チンチンナブルムの話はしていいのか
冒頭でけんすうさんは、コテンラジオのローマ皇帝編で出た「性的っぽいけど真面目な話」を、Podcastで話していいか悩んでいると切り出します。
はい、こんにちは。まだないポッドキャストを考えようのまだないでございます。けんすうです。
はい、樋口聖典です。お願いします。
ちょっと悩みというか相談があって聞いてみたいなと。
いや大丈夫、けんすうさん、僕だけは友達だから。
いや、他にもいるわ。ずっと言ってますが、僕友達います。大丈夫です。
コテンラジオやられてるじゃないですか。で、今の最新がローマ皇帝編で、要は男性器が壁から生えてるよみたいな、割とこう神聖なものとして祀られてる文化があった話があったと思うんですけれども。
はいはい、ありましたね。
そういうなんかちょっと性的っぽいけど、別に真面目な話ってあるじゃないですか。
なんだけど、昨今、性的な話ってちょっとしづらいのもあるなと思って、どのラインでやったらいいかで今悩んでいて。あまりにも想像できないんで、僕(帝政ローマの壁の話を)調べたんですよ。
そしたら魔除けで、玄関に神様みたいな男性の体があって、そこに男性器があって、鈴がぶら下がっていて、そこでこう鳴らすみたいな(画像が出てきて)。
ちょっと待って、これ名前多分皆さん調べてもらいたいんですけど、チンチンナブルムってやつ。
そう。チンチンナブルムって言うんだと思って、すごい盛り上がったんですよ。
この話、結構真面目に、最近キリスト教の勉強もしたので、カトリック教会で使用する鈴もこれだとか、いろいろな話があって、うわ面白えと思ったんですけど。
この話ポッドキャストでできないと思って、止めちゃったんですよね。樋口さんだったら喜んでくれるかなと思って、今ここで出したんですけど。
最悪やん、もう罠に引っかかった形になってる。めっちゃ俺手叩いて笑ってるやん。
チンチンナブルムの話をポッドキャストでしていいんですか?っていう話を、ちょっと聞きたかったですね。
はい、いいです。いや、って言ったら終わりやけど。でも面白いテーマですね、これ。
「誰がどこで喋るか」で決まる
樋口さんは、下ネタが許されるかどうかは絶対的な基準ではなく、誰がどんな場で言うかで相対的に決まるのではないかと語ります。
これって、誰がどこで喋るかによってだけ決まってるんじゃないかと僕思ってるんすよ。
ああ、なるほどね。絶対的なポジションの話ではなくて、相対的なもので決まる系の話。確かに。
だからポッドキャストだからこれが良くて、テレビだったらこれがダメっていうより、誰がどういうテイストで、何時ぐらいに放送されている番組でとかで決まってるじゃないですか。
深夜ラジオだったらだいぶ踏み込んでもいいし、朝だったらちょっとねみたいな。
ですです。でもそれが深夜に放送されてるんだったらOKみたいな謎のなんかないですか?
タイムシフトでスマホで誰でも聞けるから、普通に青少年がスマホで聞けるんですよ、夜中のやつ。やけどOKみたいな。
もちろん運転中にカーラジオつけた時にその話が流れないとかも重要だと思うんですけど、にしても聞けるから。
「にん」で決まる、ウケる人と引かれる人
話は具体例へ。同じ下ネタや不倫の話でも、人によってウケ方がまったく違うことを、芸人を例に語り合います。
例えば浮気の話、不倫の話あるじゃないですか。いわゆる正統派の男性タレントとか清楚なイメージ、アイドルとかが不倫するってめちゃくちゃやばいじゃないですか。
でも千鳥の大悟さんって普通に(不倫の話を)言ってんすよね。これおかしいですよね、本当は。
本来であればね、叩かれてもしょうがなさそうだが、あの人ってそういうもんだよねって思ってるので、別にっていうのもありますよね。
だから僕ら思ったよりその人の任というか、それで判断してるんじゃないかと思ってて。
それでいうと風俗の話とか、普通にケンコバさんとかトーク番組でしてたりするわけですよ。ちょっとぼかしてるだけで、誰でもあれは風俗だろうなってわかるぐらいの。
これって今のジェンダー論的な話で言うとバリバリにNGじゃないですか。でもなぜか芸人で、しかもケンコバさんというキャラだったらなぜか放送できていて。
千原ジュニアさんが下ネタについて話してる時があって、なぜかケンコバが下ネタ言ったらバンバンウケると。なぜか俺が言っても全然ウケんのよなっていう話をしてて。
ちょっとわかる。
客引いちゃうらしいんですよね。ジュニアさんが下ネタの話をするだけで。
なんかちょっと生々しさが強いんでしょうね。
多分ケンコバさんっていわゆるザ・男のキャラじゃないですか。だからそれ言っても許されるけど、ジュニアさんってそこまでザ・男になってないから、本当にざわっとしちゃうみたいなのがあると思うんすよ。
だから芸事の世界で「にん」っていう言葉ありますけど、これ僕いまだに漢字がわかんなくて、諸説あるんでひらがなで言ってるんですけど。
この人はこういう人だからみたいな。なんかそれによるなって思ってます。
人が面白いと思うとか好ましいと思う範囲って、実は結構いろんな要素から割り出されていて、同じ話しても二人によって違うとかありますよね。
いじりの許容度は「その場の本人」で決まる
見た目いじりの話へ。誰が誰にいじられるかという関係性と、いじられる本人の器で許容度が決まると二人は指摘します。
見た目いじりとかも、この人がこの人に対してだったら関係性的にはありみたいな。芸人同士のコンビ同士のいじりだったらハゲいじりはまだギリOKってされてるけど、関係性が相方じゃなかったら難しいみたいな。
でもそれも、とろサーモンの久保田さんがキングコングのYouTubeに出て、謝罪をしたみたいな感じで帽子取って頭下げたら、すごいはげているところが映って、「禿げとるやないかい」みたいな感じでドカーンと笑い取ってたんですけど。
そのシチュエーションだと、謝罪して頭下げてバッて出た時にカメラにドーンと禿げてるっていう部分があるので、こういう振りだろうなと思って、結構スッと入ってきたんですよね。
だから実はいじられる側の許容度というか、器とかもあるんすよね。
その時のハゲいじりって、全国の禿げてる方、髪が薄い方の許容度じゃなくて、その時出てるとろサーモン久保田さんの許容度なんすよね。
本当はおかしいんですよね。聞いてる人がいい気持ちになるかならないかって関係なくて、とろサーモンの久保田さんがいい気持ちになるかならないかで、その場のやっていいことが決まってるんですよね。ここ面白いなと思ってるんですけど。
これ、ちょうど今日、乙武さんが差別用語について誰かと議論していて。「それ、言われて嫌な気持ちになる人がいるものを放送してはいけないんじゃないか」という人の意見があり、結構真っ当だなと思ったんですけど。
乙武さんの返しが、「太ってるって言われると大体の人嫌だと思うんですけど、太ってるって放送禁止用語にならないじゃないですか」と。「これはどういう基準なんですか?」っていう話をしていて。
でも、ちょっと確かにと。太ってるって言われて嫌な気持ちになる人多いけど、割と太ってる話はなんか許容されてる度が高いなと。
みんな言われて嫌だし、病気とか薬の影響で太ってる人もいるのに、そんなにタブー視されてないのって変だよねっていう指摘は、確かにと思ったんですよね。
いや、マジそうなんすよね。それで言い出したら、もう本当にずっと僕が言ってることと同じなんですけど、実はルール設計されてないですよね、多分。ロジックでいうとそれもNG、これもNGになるから、全部。
切り抜きの時代と、昔を今の価値観で断罪すること
なぜ最近いろんなものがダメになってきたのか。二人はインターネットと切り抜き、そして価値観の変化のスピードに話を広げます。
だから全部が感覚の世界の話なので、すごく変わりやすくて。芸人さんのエピソードトークで、昔は結構笑い取れてたが、今はそれが掘り返されてすごい叩かれてる例とかが、最近Xでよくあり。
大悟さんでも20年後とかにね、「いやもうこいつ不倫してて堂々と言ってて笑い取ってたやつ」みたいになる可能性もありますよね。
そう、その話にもつながってくるっすよね。なんか、そこではいい空気感だったんですよ、多分。その時代、その文脈では。
だからこれって、文脈理解度とセットですね、どこまで出していいかは。まず結論から言うと、やっぱり出さない方がリスクが少ないんですよ。その下ネタの話とか、見た目いじりとかって。
それはもう明らかにインターネットの影響かなと思ってますね。文脈を切り捨てて、そこだけ広まることができるから。
まあ切り抜き的な感じもそうですし、文脈が忘れられたり既存されたりするもありますよね。
だからツッコミの1ワードとかが、どこでどう切り抜かれても大丈夫なようにしとかないといけないってなってきてるから、危険なことやめようってなって、いろんなものがダメになってきてるんですよね。
最近見たのは、めちゃイケかなんかで加藤さんがアイドルをぶん回してる動画があって、「こんなことやってるやつやべえだろ」みたいな感じでプチバズりしてたんでしょうね。
でもこれを簡単に「あの人たちやべえ」とか「あの時のテレビやべえ」って言うの結構かわいそうというか。だってずっとそれでいいってなって、スポンサーもそれでついていて。
あとコンテキスト的にも、あの当時ですらここまでやんのやばいっていう、そういうお笑いの部分が確かあったんですよね。
このご時世にこんなひどいことやる頑固親父みたいな、やばいよね的なもので出てきているものであるっていう。
やばいものとして出してるんだからやばいんですよっていう。それを今現代で「やばいよね」って言って本当に非難するのってちょっとかわいそうというか、なんか違うというか。
安易に断罪してはいけない感じはしますね。
これよく僕はコテンラジオとかで注意しないといけないって言うんですけど、例えば織田信長とか、徳川家康の時代にバリバリ家臣とか世話になった人を裏切ったり、バンバン人を殺しちゃったりしてることに対して。
野蛮な奴、人の心がない奴みたいな評価をするのって絶対違いますって話はあるんですよね。当時はそれが当たり前で。
うん、まさに。
本能寺の変は実は意外と普通だったみたいな話があったんですけど、歴史上のことだったら当時は違うよねって分かりやすいけど。
今って僕らが昔生きてた時代から一続きになって、今そのタレントたちが活躍してるから、どうしても同じ人が同じ環境でやってるって思いがちですよね。
確かに、織田信長ぐらいだと昔の人だよねって見れるけど、今も活躍してる人だとよりちょっとバグりやすいですね。
昭和生まれは戦前と地続き、価値観は不可逆に変わる
けんすうさんは、昭和生まれの自分たちが持つ価値観の幅から、価値観の変化スピードの速さを語ります。
我々昭和生まれじゃないですか。昭和って二・二六事件とか、普通に太平洋戦争とかがあったりした年代じゃないですか。
だから元号でいうと昭和生まれって、要はそのぐらいの価値観、戦前の価値観まであるし、我々が小学生ぐらいの時の価値観もあるっていう。そこでもすごい差があるし、昭和から令和も相当な差があるので。
価値観の変化のスピードって思ったよりも早いが、みんな変わってるとあんま思わないみたいなのがちょっとありそうですよね。
昭和ってコンプラは当然なかったですし、法律も結構破ってOKだったじゃないですか。破ってもOKって言うとあれだな。
まあまあ、もう緩かったというか。いや、だって僕まだ20代の頃飲酒運転バンバンしてましたよ。あ、僕がじゃなくて周りが。
確かに厳罰化する前ってやっちゃいけないけど、まあやるときあるよねぐらいの感覚で多分捉えられてて。
捕まったらちょっと損したなぐらいの。運悪かったな俺ぐらいの感じだったです。
今はね、すごいやっぱネットで晒されたら法律違反してる人がめちゃくちゃ悪いっていう風になる傾向があるし、僕もなんかそう感じるんですよね。信号無視した人が車にぶつかって、こいつが悪いみたいな動画が流れてきて、そうだなと思うみたいな。
あーだからこれ、やっぱりクリーン化する世界になってきてると思うんすよ。これ岡田斗司夫さんが言ってたんかな。
過去のそういうやつが、過去の価値観じゃない今のクリーン化した価値観で、まずダメだって言われるになると。
逆に、クリーンからダーティーにはいけないでしょ、絶対に。不可逆性というか。一回綺麗になったところにまた毒を盛るって難しいから。
みんなリスクを取ってまで、それってなんかおもろいからとかで言ってるわけやから、リスクを取ってまでメリットを取りに行かなくなるってなった時に、世の中の空気がどんどんクリーン化していくですよね。
合理的なら言わない。だから樋口はあえて言う
クリーン化が合理的だからこそ、あえて流れに逆らう人が必要ではないか。樋口さんは化粧やタトゥーの例を挙げて語ります。
だから本当は合理的に考えると、ちんちんとか言わない方がいいんすよ。合理的に考えるとですよ。だから僕はちんちんって言っていきたい。
逆に。
世の中の流れからすると、そっちが合理的になるんやから、モノカルチャー化していくはずなんすよ。めちゃくちゃ抽象化すると。
また議論を生みそうだから嫌なテーマがあるんすよ。ちょっとだけ言ってみていいすか?
僕、女性は化粧をしない方がいいっていう文化をちゃんと作らないといけないって思ってんすよ。
あ、でもちょっとわかる。そこも自由だよねにまだなってなくて、社会的に「いや、化粧しろよ」みたいな抑圧的なところがあるのではないかっていうことですよね。
そういうことです。やっぱり男性ってすっぴんで外出ても変だよねって思われないけど、女性がすっぴんで外出たらちょっとギョッとされると思うんすよ。
男性でいうとめちゃくちゃメイクしてたら、「あ、男性なのでメイクしてる」と思うみたいな。目立つという意味ですよね。
目立つんすよ。「え?」って思われるっていう。それって本来その化粧がいい悪いとかじゃなくて、文化によって決まってるじゃないですか。女性って普通化粧するもんだよねっていう「普通」があるから。
でもこれめっちゃ大変じゃないですか、化粧するって。手間コスト、お金コストかかるし。最初から化粧してないのがデフォルトだったら、化粧した時にめっちゃ綺麗だねってなるはずで。それ損なんですよ。だから基準値下げといた方が良くて。
今日ちょっといい感じの、誰かの結婚式行くってなった時、化粧してきた時に「うわめっちゃ今日綺麗やん」ってなった方が良くて。だから本当は化粧しないがデフォルトの方がいいんすよ、多分。
やけど、一個人の合理性だけで考えたら、化粧をしないよりする方が合理的なんすよ。ちょっとうわって思われることの、社会の中で生きるリスクがちょっとあるから。
今現在マジョリティーが化粧する方だから、みんな流された方が得だからそっちになってるから、ここってまあまあ覚悟がいるんすよ、化粧しない。
確かに。なんかちょっと反骨心理的な感じで見られてもおかしくないってことですね。
だからリスクを取ってそっちに引っ張る人が必要なんす、多分。どうせ世の中の流れはクリーン化に行くし、化粧は多分もうなくならないんですよ。でも、そうじゃない風に引っ張る何パーセントかの外れ値の人は必要だと思っていて。
まあ少なくても変な目で見られるみたいなものは、昔に比べたら多分だいぶ減ってるとは思うんですけど、もっと普通になればいいし。
それでいうと日本はそうだが、アメリカとか行くと全然(化粧を)してない人もいて。もう裸みたいな格好で歩いてる男性も女性もたくさんいるんですけど、ほぼ気になんないんすよ。
いろんな人いるよねって前提があるので、みたいになると良さそうですよね。
それって多分、意識してやらないと保てないというか。だと思うんで、ちんちんは言っていきたいですよ、リスクを背負って。
ところ変われば。全方向・全時代に気は使えない
話はタトゥーやリュック、車のネーミングへ。国や文化で「普通」がまるで違う例を挙げながら、二人はまとめへ向かいます。
タトゥーをみんなしてるコミュニティにいる人が、例えば20歳超えてまでタトゥーで刻みたいような人生のモチーフがない人、マジかわいそうみたいなこと言っていて、結構僕グッときたんすよ。
日本でいうとタトゥーはちょっと怖いとかヤクザみたいな人に思われてる気がするんですけど、タトゥーが当たり前の社会の人からしてみると、してないやつってかわいそうだね、やばいねみたいに思ってるっていうのが、視点の違いとして面白かった。
あ、いいですね。マジところ変わればってやつよね。
海外だとね、もうガンガンしてる人を見るし別に何も思わないけど、日本だとやっぱちょっと怖いみたいになりがちっていうのはありますよね。
ありますよね。じゃあガンガン全員タトゥーした方がいいかっていうとまた違うから、これ面白いですね。
男性でいうとね、すね毛生えてんのやだっていう女性が多くなって、周りだと脱毛する人増えてるのはありますね。
あー、あと陰毛もそうっすよね。結構ね、海外ともう脱毛するのがトレンドになってきてるけどみたいな。
日本も急激にもう本当になってますね。
いや、また十年後全然変わってるかもしれないから、価値観が。
本当にアメリカとかだと、「え、なんかゲイなの?」みたいな、「年取ったら髭とか生やさないとやばくね?」みたいなものもあったりして。ツルッツルのやつはなんかやっぱやばいみたいな。
あとリュックもやばいって言われました。「男なのにリュック?ゲイなの?」みたいな感じに見えるらしくて。
だから日本旅行に来てリュックが普通に背負えて、誰にも何も言われないのめっちゃ快適っていう海外の人の発言見て、へーと思いました。
いや、だから、ドイツ車の話ってけんすうさんとしたんかな。ドイツ車って車種名は一応つけるはつけるけど、ニックネームぐらいの感じで、正式名称はなんか英語と数字なんですって。
あー確かにね。ベンツVシリーズとか。
なんでかっていうと、どこの国の言語でこの意味がどういう意味を持つかわかんないから。どっかのアフリカの国の言葉でこれが男性器を意味するみたいなことがもしかしたらあるかもしれないと。それのせいで売れないとか。
あー。カルピスとかね、海外だとカルピコみたいな。牛のおしっこみたいな意味に聞こえるからダメとか。あとKinKi Kidsとかも「変態な子供たち」みたいに聞こえるからダメとか。いっぱいありますね。
いや、だからもう今からの時代、どこの文化のどこの人がどう見てもいい風にしないと危険みたいな感じに多分なってくやろなと思って。
と思った時にですよ、無理やから、全方向に、あと全時代に気を使って生きていくの。だからある程度もうなんか出しちゃう分は出しちゃって。
これ受け取り側が悪いみたいな感じの空気もちゃんと作りたいなと思ってるんですよ。ささやかな抵抗としてあるんで。だから僕はちんちん出していこうと思います、丸出しで。
いや、ダメです。出したらダメです。
あの、比喩で。
言葉としてね。というわけで、樋口さんが出すよという話でした。じゃあ今回は以上です。ありがとうございます。
プリプリ。
まとめ
同じ下ネタや見た目いじりでも、ウケる人と引かれる人がいるのは、絶対的なルールではなく「誰が、どこで、いつ」言うかという感覚で決まっているという話でした。切り抜きの時代には文脈が切り捨てられ、出さない方がリスクは少なくなります。だからこそ、あえて流れに逆らって出していく人も必要ではないか、と樋口さんは語ります。価値観は不可逆に変わり、国や時代で「普通」もまるで違うことが、化粧やタトゥーの例からも見えてきます。
- 下ネタや見た目いじりの許容は、ルールではなく「誰がどこで言うか」と「にん」で決まる
- いじりの許容度は世間全体ではなく、いじられる本人の器で決まっている
- 切り抜きは文脈を切り捨てるので、出さない方がリスクは少ない。世界はクリーン化に向かい、それは不可逆
- 合理的なら言わない方が得だからこそ、あえて流れに逆らって引っ張る外れ値の人も必要
- 化粧・タトゥー・リュックのように「普通」は国と時代で変わり、全方向・全時代に気は使えない







