報酬への申し訳なさと、住んでいない部屋の家賃
この回のテーマは、いなけんさんが最近ずっと考えている「受け入れる、受容するとはどういうことか」という問いです。いなけんさん自身もまだ結論が出ておらず、話しながら答えに近づきたいという形で始まります。
いなけんさんは前置きとして、答えのない問いにも自分なりの定義を持っておくほうがいいと話します。「答えはない」と言ってやめてしまうのは思考放棄になる、という考えです。
何もないことに対して、まあ答えはないからなってやめるのは思考放棄じゃないですか。
いなけんさんが受容を考え始めたきっかけは、仕事での悩みです。支援している会社では、社員さんより高い報酬をもらっているのに、自分ではパフォーマンスが出ていないと感じているといいます。
いなけんさんは、その状態を申し訳なく思っています。しかも申し訳なさが原因で、パフォーマンスがさらに下がってしまっているそうです。しもちゃんはこれを「負のループ」とまとめています。
もう一つの悩みは、すでに住んでいない東京の家の家賃を払い続けていることです。いなけんさんはこの出費を「だいぶしんどい」と認めています。
そんな時、いなけんさんはある人と食事をして「今の環境をもっと受容してみたら」と言われます。いなけんさんはこの言葉で、受け入れた瞬間にその環境が選択肢に変わると気づいたといいます。
(環境に)使われる側から使う側にシフトチェンジできるのが、やっぱ受容するっていうところを経て、そうなるなっていう風に思ったんですよ。
受け入れると「手段」になる?YouTubeと修業時代の記憶
いなけんさんはスマホのメモに「受け入れるとは」と書き留めていました。そこには、受け入れるからこそ初めてそれが手段になる、という考えが書かれています。
いなけんさんが例に挙げたのは、以前フリーランスとして収入が増えていく過程をYouTubeで発信していた時期です。いなけんさんは、フリーランスである自分を認めて、それをコンテンツとして伸ばす手段にできていたから続けられたのではないか、と振り返ります。
学生時代のWebライティングの経験も出てきます。書いた記事がゼロになるほどボコボコにフィードバックされていた時期のほうが、いなけんさんは人のいいところをたくさん見つけられていたといいます。
能力が低い、出来ん自分っていうものを受容せざるを得なかったからこそ、その自分で世界を見た時に、みんなのすごいところに気づけていたのかな
いなけんさんのメモには、否定すればするほど、否定したものが表に出てくるとも書かれていました。否定すると表面しか見ず根本を見ようとしないので、悩みが消えずに残り続ける、という考えです。
いなけんさんのメモには「受け入れるの実践法」もありました。「私は○○ではない」を「私は○○である」に変えて世の中を見る、というものです。いなけんさんは、事実よりもその先の解釈が変わることが大事だと書いています。
「あ、そうだ、私デブやったんや」って。「あ、じゃあデブやったらこの服じゃなくてこっちの方が似合うかもな」っていうのになるかもしれないじゃないですか。
しもちゃんは、外見と服装の例はわかりやすいと受け止めます。いなけんさんは、外見に限らず全部そうではないかと考えています。
家賃の話を掘ると見えてきた「受け入れられていない」状態
しもちゃんは「受け入れるとは何か」という抽象度のままだと空中戦になると感じ、東京の家賃という具体例を掘り下げることにします。
いなけんさんによると、もともと彼女と同棲していた部屋で、別れることになったといいます。引っ越す貯金もなく、家賃を払うために友達に入ってもらいました。
いなけんさんは、友達が入居してから2か月ほどで大阪に帰ることになりました。いまその部屋に住んでいるのは友達だけですが、名義はいなけんさんのままで、荷物も置いてあるため家賃を払い続けています。
しもちゃんは、荷物がある以上いなけんさんが払うのは妥当だとしつつ、住んでもいないのに払っている感覚にもなるだろうと話します。家賃の支払いを「お布施代」と表現しました。
この半年間ぐらい、月これぐらいで、ああ、あんなこともこんなこともできないかなって言って。
いなけんさんの悩みは、妥当だと頭でわかっていても、心の底からは受け入れられていない状態だと言えそうです。
「あっちにすればよかった」は後から生まれた選択肢
家賃の話を聞いたしもちゃんは、受け入れられない状態についてのヒントを見つけます。出費があると「その分でこんなこともできた」と、本来起きていなかったことまで想像してしまう、という点です。
要は当時はAとBっていう選択の比較じゃなかったのに、Aっていう選択を取って、それがなんか自分にとってしっくりこなかった時に、
なんか後知恵で、AができてたらBもっとよりよくできたのにっていう。
しもちゃんは、そうした後知恵の選択肢を許容しつつ、過去に縛られずに未来を見ることが、受け入れている状態の一つではないかと考えます。過去の選択肢ではなく、未来の選択肢で見るという軸です。
当時は比べていなかった「あっちにすればよかった」を後から想像し、後悔する
事実は変えられないと認めたうえで、これから何ができるかを考える
いなけんさんは、この話を聞いて、地雷で足の甲を失ったのに、これまで通りの歩き方で進もうとする兵士の姿を思い浮かべたといいます。
足の甲ぶっ飛んだからこそ、なんやもう四つん這いの方が結局早かったんやっけっていうような新しい自分に合った進み方を。
しもちゃんは、ケンケンで進む、道具を使うといった例を足して応じます。たとえが飛びすぎて最初は情景が入ってこなかったものの、言いたいことは同じだとうなずきました。
執着を手放し、抗わない。拷問と鍼の思考実験
いなけんさんは、受け入れるとは「執着を手放すこと」でもあると考えます。しもちゃんはそれに対して、どれだけ執着をなくしても許容オーバーになる場面があるのではないかと返します。
しもちゃんが極端な例として出したのは拷問です。鞭で打たれるような刺激は、未来をどれだけ見据えても受け入れるかどうかの次元ではない、という問題提起でした。
いなけんさんは、受け入れるための条件に「抗わない」も加わるのではないかと答えます。根拠にしたのは、通っている鍼灸 ── 体のツボに細い鍼を刺したり、お灸で温めたりして不調を整える東洋医学の施術。日本では国家資格を持つ鍼灸師が施術を行いますでの体験です。
鍼が体に入っていると考えて気持ち悪くなり、筋肉が強張って少し動くだけで痛む
力を抜いて「今鍼入ってる」と受け止めると、痛くなくなる
だからやっぱ抗わないっていうのは大事かなと思います。
しもちゃんは、拷問の例も受け入れることの延長線上にあるかもしれないと考え直します。終わりが見えれば耐え方が変わり、無心になれば痛さも和らぐかもしれない、という考えです。しもちゃんは、かつて話題になったシステマ ── ロシア発祥とされる武術。呼吸と脱力を重視し、打撃を受け流す練習でも知られていますのように、マインドによって刺激の受け止め方が変わるのではないかと話します。
いなけんさんはそれを「今に集中する」ことだとまとめます。歯を抜かれる場面でも、美味しいものがもう食べられないと先を考えると苦しくなるが、ただ抜かれているだけなら痛いだけだ、と二人は話します。
あ、だから痛いと苦しいはだから違う気するな。
しもちゃんは、受け入れる状態とは、より良い未来の姿を起点にしつつ、今の現実を凪のように受け止めていることではないかと考えます。未来と今という2つの時間軸が両立している状態です。
歯を失った後、受け入れた人はどう生きるのか
いなけんさんは思考実験をさらに進めます。拷問が終わり、命は助かったが歯を失った人は、受け入れていればその後どんな生活をするのか、という問いです。
しもちゃんが思い浮かべたのは、ハリウッド映画のような場面でした。家族のために拷問に耐えた人が解放され、大切なのは家族だったと気づくハッピーエンドです。
歯ないまま落語でもするんかな思ってた。
いなけんさんの想像は、しもちゃんとは逆でした。喋りづらくなったからこそ、喋ることを逆に武器にするのではないか、と考えたのです。しもちゃんは、自分を受け入れて武器に変えていく話だと理解します。
いなけんさんは、自虐ネタも同じ構造だと考えます。一般的には劣っているとされる部分を使って相手との距離を縮めているので、自分のことを選択肢にできている状態だ、という見方です。
受け入れを阻むものと、瞑想に見えた答え
しもちゃんは逆の方向から、受け入れることを阻害するものは何かを考えようと提案します。自虐ネタから連想したのは、プライドや自尊心の高さ、周りとの自己認識のギャップでした。
しもちゃんは髪が薄い人を例にします。髪が薄いことをネタにできるかどうかは人によって違い、それは髪が薄いことを受け入れているかどうかの違いではないか、という指摘です。
いなけんさんは阻害要因を考えることには乗らず、代わりに瞑想にヒントを見つけます。いなけんさんは、瞑想を「目の前の感覚の一点に意識を集中し続けること」と捉え、先を見ることも思い描いた未来から視点をずらさないことだと考えます。
いなけんさんは、「幸せになりたい」と自分の人生の中だけで完結しているうちは、受け入れているとは言えないのではないかと話します。自分の身一つでできることから抜け出し、他者や世界とつながる視点が必要だという考えです。
いなけんさんは、何をするにしても還元先が自分しかない状態を「気持ち悪い」と感じるようになったといいます。前回話した整形のダウンタイムの話や、コンテンツにのめり込めない理由もそこにあるのではないか、と二人は話を広げます。
いなけんさんの結論は、全てを手段にするという一言にまとまりました。
この後、しもちゃんはYouTuberのベテランちさんのサブチャンネルで見た動画の話をします。具体的に逆算した目標ではなく、抽象的な未来の像をぼんやり置いておく、という内容で、今回の話に近いと感じたといいます。いなけんさんはベテランちさんが苦手だと返し、話は先輩の結婚式で雷獣チャンネルのメンバーに会った余談へそれていきます。
「知っている」と執着は離れる。天気予報とお化け屋敷
いなけんさんはいったん「受け入れるとは瞑想と一緒」とまとめますが、しもちゃんは咀嚼しきれないと返します。いなけんさんは言い直し、受け入れるとは「集中しなくなること」かもしれないと話します。
しもちゃんはこれを、スポーツ選手がゾーンに入るようなフロー状態 ── 何かに深く没頭し、時間を忘れるほど集中している心理状態。心理学者チクセントミハイが提唱した概念ですのことだと解釈します。集中しているようで、何も考えていない状態です。
いなけんさんは、受け入れるには「知っていること」が重要だと付け加えます。例に挙げたのは天気予報です。
雨降るかどうかわからへん時が一番お天気気になるけど、「ああ、雨降るな」って分かってたらもう気にならないじゃないですか。
いなけんさんは、富士急ハイランドのお化け屋敷に行った時の話もします。一緒に行った人の中に、怖いかどうかわからずネットの情報を探して右往左往している人がいたそうです。
ネットの情報を探しては不安になり、右往左往する
行くしかないと覚悟が決まり、次の行動に目が向く
いなけんさんによると、天気予報も本当は予報にすぎません。それでも自分の中で「こうなんだ」と腑に落ちていれば、わかった気になって次に目を向けられる、という考えです。
余力を残さず、締め切りは自分の外に置く
いなけんさんは、わかった気になるには「余力を残さないこと」が大事だと考えます。お化け屋敷について100のメディアのうち99が日本一怖いと書いていると調べきれば、もう怖いのだと腹をくくれる、という例です。
しもちゃんは、余力が残っていると考える余地や言い訳の余地が残ってしまうので、一定のところまでやりきったら強制的に打ち切るべきだと応じます。
いなけんさんはさらに、その区切りを自分の意思で決めないことも大事だと話します。お化け屋敷にみんなで行けば、入るタイミングが自分のコントロールから外れるからです。
締め切りは自分のコントロールから外すことがまず前提大事な気する。
しもちゃんは、これが具体的な仕事論になってきたと面白がります。全力疾走していれば、あとは前に倒れるしかない、というたとえでいなけんさんに同意しました。
筋トレ後の寛容さから「本質とは健康である」へ
いなけんさんは、余力を残さないことは筋トレとも同じだと話します。筋トレの後は、どんなことにも寛容になれる気がするといいます。
いなけんさんによると、その理由は筋トレで肉体的な反射の力が弱まっているからです。腕立てで胸から腕まで疲れきっていれば、肩に思いきりぶつかられても、反応する余力がなくてどうでもよくなるといいます。
体が反応する
刺激に対して、まず体が先に反射する
感情が乗る
体の反応の後から、感情がついてくる
頭が解釈する
その反応と感情を、頭が解釈する
いなけんさんは、感情の前に体が反応するのだから、余力を残さないための近道は運動ではないかと考えます。しもちゃんは、自分が数か月前に説いていた理論にようやく追いついてきたと笑います。
受容について考えていたはずが、話は体力を使い切ることの大切さに着地しました。しもちゃんは「健康大事チャンネルになってきた」と言い、二人は終わり方の歯切れの悪さも含めて、ぬるっと回を閉じています。
まとめ
いなけんさんとしもちゃんは、報酬への申し訳なさや住んでいない部屋の家賃という身近な悩みから、受け入れるとは何かを探りました。未来の選択肢で見ること、抗わずに今に集中すること、全てを手段にすること、わかった気になるまでやりきることが条件の候補として挙がり、最後は体力を使い切る健康の話にたどり着いています。
- 「あっちにすればよかった」は、当時は存在しなかった後知恵の選択肢かもしれず、過去ではなく未来の選択肢で見ることが受容の一歩になると話されています
- 鍼や拷問の思考実験から、抗わずに今に集中すると「痛い」と「苦しい」が分かれるという見方が出ました
- 欠点を受け入れると、自虐や落語のように武器や手段に変えられるという考えが語られています
- わかった気になるには、余力を残さず調べきり、締め切りを自分のコントロールの外に置くことが大事だとされています
- 体が先に反応して感情が後から乗るなら、体力を使い切る運動が受容への近道かもしれない、というのがこの回の着地点です






