仏教の「空」と「縁起」から話を始める
この回は、パーソナリティが「宇宙と繋がってるって話」を切り出すところから始まります。まず前提として、仏教の核心にある「空」と「縁起」という考え方が取り上げられます。
稲毛さんは、大好きな漫画『阿吽』を通して「空」の概念に触れた記憶があると話します。
俺めっちゃ好きな漫画の何個かあるうちの一個が、阿吽っていう漫画がめっちゃ好きで。
主人公が空海なのよ。(空海が)修行して悟りを開いて、仏教を日本に広めるみたいなのを描いたストーリー。
パーソナリティは「空」を、存在が関係性の中でしか成り立たないということだと説明します。「空」と「縁起」はほぼ同じ意味として結べるため、ここでは一体のものとして扱われます。
「人間全員、宇宙と繋がってる」という結論
パーソナリティは、「空」に納得できるなら「人間全員宇宙と繋がっている、終わり」と一気に結論へ飛びます。あまりの早さに稲毛さんは戸惑います。
え、結論早すぎん?
いや繋がってるって。ロジックで分解してくださいよ。賢いねんから。
稲毛さんは、その「繋がっている」が物理的な接触の話なのか、感覚ベースの話なのかを確認しようとします。話者2人は、目に見えない線でつながっているイメージを共有していきます。
繋がってるって、じゃあもう少し具体的になるとさ、(それは)人と人が手をつながって接触して繋がってるっていう話なのか、もっと感覚ベースの話なのか。
ビッグバンから引く「一本の線」
パーソナリティは図を描きながら、宇宙という起点からすべての万物が一本の線でつながっていると説明します。ここでの「宇宙」は、何かの起点によって最初の物質が生まれた状態を指すと仮定されます。
宇宙っていう起点から、生きとし生けるもの、無生物、有機物、もう全ての万物が一本の線で繋がってるって話をしてます、僕は。
話は、ビッグバンによって物質が生まれた瞬間から始まります。それを点ではなく線として捉えると、ホモサピエンスが生まれたのも、令和という時代が始まったのも、すべてその起点とつながっていると言えます。
稲毛さんは、時間軸や物質的な違いを無視して同じ箱の中に入れて考えれば、すべてつながっていると受け止めます。
同じ箱の中に入ってるよね。ってことは、(みんな)繋がってるよね。恐竜なんて俺見たことないけど、宇宙っていう軸で切った時って繋がってる。
時間軸と距離を広げて悩みを小さくする
パーソナリティは、この結論にロジックとしてたどり着けたことに驚きつつ、それを自分の人生に引きつけて体感できると思考のクリアさが増すと話します。稲毛さんは、この考え方に違和感がないと言います。
稲毛さんは、中学か高校の頃に似た境地に自力でたどり着いていたと明かします。辛い時に、時間軸と距離を広げて物事を見るという処世術です。
要は自分が辛いなってなっても、すごい広げてみたら、(それは)歴史の教科書に絶対載らないような悩みだし、(逆に)このイベントを乗り越えたら、歴史のページに刻まれる偉人になるかもなみたいな。
さらに稲毛さんは、宇宙のような高い次元から自分を見ようとすると、飛行機から地上を見たときのように悩みが見えなくなると表現します。そうして悩みを小さく捉えるようになってから、悩み事がなくなったと振り返ります。
矮小化できない苦しみをどう見るか
一方でパーソナリティは、直近の仕事でお客さんに目をかけられた出来事を、うまく矮小化できずに苦しかったと打ち明けます。悲観的に捉えるか楽観的に捉えるかは本人次第なのに、自分は無意識に「辛い」を選んでいると気づきます。
怒られたとしても、それを悲観的に捉えるか楽観的に捉えるかはその人次第なのに、僕はここは無意識的に選んでるな。辛いっていう感情を自分で選んでる。
稲毛さんは、辛いや痛いといったマイナスの感情はできるだけ捨て去れた方がいいという立場を示します。しかしパーソナリティは、それは違うと強く否定します。
喜怒哀楽すらも縁起なんすよ。こういう前提があるから、辛いって起きちゃうんですよね。絶対に起きる。
友達を傷つけていた過去と「苦滅」の意味
パーソナリティは、なぜ自分がその出来事を辛いと感じるのかを、過去の経験に結びつけて掘り下げていきます。かつて学力しか誇れるものがなく、点数の低い人の人格を否定していた時期があったと告白します。
点数低いやつとかの人格を否定しまくってたんすよ。でもなんかそんな自分も今は許せる。
最近その相手と話し、当時めっちゃ辛かったと感じたといいます。自分がありたい状態へ一緒に行けたかもしれない友達を、自分で傷つけていたことが辛かったのです。仕事の苦しみも同じで、大事にしたいものを自分で攻撃してしまっているから辛さが出てくると整理します。
そのうえでパーソナリティは、仏教の「苦滅」という言葉に触れます。これは苦しみを減らすことではなく、ありのままに見ることだと説明します。
だから苦しみと私が繋がってるっていう、その錯覚を取りましょうよっていう、そういう話。
稲毛さんは、辛さや痛みをゼロにするのではなく、起きるものだと思って生きていると応じます。起きたときには、耳栓で音が聞こえなくなるようなイメージで受け流すのだといいます。
辛いとか痛いを、ゼロにするんじゃなくて、起きるもんだって思って生きてるから、起きた時に、消すまではいかないけど、耳栓したら音聞こえなくなるじゃん、みたいなイメージ。
小学生で達観していた稲毛さんの原点
パーソナリティは、稲毛さんがこの考え方に達したのがいつかを尋ねます。稲毛さんは、言語化されたのは高校生の頃だが、感覚としてはもっと前から無意識に身についていたと答えます。
その原点は、小学校時代の辛い経験にあるようです。パーソナリティは、それが相当つらかったのではないかと繰り返し確認します。
大人はなんかバカにして生きてたかもしれない。小学生ぐらいから。
なんで上の立場の先生が、自分よりも世の中をクリアに見えてないのに上から言ってくるんだろうが、すごいずっと疑問で。
パーソナリティは、その物の見方の高さを賢いと評価しつつ、大手企業への就職についても話を向けます。稲毛さん自身は、採用する側に立った今なら、大きな組織の歯車にはなれない自分を採らないだろうと語ります。
強者と弱者、そして群れる組織の構造
パーソナリティは、大手に行く人とベンチャーや起業を選ぶ人の違いを「強者か弱者か」という言葉で整理します。ここでの弱者・強者は善悪ではなく、あくまで状態や関係性の話だと断ります。
群れないと死んじゃうから、結果的に残るのって弱者しか残らないんですよ。
パーソナリティは、ライオンとシマウマの関係を例に出します。シマウマだけでも草が枯れて死に、ライオンだけでも食料がなくなって死んでしまう。互いに生かし合う関係のように、強者と弱者も関係性の話だと説明します。
群れないと生き残れない。効率が悪くても数の力で大きなものを作る
自分のエンジンについてこられる者しか残らず、少数精鋭になっていく
そのため強者であるほどグループは小さくなり、ベンチャーに入る人はどんどん少数側に寄っていくと結論づけます。稲毛さんも、理解し合える割合が少ないほど、あぶれて小さなグループになると同意します。
苦しかった過去を「面白い人生」と捉え直す
話は再び稲毛さんの小学校時代へ戻ります。パーソナリティは、その頃からずっと考え方の高さが変わっていないことに驚きます。稲毛さんも、小学生の時と変わっていないと認めます。
稲毛さんは、先ほどのブッダの話にも通じるとして、悲しいことも嬉しいことも表裏一体だと語ります。この年齢になってからは、その経験が人生を面白くしていると捉えられるようになったといいます。
嬉しいことも悲しいことも表裏一体というか。この年齢になってきたら、それすれば俺の人生なんかおもろくしてんなみたいな。
パーソナリティは、それは今を肯定的に捉えられているからだと応じます。今のありのままの自分を見つめて、それでいいと思えた瞬間から、過去のすべてを肯定できるようになると話します。
本能を早く手放し、論理で駆動する人間に
稲毛さんは、目の前で走り回る低学年の子どもたちを見て、自分が本能を優先する時期を早くに終えていたと振り返ります。当時から本能のウェイトが少なくなり、論理で駆動する頭でっかちな人間になっていたと語ります。
俺は多分当時ぐらいから本能のウェイトが超少なくなってて、勝手に論理が駆動してる頭でっかち人間に。環境がそうさせた感はある。
パーソナリティが、よく自殺しなかったと問いかけると、稲毛さんは実際にしていてもおかしくなかったと明かします。実家に残る幼い頃の絵が、その状態を物語っていたといいます。
マジで自殺するね、してたと思うよ。
稲毛さんは、小学2年の頃、みんなが同じ型に色を塗る課題で、自分を真っ黒の鬼のように描いていたと語ります。その絵だけが教室の後ろに掲示され、いびつに浮いていたそうです。振り返ると、精神が参っていたのだろうと感じています。
当時、一人だけ異常なのが教室の後ろに張り出されてるから、その保護者会とかで真後ろに一つだけいびつな絵が描いてあるみたいなので。
精神と絵はリンクすると2人は語り合います。パーソナリティは、その頃が一番達観していて、最近はむしろ落ち着いてきたのではないかと問いかけます。
エンジンに余裕を持たせて生きる感覚
パーソナリティは、達観した状態は一度到達すれば終わりの山ではなく、瞬間ごとにありのままを見ることで到達し続けられるものだと説明します。それを続けられている稲毛さんを賢いと評価します。
稲毛さんは、小学校低学年の頃に自分のエネルギーを使い切っていた感覚があり、その後は消化試合のように全力を出さずに生きてきたと語ります。全速力で走った余韻で、今も走っているような感覚だといいます。
その時に出してた全速力で走った余韻で走ってるみたいな。
パーソナリティが、生きる間に何を達成したいのかと尋ねると、稲毛さんは「そんなにない」「生きればいいや」と答えます。全力を出し続けることの負荷の高さや、自分のキャパの限界が見えたことが背景にあるようです。
他者を通してしか生まれない感情と優しさ
パーソナリティは、達成したい壮大な夢はなくとも、他者にいい影響を与えたいという気持ちが稲毛さんに薄くあることに触れます。そして、それは薄くない、困っている人は助けた方が自分のためにも絶対にいいと後押しします。
困ってたら助けた方が絶対いいですよ。自分のために。
稲毛さんは、以前話した祖父が亡くなったときの姿こそ、自分が死ぬときに成し遂げたい究極の姿だと語り、それが達成したいことかもしれないと気づきます。
パーソナリティは、優しさや喜怒哀楽は他者を媒介しないと生まれないと説明します。宇宙で一人きりなら、何も考える必要がなく感情も生まれないというのです。
私が優しいのは他者に優しくした経験があるから、それを相対的に評価して、私って優しい方なんやって言ってるじゃないですか。
感情もまた縁起であり、実体としてではなく関係性から生まれるものだと整理されます。悲しみさえ、他者の期待や社会的な前提があるから生まれてしまうというのが、この回の中心にある考え方です。
葉っぱを笑わせることはできるか
稲毛さんは、目の前の葉っぱと自分の関係からも喜怒哀楽が生まれるのかと問います。パーソナリティは生まれると答え、葉っぱが人が植え、人が作った建造物の中にあることを挙げて、人とつながっていると説明します。
今のってさ、人と人の話な気がしててさ。それをさっきの宇宙の一番最初の話に戻すと、目の前の葉っぱと俺も繋がってるって話でしょ。
稲毛さんはさらに飛躍し、「この葉っぱを笑わせたい」と言い出します。パーソナリティは、葉っぱは言語を理解できないため人間と同じ意味では笑わないが、共通する要素は持っていると答えます。
稲毛さんは、人を笑わせるのと同じ熱量で葉っぱを笑わせられる人の方が価値が高いのではと考えます。パーソナリティは、それは人間界の言語という前提で見るかどうかによると応じます。
話は、感情を持って接すると動物の肉質やものの状態が変わるという話題にも広がります。パーソナリティは、無機質に思えるものにポジティブな方向へ仕向けられる可能性はあると認めます。
科学的にも、あと何百年ぐらいで証明されるんちゃうかなと思います。今の技術ではね、証明できないと思うけど。
結局、稲毛さんの問いは論理で勝とうとしたものではなく、純粋な疑問だったと明かされます。パーソナリティはそれを嬉しいと受け止め、「賢かったという話でした」と回を締めくくります。
まとめ
仏教の「空」と「縁起」を入り口に、宇宙とすべてのものはつながっているという話から始まり、苦しみとの向き合い方、幼い頃から達観していた稲毛さんの生き方、そして他者を通してしか生まれない感情や優しさへと、話が広がっていった回でした。
- 「空」「縁起」とは、存在が関係性の中でしか成り立たないという考え方
- 時間軸や距離を広げて見ると、目の前の悩みは小さく捉え直せる
- 「苦滅」は苦しみを減らすことではなく、苦しみをありのままに見ること
- 感情や優しさは実体ではなく、他者との関係性から生まれる縁起である
- 稲毛さんは小学生の頃に達観し、辛い経験を「人生を面白くしたもの」と捉え直している

