劇団時代の友人と久しぶりに交わした昔話
今回は劇団時代の友人とLINEでやり取りしたことがきっかけの、ラフなお遊び回です。
役者時代の話は要所要所でしてきたものの、まとまって語った記憶はないと井上さんは話します。
役者をやめるきっかけになった舞台が一つだけあり、その友人も似た経験をしていたことから、話してみると面白いかもしれないと思い立ったそうです。
限られたお金だからこそ得られる喜び
本編前に、先週のコメントへの返信から話が始まります。
テーマは「お金の価値」。リスナーの「自分がなんとなく使う飲食代で息子はどれくらい楽しめるんだろう」というコメントに、井上さんは強く共感したと言います。
例として、井上さんは毎月2万円のお小遣いを貯め、正月にコートや服を買うのが習慣だと話します。今年の正月にはバブアーのコートを買ったそうです。
ただ、同じ買い物でも「めっちゃ高い買い物をした」という感覚は、貯金がなかった若い頃のほうが強かったと振り返ります。
今は貯金をしながら買うので「買おうと思えば買える」という感覚になり、インパクトが違うと語ります。
だからこそ、たくさんあれば喜びが得られるわけではなく、「ちょっと不自由だけど工夫したら楽しめる」くらいがいいのではないかと話します。
たくさんあったら、その喜びって得られない気もするんで。ちょっと不自由だけど工夫したら楽しめる、くらいの感じがいいですよね。無さすぎると大人になってから反動くるし。
「いい塩梅」は自分で考えるもの
話は「福利の効果」と、人生のどの期間に何にどれだけお金を使うかというコメントへ移ります。
井上さんはここで、結局は「いい塩梅」を自分で考えることが大切だと語ります。
一方で、その塩梅を考えずに済む「答え」を欲しがりすぎる人が多いことには、リテラシー教育の敗北のようなものを感じると話します。
それを考えることこそが人生であり、考えたからこそ死ぬ時に「まあ悪くなかった」と思えるのではないか、と言います。
その後、ワールドカップの話にも脱線します。チュニジア戦の内容や、田中碧選手のロングパスから上田綺世選手のフリック、伊東純也選手の裏抜けといったプレーに感動したと語ります。
同時に、40歳近い選手が6人ほど出場していることや、メッシ選手の「異次元」ぶりにも触れます。
日本の強さは個人技よりチームとしての組織力にあり、独特で面白いチームだと話します。
手取り14万円の町工場から役者の道へ
ここから本編です。井上さんはまず、自分が元役者だと知らない人が増えていることに触れます。
以前は「元役者の」と名乗っていましたが、「もういりますか」というコメントがつくようになり、消したそうです。
21歳までは町工場で会社員をしており、手取り14万円ほどの世界で生きていたと振り返ります。
今の仕事で大卒の人たちと接するようになった時、ある人が「手取り14万の人たちの気持ちがわからない」と話すのを聞いた経験も語られます。
(その人らからしたら)手取り14万の人らと友達になれるわけないわなと思って。俺やけどなと思いながら。こういう人らは、その人らの気持ちがわからへんねんなと思って。
仕事自体はそこまで嫌いではなかったものの、明確につらかった時期もあったと言います。
その会社では工場の人間は7時半出社で、始業の8時半までの1時間がサービス残業になる習慣がありました。
7時半に働き始めて終電で帰り、朝5時に起きる。そんな日々に「俺、何なんこれ」と思ったと振り返ります。
そこから「何かやってみたい」と思い、土日に通える役者の養成所を1年間通い、22歳で事務所に入ったそうです。
事務所から劇団へ、そして仲間との出会い
事務所はすぐにやめてしまったと井上さんは話します。
ダンスレッスンがあることや、「テニスの王子様のミュージカルに行けるんじゃないか」と社長にすすめられたことに違和感があったそうです。
より本質的な理由として、見栄とプライドの「ちっちゃな世界」が肌に合わなかったと語ります。
大きな世界の中に上下があってカーストがあって、また小さな世界に小さなカーストがある。各地にジャイアンがいるみたいな感じで。「あー寒いなここ」と思って辞めて、その後は劇団に入って。
その後は劇団に入り、役者としてトータル6年ほど活動しました。劇団時代は楽しく、当時の座長とは今も飲みに行く仲だと言います。
一方で、井上さんは劇団員とはあまり仲が良くなかったとも語ります。パンフレットの顔写真を見て「プロダクション臭くて気持ち悪い」などと言ってしまうタイプだったそうです。
そんな中で唯一プライベートでも付き合ったのが、同い年で圧倒的に芝居が上手く、ずっと尊敬していた友人でした。今は函館にいるというその友人と最近LINEをしていたことが、今回の話のきっかけです。
演出助手をきっかけに変わった作品への向き合い方
井上さんが役者をやめようと明確に思ったきっかけを語ります。
当時の井上さんは端役が多く、それが「気持ちよかった」と振り返ります。本気の覚悟はないまま、「役者をやっている」こと自体が免罪符のようになっていたと言います。
転機は、順番で回ってくる「演出助手」の役割でした。演出家がいない日に稽古を仕切り、役者たちに演技の指示を出す立場です。
自分よりお芝居上手い人なんていっぱいいてるし、役者歴が長い人もいる。その人らに「こここうした方がいいと思います」と言った後に、演出が180度違うことを言うんですよ。めちゃくちゃ嫌なんですよ、立場的にね。
この役割のために、井上さんは初めて作品全体と向き合うことになります。
これまでは自分の役の前後だけを読んでいたのが、ストーリー全体、他の役者の芝居まで見なければならなくなりました。
さらにこの劇団は脚本の完成が遅く、オチまでわからないまま演出をつけていく状況だったと言います。
一番いい芝居ができた時にやめようと思った
新しい台本をもらい、初めて読み合わせをした時のことを井上さんは鮮明に覚えていると語ります。
台本に感動し、役として演じる前に、自分自身が泣いてしまったそうです。
そこまで作品に入れ込んだ結果、本番のお芝居はみんなが褒めてくれるほど良いものになりました。
自分は冷めていて芝居で泣けないタイプだと思っていたのに、5回やれば5回とも自然に涙が出たと言います。
そして、みんなに高く評価されたその時に、井上さんは「役者をやめよう」と思ったそうです。
こんなにちゃんと向き合って、初めて売れるか売れへんかのスタートラインに立てるんやと思った時に、「俺、残りの人生、この熱量で芝居を続けるほどお芝居を愛せへんな」と思ったんですよね。
それまでの井上さんは、何でも8割ほどの能力でこなしてしまう「器用貧乏」で、正面から向き合って負ける経験をしてこなかったと振り返ります。
だからこそ、本気で向き合って「これは完全に負けだ」と実感できたことは、大きな経験だったと語ります。
中途半端をやめ、「今が一番おもろい」と言える人生
最後に一度だけ、自分で書いたコメディ脚本の舞台に立ち、ウケて思い残すことなく役者をやめたと井上さんは語ります。
その後は就活がうまくいかず、職業訓練でFPと簿記の資格を取得。訓練先にいた元芸人のFPを見て、自分も経験を生かしたいと思い、「元役者の」という肩書きでやるようになったそうです。
この経験から井上さんが強く思うのは、「中途半端が一番良くない」ということです。
中途半端に浪費するとか中途半端に貯金するとか、中途半端が一番良くない。やるんやったらとことん金使って遊んだ方がいい。「もうええわ」ってなった方が、パーンって切り替えられると思うんですよね。
やりきれば未練が残らず、「もう十分やってきたから」と思える。だからこそ中途半端は避けたい、と井上さんは話します。
今も付き合いのある劇団の友人たちに共通するのは、過去にピークを置いていないことだとも語ります。いい経験は大切にしつつ、今を生き生きと楽しんでいる人が魅力的だと言います。
その例として、80歳を過ぎたご近所の女性の言葉を紹介します。何年も畑をやっているのに「毎年一年生」と話したそうです。
もう畑やってると思うけど、毎年一年生。
毎年学びがあると思って畑に向き合う姿に、井上さんは「めっちゃかっこいい」と感じたと言います。今を大切にしていることが魅力なのだと語ります。
井上さんの人生の目標は、70歳や80歳になっても「今が一番おもろい」と言える生き方だそうです。
演出家から言われた「お前がそんなレベルでやっててどうやって追いつくねん」という言葉にも触れ、必死に生きること、小手先が通用しないことを学んだと締めくくります。
まとめ
一番いい芝居ができた時にやめるという選択は、本気で向き合ったからこそ下せた決断でした。その経験は、中途半端を避け、今を生きるという井上さんの価値観のルーツになっています。
- 限られたお金だからこそ、工夫して楽しむ喜びが生まれる
- いい塩梅や答えは、自分で考えることに人生の意味がある
- 演出助手を機に作品全体と向き合ったことが、役者をやめる転機になった
- 本気で向き合って負けたからこそ、未練なく次へ進めた
- 過去にピークを置かず「今が一番おもろい」と言える生き方を目指す







