多くの人が悩む「間の取り方」とは
緊縛である程度、型で縛れるようになると、緩急や強弱、間を取りましょうという話が出てきます。たかせさんによれば、この間を取るところで悩む人が多いといいます。
そもそも間とは何なのか。たかせさんは、ただ動きを止めればいいという話ではないと説明します。
間を取る目的は、受け手とのコミュニケーションにあります。淡々と進めてしまうと、それは作業のようになってしまうからです。
よりそのコミュニケーションとして緊縛というものを実践するために間が必要だよねと。
つまり間は、緊縛を作業ではなくコミュニケーションとして成立させるために必要になるものだと位置づけられています。
止まっているように見えて、中では何が起きているか
間を取っている人を客観的に見ると、ただ動きを止めているように見えるかもしれません。しかし、たかせさんはそんなことではないと話します。
客観的には動きを止めているように見える間でも、当事者たちの中では何かしらのやりとりがある、というのがたかせさんの説明です。
そのやりとりの具体例として、縄にかけるテンションをゆっくりじっくり強めていくことや、受け手の様子を見ることが挙げられます。
たとえば受け手の表情の変化など、状態に変化があるときに、その変化が収まるのを待つ。そこには動きを止めるだけの理由があるといいます。
やみくもに止めると、受け手は「何この間」と感じる
たかせさんは、ただやみくもに動きを止めているだけだと、受け手からすれば戸惑いにつながると指摘します。
ただやみくもに動きを止めているだけだと、受け手さんからしたら、何この間...みたいな感じになるんですよね。
重要なのは、縛り手側から何かしらのアプローチがあり、そのアプローチによって受け手の状態に変化があるという流れです。
受け手の反応を見ながら、その反応に合わせてじっくり圧をかけていく。たかせさんは、それをするだけでも結果として間になると話します。
間は「縛り手の都合」ではなく相手ありきで生まれる
たかせさんは、間をどうやって取ったらいいのだろうと考えること自体が、縛り手の都合だけの話になっていると指摘します。
間というのは何のために取るかって、コミュニケーションのために取るわけで。
コミュニケーションを取るということは、当然相手ありき、相手の状態ありきの話になる。
だからこそ、間を取りたいときにはまず受け手をしっかり観察し、変化を見ることが出発点になります。
変化がないと思ったら、変化を引き出すような仕掛けをする。たかせさんは、縄越しに圧力をかけたり、直接の身体的な接触でアプローチしたりする方法を挙げます。
仕掛けが「浸透した」のを確認してから次へ進む
受け手に何かを仕掛けたら、その変化をよく観察していきます。たかせさんは、限界かなとか、落ち着いて安定したな、といった見極めを例に挙げます。
縛り手から仕掛けたことが受け手の中に浸透し、受け取ったと感じ取れたら次に進む。これがたかせさんの示す流れです。
逆に、受け手が感じ取るための時間を無視して進めてしまうと、それは作業になってしまうといいます。
たかせさんが示すのは、仕掛ける・浸透する・変化として表に出る・その変化を確認するという一連のサイクルを踏んでから、次のアクションへ移すという流れです。
間は作るのではなく、結果的に生まれるもの
一連の流れを意識してもらえれば、間は自然と発生するとたかせさんは話します。
厳密に言うと、間を作るために間を作るということはない、というのがたかせさんの考えです。
結果的に間というものが生まれるというような意識で取り組んでもらえたらいい。
間は目的ではなく、受け手とのコミュニケーションを丁寧に積み重ねた結果として現れるもの。それがこの回の核心です。
まとめ
この回でたかせさんが伝えたのは、緊縛の間はただ動きを止めることではなく、受け手の反応を根拠にして生まれるものだという考え方です。観察し、仕掛け、浸透を待ち、変化を確認してから次に進む。その積み重ねの結果として、間は自然と立ち現れます。
- 間はただ動きを止めることではなく、受け手とのコミュニケーションのために取るもの
- 客観的には止まって見える間にも、当事者の中では圧の調整や反応の観察といったやりとりがある
- やみくもに止めると、受け手は「何この間」と戸惑ってしまう
- 間は縛り手の都合ではなく、相手の状態ありきで考える
- 仕掛けたことが受け手に浸透したのを確認してから次に進めば、間は結果的に生まれる

