最低賃金が上がったら、川上牧場はどうする?
10月10日から各地で最低賃金が改定され、地域によっては100円以上上がったところもあります。この回の川上さんは、「最低賃金が上がったら川上牧場はどうするのか」という、少し踏み込んだリスナーの質問に答えています。
配信の冒頭では、職場体験に来ている農業高校生1人と地元の中学生2人の最終日であることや、翌日に豊洲公園で開かれる「ミルクフェス2026」に川上さんが参加することも話されています。会場では本物の牛を前に、来場者の質問に答える予定だそうです。
質問はYouTubeコミュニティに届いたもので、お便りコーナーで読み上げられました。
10月10日より島根県でも最低雇用賃金が改定されます。改定されることで川上牧場にはどのような影響があるのでしょうか。雇用費が上がることで経費がかかるわけですが、川上さんはそのマイナス分をどのように補填していくのか、大変気になります。おやつのポテチを我慢するのか、毎朝飲んでいる搾りたての牛乳を半分にするのか、逆に売り上げを伸ばす算段があるのか、どうでしょうか。
川上さんがまず反応したのは「牛乳を半分にする」という選択肢でした。給料を払う側の社長さんが牛乳を減らすのは本当にやめてほしい、と笑いまじりに抵抗しています。
僕も本当にいつも通り牛乳は飲ませてもらってますよ。1日コップ1杯ですからね。本当に微々たるものですよ。
そのうえで川上さんは、この質問は酪農業界が厳しい今だからこそ本質的だと受け止めます。人件費も餌代も電気代も機械も上がる物価高の中で、生乳を売る酪農家は「明日から1kg10円値上げします」と自由に決められるわけではないからです。
島根県は1,033円から1,092円へ。59円はどれくらい重い?
島根県の最低賃金は、10月10日から時給1,033円から1,092円になりました。差は59円で、率にすると5.71%の上昇です。
59円だけを見ると小さく感じるかもしれません。けれど川上さんによると、最低賃金水準で月100時間働く人なら月5,900円、160時間なら月9,440円増える計算になり、何人もいれば年間ではそれなりの金額になります。
雇用条件によっては社会保険など事業者側の負担にも影響するため、小さな事業者ほど「たった59円」とは言いにくい、と川上さんは話しています。
ただし川上さんは、牧場への影響が「59円×全労働時間」ではないことも正確に伝えています。すでに全員が1,092円より十分高い時給で働いていれば、最低賃金に合わせて直ちに時給を上げる必要はありません。
最低賃金はあくまで、これより下では雇えませんというそこですね。
ちなみに川上牧場では、タイミー ── 必要な時間だけ働きたい人と、人手がほしい事業者をつなぐスキマバイトのアプリ。面接なしで短時間の仕事に応募できるのが特徴ですなどの隙間バイトを時給1,100円で募集しています。意外と人気で応募が集まるため、今回の改定を受けても時給は上げていないそうです。
一応最低賃金以上はちょっとやってますけど、本当にギリギリのとこですね。
酪農の競争相手は「最低賃金」ではなく「他の仕事」
川上さんは、最低賃金より高く払っているから関係ない、とも言えないところが経営として面白いと話します。たとえ話として挙げたのが、時給1,200円で求人を出している場合です。
最低賃金1,033円のとき、差は167円
最低賃金1,092円になると、差は108円に縮む
同じ1,200円を払っていても、「最低賃金よりかなり高い仕事」という魅力は薄れてしまいます。コンビニや飲食店、工場、スーパーなど他の業種も、最低賃金の上昇に合わせて求人の時給を上げてくるかもしれません。
だから酪農は「最低賃金を守ればいい」ではなく、その仕事内容で人が来てくれる賃金はいくらかを考えなければいけない、というのが川上さんの見方です。
川上牧場の仕事は朝5時から始まります。牛が相手なので予定どおりにいかないこともあり、フンで汚れ、夏は暑く冬は寒い仕事です。
場合によっては牛に蹴られる危険もありますけども、今まで500人以上、もう今600人ぐらいになるかなと思いますけど、受け入れしてますけども、一度も怪我させたことはないです。
一方で街には、空調の効いた店内でできる仕事もあります。同じ時給ならどちらを選ぶかを、酪農家側も考えないといけないと川上さんは言います。
ポテチを削る前に見るべき「人時生産性」とは?
質問にあった「ポテチを我慢するか、牛乳を半分にするか」に戻ると、川上さんは家計の小さな節約もゼロではないとしながらも、経営としてはその方向にはしたくないと話します。
理由は、最低賃金が今回だけ上がって終わりの問題ではないからです。人手不足が続けば、来年も再来年も人件費は上がっていくかもしれません。
毎年ポテチを1袋ずつ減らす仕組みではなく、牧場そのものを変えること、これをしないといけないなと思います。
川上さんが最初に見るべきだと挙げたのは、人件費ではなく人時生産性 ── 従業員1人が1時間働いて生み出す価値(売上や粗利)を表す指標。小売業などで使われ、少ない時間で同じ成果を出せるほど高くなりますです。1人が1時間働いて、どれだけの価値を生み出しているかという考え方です。
人時生産性を上げるために、川上さんは仕事をこんな問いで見直すと話しています。
ポイントは、賃金を安くするのではなく、必要な時間を減らすことです。時給を下げるのには当然限界があるので、必要な労働時間のほうを減らす、と川上さんは説明します。
餌寄せの回数、掃除の動線、搾乳の準備、道具の置き場所、記録、牛の移動など、牧場には毎日5分、10分、15分かかる作業がたくさんあります。1つ1つは小さくても365日積み重なると大きく、酪農はこうした改善との相性がいいそうです。
ただし、高い機械を買えば解決するわけでもありません。川上さんは、数千万円の設備を入れて人件費が年間50万円しか減らなかったら意味がない、と注意します。
機械を入れるときは、その設備で年間何時間減るのかに人件費をかけ、修理代、電気代、保守費、耐用年数と比べる必要があります。最低賃金が上がるほど省力化の機械の価値は高くなるものの、機械なら何でも得になるわけではない、という話です。
国の支援制度も同じ発想だと川上さんは紹介します。厚生労働省の業務改善助成金 ── 事業場内の最低賃金を引き上げ、あわせて設備投資などで生産性を高めた中小企業・小規模事業者に、その費用の一部を助成する国の制度は、給料を上げながら生産性を上げる投資をした中小企業を支える仕組みです。申請時期や条件があり、最低賃金が上がったら自動的にもらえるわけではないので注意が必要だそうです。
値上げも増産もできない?酪農ならではの売り上げの難しさ
質問の「売り上げを伸ばす算段はあるのか」という点にも、酪農ならではの難しさがあります。普通の商売なら材料費が上がれば商品を値上げできますが、多くの酪農家は生乳の価格を自分の牧場だけで決めているわけではありません。
川上さんによると、国内の生乳の多くは生産者団体と乳業メーカーの交渉で用途別の乳価 ── 酪農家が出荷する生乳の取引価格。飲用向けか、バターやチーズなどの加工向けかといった用途によって価格が分かれていますが決まり、生産者に支払われます。生乳は傷みやすく毎日生産されるため、酪農家単独では価格交渉で不利になりやすいそうです。
人件費が5%上がったので、明日から生乳を5%値上げしますとはできないんですよね。
では量を増やせばいいかというと、川上さんはそれも「半分正解で半分ちょっと危ない」と話します。配合飼料や牛を増やせば売り上げは増えますが、餌代、糞尿処理、労働時間、診療費、機械の負担も一緒に増えるからです。
さらに乳製品全体が余っているときにみんなが増産すると、需給そのものが悪くなることもあります。だから見るべきは何キロ増やしたかではなく、その1キロを増やして最後にいくら残ったかという粗利だ、と川上さんは言います。
川上さんは、乳量を増やすより損失を減らすほうが強いこともあると話します。100円の売り上げを増やすのに80円のコストがかかれば、手元に残るのは20円だけです。
漏れている利益として挙げられたのは、餌のロス、病気、繁殖の遅れ、機械の無駄な稼働、作業の二度手間、牛乳の廃棄などです。
酪農では、牛の健康も労働生産性につながります。乳房炎 ── 牛の乳房に細菌などが入って炎症を起こす病気。治療中の牛の乳は出荷できず、酪農の経営に大きな影響を与える代表的な病気ですになれば、治療、搾乳を分ける作業、薬の使用、記録、牛乳の廃棄と、すべてに時間がかかります。
病気・繁殖の遅れ
乳房炎になる、何回も発情を見て何回も受精する
手間が増える
治療、搾乳を分ける、薬、記録、牛乳の廃棄
時間とお金が出ていく
診療費だけでなく、人間の作業時間も増える
逆に言えば、牛が健康になると診療費が減るだけでなく、人間の仕事も減ります。川上さんは、これが酪農にとって非常に大きな省力化だと話しています。
最低賃金ギリギリより「高い給料を払える牧場」が強い理由
ここからは個人的な考えとして、川上さんは最低賃金ギリギリで人を雇える牧場より、最低賃金が上がってもそれ以上払える牧場を作るほうが強いと語ります。人が減っていく中で、いい人に来てもらい、長く働いて牛を扱えるようになってもらうには時間がかかるからです。
今日初めて来た人と、半年牛を見てきた人では、できることが全然違います。
熟練した人は同じ1時間でも生み出す価値が違うので、人件費は安ければ得というわけではない、と川上さんは考えています。
最低賃金の上昇にはプラスの面もあります。働く側から見れば生活費が上がる中で所得が上がり、地域で使われるお金が増える可能性もあります。農業も「安い給料だけどやりがいはあります」だけでは人が来てくれない時代だ、と川上さんは話します。
そのために川上さんが提案するのは、酪農の仕事を分解して考えることです。搾乳、餌やり、発情発見、治療、子牛管理、掃除、堆肥づくりや販売・配達、データ入力、機械の修理では、必要な技術がそれぞれ違います。
| 仕事の種類 | 対応 | ねらい |
|---|---|---|
| 高い技術が必要な仕事 | 見合う給料を払う | 熟練した人に長く働いてもらう |
| 単純作業 | 標準化する | 誰がやっても同じ時間で終わる |
| 機械化できる仕事 | 機械化する | 人の作業時間を減らす |
| 外注できる仕事 | 外注する | 牧場内の負担を減らす |
| 経営者しかできない仕事 | 減らしていく | 属人化をなくす |
質問への答えとして、川上さんはポテチを我慢する前に、毎日やっている5分の仕事を一度考えてみると話します。5分は大したことがないように見えても、同じような小さな作業が10個あれば、1年で300時間になるそうです。
最低賃金のニュースは「仕事のやり方」を問うニュース
最後に川上さんは、島根県の最低賃金が1,033円から1,092円へ5.71%上がったことを振り返ります。売り上げも飼料費も電気代も生産性も変わらないまま人件費だけが上がり続ければ、当然どこかで苦しくなります。
最低賃金改定は単なる給料のニュースではなく、経営者に「あなたの仕事のやり方はこのままで持続できますか?」と問われているニュースでもあるかなと思います。
川上牧場の実際の人件費は、隙間バイトで時給1,100円ほどです。今は人が来なくて困る状況にはなっていないので、人が来なくなったら改善しようかなと、様子見の状態だそうです。
一方で、島根県のほかの仕事の給料も上がって最低賃金との差が埋まれば、採用や人材の定着には影響が出てくる、と川上さんは見ています。
だから一番やりたいのは、給料やポテチや牛乳を削ることではなく、機械化、自動化、作業動線、牛の健康、餌のロス、外注、仕事の標準化を見直して、1時間かかっていた仕事を50分にできないかと積み重ねることです。
そして生産性が上がった分を、働いてくれる人にも返していく。最低賃金が上がっても人を雇え、むしろ周りよりいい給料を払え、それでも利益が残る牧場のほうが持続性がある、と川上さんは話しています。
ちなみに牛乳はこれまで通り僕はもうガンガン飲みます。
乳価が上がったら給料を上げたい、川上さんの本音
質問への回答のあと、川上さんは本音も語っています。最低賃金ギリギリで「何やってんだよ」と怒られるかもしれないし、搾取だと言われたらそうかもしれない、と率直に認めたうえで、それ以上の価値を感じて一緒に働いてくれる人たちへの感謝を口にします。
川上牧場で研修した人が新規就農につながったこともあり、隙間バイトもリピーターが多く、募集を出すとすぐに埋まるそうです。
給料については、乳価が上がったら一気に上げたいものの、一度上げると下げにくいので今は様子見だと話します。長期目線で見ると厳しいとも感じているようです。
本当に皆さん牛乳しっかり飲んでもらえたら、給料もどんどん上げていきたいなと思ってますんで、ぜひよろしくお願いします。
まとめ
最低賃金の上昇は、酪農家にとってコスト増のニュースであると同時に、仕事のやり方そのものを見直すきっかけでもあります。川上さんは、削るのではなく1時間から生まれる価値を上げる方向で、この変化に向き合おうとしています。
- 島根県の最低賃金は1,033円から1,092円へ59円、5.71%上がった
- 最低賃金より高く払っていても、他の仕事との差が縮むため採用への影響は避けられない
- 生乳の価格は自由に決められず、増産も粗利を見ないと危ないため、損失を減らす視点が大事
- 仕事を分解し、標準化・機械化・外注・牛の健康管理で必要な時間を減らすことが本質的な対応
- 生産性が上がった分を働く人に返し、周りよりいい給料を払える牧場が持続性につながる


