福井からの収録と、意外と面白かった前回
この回は、コテンラジオ番外編#132「仏教のこと、龍源さんに聞こう②」の感想回として、11月3日の21時過ぎに収録されました。シュウさんは旅の途中で、前日から福井に滞在しています。
福井でシュウさんは、タイキくんと二人で別番組の収録をしていました。移動しながら何本かに分けて録り、3〜4回分になりそうだといいます。
本題に入る前に、二人は先週末に塩尻基地で一緒に開いた「D&D初心者会」の話をします。シュウさんは自分の番組でその感想をすでに配信していて、ケージくんはそれを聴いたと伝えます。
いやでもめっちゃくちゃ楽しかったです、本当に。
ケージくんは今回に備えて、龍源さんゲスト回の第2回を流し聴きし、Shu-Cage-Dieの前回の感想回も聴き直したそうです。自分の配信を聴いて「ためになる」と思うことはあまりないのに、前回は違ったといいます。
前回の集計時代(Shu-Cage-Die)聞き直したんですけど、意外と面白いなと思って。
僕の喋りだけだったら絶対たどり着けてないところに行ったような気がしてるんですけどね。
本来は10月中に収録する予定でしたが、ケージくんが急に忙しくなり、11月にずれ込みました。シュウさんは、そこからの立て直しはむしろ早かったと返しています。
瞑想合宿で上書きされた第2回の記憶
番組のオープニングのあと、シュウさんは最初に断りを入れます。龍源さんゲスト回を聴き直したのは4〜5日前で、記憶が薄れつつあるうえ、前回の収録(9月22日ごろ)のあとに瞑想合宿へ参加したため、考えがだいぶ更新されたというのです。
その参加によってだいぶまたいろいろアップデートされちゃったなみたいな気分もあって、今日はその話も多めになる可能性が。
ケージくんは、感想回といっても、きっかけから自分たちが今感じていることを話せばいいと受け止めます。
第2回のタイトルは「私は流れでできている(無我)」です。ケージくんによると、中身は空 ── 仏教の基本概念の一つ。あらゆるものには固定した実体がなく、他との関係や条件によって成り立っているという考え方ですの概念や、「中道=空」といった話が中心でした。
ケージくんは、普段「中道」という言葉から思い浮かべる「右でも左でもない真ん中」とは違う意味で語られていたと振り返ります。シュウさんがPodyで同じ回を開くと、記事タイトルは「仏教の空とは何か。全ては関係性でできているという中観の考え方」となっていました。
「枯れ木」は嫌か、憧れか
第1回と第2回には、悟った状態を「枯れ木」にたとえる話が出てきます。シュウさんは前回の感想回と同じく、そのたとえには今も違和感があるといいます。ただ、龍源さん自身がメンターから直接言われた表現だとも受け止めています。
福井でタイキくんと話していたこともあり、シュウさんは、自分は「みんなの笑いを失いたくない」という気持ちが強いと改めて感じたそうです。お笑いをやりたいという意味ではない、と補足しています。
ケージくんは逆に、枯れ木に死のイメージはなく、むしろ永遠のような強さを感じると話します。
シュウさんが挙げたのは、コテンラジオの場面です。龍源さんに「(枯れ木の状態は)嫌でしょ?」と聞かれ、深井さんは即答で嫌だと答えました。ヤンヤンさんは憧れはするが凡人には無理だと言い、樋口さんは「僕そこを目指してます」と答えています。
シュウさんは「三人の中でも派閥が分かれている」という深井さんの言葉が面白かったと言い、ケージくんならどの立場かと尋ねます。
ケージくんの答えは、思いがけない方向に進みます。51歳の男性である自分が、19歳や20歳の女性と純粋に仲良くなりたいと思っても、世間からはほぼ確実に下心があると見られる、という話です。
すごいその人の発言とか、やってることとかが面白いと思ったり、共感できたりとか、普通に仲良くなりたいって、性別とか関係なく思う場合があるんですね。
たまたまそれがすごい年下の異性の場合だと、まあ下心があると周りにも思われるし、本人にも思われるっていうのがすっごいめんどくさいなって。
ケージくんは30代のころから、性欲が一切ないと思われている仙人や、ゆるキャラのような存在になりたいと思ってきたそうです。それがケージくんにとっての「枯れる」イメージの一つでした。
ケージくんは、性欲そのものを否定しているわけではないと念を押しています。自分に性欲はあるけれど、すべての女性に向けるわけではない。それなのに下心的に捉えられるのが面倒だ、という話です。
三人のうちで選ぶならヤンヤンさんに近いかもしれない、とケージくんはいいます。そのうえで、枯れ木という言葉から思い浮かべるのは、性欲や名誉欲のような欲が全くない存在だと語りました。
凄まじく共感しましたね、今の健二くん(ケージくん)の話に。
ケージくんはさらに、第1回の大きなテーマである「苦からどう逃れるか」につなげます。苦しみは辛い環境だけでなく、自分の中に湧く欲や妬み、怒りからも生まれる。だから欲とどう付き合うかが大きなテーマで、性欲はその代表になるのではないか、という見方です。
2500年変わらない「五戒」が示すもの
シュウさんはこの話から、瞑想合宿で最初に「絶対に守ってください」と示される五戒 ── 仏教で在家信者が守るべきとされる5つの基本的な戒め。宗派を問わず広く共有されている教えですを思い出します。その中に、男女の不適切な交わりを戒める項目があるのです。
シュウさんは当初、合宿で何の説明もなく「全部絶対に破ってはいけない」と示されたことに、違和感を覚えたといいます。ポッドキャストを始めてから、あらゆる前提を疑う生き方をしてきたからです。
最初から何も疑わずにこれはダメって決めつけちゃうのって大丈夫なのかなみたいに思ったっていうのが正直な感想だったんですよ。
講話の中で、情欲は抗いがたい欲望が出やすいものだという説明があり、今ではそれだけ要注意だという意味だと理解しているそうです。年長の男性が若い女性に近づくと下心と見られるのも、それに抗えない人がずっと多いからだろう、とシュウさんは解釈しています。
そのうえでシュウさんは、例外もあるのだから、安易にそう決めつけられない世の中になったらいい、とも話しました。
ここでケージくんが五戒を検索し、中身を読み上げます。
| 戒 | 内容 |
|---|---|
| 不殺生戒 | 人や生き物の命を故意に奪わない |
| 不偸盗戒 | 他人のものを盗んだり不当に奪ったりしない |
| 不邪淫戒 | 道徳に違反する性的な関係や行いをしない |
| 不妄語戒 | 他人を騙すような嘘をつかない |
| 不飲酒戒 | 心や判断力を乱すお酒を飲まない |
ケージくんの見立てでは、前の3つはどの文明でも最初に生まれる約束事に近く、嘘とお酒の2つが仏教らしい部分かもしれません。どの社会でも同じルールができるのは、そこが人間の一番弱いところだからではないか、とケージくんは考えます。
ナーガールジュナの関係性の哲学と、ソシュールの差異
本題に戻り、ケージくんは第2回で最も印象に残った点をシュウさんに尋ねます。
シュウさんは瞑想合宿で、中道を「ちょうどいいぐらい」という感覚で捉えていました。それでも差し支えないと今も思っています。ただ、ナーガールジュナ ── 2〜3世紀ごろのインドの仏教僧で、漢訳名は龍樹。空の思想を体系化し「中観派」の祖とされますの関係性の哲学には強く打たれたといいます。
理路整然としていることが、気持ちいい、あまりにも気持ちよくて、それがやっぱスコーンと頭に入ってきて、やられたみたいな感じになるなっていうのが、第一印象としてあるかなって思いますけどね。
ケージくんは、すべてが相対的で絶対的なものはない、という点が西洋哲学と違うところだと受け止めます。深井さんが「仏教でしかできないことがある」と話していたことにも触れました。
一方でケージくんは、ゆる言語学ラジオでたびたび紹介されるソシュール ── スイスの言語学者で、近代言語学の祖とされる人物。言葉の意味は他の言葉との違い(差異)によって決まると論じましたを思い出したそうです。コテンラジオで出た「赤じゃないものがあるから赤がある」という例が、ソシュールの話とそっくりに聞こえたといいます。
ケージくんはさらに、言語ごとに区別の細かさが違う例を挙げます。日本語には雨や雪の降り方を表すオノマトペが多いことや、フランス語では蝶と蛾を区別しないといわれること、英語ではアリゲーターとクロコダイルを分けることなどです。
赤は赤でないものとの差異によって決まる。言語によって区別の解像度が違う
すべては関係性でできていて、固定した実体はない
ケージくんは、厳密には違う話だろうと断ったうえで、理屈をシンプルにすると似ていて面白いと話します。シュウさんはソシュールの内容を思い出せず、それなら西洋でも関係性の哲学になりそうなのにならないのはなぜか、と疑問を残しました。
コミュニティナースと分人主義
ケージくんがもう一つ連想したのは、第2回に出てきたコミュニティナースの話から見た、平野啓一郎さんの分人主義 ── 作家・平野啓一郎さんが提唱した考え方。唯一の「本当の自分」はなく、対人関係ごとに異なる「分人」があり、その集まりが個人だとしますでした。
ケージくんの理解では、自分とシュウさんの間には「シュウさんに対する分人」があり、他の人との間にはまた別の分人がいます。コミュニティナースは、「かわいそうな人」と「手を差し伸べる人」という固定した関係を崩していくやり方として語られていた、とケージくんは振り返ります。
確かに関係性で物事を見ると、どんどんその変化していきやすいというか、変えていきやすいというか。
ケージくんにとって第2回の面白さは、自分が知っている他の概念と照らし合わせ、「これと通じる」と感じられたところにあったといいます。
「色即是空、空即是色」どちらを見てもいい
ケージくんは、二辺を離れるという話の中で、どちらを見るかは自分で選べばいいという内容があったと記憶していました。シュウさんがPodyの記事で確認すると、それは第2回の「色即是空、空即是色」の対句の話でした。
ここにペットボトルはあると言っていい。同時にこんなものに実体はなく、全ては関係性のなせる技だから、囚われる方がおかしいと見てもいい。
シュウさんはこの部分が想像していなかったポイントとして記憶に残っているといいます。もともと物事を都合よく捉える気質なので、それを誰にでも伝わる形で言語化したナーガールジュナはすごい天才だと感じたそうです。
ケージくんの反応はあっさりしていました。どちらとも取れることは、小さいころからずっと自分に都合のいい方で解釈してきたからです。
まあそうだ、この話聞いて、「まあそうだよね」としか思わなかった。
僕はこう、それを「僕はいいとこ取りしちゃうもんで」みたいな自虐的に伝えるしかできなかったのが、
シュウさんが感心したのは、自分では自虐としてしか言えなかった姿勢が、誰にでも役立つ論理として表現されていた点でした。ケージくんは、小学校の教科書に載っていてもいいのにと返します。シュウさんも、2500年前のゴータマ・ブッダの教えを、少なくとも仏教が身近な国ではもっと多くの人が知っていてもいいと話しました。
バンドのメンバー脱退と、別れた恋人の例
ケージくんは「人生に失敗はない」という言葉を思い出し、自分のバンド経験に結びつけます。バンドにとって一番しんどいのは、メンバーが抜けるときだといいます。
メンバーが抜けた時点では大きなマイナスでも、新しいメンバーが入ってバンドがパワーアップすれば、後から振り返ってプラスになります。もちろん逆もあるとしたうえで、ケージくんはずっとそう考えるようにしてきたそうです。
メンバーが抜ける
その瞬間はバンドにとって大打撃
新しいメンバーが入る
その時々で最善を尽くす
パワーアップする
後から振り返ると、トータルでプラスになる
シュウさんは、ここに関係性の哲学を知る意味があると考えています。人は実在の方をむしろ見すぎていて、関係性を見てもいいという発想は、知らなければ湧きにくいというのです。
シュウさんが例に挙げたのは、龍源さんが話した恋人の例です。別れたことだけを見ると苦が確定してしまいますが、関係性に視点を切り替えれば、「その関係があってよかった、辛さも含めて何かを与えてくれた」と捉えられます。
ケージくんは、自分は「トータルでプラスになればいい」という程度にしか言語化できていなかったと認めます。関係性という枠組みを持つと、気持ちの処理の仕方がより具体的になり、人にも説明しやすくなると受け止めていました。
「同じ感覚は二度と現れない」瞑想で行き着く場所
シュウさんは、瞑想合宿で得ていることも、言語化の仕方は違うけれど結局は同じ話だと感じています。合宿では「すべてのものは変化する」と繰り返し言われ、瞑想中も体の微細な感覚まで観察し続けるよう指導されるそうです。
頭での理解だけじゃなくて、同じ感覚は二度と、どの部分をとっても全く同じ感覚っていうのは二度と現れないみたいな表現を、
今までは僕生きてきてそんなに意識してなかったけど、毎日瞑想してると本当にそうだなってつくづく思うんですよ。
すべてが変わっていくなら、残るのは実在というより、その時々の関係性や何をどう感じるかだ、とシュウさんは考えます。それでも「実在している」と感じた方が便利な場面は多いので、その時々で便利に使えばいい、というのがシュウさんの解釈です。
シュウさんの理解では、ナーガールジュナはブッダの約500年後の人で、経典を「こう言えませんか」と解釈して示した人物です。だから経典を元にした瞑想合宿と、ざっくり同じところに行き着くのだろう、とシュウさんは話しました。
言葉で自分を固定することと、反分人主義の子ども時代
ケージくんは第2回の終盤にあった「固定するのは言葉。虚構と知って使う」という話を挙げます。「俺は頑固だ」と言ってもいいけれど、その言葉の枠組みにとらわれると何もいいことはない、という内容です。
ケージくんは、変化を常に意識するのは自分にも難しいとしつつ、その発想が根底にあるかないかで大きく違うと話します。そこから、自分の子ども時代の話になりました。
今僕の知ってる言葉で表すと、僕は反分人主義みたいなところがあって。
ケージくんは小さいころ、誰に対しても同じ自分でなければ誠実ではないと考えていました。先生、友達、親で態度を変える人間は信じられず、一人称は誰に対しても「僕」にこだわっていたそうです。
10代前半まで。相手や時間で言うことが変わる大人は嫌い。誰に対しても同じ自分でいるべき
今。状況ごとに判断が変わるのは当たり前。常に変わっていくものという考えが染み込んだ
話の途中でケージくんは、「臨機応変」という言葉もあまり好きではないと漏らします。シュウさんが理由を尋ねると、言葉そのものより、使われる場面が嫌なのだと答えました。
臨機応変って人に頼む時に使うことが多い気がしてて。
めっちゃ丸投げしてる感じがすごい嫌だった。
ケージくんは、かつての自分と同じ考え方の小中学生が、空や分人主義の概念を聞いてどう思うのか、インタビューしてみたいと話しています。
嘘も方便と、電話で豹変する上司
シュウさんは、その年齢では情報処理能力が大人より低く、わかりやすい結論になりがちなので、今もそういう子は多いだろうし、それでいいと答えます。そのうえで、自分も分人の考え方を「いいとこ取り」で使い分けていると気づいたそうです。
シュウさんは、相手によって態度を変えることが、自分にだけ都合のいい使い方になっている場合は今でもよくないと思っている、と話します。具体例として思い出したのが2つの場面でした。
1つ目は子どものころの記憶です。「嘘をついちゃダメ」と言った大人が嘘をついていたので指摘すると、「嘘も方便」と返されて全く納得できなかったといいます。
2つ目は、フリーターとして工事現場のアルバイトをしていたときの上司です。アルバイトには巻き舌で高圧的に接していたのに、電話に出た瞬間に態度が変わったといいます。
電話に出た瞬間に「はいはいはいはい、もしもし」ってすごいペコペコしたのを見て、すごい嫌悪感を持ったんですよ。
シュウさんは、その上司は無意識にそうしていたのだろうと考えています。分人なのだから仕方ないと思える場面もあるが、これは思えない例だった、とシュウさんは振り返ります。ケージくんはそこから「分人のギャップ」という見方を取り出しました。
ケージくんの考えでは、ギャップがある気持ち悪さは、どちらかが本当でどちらかが嘘だと感じるところから来ます。この上司の場合は、高圧的な態度の方が本性ではないか、とケージくんは見ています。
ケージくん自身、塾の先生だったころは怒った演技をしていたそうです。それでも、役割として高圧的にしているのか、素でそうしているのかは、なんとなくわかるものだといいます。
下には高圧的、目上にはペコペコする。ギャップに不信感が生まれる
上司にもキレる現場監督なら「そういう人か」と思うだけで、嫌悪感は湧かないかもしれない
その分人にあまりギャップがない人もいれば、すごくギャップがある人もいるってことですもんね。
シュウさんは、ケージくんは分人のギャップが少ない人だと思っていて、それは子どものころからの考え方の影響かもしれないと話します。結論は出ないまま、後日また何かが落ち着いてくるタイプなので、次の収録で出てくるかもしれない、とシュウさんは締めくくりました。
D&Dのルール議論が「最高の修行」になった夜
ここでケージくんが、空の話とは関係ないと断りつつ、ずっと聞きたかった話を切り出します。D&D初心者会で、ゲーム中にルールの解釈をめぐる議論がありました。シュウさんは自分の番組で、その夜の瞑想がとてもいい修行になったと話していたのです。
ケージくんは、あの議論は喧嘩ではなく、むしろ面白かったと振り返ります。帰宅後にAIなどで調べ、自分の理解が間違っていたことにも気づけたそうです。
シュウさんは、ケージくんに一番伝わりやすい例えとして、自分が別番組で使った「オーバー」というルールを挙げます。言い終わらないうちに言葉をかぶせられて、言いたいことを言えないとストレスを感じる。あの場はそれの「相当ひどい版」だったといいます。
僕は言いたいことの言葉の半分どころか十分の一ぐらいしか喋れてなかったんですよ、あの時。
ナズグルさん、人参カレーくん、みよぱぱさんたちが状況を整理しようとどんどん話す中、シュウさんは「いや違うでしょう」と言いかけたところで言葉をかぶせられました。シュウさんには、かぶせられると相手に譲ってしまう気質があるそうです。
結果的にルールは明確になりましたが、発言量はあまりにアンバランスだった、とシュウさんは感じています。そして、現実世界ではこういうことは避けられないので、まず自分の心が動揺しないようになる方がいいと考えました。
ルール議論
言葉をかぶせられ、言いたいことの1割ほどしか話せない
動揺
鼓動が速いまま2階へ上がる
瞑想
体と心の反応をそのまま観察し続ける
修行
集中はできなかったが、この1年で上位に入る貴重な瞑想になった
その瞬間に瞑想しないとなかなかその自分の心を観察できないんですよ。だから、ああいう瞬間に瞑想するっていうのはめちゃくちゃ僕にとってチャンスなんです。
合宿では、何もないときの気持ちいい瞑想よりも、慌てていたり怒りに震えていたりするときの瞑想の方が修行になると言われていたそうです。シュウさんはたこ焼きパーティーを犠牲にしてまで瞑想し、得るものがとても多かったと話します。
ケージくんは、あの場の目的はルールの解釈を全員で揃えることだったので、それぞれの気持ちは正直どうでもいいと思っていたと率直に返します。誰かのしんどい気持ちを聞く場なら違っていたかもしれない、とも話しました。
頭ではわかるんですけど、シンプルにやっぱり自分の言葉を途中で止められて言えないっていうことに僕はすごくストレスを感じるタイプで、
一瞬で変われるはずなのに、なぜ飛べないのか
ケージくんが、瞑想の前後で何かが変わるのかと尋ねます。シュウさんは、1回の修行で一発で変わるわけではないと答えました。龍源さんの回では「一瞬で変われる」と語られていたのに、です。
シュウさんは龍源さんの回で出た「リレーのバトンを落とす」たとえを思い出します。失敗のように悪い方向へ一瞬で変わるのは想像しやすいけれど、成長のように良い方向へ一瞬で変わるのは、今のシュウさんには想像しにくいといいます。
龍源さんは、だから誰でも悟れるという趣旨のことも話していました。それなら自分も一瞬で動揺しない人間になれてもおかしくない。そこは自分がアートマン ── 古代インド思想で、個人の中にある不変の自己・魂を指す言葉。仏教はこうした固定した自己を認めない「無我」を説きますを固定しているのかもしれない、とシュウさんは考えます。ケージくんは、「ビビリ」という言葉で固定している可能性があると応じました。
ただしシュウさんは、HSPという先天的な気質そのものはマイナスだと思っていません。むしろ手放したくないものだと考えています。
それのセンサーとしての役割を僕は絶対捨てたくないんですよね。
シュウさんが目指しているのは、敏感さや解像度の高さを能力として生かしながら、平静な心も保つことです。両方を同時にこなす人間に一瞬でなるのは、さすがに想像できないといいます。そこで出したのが、映画『マトリックス』のたとえでした。
ネオがモーフィアスの真似をして「飛べるはずだ」と思い込んでジャンプしても、途中で落ちてしまう場面です。シュウさんは、今の自分はあんな気分だといいます。ケージくんも、下に落ちる方がイメージしやすいのは確かだと同意しました。
ケージくんが修行になった瞑想で何を観察していたのかを確かめると、シュウさんはそのとおりだと答えます。直後で鼓動も速いまま、体と心の反応をひたすら観察すると消えていく。合宿で教わることを現実の場面で試せたのが貴重だったといいます。
「死ぬほど我が強い」の正体
シュウさんは、話を途中で止められるとストレスを感じるのは、我が強いということでもあると考えています。
僕、あんまり我が強いって見られないんですけど、死ぬほど我が強いって僕自分では自分のこと思ってて。
シュウさんによれば、その我の強さはHSPと同居しているせいで出せないだけです。もし敏感さを残したまま動揺しなくなったら、我の強さだけが残ってしまうのが嫌だ、とも話しました。
ケージくんは、ほとんどの人が自分を持っているのに、我が強いとはどういう状態なのかと問いかけます。シュウさんはD&Dの場面を例に答えました。
シュウさんが言うには、自分の発言量は少なくても、場の全員が正しいルールを知る結果になればOKと思える人は、我が強くありません。ケージくんがあの場でシュウさんの立場だったら、そう思えそうだといいます。
あの議論は、シュウさんが遠距離からの急所攻撃をしたことから始まりました。ケージくんは近接していないとできないと思っていましたが、シュウさんはルールブックの解釈では可能だと主張していました。ケージくんはここで、シュウさんがゲーム内で正しいとされていたものを覆さなければならない立場だったと気づきます。
シュウさんは自分の我の強さを、プライドの高さとしても感じています。元妻や弟とのやり取りで、バカにされたと感じると強く反応し、家族の前でだけ出てくる自分がいるそうです。
シュウさんの父親も、家族の前でだけ急に豹変するように怒る人で、外ではとてもいい人だと思われているといいます。シュウさんは、自分がそっくりなのがすごく嫌だと話します。
今頑張って瞑想で本当に切れにくい自分になって、人から思われている自分のイメージと本当の自分を一致させたいって思ってます。
ケージくんは、それはまさに修行だと受け止めました。
プライドが高いことがバレたくないプライド
ケージくんは、自分のプライドが高いのか低いのか、いまだによくわからないといいます。高校生のころ、自分のプライドの高さに気づき、それが人にバレるのがとても恥ずかしいと思ったそうです。
プライドが高いことが人に知られるのが嫌っていうプライドの高さがあったんですよ。
バレないように念じ続けた結果、プライドの高さが自分でもわからなくなったといいます。また、バカにされたときにどう反応するかも、二人ではかなり違っていました。
怒りが湧いて抑えられない。近い関係の人には相手にそのまま出してしまう
悲しい気持ちになり、心の中で相手を「わかってねえな」と思って処理する。怒りはあまり湧かない
シュウさんも心の中で相手を見下すことは同時にしているが、怒りも抑えられないといいます。ケージくんは、近い人に感情を抑えられないのは甘えであり、相手がそうなるなら「この人は自分に甘えているんだな」と思うかもしれないと話しました。
シュウさんは、本当は切れやすい人間だと最初から認識されたい気持ちと、自分の嫌いな面だからそう見られるのは悲しい気持ちの両方がある、と複雑な心境を明かします。
ケージくんは、何かの出来事で自分が気づくより、本人がメタ認知した結果を言葉で伝えてくれる方がずっといい気がすると返しました。
自分の番組を聴き返すのは何のためか
シュウさんは、昼にタイキくんと収録した番組でも、別の入り口から「自分が切れやすく、そのために修行している」という同じ話をしたと明かします。ケージくんは、両方を聴いてどう同じゴールにたどり着いたかを比べたいと面白がりました。
ただ、その回の配信は年明けになるかもしれないそうです。分割のために全部聴き直していて、編集が追いつかないためです。ケージくんが週2本で出してほしいと言うと、シュウさんはShu-Cage-Dieの方針が心地いいので、いずれそうするかもしれないと答えました。
ケージくんは、自分の配信はあまり聴かず、間が空いたときだけ前回を聴き直すと話します。ケージくんの一人語りの番組Space Volcano!も、質を上げるには聴くべきだとわかっていながら、時間もそこまでの向上心もないそうです。
一方のシュウさんは、自分の番組を聴くのが好きだといいます。これも我の強さの一種かもしれないと考えていました。ただ、その理由は向上のためではありません。
自分の心の中でめちゃくちゃドキドキしながら喋ってることが多いんですけど、
配信されたのを聴くと、意外とそうでもなく、ちゃんと聞けちゃうなみたいな。
大丈夫だ、バレてないみたいな。なんかそんな感じの気がする。
シュウさんは、その安心がいらなくなった方が健全だと感じています。それが、聴き返さないケージくんへの尊敬につながっているそうです。ケージくんは、シュウさんが旅に出ると配信が頻繁に更新されて嬉しいと伝えました。
旅の予定は、近い日程から順に人に連絡して埋めているそうです。この後は京都の瞑想センターに11月5日から7日まで2泊3日で入る予定です。10日間コースと10日間コースの間の「コース間」に、自由に奉仕するために行くといいます。
「摩那識が大問題」は反応の問題だった
ここでシュウさんは、改めて率直な迷いを打ち明けます。今は龍源さんゲスト回の再発見よりも、瞑想合宿のことばかり考えているので、全5回の感想回をこのまま続けるべきか迷っているというのです。
シュウさんはかつて、摩那識 ── 唯識思想で説かれる心の働きの一つ。自我に執着し続ける深層の意識とされますが大問題だと言っていた時期がありました。しかし、瞑想合宿が元にしているブッダの経典に摩那識という言葉はありません。空も唯識も、ブッダの死後に出てきた概念だからです。
それでもシュウさんは、2025年10月の初参加で衝撃を受けた「感覚と反応」の話が、まさに摩那識に通じると気づいたそうです。良い感覚や悪い感覚にどう反応するかを、自分ではなかなか制御できないという話です。
僕がまな式(摩那識)大問題だって思っているものは、反応が問題だって言ってることとほぼほぼイコールなんだよなっていうことに気づいちゃって。
この気づきは、2回目の合宿を受けてさらに確信に変わったといいます。そのため、これからしばらくは龍源さんの回の表現より、合宿で再認識したことの方が話に出てきそうだ、とシュウさんは考えています。
一度言ったことを守り通さないと反発が来そうだ、と気にするシュウさんに、ケージくんは目的を果たすことが大事だと答えます。
今思ってること、今感じてること、解釈してることを早めに発信した方がいい気がして。
今後の進め方として、ケージくんは、シュウさんがその日に話したいことを持ってきて、自分が「それはどういうことだ?」と質問していく形を提案しました。何もなければ雑談で終わってもいいといいます。
シュウさんは、満足度が上がらない回があっても、次の回にはその理由が出てくる気がすると答えます。言いたいことがないのに満足度が低いのはおかしな話で、出せないものが何かあるはずだからです。
三句の法門と、波羅蜜とパーラミ
シュウさんは、龍源さんの回で語られた三句の法門 ── 密教の経典『大日経』の中心とされる3つの句。悟りの因・根本・究極を示すものとして知られていますだけは強く響いているそうです。次回で取り上げるという意味ではなく、何かの拍子に話すつもりだといいます。ケージくんは、シュウさんがどう解釈したかを話せばいいと受け止めました。
もう一つは、最終第5回で出た六波羅蜜です。シュウさんは2回目の合宿で、合宿で説かれる「十のパーラミ」の「パーラミ」が、六波羅蜜の「波羅蜜」と語源がおそらく同じだと気づきました。1年前の合宿で聞いていたのに、全然復習していなかったそうです。
ケージくんが検索すると、漢字で「波羅蜜」と書かれていて、徳や性質と説明されていました。Wikipediaでは十と六が並べて書かれていて、5つほどは共通しているようだとケージくんは見ています。シュウさんは、六つに収斂させた側に一つだけ独自のものがあるのかもしれないと推測しました。
龍源さんゲスト回の第5回で語られたもの。6つ
瞑想合宿で説かれるもの。10個あり、ケージくんが見た説明では「世のため人のためになる10種類の行い」。10番目は「動揺せず公平で穏やかな心を持つ」
10番目の呼び方は、ケージくんが見た表記では「うぺっくか」、シュウさんが合宿で聞いたのは「うぺっか」でした。シュウさんは、パーラミと波羅蜜のように表記の揺れがいろいろあるのだろうと受け止めています。
ケージくんはこうした教えを見ると、D&Dのプレイヤーズハンドブックに載っている設定集のように見えてしまうと打ち明けます。今は中華ファンタジー小説『十二国記』に夢中で、独自の世界のルールにワクワクするのと同じ感覚なのだそうです。
やっぱゲーム脳だな僕。こういうのゲームの設定しか見えないな。
人生をゲームみたいにして捉えながら生きていくって、僕は理想的って思ってる部分があるかな。
メモ禁止の講話と、寄付で回る瞑想センター
シュウさんが六波羅蜜にこだわる理由の一つは、龍源さんの回で似た概念として出た「不退転」です。シュウさんはずっと自分は不退転の状況にいると思って生きてきたので、強く反応したといいます。
シュウさんは、第1回の瞑想合宿の後に龍源さんゲスト回が配信されたと確認します。ケージくんは、そのとき聞いていたことが別の言葉で入ってきて、「実はあのことだった」と気づいたということですね、とまとめました。
シュウさんは、瞑想のやり方自体を間違えていたことにも2回目で気づいたそうです。
瞑想合宿十日間って長いけど、あの情報量に対しては逆に短すぎるぐらいなんですよね。
講話はビデオがほんの一部で、9割以上が音声です。そのうち6〜7割はその場でしか聞けず、メモも禁止されています。シュウさんはそこには納得がいかず、ケージくんも、いい教えならフルオープンにしてほしいと同意しました。
ケージくんは、その心の状態になっていないと聞いても意味がないからではないか、と推測します。それでも、せめて一度参加した人は全部聞けるようにしてほしいと話しました。シュウさんも理由はわからず、京都で会った人たちもおそらく知らないだろうといいます。
センターは千葉と京都の2か所にしかなく、シュウさんは九州にできることも少し期待しています。ただ、日本ヴィパッサナー協会が運営し、お寺とは関係なく寄付だけで2か所が回っていること自体が奇跡的だと感じています。土地や建物を考えると簡単ではない、ともシュウさんは話しました。
実際に、京都のセンターの近くに引っ越してきた人もときどきいるそうです。シュウさんも可能性はゼロではないとしつつ、センターにいるとポッドキャストの配信が止まることも気にしています。
ポッドキャストと瞑想という2本の柱、そして「だいだい」
シュウさんにとって、ポッドキャストと瞑想は、世界に対する自分なりの課題に抗うための2本の柱です。どちらか片方だけではだめだと考えています。
課題に抗うための手段の、大きな2つの柱みたいなものなんで、片方じゃダメって思ってるんですよね。
エンディングでは、次回の収録日を相談します。シュウさんは11月中には帰宅する見込みで、11日ごろまでは大阪、12〜13日ごろに神戸で人と会い、そこから姫路、岡山、広島、福岡と回るパターンが多いそうです。11月20日のD&D部のころは、広島あたりのネットカフェになりそうだといいます。
最後にシュウさんは、ケージくんが話したがっていた番組アートワークの由来を持ち出します。初回のエンディングで、ケージくんがお別れの挨拶として「だいだい」を提案し、シュウさんが珍しく即答で却下しました。その後、ケージくんがアートワークの色として、だいだい色と緑の2つを用意しました。
シュウさんは、却下した「だいだい」をここで生かすと、だいだい色を選んだそうです。オレンジのくまのアートワークは、こうして生まれました。ケージくんはその話をすっかり忘れていて、「ひどい」と自分を責めています。
また、リスナーの感想はSNSでたくさん投稿されていますが、Xのハッシュタグ検索では古い投稿が見つけられなくなることがあります。シュウさんは、ハッシュタグ「#シュケダ」で検索して、スクショやコピペで記録しておいてくれる人がいたら嬉しいと呼びかけました。ケージくんは、後でスクショしておくと引き受けています。感想は二人へのDMでも受け付けています。
まとめ
龍源さんの仏教回の感想回は、空や関係性の哲学を入り口に、分人主義、五戒、そしてシュウさん自身の我の強さへと広がりました。教えを頭で理解するだけでなく、揺さぶられた瞬間こそ心を観察するチャンスだというシュウさんの実践と、それを質問で引き出すケージくんのやり取りが、この番組の形そのものになっています。
- 「色即是空、空即是色」はどちらを見てもいいと読める。シュウさんは、都合のいい解釈を誰にでも伝わる論理にしたナーガールジュナに感心した
- ケージくんは、空の考え方をソシュールの差異や平野啓一郎さんの分人主義と重ね、分人の「ギャップ」が嫌悪感を生むという見方を示した
- シュウさんはD&Dのルール議論で動揺した直後に瞑想し、「変えられるのは自分だけ」という考えから、この1年で上位に入る修行になったと語った
- シュウさんは自分を「死ぬほど我が強い」と捉え、人から見られている自分と本当の自分を、瞑想で切れにくくなることで一致させたいと考えている
- 今後のShu-Cage-Dieは、シュウさんが話したいことを持ち込み、ケージくんが「それはどういうことか」と質問していく形で進める方針になった




