「寿司といえば、富山」は何を狙ったプロモーションなのか?
番組は流行語大賞の雑談から始まり、そのあと本題に入ります。この回の題材は、富山県の「寿司といえば、富山」というスローガンをめぐって、公開の数日前からSNSの一部で盛り上がった議論です。
岡山さんは、このスローガンを知らない人のほうが多いだろうと話します。そのうえで、富山の人以外が今すぐ知っている必要はなく、これから知ってもらうためのプロジェクトだと位置づけています。
岡山さんの説明によると、富山県は4年ほど前から、県のブランディング戦略の一環として「寿司といえば、富山」を始めました。香川県のうどん県 ── 香川県が2011年頃から展開している観光PR。「香川県は、うどん県に改名します」というキャッチコピーで話題になりましたのように、「この県といえばこれ」という一点突破型のプロモーションです。
富山県はもともと、立山連峰の自然や住環境のよさから「日本の北欧」「日本のスイス」と呼ばれることもあり、生活が豊かな県だと打ち出してきました。この方針を、ウェルビーイングな県を目指す戦略として掲げています。
その中で、富山の食の資源を凝縮した象徴として選ばれたのが寿司です。根拠になっているのは、3000メートル級の立山連峰と、深さ1000メートルに達する富山湾がつくる高低差です。
岡山さんによると、約4000メートルの高低差が20〜30キロほどの距離に収まっています。急な斜面を一気に下った水が、ろ過されながら山の栄養を運び、米や野菜を育て、川から海に流れ込んで魚を育てるといいます。
高低差
立山連峰と富山湾がつくる約4000メートルの高低差
水
急な斜面を水が一気に下り、ろ過されて山の栄養を運ぶ
米・野菜・魚
水が土地を潤して米や野菜を育て、海に流れて魚を育てる
寿司
魚と米を合わせた寿司を入り口に、富山の食の魅力を知ってもらう
富山湾は深さがあるため、とれる魚の種類が非常に多い湾だとも岡山さんは紹介しています。寿司というキャッチーな入り口から、富山の食の価値を味わい、知るきっかけにしてもらうのがこのプロモーションの狙いです。
県内認知9割の裏で起きた、2人のnoteの応酬
田中さんは、県内で「寿司といえば、富山」を聞いたことがある人がすでに9割にのぼるという調査を見つけます。岡山さんは調査方法に首をかしげつつも、体感としてはあり得る数字だと話します。
富山駅とか、いろんなところに「寿司といえば富山」って張り出してあるんで。あと富山の人って結構ね、新聞とか読むんですよ。
岡山さんによると、東京のような大都市ではプロモーションが人の多さに埋もれますが、富山くらいの規模なら情報がさっと届くといいます。
ただし岡山さんは、今回の件は「問題」ではなく「議論」だと田中さんの言葉を正します。県内には、スローガンに賛成する人も、興味がない人も、「寿司にまとめないでくれ」と反対する人もいるのが実情だといいます。
議論のきっかけは、プロモーションのリーダーを務める高木新平さんが、友人のまきのけいたさんを富山に連れてきたことでした。高木さんは、ブランディング会社ニューピースの代表で、富山県出身の経営者です。まきのさんも広告会社出身で、広告系のクリエイティブな仕事をしています。
まきのさんは千葉県の南房総で、地域の保養所を買い取って再生するなど、自らコストとリスクを負って地域で実践している人です。まきのさんは「寿司といえば、富山」にピンとこず、正しい地域ブランディングなのかという疑問をnoteに書きました。
このnoteに対して、高木さんがアンサーのnoteを返します。2人の主張の違いを、岡山さんは次のように整理しています。
いろいろなアイデンティティを持つ人がいる地域を、寿司でまとめ上げるのは違うのではないか。ブランドは、さまざまな人の中から醸成されていくものではないか
南房総のような小さなエリアならそれでよいかもしれないが、県という大きな単位では難しい。まず旗を立て、その旗でまとめ上げていくことが必要だ
2人のnoteは広く読まれ、「地域のブランディングは難しい」「どちらの言い分もわかる」という反応が集まりました。岡山さんは、2人ともそれぞれの立場から誠実に発言していると評価しています。
富山に住む岡山さんは、2人の議論のどこに引っかかったのか?
岡山さん自身も、この論争についてnoteを書いています。岡山さんは、2人の議論は面白いけれどモヤっとすると冒頭に書いたそうです。
岡山さんがモヤっとした理由は、まきのさんも高木さんも富山には住んでいないため、議論が概念の話になってしまうことでした。田中さんは高木さんが富山在住だと思っていましたが、岡山さんによると、高木さんは富山出身で、今は東京から通っているといいます。
さらに岡山さんは、議論が「ブランディングかマーケティングか」「正しいコンセプトやキャッチコピーか」という話に終始していったことにも違和感を覚えました。
キャッチコピーの是非はさておき、僕は別に「寿司といえば富山」いいと思うんですよ、キャッチコピーとしては。
要は県民の中で誰がこの「寿司といえば富山」に愛着を持ってる?みたいな。
岡山さんが問題だと考えたのは、スローガンが広告的な理論の中だけで消費されていることでした。県民の誰もスローガンに愛着を持っていないことが一番の問題ではないか、というのが岡山さんのnoteの趣旨です。
岡山さんによると、広告論やマーケティング論は必要だとしても、普通に暮らす人にとっては「この人たちは何を言っているのか」と映る話だといいます。自分の生活とどう関係するのか、故郷がなぜ寿司の一言にまとめられるのか、ウェルビーイングとは何なのかという納得感が育たないまま、どう売るかだけがインターネット上で語られている状態です。
「寿司といえば富山は嫌いでも、富山の寿司は嫌いにならないで」
岡山さんのnoteは多くの人に読まれました。地域で実践している人からは「わかります」という声が届き、富山の人からも別の視点で共感の声があったといいます。
それでも岡山さんは、このやり取りさえインターネットの世界に閉じていて、現場に降りていかなければ何も変わらないと話します。
岡山さん自身は富山の寿司が大好きで、県外から友人が来れば連れていくそうです。だからこそ、論争によって富山の寿司や食資源の魅力まで否定されることを心配しています。
ここで岡山さんが持ち出したのが、AKB48総選挙での前田敦子 ── AKB48の元メンバー。2011年の選抜総選挙で1位に返り咲いた際の「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」というスピーチが話題になりましたさんの有名なスピーチです。
岡山さんが心配するのは、納得感のないまま、キャッチコピーがネタとして消費されていくことです。県民がそう思っていないのに、広告出身の人たちと知事がゴリ押ししているという印象になってほしくない、と話しています。
寿司県は「その場の一存」で決まった?見えてきた本当の問い
田中さんは、徳島県出身の立場から、もし自分の県が「魚がとれるから寿司で行こう」といきなり言われたら戸惑うだろうと話します。
岡山さんも、プロセスが難しかったと応じます。岡山さんは、富山県の成長戦略会議に関わるブランド戦略策定のワーキンググループで委員を務めていました。
(会議の)カンファレンスみたいのがあった時に、もう富山は寿司県でいきましょうみたいなことを言って。
岡山さんによると、寿司という案はロジックとしては通っていたものの、その場の一存で寿司県の方向に進んでいったといいます。県内で丁寧なプロセスを経て決めたわけではないため、県民が疑問を持つのは当然であり、一部の人が勝手に騒いでいるように見えるのも無理はないと話します。
ここから話は、そもそも地域にキャッチコピーやスローガン、合言葉は必要なのかという問いに移ります。岡山さんは、高木さんのnoteの言葉を借りて、この回のテーマを「地域に旗は必要か」と置きました。
田中さんは、旗が必要になるのは平時ではないときだと話します。みんなが切羽詰まって困っていれば旗に人が集まる土壌がありますが、平和に暮らしている中で「この旗に集まれ」と言われても、集まらない人のほうが多いだろうという見立てです。
田中さんは、旗を立てた側が一丸となってプロモーションを成功させ、県が外からの経済で潤うことはよいことかもしれないと認めます。そのうえで、住んでいる人に「この旗を愛してね」と求めるのは難しいと話します。
勝手に始めたのに、なんで(県民の)コミット求めてるんだみたいな違和感だよね。
田中さんは、議論が巻き起こっていること自体は地域にとってよい状態だと見ています。ただ、議論を知らない人たちとの乖離が広がるのはよくないとし、旗を振る人と一般の住民との差を埋めるフェーズがどこにあるのかを考えたと話します。
インバウンドを呼ぶ戦略は、ウェルビーイングと矛盾していないか?
岡山さんは、必要とする人が多数派になってから旗を立てても手遅れになると話します。だからこそ、先見の明を持って取り組むアーリーアダプターのような人が必要だといいます。
ただし岡山さんは、その「必要」はロジックの上での話だと指摘します。地域が存続するには経済的に成り立つ必要があり、そのためにインバウンドの誘致を強化し、外国人にもわかりやすい寿司で行く、という流れです。
岡山さんによると、富山の人たちには、自分たちの生活空間に見知らぬ人が入ってくることをよしとしない空気のほうが圧倒的に強いといいます。立山に守られた閉鎖的な土地で、それが良くも悪くも平和をつくってきた文化圏だからです。
人がいっぱい来て、県が、事業者が潤うからみたいな話をされても、いやいやいや、来て欲しくないんだけどみたいな人の方が多いっていうのが多分ね、あるんですよ。
岡山さんは、地域の資源を外にアピールして外貨を獲得する手段として、寿司を選んだ戦略は間違っていないと話します。それでも、ウェルビーイングを掲げながら、住民が求めていない「外から人を呼び込むこと」を進めているのなら、戦略の根本の目的が間違っているのかもしれない、と岡山さんは話しながら気づいたそうです。
寿司は「根の束」か、それともアイデンティティの侵食か
田中さんは高木さんのnoteを読み上げます。高木さんは「寿司は4000メートルの高低差が作り出す豊かさを、ここにある産業と工芸と暮らしを一口で体験できる根の束だと思う」と書いています。
田中さんは、この「根の束」という見立てはロジックが通っていて、経済的な豊かさも生むから推進されていると受け止めます。一方で、寿司が富山の豊かさの根の束だと肌感覚で思っている人はまだ多くないから、議論になっているのではないかと話します。
「寿司といえば富山」って、「富山といえば寿司」じゃないんだなって思ったんですよ、見てて。
田中さんによると、このスローガンは富山の人が自ら「富山は寿司だ」と言っているわけではありません。外からそう認知されていくことで、自分たちが思っていなかった形で暮らす場所が語られ、自分の一部が侵食されるような感覚からモヤっとするのだろう、と田中さんは考えます。
まきのさんは「地域の価値をそう決めてよいのか」と問い、高木さんは「価値と認知は違う」と答えています。田中さんは、認知によって価値が定義されることはやはりあり、アイデンティティの侵食につながるだろうと話します。
岡山さんは、寿司をアイデンティティの象徴にする考え方自体はよいとします。ただ、本来は県内で「寿司は富山の文化や食資源の根の束だ」と理解してもらう活動から始める必要があったのに、外への打ち出しと成果づくりが先に立ってしまったと指摘します。
岡山さんによると、誘客数、メディア露出、広告のインプレッションといった成果を示さないとプロジェクトを続けられない状況では、それはブランディングではなくプロモーション、つまり販促活動になります。
岡山さんは、「富山にお寿司を食べに来てもらう観光キャンペーンです」と言われればまだ納得感があると話します。けれど「富山のアイデンティティが寿司です」と言われると、「うちは寿司と関係ない」「寿司はそんなに食べない」という反発が起きてしまうといいます。
「〇〇といえば富山」を考えること自体が、アイデンティティを育てる?
田中さんは逆の視点を示します。「寿司といえば、富山」は、自分が思う富山とは何かを考える機会になり、自分の中の「富山」というタグを認識するきっかけになっているのではないか、という見方です。
岡山さんは、実際にX上で、富山のインフルエンサーらしき人が「皆さんだったら『〇〇といえば富山』の〇〇に何が入りますか」と問いかけていたことを紹介し、平和でいいと感じたと話します。
田中さんは、自分の町で取り組んでいる聞き書きの経験を重ねます。もし震災が来ても、町のこれまでのアイデンティティを忘れずに町の方針を決められるようにするための事前復興 ── 災害が起きる前から、被災後の復興の進め方やまちの将来像を考えておく取り組み。復興の迅速化や、地域らしさを残した再建につなげることを目指します的な取り組みです。
田中さんによると、聞き書きは、語る人が自分のアイデンティティを自覚する機会になるだけでなく、聞き手もそれを新たに持つことになります。アイデンティティは、語ったり、言われて「違う」と思ったりする相互関係から生まれるものだと実感したそうです。
そこで田中さんは、岡山さんが富山で「〇〇といえば富山」を可視化する取り組みをしてはどうかと提案します。岡山さんは、それをプロジェクトにすること自体がよくないと答えます。
そういうプロジェクトとかにすることで、一気に普通の人との距離が生まれるわけ。
プロジェクトに参加してるか参加してないかっていう線引きができちゃって。そこが疎外感だったり、優越感だったり。
岡山さんがインフルエンサーの投稿をよいと思ったのは、自然体の問いかけに、ほかのユーザーが次々に答えて会話が生まれていたからです。田中さんは、日常会話にどう要素を仕込めるかという発想のほうが大事なのだと受け止めます。
岡山さんは、新聞をよく読む県民性を生かして紙面で目に入るようにすることや、テレビで石原良純さんの番組コーナーがあるらしいことにも触れます。認知への働きかけは進んでいる一方で、「あなたにとって誇れるものは何か」を考える余地が必要で、それが「みんなで寿司を誇りましょう」になると人は離れていく、と岡山さんは話します。
アイデンティティクライシスを、どう前向きに使うか?
田中さんは、「寿司といえば、富山」という極端な言葉がアイデンティティの危機を生み、反論する人たちが自分のアイデンティティを持ちたいと感じている状態になっていると見ます。
田中さんは、県政への批判や懸念が生まれるリスクを認めながらも、住民の自立心や考える姿勢は、極端なものを掲げたからこそ生まれたのかもしれないと話します。
岡山さんはこの考え方を面白いと受け止めます。「こうすればよかった」と言っても現状は変わらないので、今からスローガンの価値をどう上げるかを考えるなら、そういう使い方もあると応じました。
田中さんは、「何かといえば富山」という型がすでに頭に刷り込まれている以上、自分にとっての「何か」を考える土壌はできていると話します。
岡山さんは、ここから一歩進めます。「寿司といえば富山じゃなくてもいい」と言う勇気を持つことで、かえって県民がスローガンを理解し、納得するきっかけに変えられるという考えです。
その立山がとか、水がとか、米がとか、魚がとかっていうのが出てきた時に、それらって一皿にのってるのが寿司じゃないみたいな。
岡山さんによると、今の進め方は、何年もかけて言い続ければ人々が刷り込まれて定着する、という方向になりつつあります。岡山さんは、それより自分たちは間違っていたかもしれないという前提に立つことが大事だと話します。
田中さんは、ぶれずに推進し続けることでアイデンティティを持つ人が増える可能性もあると補足し、岡山さんも、それも1つのやり方だと認めています。
「徳島といえばゆで卵」でイラっとする理由と、北海道との違い
田中さんは、大半の人は自分の地域が何と言われているかにそれほど関心がないのでは、と投げかけます。岡山さんは、褒められたら嬉しく、けなされたら腹が立つという単純な感覚はあるだろうと答えます。
田中さんもさ、「徳島といえばゆで卵でしょ」みたいなこと言われたらさ、ちょっとイラってしません?
田中さんは、ゆで卵を食べようとするたびに岡山さんから「徳島の人ってゆで卵好きだよね」と言われる、と笑います。岡山さんは、宇都宮と餃子、静岡とお茶のように、決めつけられることへの違和感があると話します。
一方で2人は、「寿司がおいしいんでしょ」と言われるのは嬉しいという点で一致します。岡山さんは、そこで「実はさ、4000メートルの高低差がさ」という話が県民一人一人から出てきたら理想的だと話します。
岡山さんによると、富山は寿司店の寿司だけでなく、スーパーのパック寿司やローカルチェーンの回転寿司がおいしいことがすごいといいます。田中さんは、北海道の「トリトン」や「根室花まる」のような回転寿司のイメージを重ねます。
ただし岡山さんは、北海道は海鮮やラーメンなど強いイメージがもともと多く、一点突破しなくても「北海道」自体がブランドになっていると指摘します。
田中さんは、高木さんのnoteにある目標にも触れます。「富山の寿司を県外の友人に勧める県民の割合90パーセント」を目標に入れているという点です。
田中さんは、ウェルビーイング県を目指すなら、いろいろな富山を自分の口で語れることが幸せそうだと話します。勧めたいものが一辺倒に寿司になったときに幸せなのか、という議論は確かにある、と田中さんは考えます。
岡山さんは、寿司を勧める理由は水・山・海・米のストーリーにあり、県民がそれを説明できるようになれば素晴らしいと話します。ただ田中さんは、「根の束」という説明はワンクッション置いていて、考えないと説明できない難しさがあると指摘します。
カニ、魚、イクラと「うまい」が先に来る。住民も「うまいんだよね」の一言で説明できる
「うまい」の背景にある高低差や水のストーリーを説明しないと伝わりにくい
岡山さんは、うまいことの背景まで説明しなければならない状態は確かに苦しいと認めます。だからこそ、外向けの前に内向けのプロセスを一度挟んだほうがいい、と話しています。
寿司は「ストーリー」、だから教育や絵本が向いている?
田中さんが寿司の要素を確かめると、岡山さんは改めて高低差のストーリーを説明します。おいしい水が米と魚を育て、深い海からいろいろな魚がとれ、さらに工芸が盛んな富山では寿司をのせる器もいい、というものです。
寿司を味わうことっていうのは富山を味わうことなんだよみたいな話。
田中さんはこのストーリーを素晴らしいと評価します。一方で岡山さんは、頭が良すぎて直感的ではないと話し、むしろ小学校でしっかり教えたり、「寿司といえば富山」の絵本をつくったりするほうが大事ではないかと提案します。
田中さんは、それなら歌ではないかと思いつきます。2人は流行語大賞に入った「好きすぎて滅」にかけて、「好きすぎて寿司」「水すぎて寿司」「米すぎて寿司」と言葉遊びで盛り上がります。
アイデンティティじゃなくてストーリーなんじゃないですかね、寿司って。
岡山さんは、高木さんたちの考えは、地形や食から生まれた富山のアイデンティティを寿司というストーリーで代表させ、誰もが富山を一言で語れるようにするというものだと整理します。そのうえで、やはり高尚すぎるし、外向けから始めると中にいる人が寿司を通じて富山を語れるようにならない、と話します。
「自己否定」とは撤回ではなく、ゴリ押しをやめること
どうすればいいのかと悩む田中さんに、岡山さんは「もう一回自己否定です」と即答します。
10年かけて例えばCMで寿司ソング流したりとかして、ゴリ押しして、県民がみんな寿司寿司みたいな歌を歌えるようになったとしても、それって本当に目指してた姿なんでしたっけ?
田中さんが富山の寿司の消費量が1位なのかを尋ねると、岡山さんは統計はいろいろあると答えます。浜松・宇都宮・宮崎の餃子争いのように、みんな自分に都合のいいデータを使うので、それより中にいる人が納得しているかが大事だという考えです。
岡山さんは、自己否定する勇気がなければ、知事が代わったときに「県民の反対もあるので予算をカットして福祉に回します」という候補が選挙で勝つだろうと話します。田中さんも、知事が代われば「寿司といえば、富山」がお蔵入りする可能性は十分にあると応じます。
それでも岡山さんは、地形や歴史まで寿司に込めて語れるようにする考え方自体は素敵だと話します。県民が支持しているので前知事の施策でも踏襲する、と次の知事が言えるようになるのが理想だといいます。
岡山さん自身は寿司に魅了されて移り住んだ人であり、ブランディングの仕事をしているから、こうした発想を面白いと感じます。ただ、そうした「オタク的な」見方で自分の街を捉えられる人は少数派だろうとも話します。
田中さんが、今の知事がスローガンを撤回する可能性を尋ねると、岡山さんは撤回はしないだろうと答えます。岡山さんの言う「自己否定」は、撤回ではなく、ゴリ押しをやめることです。
「寿司といえば富山です。決めたんでやっていきましょう」と上から押し通す
「本当に『寿司といえば富山』でよかったのか、皆さんと一緒に考えたい」と同じ土俵に立つ
岡山さんは、まだ何も定着していない今だからこそ、中の人にストーリーを理解してもらう方向へ軌道修正できるはずだと話します。県知事選まではあと2年ほどあるはずだ、とも付け加えています。
寿司空港と国勢調査に見える、平時と危機の温度差
田中さんは、番組でも話題になった富山空港の新愛称「富山高山寿司空港」に触れます。岡山さんによると、名称はすでに決定していて、看板も変わり、空港内の寿司店も増やす方針だといいます。
岡山さんは、冒頭の「平時に人は変われない」という話につなげます。平時だと思っている人と危機だと思っている人の温度差が激しすぎること、そして危機によって不利益を被る人が少なすぎることが問題かもしれない、という見方です。
岡山さんによると、富山空港の便は今は東京行きだけで、北海道行きが週1便ほどあるといいます。昔は福岡などにも飛んでいましたが、利用者が少なく減ってきました。北陸新幹線の開業後、富山市民はあまり空港を使わず、むしろ岐阜の人が利用することもあるため、「富山高山」という名前は利用者の実態に合っている面もあるそうです。
なんか結局その富山空港、このままだと採算取れなさすぎてなくなっちゃうよ、それで本当にいいの?みたいな問いかけが先にあって。
岡山さんは、空港存続のために、ブランド力のある高山の名を使い、わかりやすい寿司をテーマにすると正直に伝えていれば、「それならしゃあない」と納得する人もいたかもしれないと話します。内情の苦しさをさらけ出すことに耐えられないプライドの高さがあるのでは、という見立てです。
岡山さんは、富山市が人口を水増しして国勢調査に報告していたとされる件にも触れます。田中さんも、対外的な体裁をそこまで気にすることがあるのかと驚いたと話しています。
地域に旗は必要か、2人が行き着いた答え
田中さんは、この回のテーマ「地域に旗は必要か」に立ち返って議論を振り返ります。旗には、良くも悪くもアイデンティティを認識させる一定の効果があったかもしれず、旗の必要性を感じている人と感じていない人の差が課題として見えてきた、と田中さんはまとめます。
岡山さんは、本当に地域のことを考えるなら、納得感を一人一人丁寧につくっていくしかないと話します。政治や経済の事情で物事が変わる可能性はいくらでもあるからです。
岡山さんは、自分たちにとって大事だから守りたいと思える人が地域に1人でも多くいる状態をつくることが、本当のブランディングだと考えています。そのためには、広告屋の発想ではなく、住む人が「ここに住んでよかった」と思えることを軸に一度リセットして考え直し、プロジェクト側が自己否定する必要があるといいます。
田中さんは、この話は富山だけでなくさまざまな地域に関わる話だと締めくくります。議論が巻き起こること自体はよいことであり、いろいろな地域で「何々といえば何々」を語り合えたら楽しそうだと話しています。
まとめ
富山県の「寿司といえば、富山」をめぐる論争を入り口に、田中さんと岡山さんは、旗を立てることの是非よりも、その旗が住民の納得や愛着につながっているかが重要だという結論にたどり着きました。高低差から寿司へと続くストーリーの価値を認めつつ、外向けの打ち出しの前に内向けのプロセスと、プロジェクト側の自己否定が必要だと語られています。
- 「寿司といえば、富山」は、約4000メートルの高低差が育む水・米・魚を寿司に凝縮して見せる、ウェルビーイング県戦略の一環として始まった
- 岡山さんは、キャッチコピー自体はよいとしながら、県民の誰もスローガンに愛着を持っていない点を最大の問題と見ている
- 極端な旗はアイデンティティの危機を生む一方で、「自分にとって〇〇といえば富山とは何か」を考えるきっかけにもなりうる
- プロジェクト化すると参加者と非参加者の線引きが生まれるため、日常会話の中で語り合えることが大切だと話された
- 撤回ではなくゴリ押しをやめ、県民と同じ土俵で「本当にこれでよかったのか」を一緒に考えることが、続いていくブランドへの道だとされた






