博士課程の兄がオーストラリアの学会へ向かう
この回は、オーストラリアで開かれるファミリービジネスの学会を前にした慌ただしい時期に収録されています。
博行さんが向かうのは、西オーストラリアのパースです。手つかずの自然と温暖な気候から、オーストラリア好きに「一番いい」と言われることもある土地だと紹介されています。
この学会は、コロナ前に始まった歴史の浅いものだと話されています。参加者は50〜60人ほどで、ほとんどが発表者であり聴衆でもある小さな規模です。
博行さんによれば、ファミリービジネス研究の拠点はもともとヨーロッパやアメリカにあります。アジアの研究者はそちらの学会に出向いて「小さくなって帰ってくる」ことが多いといいます。
アジアこそファミリービジネスが、日本も含めて、こっちだってめっちゃ研究すべきものがあるから、ヨーロッパだけじゃない流れも作ろうと。うちの担当教授とかが中心になって始めたプロジェクトなんよね。
博行さんは去年、この学会で博士課程の学生の中で最も優秀な発表に贈られる学生賞を受賞しました。ただし、それがハードルを上げてしまったとも話しています。
去年はデータを取る前の理論部分での受賞でした。今年はその理論の上に、インタビューで集めたデータから何が言えるかを発表しようとしています。
コミットメントには4種類ある
ここから話題は、博行さんが取り組む研究そのものへ移ります。テーマは、跡継ぎの心の動き、つまり「コミットメント」です。
跡継ぎが幼い頃に家業とどう接点を持ち、どんなきっかけで継ごうと思い、入ってみて何を感じ、今はどう思っているのか。その変遷を何人にも聞くことで、示唆を得ようとする研究だと説明されています。
背景には後継者不足があります。家業を継ぎたい人ばかりではないため、黒字でも倒産に至るケースが増えているといいます。
博行さんは、コミットメントを整理する枠組みとして、ハーバードの研究者が2005年に提示した4種類の分類を紹介します。
継ぎたい。好きだ、やりたいという感情から来る欲求
継ぐべき。義務感や恩義、責任感から来るもの
継がないと損だ。地位や資産、安定など計算的なもの
継ぐしかない。選択肢がない、これしかないという状態
この4分類を物差しにして、弟の陽平さんの人生をたどっていくのが、この回の本題です。
家業を「誇らしい」と感じた幼少期
陽平さんが家業を意識したのは、幼稚園や小学校低学年の頃だといいます。両親が共働きで、職場と住居が近く、自分たちで商売をしている感覚が自然と身についていました。
両親が忙しかったため、陽平さんは祖父母に預けられることが多かったと振り返ります。家族旅行より、祖父母と食事に行く記憶のほうが強いといいます。
なかでも、商売っ気のある祖母の影響が語られます。祖父をリスペクトしていた祖母から、商売の話をよく聞かされていたようだと話しています。
すごい商売みたいなことをおばあちゃんはずっと言ってたような気がするんよね。おじいちゃんが頑張って仕事してとか、それにお父ちゃんも入ってとか。
当時の気持ちを問われた陽平さんは、和紙や紙のことは何も知らなかったものの、本社のビルの存在が誇らしかったと答えます。
あのビルの存在っていうのが、その地域で暮らしている者としても、なんかちょっと誇らしかったような気はしますね。
小中学校で芽生えた家業への「負のイメージ」
ところが、この誇らしさは長く続きませんでした。陽平さんは「全然続いていかなかったし、忘れていた」と話します。
理由の一つが、両親のやり取りから感じ取った空気でした。会社の話をする両親の神妙な面持ちや険悪なムードを、子供ながらに感じていたといいます。
神妙な面持ちで会社の話をしてたりして、ちょっと険悪なムードを子供ながらに感じてたから、うまくいってないんかなって思ってたね。
もう一つが、母親からの言葉です。「あなたは次男なんやから好きなようにしなさい」と繰り返し言われていました。そのため、継ぐ必要はないのかもしれないと感じていたといいます。
後になって陽平さんは、この時期は会社の業績も景気も良くなかったと整理しています。両親の苦労が、子供にも伝わっていたのだろうと振り返ります。
「紙屋は次男に」という受け取りが、よりどころになる
高校になり進路を考えるようになると、経営を継ぐなら経営学を、紙屋をやるなら紙に関わる分野を学んだほうがいいのか、と考えるようになります。
その背景には、陽平さん自身の受け取り方がありました。兄が高校や大学の頃から東京に行くと言っていたことから、「紙屋は次男にやってもらえばいい」という空気を感じ取っていたといいます。
その器で紙屋やらすのもったいないみたいな。俺はそう聞こえたんよね。それで次男にお鉢が回ってくる可能性があると。
陽平さんは、このことを自分の「よりどころ」にしていたと話します。突き詰めたいものが他になかったこともあり、家業を継ぐことに備えようという感覚があったといいます。
博行さんが、この時のコミットメントは4分類のどれに近いかを尋ねると、陽平さんは迷わず「規範的」だと答えます。継ぐべきだと感じていたということです。
凸版就職とインド行きで、一度リミットが外れる
規範的なコミットメントを持っていた陽平さんですが、母は「戻ってこんでいい」と言い続けていました。義務感が揺らぐこともあったといいます。
新卒で印刷会社に就職した時点では、そのコミットメントは薄れていたと振り返ります。自分の目で選んだ就職先で、サラリーマンを全うしようという感覚だったといいます。
博行さんは、これを規範的コミットメントだったからこその変化だと解釈します。
これがもし心の底から継ぎたいって思ってたら、兄が帰ってくるってなったら嫌やったと思うし、継がんと損やんと思ってたら、そんな勝手許されへんやろってなったと思う。
転機はサラリーマン5年目に訪れます。もっと素直に、やりたいことに忠実に生きてもいいのではないかと感じ、単身インドへ飛び込みます。
決め手になったのは、インドの人材紹介の人の言葉でした。「人生はネタ作りだ」と背中を押され、決断はかなり軽かったと話しています。
インドでの経験は衝撃的で、苦労も多かったといいます。それでも博行さんは、この「一度解放する」経験を重視します。
帰国と結婚、そして「継ぎたい・継ぐべき・継がな損」が重なる
インドから30歳で帰国した陽平さんは、家業を継ぐつもりを持ちつつも、同時に転職活動もしていました。帰国と同時に結婚もしています。
転職活動で得た内定は、東京の国際的な企業や、半導体・産業機械など、これまでのキャリアとは縁の薄い分野が中心でした。「海外に飛び込める度胸」を買われた、ぎりぎりのポテンシャル採用だったといいます。
大阪に住みたいという思いや、結婚後の暮らしを考えたとき、陽平さんはある計算にたどり着きます。
三十から知識も興味もない分野で積み上げるより、印刷会社とか片目で見てた大上の紙の事業を、なんやったら世界やインドに展開していくことで、一石二鳥になるんじゃないかって思った。
この瞬間について、陽平さんは「継ぎたい・継ぐべき・継がな損が、ちょうど掛け合った」と表現します。博行さんは、なかでも功利的コミットメントが大きくなった瞬間だと整理します。
博行さんは、功利的なコミットメントが悪いわけではないと強調します。メンターとして見ている後継者にも、計算的コミットメントの人は多いといいます。
さらに、他社の内定があったこと自体が、命令的コミットメント(継ぐしかない)を避ける役割を果たしたのではないかと指摘します。もし全部落ちていたら、「ここしかない」という状態になっていたかもしれない、というわけです。
博行さん自身は、家業に対して「完全に功利的だった」と明かします。使命感はなく、他の人よりこのポジションを使い倒せるのではないか、独自のルートを行く武器になると考えていたといいます。
社長就任とコロナを経て、コミットメントは「べき」に戻った
家業に入り、社長就任やコロナを経て、陽平さんのコミットメントはどう変わったのか。博行さんの問いに、陽平さんは意外な答えを返します。
もう完全に継ぐべきになってまた戻ってきたね。だって継がないと損なことないもん、別に。
継ぐことで計算的にプラスだと思っていたことは、実際にはそうではなかったという思いがあるといいます。コロナという外的要因や、家族との関係もそこに絡んでいます。
苦しいと思うことが増えるほど功利的な側面が落ち、義務感が上がっていく。その変化を、陽平さんも認めています。
一方で、少しずつ感情的なコミットメントも育ってきたといいます。「どうせ俺がやるなら、こうしたい」という思いや、社長という立場で刺激的な人と会える機会が、それを後押ししています。
肩書きや地位によって視野が広がったり経験値も積めたりして、これはやりたいんだ、好きだって自分をマインドコントロールするような形で徐々に増えていってる。
今の割合は「継ぎたい20・継ぐべき60・継がな損20」
博行さんが、今のコミットメントを強引に割合で表すよう求めると、陽平さんは具体的な数字を挙げます。
陽平さんが引っかかっているのは、この「継ぐべき」の大きさです。先代や周りは「義務感や恩義はいらない」と言ってくれるのに、自分が勝手にそれを感じてしまうといいます。
7年という時間の中で、やりたいことを実現できたり、好きな人と仕事できたりする喜びも育ってきました。地元で暮らし、子供を育てられる今の生活が会社のおかげであることも、事実だと語ります。
「べき」に縛られすぎず、感情に蓋を開けるには
博行さんは、継ぎたいを100にすることはできないと話します。従業員を雇った責任感など、規範的コミットメントがゼロの社長には誰もついていきたくない、というわけです。
その上で、研究で言われている傾向を紹介します。
新しい挑戦に踏み出しやすい傾向がある
受け身になりやすく、消極的になりやすい傾向がある
この話に、陽平さんはマックス松浦さんのnoteを引き合いに出します。全文をAIに書かせたというその記事に「目的が金になった瞬間、人は終わる」とあったのが面白かったといいます。
陽平さんは、家業に入った初期の3〜4年を「どうしたらいいんやろともがいていただけ」と振り返ります。会社の存続に直結するがゆえに、自分の感情の部分がすっぽり抜け落ちていたといいます。
陽平さんは、このままだと、インドに飛び出した27歳の時のように、何かのきっかけで全てを手放したくなる衝動に駆られるかもしれないと危惧します。
博行さんは、これを内発的動機づけの問題として捉え直します。感情にブレーキをかけ続けることは、あらゆることにブレーキをかけている可能性があると指摘します。
博行さんは、この回で陽平さん一人からでも研究に使えるほど豊富なデータが得られたと話します。どのタイミングのコミットメントが何から来ているのかを人生単位で聞いていくのが、この研究の中身です。
陽平さんは、自分の癖のようなものを整理する機会になったと締めくくります。最終的にどうやって利益を上げる組織にするか、その実現の形を考えるきっかけになったといいます。
まとめ
和紙問屋4代目の陽平さんのコミットメントは、幼少期の誇らしさ、小中学校での負のイメージ、進路選択での「継ぐべき」、インドでの解放、帰国後の計算、そして社長就任後の義務感へと、人生に沿って何度も形を変えてきました。感情・規範・功利・命令の4分類を物差しにすると、その揺れが具体的に見えてきます。
- 跡継ぎのコミットメントは、感情的・規範的・功利的・命令的の4種類に整理できる
- 陽平さんは幼少期に家業を誇らしく感じ、業績不振の時期に負のイメージへ、進路選択で「継ぐべき」へと変わっていった
- インド行きという一度の「解放」が、その後の意思決定の質を変えたと兄弟は捉えている
- 帰国後は「継ぎたい・継ぐべき・継がな損」が重なり、就職も継ぐことも功利的な計算で選んだ
- 社長就任とコロナを経て、現在は継ぎたい20・継ぐべき60・継がな損20。感情的コミットメントを引き出すことが今後の課題とされる




