後継ぎの世界に小平さんを「引きずり込んだ」出会い
番組は、京都の株式会社アナテック・ヤナコを継ぐ予定の桺本頌大さんと、鹿児島の小平株式会社を継ぐ小平勘太さんがパーソナリティを務めています。今回から3回にわたって、山野千枝さんをゲストに迎えます。
冒頭、桺本さんが2人の関係の深さを尋ねると、小平さんは7〜8年ほど前からのつながりだと振り返ります。鹿児島市の後継ぎ事業を山野さんの社団が担当していた頃、講演者として登壇したのが始まりでした。
私、本当に、小平さんを発見して、後継ぎ会に引きずり込んだのは私の最大の功績だと思ってるんですよ。
山野さんはサイトで小平さんの経歴を見つけ、「絶対に後継ぎベンチャーの世界に必要だ」と考えて、鹿児島市の新規事業プログラムに声をかけたと話します。小平さんも、その2日間のワークショップをよく覚えていると応じます。
確かに山野さんに頼まれたら何も断れないという、ルールの中でやっております。
跡継ぎから離れたはずが、また惹かれていった理由
ここで山野さん自身の経歴に話が移ります。前職は大阪産業創造館で、スタートアップ支援や中小企業支援に携わっていました。30歳の時に入り、今もフェローとして在籍しています。
山野さん自身もファミリービジネスの家に育ち、実家は創業109年で弟が代を継いでいます。同族企業の面倒くささを見て育ったため、むしろその世界から距離を置きたかったと明かします。
ところが親戚が事業家ばかりで、サラリーマンのなり方がよくわからず、残る道は起業だと考えたそうです。20代は起業の準備期間のようなものだったと振り返ります。
支援の現場で経営者と関わるうちに、山野さんの見方は変わっていきます。スタートアップの人たちよりも、会社を引き継いだ後継ぎの経営者のほうに魅力を感じるようになったと言います。
理不尽なこともいっぱい起こっているんだけれども、それを一旦引き受けて、次の一手を粘り強くやっていらっしゃる、人間力のある人が多いなって思って。
なぜわざわざ火中の栗を拾うのか。その問いへの興味が深まる一方で、山野さんは別の感情も抱くようになります。
跡継ぎから離れたはずの自分が、そのかっこよさを若い人に伝えたいと思うようになった。そこから今の活動につながっていったと話します。
「ベンチャー型事業承継」という言葉は誰が作ったのか
この「ベンチャー型事業承継」という言葉は、実は山野さんが考えたものではないと明かされます。
名付け親は、大阪で二輪パーツの卸を引き継ぎ、通販ビジネスで事業を拡張したカスタムジャパンの村井さんです。
山野さんは若い人のイメージを変えるため、まず大学で授業を始めました。関西学院大学で、当時は「ステルス」で、親が商売をしている学生限定というかたちで開講したそうです。今の公平性の観点では難しいやり方だったと振り返ります。
養鶏場やクリーニング屋など、家業を持つ学生15人ほどを集め、ベンチャー的な跡継ぎ経営者を講師に招いてディスカッション形式で進めました。その講師の1人が村井さんで、講義タイトルが「ベンチャー型事業承継」でした。
普通の事業承継とベンチャー型の事業承継があるっていうのが際立つから、イメージを変えたいこの活動をしている私からすればとてもいい言葉だなと思って。
行政の仕事も並行していた山野さんは、この言葉を政策ワードとして展開していきます。近畿経済産業局での政策提言で、会社を継いだ後継ぎもベンチャーのプレイヤーであると公式に発表したのが2017年でした。
翌2018年に社団法人を立ち上げます。言葉との出会いから設立まで、およそ5年の準備期間があったことになります。
存続にコミットするから、挑戦が必然になる
ベンチャー型事業承継の定義について、山野さんは「言葉にすると別に普通」だと言います。引き継いだ有形無形の経営資源をベースに、後継者自身の得意な領域を掛け算して、新しい価値を社会に生み出すことだと説明します。
新規事業だけを指すのではなく、自分らしく継いでいくこと。そして継ぐだけでなく、次の世代へ渡すところまで存続にコミットする点が肝だと話します。
結局渡そうと思うと、必然的に挑戦しなきゃいけないじゃないですか、新しいことに。だって世の中が激動してるわけだから。
社会に必要とされ続けようとすれば、事業も組織も時代に合わせてアップデートするしかない。その果敢にチャレンジすることそのものをベンチャー型事業承継と呼ぶ、というのが山野さんの考えです。
だからこそ、すでにやっている人には「ベンチャー型事業承継と名乗ってください」と呼びかけていると言います。
桺本さんが、ホームページにある「地方豪族型」「日速攻型」「IPO型」といった型の存在に触れると、山野さんはこれらが活動の中で見えてきた分類だと答えます。
ただし規模の拡大だけをアトツギベンチャーの定義にはしていないと強調します。継ぐスタートラインは人それぞれで、マイナスの状態から引き受ける人もいるからです。
一旦しゃがんで、骨太にしてからもう一回ジャンプしようみたいな人たちもいる中で、規模の拡大だけをベンチャーだと言いたくない。
長い歴史の中での自分の代のポジショニングを担う。準備期間を引き受ける代があってもいい。そうした長尺で物事を捉える人たちだと山野さんは語ります。
3つの型のどれも目指していない人は、おそらく存続にコミットしていない人だ、とも指摘します。次の世代にバトンを渡そうとすれば、何かしらの変化は避けられないという整理です。
なぜ「アトツギ」はカタカナになったのか
桺本さんが、「アトツギ」をカタカナにしたのは山野さんの発案かと尋ねます。漢字の「跡継ぎ」との違いが、この回の一つの核になります。
字面が受け身なんですよ、漢字が。跡を継ぐって、未来につないでる感じがしないじゃないですか。
山野さんは、後継者は本来「過去と未来の接合点」の役目なのに、漢字ではその未来へのニュアンスが出てこないと言います。バトンを渡される側、という印象になってしまうのです。
実際に受け身な人が多い世界でもある、と山野さんは率直に語ります。諦めてしまっている後継ぎもたくさんいるため、漢字の「跡継ぎ」という言葉は残しつつ、スタートアップと並ぶ存在として「カタカナアトツギ」を置いた、という整理です。
毎日多くの人が起業しても、そのうちスタートアップと呼ばれるのはごく一部です。後継者の世界も同じで、カタカナアトツギと呼ばれる人は多くないかもしれない。だからこそ、そうした人たちをロールモデルとして一般に知らしめたいと話します。
後継者はスタートアップより圧倒的に母数が多い。そこにロールモデルを示すことで、自分の「セクター」を発見したという感覚が広がってきたと山野さんは感じています。XのアカウントにアトツギViと入れる人も増えてきたそうです。
ロングターミズムと、言語化されていく後継者論
小平さんは、山野さんの活動がなければ今の自分たちはないと語り、「アトツギ」の発見のインパクトを振り返ります。
さらに、山野さんのチームが掲げる「ロングターミズム」という言葉にも触れます。短期投資のデイトレのようにではなく、超長期で経営し、文化的なことも大事にするというポジションを取れるようになった意義は大きいと話します。
俺らは短期投資でデイトレするんじゃなくて、長期投資をしながらやっていくんだ、文化的なことも大事にするんだ、と。
一方で、その経営にはノウハウの蓄積がまだ少ないとも小平さんは言います。だからこそポッドキャストや個人のnoteで言語化を試みているのだと位置づけます。
山野さんも、モヤモヤを言語化しようとする人たちが増えてきたことを歓迎します。この世界が科学されてこなかったのは、言語化できなかったからだと分析します。
いろいろな人がさまざまなアングルで言語化を試みる中から、そのうち教科書的なものができてくるのではないか、と展望を語ります。
小平さんは、ベンチャー型事業承継を「JADAN」と呼ぶ動きや、海外の博士課程で研究する人、デザイン思考からアプローチする研究者が出てきていることを紹介します。言語化が進めば再現性が生まれ、さらに広がっていくと期待します。
跡継ぎ甲子園は「後継ぎがいる会社です」の表明
話題は跡継ぎ甲子園に移ります。小平さんも審査員を務めてきたイベントで、今回で第7回を迎えます。
桺本さんが1回目からの景色の変化を尋ねると、山野さんはこれまで後継ぎが表舞台に立つ機会がなかったと答えます。スタートアップのピッチイベントは多くても、後継ぎ限定の場はなかったのです。
スタートアップのピッチは終わってすぐ帰る人も多いけど、跡継ぎ甲子園は全国でつながって、終わっても行ったり来たりしながら学び合う。
こうした機会に飢えていたのだと感じる一方で、山野さんは課題も口にします。上手なプレゼンをする人が勝つ世界になりすぎないか、という懸念です。
人口2万人の町で「この会社を継いでどうしよう」と悩む人の、魂の叫びを訴える機会でもあってほしい。そのバランスの難しさを運営しながら感じていると言います。
桺本さんは自身を「後継ぎ甲子園向きではない」「技術でやるタイプ」と語り、AIや検査技術での出場の可能性が話題になります。応募資格は39歳までで未事業承継の状態が対象です。
桺本さんは自社を、行政などを相手にする「超レガシー業界」だと説明します。検査データはまだインターネットに載せておらず、USBでしか取れないといいます。それを聞いた山野さんは、ネットに転がっていないデータを持つことにこそ価値があると反応します。
山野さんは、跡継ぎ甲子園に出ること自体が「後継ぎがいる会社です」という表明になると指摘します。新規事業のピッチなのに本業の引き合いが増える現象が毎年起きているそうです。
特にBtoBや技術の世界だと、取引先は長く付き合える会社を探しているので、タダで営業してるぐらいの気持ちでもっとみんな出ればいいのに。
まとめ
この回は、後継者を「薄暗い受け身の存在」から「過去と未来の接合点」へと捉え直す、言葉と概念の力をめぐる対話でした。山野さんの経歴、ベンチャー型事業承継の定義、カタカナアトツギの意図、そして跡継ぎ甲子園の意義まで、一貫して後継者観の刷新が語られています。
- 山野千枝さんは、後継ぎの経営者に魅力を感じ、「かっこいい世界」と「薄暗いイメージ」のギャップを埋めるべく活動を始めた
- ベンチャー型事業承継の肝は、継ぐだけでなく次世代へ渡す「存続へのコミット」であり、そのために挑戦が必然になる
- 「アトツギ」をカタカナにしたのは、受け身な漢字の印象を離れ、未来へつなぐ主体として位置づけ直すため
- 後継者論は言語化が進みつつあり、再現性が生まれれば世界はさらに広がると期待されている
- 跡継ぎ甲子園への出場は「後継ぎがいる会社」の表明となり、本業の引き合いにもつながる




