前回の同窓会トークから「高校が楽しかった」話へ
この回は、前回の同窓会をめぐる雑談に続く、2回目の雑談回です。タッシーさんは前回を「これぞ雑談」と振り返りますが、しながわさんはそこからも学びを得たと話します。
自分を見つめ直すきっかけをいただきまして、ありがとうございますって感じになりましたが。
しながわさんが今回持ってきたのは、前回の収録中に思い出した高校時代の話です。高校では勉強も文化祭も部活も頑張れたことが嬉しかったと語り、そこから3年生のときに演劇が好きになったきっかけへと話が進みます。
しながわさんが大学でミュージカル劇団に入っていたことは、タッシーさんもすでに聞いていました。ただ、その元をたどると、高校3年生の文化祭に行き着くといいます。
体育祭・合唱祭・文化祭を一週間で。「木漏れ日祭」とは?
しながわさんの母校である国分寺高校では、当時、文化祭・体育祭・音楽祭(合唱祭)を1週間ほどに凝縮して開催していました。この一連の行事は「木漏れ日祭」という1つのパッケージとして行われていたそうです。
これはもうさ、青春になる匂いしかしないじゃないですか、もはや。
木漏れ日祭は9月ごろの開催で、生徒は全員がすべての行事に参加します。そのうえで、合唱祭や体育祭など、それぞれの行事でリーダーとして引っ張る人がいる形でした。
文化祭の出し物は、1・2年生がお化け屋敷や飲食などを選べる一方、3年生は全クラスが必ず演劇をやるのが伝統でした。しながわさんが初めて演劇をやったのも、この3年生の文化祭です。
タッシーさんが収録中に調べたところ、国分寺高校では今も合唱祭や体育祭などを1週間に凝縮して開催しているようです。しながわさんは受験などの影響で縮小された時期もあったかもしれないとしつつ、今も続いていることを喜んでいました。
すご、一週間で全部やるって。すごいな、この高校。
ダンスとハモりが地獄だった体育祭と合唱祭
ところが、しながわさんにとって木漏れ日祭の3つの行事のうち、体育祭と音楽祭は「地獄」だったといいます。できるものといえば文化祭しかない、というのが本人の振り返りです。
体育祭で苦手だったのは、走るなどの競技ではありません。8クラスが色ごとに競う応援合戦に、必ずダンスのようなパフォーマンスがあり、それが苦痛でした。
もうほんとそれだから、だからもうメモんないとわかんないからさ。
合唱祭でも、しながわさんは「ハモる」ことがわかりませんでした。男子パートはメインのメロディーではなく、知らない旋律を歌わなければなりません。
何回も練習して。で、悪気はないけど、そのなんかリーダーに迷惑かけちゃうみたいな。
体育祭と合唱祭は3年間ずっと苦痛だったそうです。タッシーさんは、しながわさんの得意・不得意の「グラフ」が本当に尖っていると驚いていました。
応援合戦のダンスや、合唱のハモりがわからず、3年間苦痛だった
1年生から3年生まで、どの年もめちゃめちゃ楽しかった
「企画屋」として楽しんだ1・2年生の文化祭
一方で、文化祭は1年生から3年生までずっと楽しかったと、しながわさんは話します。1年生のときは、教室に入ってクリアしていく迷路のようなアトラクションを作りました。
楽しかった。企画して、こう、どう楽しんでもらうか考えて、作って。
タッシーさんが「作るところも大丈夫だったのか」と尋ねると、しながわさんはリーダーとして指示する立場だったから問題なかったと答えます。自らを「企画屋」と呼ぶのがこの回のお決まりになっていきます。
2年生では、新選組にゆかりのある日野市の生徒もいたことから、丼屋さん「新丼組」を出店しました。保健所の関係で調理はほとんどできず温めるだけでしたが、飲み物は安くてもお金が取れるといった学びもあったそうです。
タッシーさんは、以前LiBの仲間とキャンプに行ったとき、しながわさんに椅子を広げてほしいと頼んだら「広げたり畳んだりするのが苦手」と言われて衝撃を受けた、というエピソードを持ち出します。
(キャンプ用品は)なんかこう、ここをこうするとキュッと開くとか色々あるじゃないですか。
作業の連続である文化祭をどうこなしたのかと問うタッシーさんに、しながわさんは「企画屋だから大丈夫」と返します。実際には新聞作りや東急ハンズでの買い出しもしたと振り返り、全面的に楽しんでいたといいます。
史上初のオールコメディで優勝。高校3年生の演劇
高校3年生の文化祭では全クラスが演劇を上演し、後夜祭での投票で優勝や準優勝が決まります。しながわさんのクラスが上演したのは「年中無休」というタイトルの劇でした。
しながわさんによると、文化祭の演劇は高校演劇 ── 高校の演劇部などが中心となって行う演劇の分野。コンクールも開かれ、社会的なテーマを扱う創作劇が多いのが特徴ですの雰囲気に近く、社会的なテーマや時代背景があり、深刻で感動もできて、少し笑いもある作品が多かったそうです。台本選びも含めて、文化祭は先生ではなく生徒がすべて決めていました。
そのなかで、しながわさんのクラスは、おそらく国分寺高校の文化祭史上初めて、オールコメディの劇に挑みました。当時はエンタの神様の全盛期で、お笑い好きのしながわさんは友達とその話ばかりしていたといいます。
(脚本は)元のネタがインターネット上に転がってたやつをもらったけど、それ全部もう修正して修正して作りました。
しながわさん自身は舞台に出演していません。当時は「監督」と呼んでいましたが、脚本を一緒に考えて書き、「こういうふうにやろうぜ」と演出をして、役は他の人に演じてもらう立場でした。
脚本書いて、一緒に練習して、照明考えて、音楽考えて、BGMも全部自分たちでやって。
結果は、観客の投票で8クラス中の優勝でした。しながわさんは記憶が美化されているかもしれないと断りつつ、優勝したのは本当だと思うと話しています。
タッシーさんは、しながわさんが味わったのは演じる楽しさではなく、一つの作品を作り上げる喜びだったと整理します。しながわさんも、みんなで勝てたこと、コメディをやろうと言ってやれたことの両方が成功体験だったと振り返りました。
映画サークルも見学、そして下北沢の小劇場へ
高校3年の夏の成功体験で、しながわさんは映画監督もやってみたいと考えるようになりました。大学に入ると映画サークルも見学しましたが、方向性が合わないと感じてやめたそうです。
高校卒業前の夏休みには、地元の昭島市から下北沢に出かけ、本多劇場 ── 東京・下北沢にある劇場。周辺には小劇場が集まり、下北沢は小劇場演劇の聖地として知られていますや小劇場で演劇を観ました。面白いと感じた一方で、本多劇場クラスになると意外とチケットが高いと思ったそうです。
大学では、ストレートの劇団も見に行ったものの方向性が違うと感じ、セミプロのようなミュージカル劇団に入りました。その劇団の演出家は半分プロのような人で、新入りがすぐに演出できる環境ではありませんでした。
苦手の合体。歌とダンスのミュージカル劇団
タッシーさんは、リスナーも思っているはずの疑問をぶつけます。企画や演出で成功したのに、大学では演者として、しかも歌とダンスが必須のミュージカルを選んだのはなぜなのか、という点です。
ミュージカルじゃん。歌わなきゃいけないじゃないですか。
確かに。あ、だからあれは木漏れ日祭だったんだな。
しながわさんにとって歌とダンスは、一番嫌いなもの、自分らしくいられない場でした。しかもミュージカルの下っ端は、台詞を喋る場面がほとんどなく、歌って踊るのがメインの役回りです。
戦うシーンでは体の柔らかさを褒められることもありましたが、怖い振付師に稽古をつけられ、振りを覚えられずに泣きながらノートを書いたといいます。
二つの嫌いが合体して。
舞台づくりに逃げたら、そこにも苦手があった
しながわさんはミュージカル劇団を2年ほどでやめています。最後の半年ほどは演技が嫌すぎて、舞台監督のもとで舞台を作る側に回りました。
ところが、舞台づくりは大道具やセットの制作です。京都大学の西部講堂などで、寸法を測り、90度を出し、切って組み立てる作業をこなしていました。
だから音楽、その演技、演技っていうかその踊り、舞踊、踊り、あとその、僕らの学校でいうと技術。
ここでしながわさんは、歌とダンスだけでなく、中学の技術の授業のような工作まで、嫌いなものがすべてミュージカルに詰まっていたと気づきます。タッシーさんは「キャンプの椅子を広げることすら嫌な人が楽しめるわけがない」と笑いました。
大学1年の京大の文化祭では、ストレートの劇をやろうと数人を集め、自分が脚本を書くと動いたこともありました。しかし仲間がついてきてくれず、1週間前になっても稽古ができないまま、結局実現しなかったそうです。
映画は録音、演劇はライブ。カーテンコールの感動
話がそれていたことに気づいたしながわさんは、本来は「演劇って面白いね」という話をしたかったと切り出します。ここ5年、10年はお金を払って観に行けていないものの、ミュージカルを観るのは今も好きだといいます。
大学1年のころには劇団四季の「夢から覚めた夢」や、ライオンキング、キャッツも観に行きました。小屋のような劇場でストレートの演劇を観るのも、映画とはまったく違う感動があるそうです。
僕の中ではその演劇を見に行く時って、もう最後のカーテンコールで、もうみんなと一緒に頑張ったって、あのために行ってるみたいな。
元ドラマーのタッシーさんは、映画と演劇の違いを音楽にたとえます。この比較に、しながわさんも同じ作品を何度も観に来る人の気持ちがわかると応じました。
レコーディングでCDを作るようなもの
ライブのようなもの。アドリブで同じ作品でも変わる
やっぱ全然ね、どっちも良くて、どっちも全然違う楽しみがあるから、やっぱあのライブ感がね。
しながわさんによれば、5人ほどで演じる小劇場では、役者の汗が見えるほど距離が近いそうです。また、エリザベートは宝塚で観たほか、ウィーンのキャストの大阪公演、さらに司法試験後の父親とのヨーロッパ旅行でも本場の舞台を観たといいます。言葉はドイツ語でわからなかったものの、とても良かったと振り返っています。
苦手の全部入りに気づいた「滑らない話」
しながわさんは、本当は演劇の好きなところを語って「どうですか」とタッシーさんに聞く回にするつもりでした。結果的に得た学びは、木漏れ日祭で嫌いだったものがすべてミュージカルに詰まっていた、という発見です。
僕の中で得たのは、あの木漏れ日祭の僕が嫌いだったものが全て、ミュージカルに詰まってたってことが分かりました。
タッシーさんはこの流れを、しながわさんの滑らない話のベスト3に入ると評価します。最後の木工まで苦手を全部回収していくオチが効いているという見立てです。
一方で、しながわさんは企画や演出、そして観客として作品を観ることは今も純粋に楽しめると話します。最近も、長男が通うプリスクールで、中学3年生から小学1年生までの十数人がミュージカルを上演し、中3の子が年下をリードする姿に号泣したそうです。
この感度はあるんだな。
観劇して飲みながら語る、2027年の約束
エンタメ全般にはあまり興味のないしながわさんですが、演劇は別だといいます。タッシーさんも、経験は多くないものの本当は行きたいと応じ、二人で観に行く話がまとまっていきます。
しながわさんが勧めるのは、本多劇場近くの20人ほどしか入らない小劇場です。座布団に座り、汗だくの役者を目の前で観る近さが魅力だといいます。
タッシーさんの提案は、東京で会うときにご飯だけでなく演劇を観て、その後に感想を語りながら飲むというものです。しながわさんは、人生で一度もやったことがないけれど人間らしい文化的営みでいい、と乗り気になりました。
演目は日にち優先で、その時に観られるものを選ぶ方針です。パンフレットやホームページでは中身がほとんどわからず、行ってみるまでどうかわからない感じも、しながわさんは好きだといいます。目標は2027年3月までに一緒に観劇することに決まりました。
整った雑談と、同窓会での「滑らない話」
締めくくりに、しながわさんは今回も雑談から学びを得たと話します。タッシーさんは、しながわさんが極端に尖った得意・不得意を持つ人だとよく理解できたと応じました。
やっぱこの感じで喋ってる感じを高校の人たちは知らない気がするんですよ。
タッシーさんは、今回の滑らない話を同窓会で披露してみてはと勧めます。しかし、しながわさんはドカンと笑いを取るより「シングルヒットでいい」と返し、そんな勇気はないと笑って辞退しました。
もうちょっとあの、こう、シングルヒットでいいもん。
まとめ
しながわさんの演劇との縁は、苦手な体育祭と合唱祭の陰で、得意な企画と演出が花開いた高校の文化祭から始まりました。その成功体験からミュージカル劇団に入ったものの、そこは歌・ダンス・工作という苦手の詰め合わせでした。それでも観る側としての演劇愛は今も変わらず、二人で観劇する新しい約束につながっています。
- 国分寺高校の木漏れ日祭では、3年生が全クラスで演劇を上演し、しながわさんのクラスは史上初のオールコメディで優勝した
- しながわさんが味わったのは演じる喜びではなく、脚本・演出で一つの作品を作り上げる喜びだった
- 大学のミュージカル劇団には、歌・ダンス・舞台制作という苦手がすべて詰まっていたと、しながわさんは収録中に気づいた
- 映画は録音、演劇はライブというタッシーさんのたとえのように、二人は演劇のライブ感とカーテンコールに魅力を感じている
- 2027年3月までに、二人で演劇を観て感想を語りながら飲むことを約束した







