深井龍之介さんという人/人文知って何?
素顔会議。こんばんは、えまです。本日は特別編、人文知は武器になるをお話ししようと思います。山口周さんと深井龍之介さんの対談したイベントに、斎藤さんとミナさんと参加してきましたので、今日は三人でお話ししようかなと思います。
僕が思うには、この本って山口周さんと深井龍之介さんの本になってるけど、文脈的には深井さんの熱い思いに山口周さんが共感して実現したようなものだと思うので、深井さんがどういうふうに考えてるのかっていう視点で見ていきたいなと思ってます。僕はこの本、まだ読んでる途中ではいるんですけど、深井さんをずっと追っかけてる人間としては、深井さんは多分こういうこと言ってんだろうなって。
深井ラバーですね。リスナーさんは深井龍之介が何者なのか知らない人もいると思うので、一度説明してもいいかもね。
じゃあエマさん、深井龍之介さんの説明お願いしてもいいですか?
私の解釈で説明すると、株式会社コテンという会社さんをやられています。コテンさんのやりたいことは、人文知、歴史とか哲学史とか、人間が歩んできた叡智をちゃんと会社の経営とか社会を動かすことに活用していかないとまずくない?みたいに考えていらっしゃって。大きなデータベースを作りながら、いろんな会社さんと人文知を使ってどう会社経営していこうかを一緒に考えてくださる、かっこいいお兄さんです。斎藤さんはその人が大好き。
私も大好き。やっぱ深井さんの面白さって、もともとは東芝の社員ですよ。学歴もちゃんと九州大学の文学部出て、東芝の経営企画部にいたぐらいだから。でもそこでも常に問いを持っていて、多分普通の社員ではなかったと思うよ。
そこから紆余曲折、スタートアップを手伝ったりして、今は株式会社コテンを設立して代表取締役として活動している。起業家って本人は名乗ってるけど、一見活動家にも見えるし、いろんな哲学者にも見えるし、いろんな側面を持ってるかなって。
活動家って言葉って、経営用語でいうとアクティビストって悪者扱いされる。株を持ってて口出してくるみたいに聞こえるけど、結局似たようなコンセプトで、世の中に対していつもwhyを持っていて、そのwhyを発信して、いい方に変えていこうって活動してる人かなっていう。
人文知って結局何なのか
続いて話題は、そもそも「人文知」という言葉の意味に移ります。サイトーさんはその定義の難しさを切り出します。
深井さんの人文知の前に、人文知っていう言葉の定義をGeminiに聞いたんですね。哲学とか宗教とか歴史とか、そういうものを学ぶイメージじゃないですか。でもGeminiは映画鑑賞も人文知だみたいなこと言ってたんですよね。本を読むのも人と話すのも人文知だし、人のことを理解するとかだなと思った時に、でも深井さんが言う人文知ってそういうことじゃないじゃないですか。別の言葉がいいんじゃないかなとちょっと思ったりとか。
そうだね。人文知ってあんまり日本人に馴染みがないんだよね。難しい言葉だと思う。解釈が人によって変わりやすい。哲学とか宗教とか歴史って言った方が、まだもう少し要素分解されてるっていうか。
この本の中で深井さんが考える人文知は、人と社会の解像度を上げる、人とは何か、社会とは何かを考える。その時に無知の知の姿勢を持つ、分かった気にならない、謙虚な姿勢で問い続けて解像度を上げていくっていうことなんですね。それってすごく脳の認知負荷が重い話だなって、今更ながら思って。たくさん学ばないといけないけど、分かった気になっちゃいけないみたいな。
確かに。地でわかった気になりたい。早く。
わかった気になるな、しかもどんどん学ばなきゃいけないっていう、その苦行とも言えることをなぜ深井さんは大事だっていうのか。深井さんの目的を考えてみると、深井さんはこの世界に絶望してるんですよね。
熱い人なんですけど、うっすら死にたいって言ってて、ちょっと闇って思ってます。
歴史を学んだ深井さんが感じる絶望
サイトーさんは、深井さんが歴史を学んだことで見えてしまった課題感を語ります。
深井さんは歴史をめっちゃ学んで、普通の人には見えないものが見えてきちゃってる。こんな問題がいっぱいあったのかっていう非合理が目についちゃってる。なんでこんな非合理があるのに、そこに投資がされていない、目先のものばっかりに投資されて、重要な課題が放置されている。過去の過ちを繰り返してる人類、バカなんじゃないのと。
そこまで。
人類がものすごく勉強してきて、宗教とか哲学が積み上がって受け継がれているのに、それを使わずに過去の過ちを繰り返す。だから深井さん的な人文知って、多分人類の英知みたいなもので、人文知じゃなくて人類知、超知みたいな。要は人類の英知を使って、放置されている投資すべき課題に投資しなきゃいけないよねって訴えかけてるかなと思って。
なるほど、面白いね。私はもうちょっと自分の好奇心の方が強くて。時間軸と空間軸をぐーっと引き伸ばして考えるっていうことが必要だよねって言ってるのかなって思ってて。人文知をもう少し因数分解した時に、学問的には社会学があって、その中に宗教とか哲学とか歴史が入っていて、結局人間って本当はすごい複雑だったんだなっていうのが、時間軸と空間軸を伸ばすと見えてくる。
今私たちが生きてる世界が結構シンプル化されすぎてるって思ってるの。それはなんでかっていうと、やっぱり資本主義が関わってる気がしてる。資本主義って大発明で、人間の豊かさをドライブした代わりに、環境への負荷が高まったんだけど、便利になって生きやすくなった。だから死ななくなったから、いろんな問題も起きている。
資本主義が生んだ「役割」の功罪
ミナさんは、資本主義を「役割を決めたこと」と解釈した対話を紹介し、それがもたらした影響を語ります。
昔はもっと簡単に人は死んでたし、もっと生きるのも大変で複雑だった。深井さんもこの本の中で、技術革新がすごく資本主義をドライブしてるって言っていて、その中にキリスト教が関わっていて、キリスト教によって資本主義がドライブされて、今の世の中ができてったっていうのが、やっと私の中の歴史でつながって。
宗教社会学者の橋爪大三郎先生と対話をした時にハッて気がついたのが、資本主義ってどういう意味かっていうと、役割を決めたことなんだよって。つまり分業。あなたはこれをやりなさい、みんなが全部やらなくても、役割を決めて分業してやってみようと。そしたら急激に生産性が上がったよみたいになって。でも本当は人間っていろんなことができたはずなのに、一個一個役割を設けたら、それしかやらなくてよくなったから、あんまり考えなくてよくなった。
そうすると逆にそれの方がノーマルになっていって。気がつくと自分が何のために存在してるのかがわからなくなっちゃったっていう状態が今なのかなと。
深井さんの場合は、それを歴史も含めて学んじゃうと、そういう営みが全部見えちゃって、もう一回引きで見ると、人間ってそんなもんじゃないだろって。資本主義を作った時に、リニアに世界が良くなるっていうのを味わっちゃった、二十世紀、二十一世紀で。
でもいよいよティッピングポイントが近づいてますってなった時に、明日の世界が保証されなくなった。VUCAとも言うけど、リニアに世界が伸びないかもしれないっていう問題に直面した時に、役割を決めちゃったから、その役割以上のことを考えられない人間の集団になってしまっていて、今その歪みが起きてるっていうのを、深井さんはすごく早くキャッチしてる。でも私たちにとってはこれが普通だから、え、なんでダメなの?っていうギャップが起きてる。
深井さんが一番大きな問題として考えてるのが資本主義で、否定するわけじゃないけど、大きな問題がいっぱいある。ニュースコネクトで野村さんと話したところで深井さんが言ってたのが、中長期的に合理性のあることに対してリソースをアロケーションすることに合意ができないみたいな。必要だってわかってるけど、投資しましょうっていうコンセンサスが取れない、短期的な方に走っちゃう。そこが一番本質的な問題で、そこに企業が投資していくっていうのを、深井さんが大きな企業に訴えかけてるっていうところですよね。
リベラルアーツは自由になる技術/軸と絶望の両面
話題は、人文知に出会った自分たちの変化に移ります。えまさんは、価値観が覆されたことのポジティブさと葛藤を語ります。
深井さんにとって人文知って、先の読めない世の中を読む一つの術、道具として使えるはずだろって。人間って長い歴史を歩んでいて、結構繰り返してるよねって。答えなんか類似解あるんじゃないみたいな。それがわかってるくせに見て見ぬふりすることはできないっていう、そこがモチベーションなのかなって。
本来資本主義があるのが、ここにいる三人も含め聞いてる方も大前提の世の中で生きてる。でも人間らしい時って、本当に村で火を起こして、農村でみんなで住んでてみたいな時代を考えると、この本にもありましたけど、儀式をしないと人は意思決定できないみたいな、そういうものの見方ができるようになったのは、コテンラジオとかこういった人文知界隈に出会ってぶっ壊されましたね。ただぶっ壊されると同時に病むっていうか、うわぁなんだこれみたいなことにはなりました。
でもこの物差しを早いうちに手に入れられたのはすごくいいのかもしれない。どう使ってやろうって楽しく考えられるようになってるかなって。あまり考えなしの二十代はそう思います。
リベラルアーツは自由になる技術って書いてありましたけどね、山口周さんの言葉で。ちょっと自由になりました?
自由になったんですかね。出会った当初はすごい、その世界に没入して何でもできそうみたいな。VUCAだし、今まであった常識とか考えなくてもいいじゃんとか、いろんな発想が展開して、イケるイケるみたいな、自分のエンジンになってたんですけど。
その根底は今も変わらない。ただ今直面してるこの社会って、根底が覆ってない人たちがたくさん運営していて、みんな窮屈そうな時代だったり、各々の歪みに直面している様を見ると、より根底が覆ってポジティブになったんだけど、ここから何できるんだっけみたいな。
今までの私は結構いろんなものが偶然に叶いやすい人生だったんですよ。でもここからは、この覆った根底からポジティブに発想されるものをイメージしながら、でもそれはポジションでも固有名詞でもないんですよね。数値目標でもないし、なんだこれみたいなものを楽しみながらイメージして、そうなったらいいなって思ってます。しかもそれが結構な長期スパンで、私が死ぬまでに達成できないかもしれない。でもそこに寄与できる何かになることに私の人生が使えればいいなって視点になった気がします。
私も似てて、人文知に出会えたのは本当にポッドキャストにコロナ中にハマったのがきっかけで。自由になるって意味は、自由になることと苦しくもなることの両面あるかなって。自由になる感覚を得られたのは、普遍的な軸を持つみたいな、一貫性を持つというか、環境によって揺らぐものではなくて、絶対的な軸となるものがあるっていう感覚なんだよね。それは逆に言うと自分自身を自由にするっていう。
反対に、深井さんも言ってるように、世界を見る目が変わって、世界の絶望を感じる感覚もある。だからこそどうにもなってないことが見えてくると、そこに対する絶望感、フラストレーションも生まれてくるから、やっぱり両方かなって。でも総じて、そういう軸を持つことへの幸福感の方が、私は今のところまだ強くて。自分に拠って立つものが生まれるっていう安定感が、私は一番人文知の醍醐味かな。
日本人のデュアルスタンダードと問いを立てる力
続いて、日本人特有の価値観の移ろいやすさと、答えのない世界で問いを立てる難しさが語られます。
割と宗教にも近いのかも。キリスト教とかって、世界を神と自分との対話で決めてるっていうか。相対値じゃなくて絶対値で決めてるから、自分の中に軸ができる。でも日本ってどっちかというと相対で関係性の中で作っていくから、時間と共に環境と共に移ることが多くて。それは社会性を産みやすい特殊な人種なんだけど、結構生きにくい。
だからこの本にあった通り、ダブルスタンダードっていう言葉がダメなことみたいに捉えられるけど、デュアルスタンダードに変えてポジティブに。
みんなが無意識のうちにデュアルスタンダードで生きているって、すごい稀有な人種、社会なんだと思う。
こういうものを学ぶと、本当の意味で絶対なんてことはこの世に存在しないんだなって。男性は女性が好きとか、家族はこうあるべきとか、紀元前まで遡ると、マジで何にもないんだなって視点までもらうと、何が起こるかわかんない時代に、何かに固執してたら痛い目見るんじゃないかなって。本の中でも二枚舌、三枚舌使えるのは技術だよって記述があった気がするんですけど、デュアルスタンダードで考えられる幅が増えたのかなと思いましたね。
今日本人の特性を喋ってたけど、それを企業に当てはめた時に、世界が移り移っていく時に、デュアルスタンダードでもいけるよねっていう考え方が、今すごくネガになってる。決められない人たちになってる。日本って唯一キリスト教でもないのに資本主義がうまく成立した稀有な国で、それは世界がリニアに動いていく時には正解がある程度決まっていて、阿吽の呼吸でやってみようみたいなのがうまく駆動して生産性が上がった。
でも今の時代、世界がリニアで伸びないし何が起こるかわからないっていう時、わからないことに対して行動していかなければいけない。そこに対しては全く動けなくなっちゃう。今こそ人文知って深井さんが言ってるのに共感するのは、答えのない世界に対して仮説を立てて行動してみるっていうところが、本当に下手だなって思うよね、日本人が。
答えがあるところに走りなさいっていうのはすごい上手。だけど答えはないんだけど、答えを置いてみる、自分で。それが周さんの言う問いを立てるっていうこと。立てて、そこに対してやってみるっていう行動力、これは本当に下手くそなのかもしれない。そういう時に人文知ってすごく役立つような気がしてるんだよね。
問いの立て方の幅が全然違いますよね。自分の置かれてる前提ではないところから引っ張ってこれたりとか。
経営者へのレバレッジと、現場の小さな実践
深井さんの主張は経営者に向いているのではないか。ミナさんとサイトーさんは、それを現場の自分たちがどう実践するかを考えます。
深井さんの言ってることってまだまだ難しいなって思う時がある。全員が受け取れない、高尚だなって。もう一個も二個もブレイクダウンしないと活用しきれない。立ち止まって考えるとか、短期的なアジェンダから離れる、人として対話するって、割とシンプルな言葉なんだけど、これできたらもう悩んでないよねっていうぐらい、私たちってシンプル化された役割として配布されてしまってるから、思った以上に自分も含めてその役割から逸脱することができない。
すごいシンプルな問いとして、毎朝会社来て、やることがあること自体が不思議じゃないっていうぐらい、そんなにやることありますかっていうぐらい、みんなよくわからないけどやってると思う。そこから問いを持つことなんだと思う。でもみんな稼がなければいけないから、タスクとして発生してるからって、短期的な目的でやってます。だから深井さんが言ってることを実践するのは時間がかかるなと思ってるの。
ハウを考えないっていうのはまず大前提大事。WhyとかWhatから絶対に入るって。でも毎回WhyからWhatに入るとエネルギーがかかるから避けていく。もっと簡略化してハウから入って、みんなタスクを完了させてる。その集合体が今の企業になっちゃってるから、企業全体として何のためにやってるのかがぼやけてる。それを逆回ししていきましょうっていうことなんだけど、逆回しにはものすごいエネルギーがかかる。
私ができることから始めようと思うのは、やっぱりマネジメント。メンバーにもいつも、これ何のためにやってると思ってる?なんでだと思う?っていうシンプルな問いから対話を産ませる、その訓練なんだなって。いきなりは変えられないんだけど、ちょっとした行いに対してwhyを持ち始めて、みんなでやってみる。最初はめんどくさいんだよね、メンバーも。だってあなたがやれって言ったからって言いがちなんだけど、そこをレジリエンスを持って対話を産ませてみる。考えるのが楽しくなったら儲けもんだなって。
でも僕の問いは、さっき深井さんが言ってる話って経営者の話じゃないですか。でも経営者だけじゃないよなと。人文知の使い方って。深井さんが言うものと何が違うのかな、そもそも僕は何がしたかったのかなとか。そういう対話をしていく流れをいかに自然に。
深井さんは多分一番インパクトの出るとこを叩いた方がいいっていう、それが彼のミッション。彼が見てる世界が大きいから、どうやってレバレッジさせるかって考えると、経営者に権限はすごいあるよねって。だからこそ経営者に人文知のスキルを持った方がいいとか、CIO、チーフインテリジェンスオフィサーをつけた方がいいっていう、そこまで行き着いた人。でも私たちはそれが参照しにくい。だから私の中では深井さんの考えをどうやって自分の中に取り込むかっていう、自分の中の小さな活動を変えていくしかない。でもそれが一人じゃなくて十人も百人も千人もやったら、大きなうねりになるかもしれない。
私は担当者なので、八時から五、六時までは自分の役割分業の中で働いていて、ただ人文知的なものに触れて覆っちゃったので、whyを考えちゃうんですよね。whyを考えるんだけど、役割分業をしなければならない時間が長いということに、苛立ちなのか憤りなのか。ただポジションパワーですよね。ポジションパワーがある人がそういうことを考えると、組織の中で伝播しやすい。
ポジションパワー皆無の私がそれを言っても、行いは怠けてしまうように見えるっていうジレンマなので、あまりこのデイタイムには考えないようにしていて。ただ自分の個人的な活動、投下していく時間は、その覆った根底にあるエッセンスで今すごい取り組んでるなって思います。踊りや華道やってるって傍から見ればいい趣味だねって見られるんですけど、右脳的な感覚とか人間にしかできないことが、十年先か二十年先か、大事になるというか、自分の視野が開けていることが意思決定にすごく影響を与えるんだなって学んだりするので。
何の役に立つかわかんないけど懸命にやってみるとか、こういうポッドキャストも、内に内にしてもしょうがないし、あらゆる可能性に手を伸ばしておく。ポッドキャストをやると社外にもドットが打てるようになってくるので、いろんな事態に備える活動みたいになっている。ただ食べていくためにデイタイム、役割分業の中でやらなきゃいけないことに歯車を持ちながらやっているっていうのが難しいなって。これがその人文知を学ぶことの楽しさと葛藤を、今まさに味わってるんじゃないかなと思います。
デイタイムとプライベートの分断への問い
えまさんが語った「デイタイムとプライベートの分断」に、ミナさんが会社としての問いとして応じます。
すごいいい視点だと思う。エマちゃんが思ってるようなことが自然と会社で上司と話せたりとか、今多分そうじゃないと思うんだよね。
明るいし、チームメンバーのことも気にかけてくださってるんですけど、マネージャーもマネージャーで役割分業の中で働いてるし、稼働時間も担当者の私より何倍も多い人だからこその、いきなり歴史上の人物の話されてもっていう。どういう切り口でいくかは大事かもしれないですけど。
でも、そこなんだなって思ってる、私は。今エマちゃんが言ってるような、デイタイム、プライベートタイムって分けちゃっている、分けるしか方法がないっていうことが、ここに対する問いを持った方がいいっていうか。会社としては多分そこがすごくチャレンジングなとこで、私たちのボトルネックってそういうところにあるのかもしれない。人文知って言わなくても、人文知活動っぽい要素が自然と入ってくる空気感が作れるんだったら、私最高だと思うんだよね。
それって経営者だけじゃなくて、中間管理職の役割もすごい大きいし、組合の先輩後輩の役割も大きい。でもそれが本当はできる会社なんじゃないかなって思ってる、そういう箱なんじゃないかなって。人文知って福井さんが言ってるぐらい高尚なことだけじゃなくて、些細なことでも使えると思っていて、マネジメントにも使える。そういう要素を取り込める器はあるはずだって、この会社は信じてる。だけどなんとなくうまく駆動してない、紐解かなければいけない要因があるんだと思う。
これうちの会社の話じゃなくて資本主義の話として、仕組みがあって組織があって役割があって、そうすると仕事上の枠に収まった話しかできない。もっとできるはずじゃんとか、一人一人が本当は面白いポテンシャルいっぱい持ってんじゃんって感じてるから、それを解放したいと思ってて。だから自然とそういう話の中で自分たちの楽しいものを作っていくために、僕は新しい仕組みを何か取り入れたいなってずっと思ってて。
その仕組みを作るって大体会社が作るから、どうしてもトップダウンになったり経営戦略になっちゃうんだけど、僕が作りたいのはボトムアップの仕組み。でもトップダウンの会社の戦略にもちゃんとアラインできてる、バランスが取れてるっていうのが両輪でできてく関係性、それが本当にいいバランス取れたら、めちゃくちゃすごいことじゃないですか。多分それができてる会社って、ものすごく未来に対して可能性を感じる。
「役割と役割」ではない「人と人」での対話
自立した組織や出社の基準の話を通じて、3人は「人として対話する」ことの意味に迫っていきます。
会社としては経営層も管理職もメンバーもそれぞれやれることがあって、存在意義があると思っていて。でも今私はかけ違えてる状態かなって、風邪引いてるみたいな。メンバーがボトムアップでやりたいことがあったら、なぜそんな風に思ってしまうのかっていうことの方が大事で、そのなぜをナラティブに一人称で語ろうっていう感じなんだよね。それを上司も素直に受け取ろうっていう、それが人間と人間として対話をするっていう、深井さんの。そのシンプルな行為が私、結構できてない。
もうワンオンワンになっちゃいますよね、対話っていうと。それはもう役割と役割の対話だから違うんですよね。
役割と役割で、人間同士でないんですよね、全然。
もしナチュラルに、私にメンバーが相談したくなるとか、これちょっと言ってみたくなるっていう雰囲気を作れたら、本当にこれはナチュラルに人文知だと思っていて。そういう人がもっと増えれば、小さな集団同士が集まってものすごい力になるし、コンセンサスのエネルギーもすごい下がる。
役割分業の中だと一工数っていう数え方をするから、人間誰しも同じような機能を持っているだろうという前提の上に業務が成り立ってるなって感じるんですよね。でも出身地も違えば体格も違うし、思考方法も人生の前提も違う人たちを同じチームにして、一工数で同じタイミングでワンオンワンしたらいいなんて、それはあまりにも雑だなって。
決まったルールの中で過ごすのがサラリーマンとしてのあるべき姿だと思う視点もあるんですけど、人間らしい同士で考えるなら、メールの文面で読み解くことの方が得意な人もいるかもしれないし、私みたいに意思のすり合わせを毎回したいですみたいなタイプもいる。上司がいないと、ああどうしようって思う。個人差って絶対あるじゃないですか。それがうまく駆動し始めたら、その人がある姿のままうまく駆動し始める組織になるんじゃないかな。
コロナの後、どういう出社形式を取るかルール化を会社もしたがる。でも本来であれば、エマちゃんみたいなタイプは近くに上司がいた方が安心する。それって出社してた方がいい。でも集中したい時は在宅にする、それが出社の基準になる。五十パー来ましょうとかって形式的で意味がない。会社としての伝え方は、数値が大事なんじゃなくて、そういうコミュニケーションができる環境作りを各部署で努力して考えてみましょうっていうお題なんだと思う。
私がそれを受け取った時にできることは、自分の役割に対しては毎日来ることだなと思った。私は常にここにいるって思えば、メンバーが私との距離をどう取りたいかを勝手に選ぶだろうなと思った。だから毎日いますよねって言われると、そうなんだよ、でもそれには理由があるんだよって。
素晴らしい配慮ですね。
私が考える出社の基準って、管理職ってそのぐらいの目線でいた方がいい。メンバーのポテンシャルを最大化できるために自分がどうあった方がいいか。自分の存在がどこにいるかが分かった方が、みんなが取りたい距離を取れて、チームとしての自主性が出る。そうやってマネージャーもどんどん考えられて、自立した組織体ができてくると、細かいルールを決めなくてもいいじゃん。
その五十パーセント来ましょうみたいなルールってなんだかなって思うけど、でもそれを決めてる人も理由がありますよね。そこに対しても対話が文化としてあると、そういう決断に至らないかもしれないし、なったとしても「分かった、でも私たちはこの目的でこうするね」みたいな疎通ができる。そういうコミュニケーションができない状況は良くないな。
アフターファイブがつないでいた人間のパイプ
えまさんは、役割を超えた人と人とのつながりの重要性を、自身の育った環境から語ります。
対話の話を聞いてて思ったのは、私と同世代の若い人は、役割分業を果たしていれば仕事してるんでしょ、それ以上のコミュニケーションは取らなくて良いという判断をしている人がものすごく多い。上の世代の人でもいるし。でも私は小さい会社をやっている両親のもとで育ったので、世の中を回しているのは人間なんだから、アフターファイブで喋ったことある人とか、役割分業の文脈で言ったら意味がないけど、意味を成さないことなんてないんだから、人間同士のつながりを大切にしなさいって、社会人になってからも意識していて。
それは気に入ってもらってどうこうじゃなくて、その上の人が何を考えて、どういう人物であるからこそ自分がここにあるんだなっていう解像度が上がるんですよね、役割を逸脱したところで話すと。飲み会だったりアフターファイブがどういう役割をしてたかって言ったら、人間同士のパイプをつなぐっていう機能を果たしてたんではないかと。それがなくなったんだったら、人間同士のパイプをつなぐところをどうやってデイタイムでできるのかなとか。
我々世代も役割分業の中の自分の枠だけでやって帰って、それって楽しいのかなって。もっと本当に好きな気持ちとか、自分が情熱注げるとか、今大事じゃないかなって。情熱で駆動している人の人口が少ない現代だからこそのいいポイントがあるんじゃないかなと思って、私は引き続きいろんな人と臆せず喋りたいなっていう感じがしてますね。
一つ加えるとしたら、人ってアンコントローラブルだから、会社とのお付き合いの仕方も人それぞれで、もっとドライにいきたいよとか、機能的で役割が決まってるからこそ居心地が良くて違うことに専念できるんですって使ってる人ももちろんいる。ここでも人文知が役に立つと思ってるのは、宗教を勉強すると、人をコントロールすることはすごく難しいけど、自分の中の対話で自分を変えることは一番簡単で、自分が変わると世界が変わるっていう考え方を学ぶと、いろんな人がいる中でも自分がブレずにやり続けられる。
あと、自分は情熱でドライブしていこうぜって思ってるけど、ブレない軸がありながらも、いろんなことを学ぶことによって、それとは違う人を理解できる力、あの人があの人らしいままどうやったら一番生き生きしてくれるかを考えるにも使えますよね。
会社は役割を果たせばいいんでしょって、早く帰って自分のプライベートで楽しむみたいな、静かな退職みたいな人も増えてる。でも会社の文化が、役割を果たすだけじゃなくて、もっと自分が自分らしくいられるなって思える環境になっていけば、そういうのがいいなって思う人たちが集まってくる。だから人文知を使って、山口周さんの言葉で言うとヒューマニティを取り戻すみたいな、綺麗事だけじゃなくて実際にみんながそう感じられる状態をどうやって作っていくかかなと。
長期スパンで人を信じられる組織
最後に、長期思考で人を信じることの意味と、この日の対話全体を振り返ります。
長期思考っていろんなところで使える。企業って助け合いで、一人ではできないことを集まってやるのが企業だから、支え合いもあって。私だったら、自分が育児でなかなか貢献できないジレンマを抱えながら十何年も過ごして、でも今まさにそれができるようになったら、恩返しじゃないけどいっぱいできるようになる。それって長いスパンで考えないとできないし、この年で恩を返せって言われたらとてもじゃないけど返せなかった。
でもこの会社ってそれを待てるだけの土俵もあるから、システムとして見た時にすごくよく回っているはず。だからこそ、人に対して短い時間で求めすぎないっていうか、長いスパンで見た時のいつかこうなるっていうのを信じてもいい会社。フリーライドはないって思えるぐらい、みんな一人一人フリーライドはしていかないっていう信頼感があれば、このシステムは長い時間の中で回るって思い合えると、もっと良くなると思うんだよね。
そうですね。まあ総じて、我々は各々の立場で取り急ぎ人文知。
三者三様だけど、でもそれなりに受け取った時にやれることは結構あるな。
改めて人文知は武器になるとか、いろんな歴史を引き続き学びながら、皆さんとまた対話できたらいいなと思ってます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
まとめ
『人文知は武器になる』を出発点に、3人はそれぞれの立場から人文知の意味を語り合いました。深井龍之介さんが経営者に向けて訴える「中長期的な合理性への投資」や「役割を決めた資本主義の功罪」を受けつつ、話題は現場の自分たちがどう実践できるかへと移っていきます。ミナさんはマネージャーとして小さな問いを立てて対話を産ませること、えまさんは担当者として役割分業と葛藤しながらも情熱で人とつながることを語りました。人文知は経営者だけの武器ではなく、それぞれの立場で使える技術であることが、対話を通じて見えてきます。
- 深井さんは資本主義が生んだ「役割」の功罪と、放置された中長期的課題への投資不足に絶望と課題感を抱いている
- 人文知は「自由になる技術」であると同時に、世界の絶望が見えてしまう両面を持つ
- 人文知は経営者へのレバレッジだけでなく、現場の小さな問いや対話としても実践できる
- 「役割と役割」ではなく「人と人」として対話することが、自立した組織を作る鍵になる
- 長期スパンで人を信じ、フリーライドのない信頼を積み重ねることが、組織を良くしていく
