『隠れた脳』とは何か、なぜ怖いのか
今回、幸あれこさんが紹介するのは、シャンカール・ヴェダンタムさんの『隠れた脳』という本です。隠れた脳 ── シャンカール・ヴェダンタム著。無意識の脳の働きが人の判断や行動に与える影響を、研究や実例から解説したノンフィクション。原題は「The Hidden Brain」。
この本の主張はシンプルです。人は自分で考えて決めて行動していると思っているけれど、自分でも気づいていない脳の働きや偏りが、人間関係や日々の判断に深く入り込んでいる、というものです。
私たち人間って自分で考えて、自分で決めて、自分で行動してるって思ってるじゃないですか。でもこの本は、自分でも気づいてない脳の働きや偏りが、判断や選択にかなり入り込んでるよっていうことを見せてくれるんです。
幸あれこさんは、この本から「知ったらもう元には戻れない」3つの恐ろしいポイントを厳選して話すと切り出します。
怖いのに寄せてるだけなのか、本当に怖いのかが全然わかんないんだよね。
得意なことは、隣にいる人で変わる
1つ目のポイントは「自分で決めたというのは、本当に自分が決めたのか」という問いです。幸あれこさんは、イケハヤさんとしゅうへいさんに得意なことを尋ねます。
コツコツ時間通りにずっと何かをやり続ける。
幸あれこさんは、その得意なことが「自分だけで決まっている」と思うか、と重ねて問います。イケハヤさんは、意思は関係なく「もうそうなってるからそうなってる」と答えます。
ここで本の主張が入ります。人は絶対値ではなく、近くの人との比較で自分を見る、という点です。
隣に誰がいるのかっていうので、自分は何が得意な人なのかっていうのまで変わる可能性があるっていうことがわかってくるんですよ。
本には、アルツハイマー研究で知られる研究者のジョンとバージニアという夫婦が登場します。同じ研究分野で二人とも優秀ですが、完全に競争するのではなく、だんだん互いに違う領域を担当するようになっていったといいます。
つまり「私はこれが得意だから選んだ」というより、「あの人があっちが得意だから、私はこっち」という調整が無意識に起こっている、というわけです。
うちだと僕が担当するのは、例えば生ゴミを畑に埋めるのが僕がやりますね。多分僕、洗い物が嫌いで、指に包丁は刺さるわ割るわ、怪我する率が高いからやりたくない。
幸あれこさん自身も、虫が苦手で普段は夫に頼むけれど、夫がいないときは自分でトングを使って頑張れる、と例を挙げます。同じ自分でも、隣に誰がいるかで振る舞いが変わるという話です。
これって夫がいる時できないんだよね。
相手が近いほど、悔しさは大きくなる
続いて幸あれこさんは、相手との関係で好みまで動く実験を紹介します。二人一組の課題で、ある分野では相手のほうが優れていると感じる状況を作ると、自分は別の分野を好むように動いていくというものです。
重要なのは、これが意識的な選択ではない点です。誰も「競争を避けるためにこっちを好きになろう」とは決めていないのに、関係性に合わせて自分の評価や選択が調整されてしまいます。
さらに、近い人ほど影響が大きいという話も出てきます。自分も大事にしている分野で近い相手が成功すると、単純に「よかったね」だけでは済まないことがある、というのです。
この話に、しゅうへいさんが強く反応します。同じAI分野で活動するイケハヤさんが、しゅうへいさんの得意だと思っていた領域で結果を出したときの悔しさを語ります。
見てたら俺の方がショート動画とか伸ばしてるから、俺のスキルの方が売れていいやろとか。イケハヤさんショート動画なんか伸ばしたことないのに、なんで売れんだよとか、そこすごい悔しかったね。
一方で、しゅうへいさんは冷静な分析も加えます。市場全体は大きいのだから別のテーマで書けばいいのに、狭いところで戦う視野狭窄に陥っていた、と振り返ります。
同じ現象は、イケハヤさんにリプライを送る人たちにも起きているのではないか、としゅうへいさんは見ています。
イケハヤが売るんだよ、俺がもっと早くからAI使ってたのにみたいな。ブルドーザーイケハヤにブチギレてる人がいっぱいいると。
興味深いのは、イケハヤさん自身には近い相手への悔しさの経験があまりない点です。しゅうへいさんは、イケハヤさんが常に新しい分野に踏み込み、他人と被らないからではないか、と分析します。
経験を思い出してもないから、多分ないんだろうね。
ただしイケハヤさんにも心当たりがあります。ObsidianやAIの新しい使い方を発信したとき、その分野の古参が「そういうものじゃない」と絡んでくることには腹を立てていた、と話します。Obsidian ── メモやノートを相互にリンクして管理できる知的生産ツール。熱心なユーザー層がいることで知られる。
「私は偏見がない」がいちばん怖い
2つ目のポイントは「私は偏見がないと言い切れますか」という問いです。イケハヤさんは即座に、生きている以上バイアスは絶対にある、と答えます。
それはバイアスは絶対あるよね。生きている以上ね。
ここでしゅうへいさんは、面白い指摘をします。イケハヤさんが「偏見はある」と答えたのを見て、幸あれこさんは「ない」と答えたほうが空気が読める、と考えたのではないか、というものです。これ自体が、周囲を見て判断が動く一例になっています。
本では、偏見が子供にも自然に入り込むことが、実験を通して紹介されます。白人の子供に黒人と白人を表す絵や写真を見せ、プラスとマイナスの言葉を割り当ててもらう実験です。
嫌な実験やな。
かなり幼い段階から、黒人側にネガティブな言葉、白人側にポジティブな言葉を結びつける傾向が現れたといいます。
重要なのは、親が「黒人を嫌いなさい」と教えたからではない点です。テレビや学校、誰が権力や地位を持って見えるかといった大量の情報から、子供の脳が勝手に世界のルールを学習してしまう、という指摘です。
ここで幸あれこさんは、苦手だと思っていた相手が実際は違った経験を尋ね、自身の中学時代のエピソードを語ります。
単一電池って一番太い電池ある?あれをピアスにしてた中学2年生の先輩がいたんですよ。
見た目は怖い先輩でしたが、バスケ部の幸あれこさんとすれ違うときに「押す」と挨拶してくれた、といいます。それだけで「優しい人だ」と感じてしまった、という体験です。
しゅうへいさんは、リアルな接触より、ネット上の第一印象で人を判断しがちだと語ります。その中で学んだ一つの経験則を挙げます。
頼んでもないのに人を紹介してくる人は、だいたい微妙なやつっていう。
さらに本は、差別したい人だけの問題ではない、と踏み込みます。意識では平等を支持している人でも、無意識では別の反応をする可能性があるというのです。
特に、ストレスがかかったときやとっさに判断しなければならないときに、隠れた脳の影響が表れやすいといいます。脳にエネルギーを補給した人のほうがステレオタイプ的な反応を抑えられた、という実験も紹介されます。
私たちは公平でいたい、平等でいたいっていう意識にも、どうやら体力とかエネルギーがあるかどうかっていうのも関係してるらしいんですよね。
だからこそ、いちばん怖いのは偏見がある人ではなく、自分には偏見なんてないと完全に安心している状態だ、と幸あれこさんは言います。
この話の直後、イケハヤさんは自身の偏見として「京都の人は裏表がある気がする」と打ち明けます。しゅうへいさんも、高知の人ははっきりものを言って気持ちがいい、と地域のイメージを語ります。
ここで幸あれこさんは、鋭い観察をします。京都の人が皆そうなわけではないのに、自分が出会ってきた人がそのままデータになってしまう、という点です。
今言ってても、京都みんながみんなそうなわけじゃない。でもやっぱ自分が出会ってきた人がデータになっちゃうよね。
非常ベルが鳴っても、なぜ人は逃げないのか
3つ目のポイントは「非常ベルが鳴っても、みんなが座っていたら逃げられるのか」という問題です。幸あれこさんは、ライブ会場で非常ベルが鳴っているのに周囲が平然としている状況を例に、二人へ問いかけます。
一瞬なんか演出だと思っちゃうね。そういうなんかライブの演出なのかなって思って。
イケハヤさんは、主催者側が平気そうにしていると戸惑う、と答えます。しゅうへいさんは、ベルのわかりやすさや大きさにもよる、と条件を付けます。
ここから話は笑えない領域に入ります。本では、9.11の世界貿易センターで実際に起きたことを通して、危険なとき人は必ずしもすぐ逃げるわけではない、という話が出てきます。9.11 ── 2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ。ハイジャックされた旅客機が世界貿易センターなどに突入した。
異変が起きても、人はまず「今何が起きているのか」を理解しようとします。そして情報が足りないとき、人は周りの人を見ます。
誰も逃げていないこと自体が「大丈夫だ」という情報になってしまう、というのが怖いところです。全員が周りを見て安心しているのに、実は誰も正解を知らない、という状態が生まれます。
みんなもみんなが動かないから大丈夫なんだろうなってみんな思ってる。誰も正解知らないのに、みんな周りを見て大丈夫だなって確信しちゃうわけですよ。
一方で本には、危険を察知して「逃げるんだ」と周囲に働きかけ、他の人の行動を変えた人の例も出てきます。一人が動くこと自体が新しいシグナルになり、集団を動かすこともある、というのです。
周囲が落ち着いていると「大丈夫」という情報になり、全員が動かず判断が遅れる
その行動が新しいシグナルになり、他の人も動けるようになる
この「周りを見る脳」は欠陥ではなく、集団で生きてきた人間が生き残るために役立ってきた仕組みだ、と本は説明します。草原で隣の人が逃げれば危険を察知できた、という進化の名残です。
ただし現代の災害では、その脳が逆に判断を遅らせてしまいます。だからこそ幸あれこさんは、みんながどうしているかと、安全かどうかを同じものにしないことが大事だと語ります。
ドラマに向かって「気をつけるよ」と言う理由
最初の一人になりたいという話から、幸あれこさんは自身の変わった習慣を打ち明けます。ドラマや映画を見ていて異変を感じると「気をつけるよ」と口にするというのです。
ドラマを見ていてなんで気を付ける?ご飯食べてます。Netflixついてます。主人公が犯人と戦おうとしてます。ナイフ持ってます。あーって時にどうぞ。
気をつけるよ。
しゅうへいさんは「誰に言っているのか」と戸惑いますが、幸あれこさんには言葉の選び方にこだわりがあります。「気をつけろ」は上から横柄で、「気をつけて」は相手への押し付けになる、というのです。
だから、気をつけるっていう原形。
だから、自分も一緒に気をつけようという気持ちを込めて、原形の「気をつけるよ」になる、という説明です。しゅうへいさんは、車の運転中も同じ調子で言っている、と半ば呆れ気味に補足します。
しゅうへいさんが「社会的証明とどうつながるのか」と尋ねると、幸あれこさんは、危険なときにまず動く「第一人者」の練習だ、と答えます。ドラマの世界に入り込んで、率先して声を上げているというわけです。社会的証明 ── 何が正しいかわからないとき、多くの人の行動を正しいものとみなして従いやすくなる心理。集団での判断に影響する。
話は、都会での防犯や地震のときの行動にも及びます。とっさのときに正しく判断するのは難しいからこそ、日頃から自動で動けるようにしておくべきだ、としゅうへいさんは語ります。
地震などで机の下に入るとか、すぐ家から出るとか、そこは本当にもう自動にしとかないといけないよね。周り見て大丈夫だと思ってたらやられちゃうかもしれない。
幸あれこさんは、とっさの判断が難しいからこそ、隠れた脳の存在を前提として覚えておいてほしい、とまとめます。
日頃から前提として、こういう隠れた脳があったんだって覚えておいてほしいな。
まとめ
『隠れた脳』は、得意分野も偏見もとっさの判断も、自分で決めているつもりで実は無意識に操られている、という3つの怖さを突きつける本です。幸あれこさんは、自分の脳も間違えるという前提を持つことが、そのスタートラインになると語りました。
- 得意・不得意は、近くにいる人との比較や役割分担で無意識に調整されている
- 近い相手が同じ分野で成功すると、単純に喜べない感情が生まれやすい
- 「自分には偏見がない」と安心している状態こそが、いちばん見えにくく危うい
- 危険なとき人は周囲を見て判断するため、誰も動かないことが「安全」という誤った情報になる
- 一人が動けば新しいシグナルになるため、周りに流されず自分から動く意識が大切





