恋人に求められて嫌なものとは
今回の雑談は、片方が投げかけた「恋人に求められて嫌なもの」という問いから始まります。
恋人に求められて嫌なものって話していいですか?だからやっぱり性の捌け口として俺を使って欲しくないなと思う。
話者0はその理由を、自分自身の性欲とは別物だからだと説明します。相手から性欲の捌け口を求められること自体が受け入れられないという立場です。
前提、事実と感情を分離して話せる女性、かつ俺に性欲の捌け口を求めてこない人に僕は惹かれますね。
話者0にとって、性欲の捌け口を「求めてほしくない」ことと、自分が惹かれる相手の条件は、対になっているといいます。
そこは対になるんやな。
話者0は、自分が相手に求めるものが細かく分かれすぎている、とも話しています。何が欲しくないか、という切り口で自分の感覚を掘り下げていきます。
干渉されたくない、という共通点
話者1は、話者0の話を大きく引いて見ると、自分の感覚とも共通するのではないかと返します。キーワードは「干渉されたくない」でした。
あーでもなんかすごい引きで見ると一緒なのかな。干渉されたくないというか。
話者1は、究極的には一人でぼーっとしたい、ペースを乱されたくない、という感覚を挙げます。
なんかめちゃめちゃ究極、一人でぼーっとしたいなみたいな。
話者0はこれを受けて、話を抽象論で終わらせず、具体的に掘り下げていこうと提案します。二人はここから「具体の旅」に入っていきます。
結構具体論、じゃあ掘り下げていきますか。極限の具体論、一緒にいきましょう。この具体の旅。
時間を奪われるのが嫌、では説明しきれなかった感覚
話者0は、話者1が嫌なのは「時間を奪われること」ではないかと推測します。一人でいたい、という感覚に近いのではないかという読みです。
時間が奪われるのが嫌そう。一人でいたいとか。
話者1は、その推測を「あってはいる」としつつも、ぴったりではないと感じます。時間そのものではない、というずれが残りました。
あってはいる。
そこで話者0は、どんな時間なのかをさらに掘ろうとします。内省なのか、ゲームなのか、趣味なのか、と選択肢を挙げていきます。
話者1は、誰にどう時間を奪われるかによって感覚が変わる、と答えます。相手との関係性によって受け取り方が違う、というニュアンスでした。
どういう人にどういう時間の奪われ方をしてるかによっても違う。
彼女という「役職」から求められたら、という限定に戻す
話者0は、話を「彼女という役職を与えている相手から求められたら嫌か」という限定に戻します。範囲を絞ることで、話者1の感覚を特定しようとします。
すると話者1は、彼女に時間を奪われること自体はそこまで気にしていない、と答えます。ここで最初の想定がずれていたことに気づきます。
時間を奪われるとかは、まあ気にしてない。
話者1は、自分が捉えていた「奪われる」は、もっと広く「自分がされて嫌なこと」全般の話だったと振り返ります。話者0の問いは、あくまで彼女という限定つきの問いでした。
なんか奪われるって、もっと広く自分がされて嫌みたいな話の捉え方だった。
一方の話者0にとって、彼女という縛りの中で求められたら嫌なものは、はっきりしています。性欲の捌け口として見られること、その一点です。
求められたら嫌なもの。僕はそれがもう性欲の捌け口として見られる、これはもう無理。考えるだけでぞっとするもん。
求められて嫌なことがない、はどういう状態か
話者1は、自分にはそうした「求められて嫌なもの」があまりない、と話します。ただし、それは経験値の浅さかもしれない、とも付け加えます。
俺の経験値が浅いだけなのかもしれないけど、あんまないかもしれないね。
話者1は、そもそも求められること自体がストレスになるなら、その関係性が成立していないのではないか、と考えます。
求められるのが嫌って、それがストレスに感じるなら、その関係性になってないというか。
話者0はこの見方に同意しつつ、話者1に過去の彼女に求められて嫌だったことがあるはずだと推測します。しかし話者1は、それも思い当たらないと答えます。
話者0はここから、話者1について「自分という軸や傾向が弱いのかもしれない」という見立てを口にします。
あんまり自分という軸というか、そういう傾向値が弱いんかなと思いました。
話者1は、パートナーかどうかに関係なく、誰にでも合わせられるところがあると認めます。ただし、本当に嫌なやつは嫌だ、という線引きは持っています。
別に、パートナーじゃなかろうが、誰にでも合わせられるみたいなところは。本当に嫌なやつは嫌だなと思うけど。
ブッダの「中道」から考える、極端に振れない生き方
話者0は、話者1に苦しみがないならそのバランスはちょうどいい、と評価します。合わせられることが生きやすさにつながっている、という見方です。
苦しみないんやったら、めっちゃちょうどいいバランスやな。生きやすそう。
話者1も、自分のバランス感覚には自信があると答えます。
バランス感覚は非常に私優れてると思います。
話者0はここで、ブッダの「中道」という考え方を持ち出します。快楽に振りすぎても、厳しすぎる修行に振りすぎても、どちらも苦しみを生む、という気づきです。
話者0によれば、快楽ばかりならそこに溺れて結局は苦しみを生み、厳しすぎれば肉体的にも精神的にも苦しくなる。だからどちらにも偏らないほうがよい、という話です。
快楽ばっかりやったらそこに溺れてしまって、結果的に苦しみが生まれてしまうし、厳しすぎたら単純に精神的にも肉体的にも苦しみになっちゃう。
話者0はこの中道の考え方を、話者1のバランス感覚に重ねます。極端に偏らないことが、生きやすさにつながるという着地です。
話者1も、何事も極端にどちらかに振れるのは個人的に好きではない、と同調します。二人の感覚は、この点で重なりました。
なんか何事も、極端に振れるの、どっちかに振れるのがなんか個人的に好きじゃないなっていう。
まとめ
「彼女に求められて嫌なもの」という問いから始まった雑談は、二人の性格の違いを行き来しながら、最後は「極端に振れない生き方」という共通点に着地しました。問いの答えそのものより、掘り下げる過程で見えた互いの感覚の違いが印象に残る回です。
- 話者0は、彼女に性欲の捌け口として求められることだけははっきり嫌だと語った
- 話者1は、時間を奪われることや求められること自体はあまり気にしておらず、誰にでも合わせられると話した
- 求められることがストレスになるなら、そもそも関係性が成立していないのでは、という見方が示された
- 話者0はブッダの「中道」を引き、快楽にも苦行にも偏らないあり方が苦しみを減らすと説明した
- 二人は最後に、極端にどちらかへ振れない生き方が生きやすさにつながる、という点で一致した

