IMAX先行上映を観た二人の率直な感想
雑食日和は、起業したての酒井さんと、精神科医でプロ大学院生の島田さんがお届けする番組です。今回は前回に続き、映画『オデュッセイア』の感想会Part2です。
二人ともIMAXの先行上映をすでに鑑賞したうえで、まずは好き嫌いをはっきりさせておこうという話から始まります。上映時間は3時間で、酒井さんは観る前は「3時間耐えられるか」と不安だったといいます。
同じく3時間の映画『国宝』を引き合いに、酒井さんは『国宝』より全然耐えられたと振り返ります。
(『オデュッセイア』は)『国宝』よりは耐えれたね、全然。
島田さんは前回のおさらいとして、自身と古代ギリシャの関わりを説明します。大学で古代ギリシャ・古代ローマの時代を包括的に学んでおり、今回の題材はまさに専門のど真ん中だといいます。
さらに酒井さんが驚いたのは、島田さんが読んでいる「原本」が日本語訳ではなく、古典ギリシア語のホメロス原文だという点でした。古典ギリシア語 ── 古代ギリシャで使われた言語。ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』などが書かれた言葉で、現代ギリシャ語とは大きく異なります
(映画の監督の)ノーランより読んでた。
ただし島田さんは、1万数千行に及ぶ原文をすべて通しで読んだわけではなく、その一部だと補足しています。
ノーランが好きなシーンとミア・ゴスの存在感
酒井さんはまず雑な感想として、監督のノーランが好きなシーンがわかったと話します。過去作『ダンケルク』と同じく、だだっ広い浜辺に無防備な兵士を待たせるのが好きなのではないか、という見立てです。
作中でも海辺や浜辺のシーンが多く、島田さんも「そういうシーンが多かった」と同意します。
もう一つ酒井さんが挙げたのが、主役級ではないもののミア・ゴスの存在感でした。ビジュアルを含めて目を引いたといいます。
衣装についても二人で盛り上がります。登場人物にやたらとフードを被せたがる演出が印象に残り、酒井さんはジェダイや『バットマン ビギンズ』のラストシーンを連想したと話します。
(登場人物のフード姿が)ちょっとジェダイ感が。
島田さんはゼンデイヤのローブ姿を『デューン 砂の惑星』と重ね、浜辺をみんなが全力疾走するのが楽しそうでよかったと、くだけた感想を添えます。
原作と映画、大きく違った4つのポイント
ここから本題に入ります。酒井さんは「原作と映画のどこが違ったか」と、映画をより楽しむためのキーワード解説の2本立てで進めたいと提案します。
島田さんは前回の予想回も踏まえて、原作と映画で違った点を主観で挙げていきます。
オデュッセウスは知将、ウーティスの偽名が使われ、セイレーンが見どころになる
オデュッセウスは脳筋寄り、ウーティスは不発、セイレーンはチラ見、ラストは原作と異なる
1つ目は、オデュッセウスが知将というより脳筋に描かれていた点です。前回は「知将」と予想していたものの、力で解決する場面が目立ったといいます。
あんだけちょっとプレゼンした割に、(オデュッセウスは知将かというと)なんか「あれ?」みたいな。
島田さんによれば、原作のオデュッセウスにも調子に乗る一面はあるといいます。一つ目巨人のところで追撃の弓を放ち、仲間が何人かやられる場面などがその例です。
「ウーティス」とは何だったのか
2つ目は、前回予想した「ウーティス」が映画では不発だった点です。酒井さんも「出てこないな」と思いながら観ていたといいます。ここで島田さんが、そのウーティスが何かを解説します。
舞台は一つ目巨人キュクロプス ── ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人。オデュッセウスが仲間とともにその洞窟に閉じ込められ、知恵で脱出するのが物語の見せ場の一つですの洞窟です。脱出の際、オデュッセウスは名前を尋ねられ、偽名として「ウーティス」と名乗ります。
このウーティスは、ギリシア語で「誰でもない」「ノーボディ」を意味する掛詞になっていると島田さんは説明します。
巨人が住む島には仲間の巨人が何体かおり、目を潰されたキュクロプスが悲鳴を上げると、仲間が「誰にやられたんだ」と駆けつけます。そこで巨人は「ウーティス」と答えてしまいます。
(ウーティスは)掛詞になってるから、「誰でもない」というか、だから「誰にもやられてない」みたいなって言ってることになっちゃう。
日本語で言えば「なんでもない」と答えているようなもので、仲間もすぐに助けに来られない。この言葉遊びが脱出のギミックになっているわけです。
さらに脱出後、オデュッセウスは喜びのあまり「俺の名前はオデュッセウスだ」と本名を名乗ってしまいます。これが後の苦難を招きます。
一つ目巨人の父親は海の神ポセイドンです。息子をやられたポセイドンは、自分の支配領域である海で、オデュッセウスにさまざまな嫌がらせをするようになる、という展開につながります。ポセイドン ── ギリシャ神話の海の神。オデュッセウスに目を潰された一つ目巨人の父にあたり、帰還の旅を妨げる存在として描かれます
原作の巨人は「ちいかわのオデ」より喋る
酒井さんが驚いたのは、原作の一つ目巨人が集団で暮らし、しかもよく喋るという点です。
島田さんによれば、映画では巨人は最後に少し喋る程度でしたが、原作では洞窟の中でも問答が繰り広げられます。「客人だからもてなすのが当然だろう」という訴えに対し、巨人は「俺にはそんなの関係ない」と応じるようなやり取りがあるといいます。
(原作の巨人は)オデよりもうちょい喋るかもしれない。
巨人が仲間を「二人ずつ食っていく」といった描写も原作にはあり、映画のワチャワチャした脱出劇の裏に、本来は多くのやり取りがあったことがわかります。
原作と映画で異なるラストシーン
大きな違いの4つ目がラストシーンです。まず映画版では、求婚者たちとの戦いの後、マット・デイモン演じるオデュッセウスが西へ旅立ち、国を息子テレマコスに任せて去っていきます。
島田さんは、この「西」にも含意があるかもしれないと補足します。当時知られていた世界の西の端はジブラルタル海峡あたりで、そこはヘラクレスの柱と呼ばれていたといいます。ただしこの点は自身も詳しくは言えない、と慎重に留保しています。
一方、原作のラストでは、オデュッセウスは西へ旅立ちません。求婚者たちを討った後、彼らが貴族や有力者の子弟だったために、その家族が復讐に来て再び戦いになります。
その戦いは神の仲裁によって収められ、「もうやめろ」という形で争いが終わる、というのが原作の結末です。
やたら出てくる「ゼウスの掟」の正体
後半は酒井さんが気になったキーワードの解説です。まず、映画の中で繰り返し出てくる「ゼウスの掟」とは何かを尋ねます。
島田さんによれば、これはギリシア語でクセニア ── 古代ギリシャの客人歓待の掟。見知らぬ旅人を無条件でもてなすことを求める規範で、ゼウスがその守護者とされましたと呼ばれる客人歓待のことです。見知らぬ旅人が来たら、無条件でもてなさなければならないというルールです。
見知らぬ旅人とかそういうの来たら、それはもう無条件でおもてなししなきゃいけないっていう、そういうルールがあって。
この掟のもとでは、身元を尋ねる前にまずもてなし、宴が盛り上がってから「そういえばあなたどなたでしたっけ」と聞くほどだったといいます。ホスト側だけでなく、ゲスト側も財産を食い潰すような無礼を避け、礼を尽くすことが求められました。
島田さんは、これが単なるホスピタリティではなく絶対の掟だった理由を、当時の旅の危うさから説明します。
全く知らない土地とかに行った時ってさ、もう無法地帯というか、結構もうみんな超怖いわけよ、旅とかする時。
見知らぬ土地に法がなければ旅人は無防備です。しかしこの掟だけは徹底されていれば、旅人の身の安全が保証され、安心して移動できる。だからこそ、この掟を破ることは社会体制を揺るがすほどの重罪とされたわけです。
クセニアが結ぶ「盃を交わす」関係
クセニアは非常に古くからある掟で、島田さんは『オデュッセイア』と対になるもう一つの叙事詩『イリアス』の例を挙げます。イリアス ── ホメロスによるとされるもう一つの叙事詩。トロイア戦争を描いた作品で、『オデュッセイア』と対をなします
その例では、戦っている相手同士の祖父たちがかつてクセニアの関係にあったとわかると、それだけで孫同士は戦いをやめてしまうといいます。一度結ばれた信頼は、子々孫々に受け継がれるほど強いものでした。
盃交わしたみたいな感じでしょ。
酒井さんはこの関係を「盃を交わす」ようなものだと表現し、島田さんも地元・福岡になぞらえて映画『アウトレイジ』のようだと冗談を交えます。掛け合いで盛り上がりつつ、契りが絶対とされる感覚を確かめていきます。
求婚者もオデュッセウスも「掟」から読み解ける
島田さんは、このクセニアが映画のラストにもつながっていると指摘します。求婚者たちが成敗されたのは、彼らがおもてなしを悪用し、3年ほど居座り続けたからだと読めます。
作中では、オデュッセウスの妻ペネロペーが求婚者たちの「不敬」を口にする場面もありました。もてなしを食い潰し、主人に敬意を払わなかった報い、と解釈できるといいます。
一方で島田さんは、オデュッセウス自身も掟に背いていると見ることができると話します。トロイの木馬を「アテナへの贈り物」と偽って神殿を汚した行為が、その後の苦難の道につながっている、と映画からは読めるというわけです。
その不意打ちとか裏切りってのがダメなんですよね。
つまりこの世界では、一定のルールがある前提で戦いが行われている。すでに結ばれた関係を破壊することが、何より重い罪とされるのだと島田さんは整理します。
そしてゼウスの掟がクセニアとほぼ同じ意味を持つ理由も、ここにあります。ゼウスには旅人の守護者という側面があり、神様ごとに担当する分野を持つ「権能」の一つとして、旅人を守る役割を負っていたのです。
(クセニアは)非常に大事なことなのにやっちゃったなっていう。
まとめ
映画『オデュッセイア』は、原作を古典ギリシア語で読む島田さんの視点を通すと、細部の改変や神話のルールがより立体的に見えてきます。脳筋寄りのオデュッセウス像から「ゼウスの掟」まで、キーワードを知ると鑑賞後の理解がじんわり深まる回でした。
- 映画のオデュッセウスは知将というより脳筋寄りに描かれ、原作の調子に乗る一面とも通じる
- 「ウーティス」は「誰でもない」を意味する掛詞で、原作ではキュクロプス脱出の鍵になる仕掛け
- ラストは映画が西への旅立ちで終わるのに対し、原作は復讐に来た家族との戦いを神の仲裁で収める
- 「ゼウスの掟(クセニア)」は旅人を無条件でもてなす絶対の規範で、破ることは社会を揺るがす重罪とされた
- 求婚者もオデュッセウス自身も、この掟に背いたか否かという視点から物語を読み解ける






