゃいけない」「これは逃げだ」といった思い込みが強まる、というのです。門司さんは、幼少期からのテレビドラマなどで刷り込まれているこの状態に、自覚的になった方がいいと話します。
ユウジさんが「お金がないと生きられないと思ってしまう」と漏らすと、門司さんは「じゃあそんなに必要なんだっけ」と問い返します。ユウジさんは、生活保護で楽しそうに暮らす知り合いを例に挙げます。
門司さんも、20代後半に1年ほどフリーターをしていた友人の話をします。貯金をしたうえで、週に何回かフットサルに行き、帰って料理をするような日々を送り、とても充実していたそうです。
その友人はその後ちゃんと就職し直し、今は楽しそうに暮らしているといいます。門司さんは、根を詰めて働くだけでなく、そういう時期があってもいいと受け止めます。
そのうえで門司さんは、人生でこれを実現したいという軸を持つことが、人に流されないために必要だと語ります。持たなければ、隣の芝が青く見えたり、人に怒られて簡単に道を変えたりしてしまうからです。
最後にユウジさんは、消費している時間の象徴として、ショート動画を見るのをやめようと決意します。
ちょっとショート動画見るのやめよう。本当に。良くない。
門司さんは、本を読んで自分を見つめる時間や、人と話して自分との違いを感じる時間の必要性を挙げます。ユウジさんは、休憩時間にショート動画を見るのは、消費しながら脳に負荷をかけているのだと付け加えました。
まとめ
AIによる情報処理に飽き、脳が疲れていく感覚から、二人の話は「消費より創作へ」「健全でいたい」という方向に流れていきました。頭痛やうつの経験も交えながら、幸せの基準を自分で問い直すことの大切さが語られた回でした。
- 情報処理そのものではなく、それだけを続けることに二人は飽きを感じていた
- 消費に寄りすぎると疲れる。料理や陶芸のような「創作」に手ごたえがあるという話が軸になった
- ストレスや心の負荷は頭痛や、絵が描けなくなるといった体のサインとして現れる
- 「これくらい稼がないと」という制限や、刷り込まれた幸せの基準は、意識して問い直した方がよい
- ユウジさんは締めに、消費の象徴としてショート動画を見るのをやめようと決意した







