粛清の嵐で始まった第二次三頭政治
帝政ローマ編第三回は、前回始まった三頭政治の続きから始まります。アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスの三人が、いったん争いを手打ちにした状態です。
三人はまず、カエサルを殺した元老院の勢力を叩く方向で結束します。
あいつらマジボコボコにしようぜってなるんですよ、三人で。
ここに至る背景には、細かい力関係の変化がありました。オクタウィアヌスは一度元老院と組んでアントニウスに勝ったものの、その後、元老院から距離を取られてしまいます。
この人を褒めすぎるとやばそうだと警戒された結果、オクタウィアヌスは信頼を失い、三頭政治側へ流れていったと考えられています。
この第二次三頭政治は、北イタリアのボローニャで政治協定として結ばれました。
第一次三頭政治がポンペイウス、クラッスス、カエサルによる秘密同盟だったのに対し、第二次は元老院に認めさせた上で、新しい法律で三人に権限を渡す公式なものでした。
これは相当に大きな権力でした。本来は元老院と民会が関わらないと作れない法律を、三人だけで作ったり廃止したりできたからです。
コンスルの任命、法律への拒否権、司法の最高権なども三人に渡され、元老院はほぼ排除された形になります。
そして、これに反対しそうな人たちは全員殺すという激しいやり方がとられました。実際に元老院議員三百人と、その下の階級である騎士を二千人ほど粛清したと言われています。
この粛清では、オクタウィアヌスを引き上げてくれた恩人であるキケロも殺されています。オクタウィアヌスはそれを黙認しました。
キケロってオクタウィアヌスを引き上げてくれた人なんですけど、殺すの黙認してるんだよね。殺さないでとも言ってなくて、まあしょうがないかって言って殺してるから、そういうドライさがめちゃくちゃあるんだよね。
樋口さんは、政治的に邪魔だから命を奪うというやり方の異常さに驚きます。共和制の中で権力を握った者がこうやって人を殺すと、合議制とは何かという問いが浮かんできます。
三人での属州分割と三国志のような構図
三頭政治の三人は、まずカエサルを神格化します。カエサルを神とすれば、その後継者である自分たちの権威も高まるからです。
一方、カエサルを暗殺したブルートゥスやカッシウスたちは、ギリシャやマケドニアの方へ逃げていました。
楊さんは、暗殺者側の状況を補足します。彼らは決議でいったん罪に問われず恩赦を得ていましたが、ローマ市民の怒りが凄まじく、命の危険を感じてローマを去るしかなくなっていました。
三頭政治側は逃げた暗殺者を追い、フィリッピの戦いで討伐に成功します。これでローマは再びカエサル派閥に大きく傾きました。
暗殺者を倒した後、三人は帝国各地の属州総督職を独占し、周縁の地域を分け合いました。
オクタウィアヌスは主に帝国西部を担当します。本丸のイタリア、ガリア、イベリア半島、ギリシャ西部です。
レピドゥスは北アフリカを担当し、エジプトは含みません。アントニウスは帝国東部の地中海沿岸、アナトリア半島西側やシリア、ギリシャ東部を担当しました。
オクタウィアヌス
帝国西部。イタリア、ガリア、イベリア半島、ギリシャ西部
レピドゥス
北アフリカ。ただしエジプトは含まない
アントニウス
帝国東部。地中海沿岸、アナトリア半島西側、シリア、ギリシャ東部
この分割で、話は少し三国志のような構図になっていきます。ただし、すぐに終わる三国志だと深井さんは言います。
三人の仲は良くなかったものの、必要に駆られて手を組んでいました。誰も突出できておらず、ローマ軍全体を掌握すると言い切れる正当性もなかったからです。
なぜこの三つに分けたのかは、番組側が調べても学者に聞いても明確な理由は見つからなかったそうです。
アントニウスはなぜエジプトと結んだのか
分割の理由について、楊さんは仮説を紹介します。この時点でアントニウスは三人の中で発言力が最も強く、肉体的にも強かったため、東を担ったのではないかというものです。
東を重視した理由には、国防があります。ローマ東部には、ペルシャ系の大国パルティア王国が隣接していました。
パルティアはローマがかつて敗れたことのある宿敵で、その領域に接する東を守ることは国防上とても重要でした。だから発言力の強いアントニウスが東を担うのが適任だったのではないか、という仮説です。
アントニウスは、このパルティアと戦うための財力を確保するため、クレオパトラのプトレマイオス朝と手を結びます。
この後、レピドゥスがすぐにオクタウィアヌスとの抗争に敗れて脱落します。北アフリカ、特にエジプトはアントニウスに庇護を求め、アントニウスがエジプトも支配下に置いていきました。
こうしてイタリア本土を握るオクタウィアヌスと、エジプトという穀物庫を握るアントニウスの決戦へと構図が絞られていきます。クレオパトラはアントニウスの恋人となり、二人の間には三人の子が生まれました。
楊さんは、プトレマイオス朝の側の事情も説明します。エジプトは富こそあったものの、政治力や武力ではローマの実質的な属国という関係でした。
ファラオとして立つにもローマの後ろ盾が必要だったため、クレオパトラはローマの政治状況を注意深く観察し、誰につけば自分の立場を固められるかを常に考えていました。
膨れ上がった軍団と、それぞれの財源問題
三頭政治全体が向き合うべき大きな課題がありました。それが軍団の処遇です。
この時点で三人合わせて四十個以上の軍団を指揮しており、兵士に約束した報酬額も莫大になっていました。政治闘争で味方につけるため、約束の金額をつり上げ続けた結果です。
給料いつくるねん、ボーナスいつくれんの、退役した後の農地どうすんのみたいな感じになってるので、この兵士たちに払うべきお金とか土地をどうやって確保するかっていうのが喫緊な状態になってるんですよね。
オクタウィアヌスはイタリアで退役兵に土地を割り当てる必要があり、アントニウスは東から財源を確保する必要がありました。
オクタウィアヌスは粛清した人たちから土地を没収しても足りず、他の人からも強制的に土地を取り上げて退役兵に与えたため、反乱や反発を招き、かなり手こずったそうです。
アントニウスも、東地中海から財源を吸い上げつつ、宿敵パルティアとの戦争にも資金が必要でした。しかも東の情勢は不安定で、秩序の回復も課題でした。
その東を安定させ、財源を確保する手段としてクレオパトラと結ぶ、というのがアントニウスの大きな方向性でした。
とにかく金が欲しいんですよね。エジプトってやっぱ金を最強に持ってるし、食料も富もナイル川の恩恵があるからあるし、クレオパトラもローマ側と結ぶメリットがあるので、この二人が結んで、公的にもプライベート的にもパートナーになった。
オクタウィアヌスとアントニウスの明暗
三人でバランスを取っていた状態は、レピドゥスがオクタウィアヌスとの抗争で敗れたことで崩れます。オクタウィアヌス対アントニウスの構図になり、二人の関係は急速に悪化しました。
この後、オクタウィアヌスは政治基盤を固めていき、アントニウスは自分の優位を活かせず敗色濃厚になっていきます。楊さんは、その分岐点となった出来事を挙げます。
アントニウスの大きな失点は、パルティア遠征の失敗でした。凄まじい損害を出しながら領土は全く取れず、ローマでの威信を下げてしまいます。
楊さんによれば、アントニウスは速戦即攻を得意とし、持久戦である遠征とはかみ合わなかったようです。補給部隊を後ろに置いて自分だけ先に攻め込んだ結果、防御の薄い補給部隊がパルティアに壊滅させられました。
二万四千人の命が失われて、しかも半数以上が病死っていうね。
学者の考察では、アントニウスは必ずしも遠征が必要だったわけではなく、外敵に軍事的に勝つことで威信を確立したかったのではないかとされます。しかし一か八かの賭けは失敗に終わりました。
一方でオクタウィアヌスは実績を作ります。第一次三頭政治のポンペイウスの息子、セクストゥス・ポンペイウスが独立勢力としてローマを海上封鎖し、食料を止めていました。
オクタウィアヌスはこのセクストゥスの鎮圧に成功し、飢饉寸前だったローマを救います。これで支持が高まりました。
当時のローマは食料自給率が下がり、属州からの海運に頼っていました。それを止められることは最大の弱みであり、そこから救った人物はヒーローのように見えたと深井さんは言います。
パルティア遠征に失敗し、大損害を出しながら領土を取れず、ローマでの威信を下げた
セクストゥス・ポンペイウスを鎮圧し、飢饉寸前のローマを救って支持を高めた
クレオパトラを国敵にしたプロパガンダ
レピドゥスが脱落し、三人が二人になったことで、三頭政治自体も解散します。
アントニウスの妻は、オクタウィアヌスの姉オクタウィアでした。つまり二人は義理の兄弟だったのですが、アントニウスはオクタウィアと離婚し、対決姿勢を鮮明にします。
ここでオクタウィアヌスのプロパガンダが始まります。アントニウスが妻と離縁し、エジプトで愛人クレオパトラにうつつを抜かしているように見える、という筋書きです。
当時のローマの価値観では、王政をとるエジプトのような土地は退廃した土地と見なされていました。そこに肩入れするアントニウスは、腐った側についていると印象づけられます。
さらにアントニウスの遺言状には、クレオパトラとの子に領土の一部を与えるという記述がありました。オクタウィアヌスはそこをうまく抜き出し、切り抜きのように拡散してネガティブキャンペーンを展開します。
まさにSNSでのフェイクニュースまではいかないけど、切り抜き拡散みたいな感じで切り抜き拡散して、アントニウスのネガティブキャンペーンをめっちゃやるんですよ、ローマで。普通に成功するんだよ、それが。
楊さんは、アントニウスの東方戦略にはハイリスクハイリターンの両面があったと補足します。東と結ぶことは見下されるリスクがある一方、莫大な富と物資を得られるリターンがありました。
クレオパトラを推し立てたのも、実は合理的な判断でした。東の地域には王政の文化が根強く残り、王をいただく小さな都市国家が多くありました。
そうした国々にはローマのコンスルという肩書きはピンときません。クレオパトラを王の中の女王として立て、自分がそのパートナーとして出た方が説得力があったのです。
しかしオクタウィアヌスはそこを突きました。プロパガンダで元老院や民会に遺言状を読み上げ、クレオパトラを国敵に仕立て、エジプトへの宣戦布告に成功します。
もともとは元老院の権限を無視した権力闘争だったはずが、いつの間にか国家が正当性を持って倒す相手としてクレオパトラが立てられていました。深井さんは、これこそオクタウィアヌスの手腕であり、人のコントロールのうまさだと評します。
アクティウムの海戦と一人勝ち
こうして起きたのが、有名なアクティウムの海戦です。ただし戦いはあっけなく終わります。
アントニウス軍の劣勢が明らかになると、クレオパトラが艦隊を率いて逃げ、アントニウスもその後を追って崩れたと言われています。元からそういう戦略だったなど諸説あります。
結果はオクタウィアヌス側の勝利で、アントニウスとクレオパトラは自殺します。その経緯にもいくつかのエピソードがあり、詳しくはクレオパトラ編で語られています。
カエサルとクレオパトラの子カエサリオンは、オクタウィアヌスにとって爆弾でしかないため、すぐに殺されました。一方、アントニウスとクレオパトラの子は処刑されなかったと言われています。
カエサルの子であれば自分より優位に立てるが、そうでなければ自分に遺言状が残っているから脅威にならない、という判断だったと考えられます。こうしてプトレマイオス朝は滅び、エジプトはローマの属州になりました。
これで三頭政治から一人だけ残ったのがオクタウィアヌスです。エジプトを属州にした意味は大きく、属国と属州では扱いがかなり違ったそうです。
属国時代は退廃した文化として忌避されていたエジプトですが、属州化した後は文化の流入も進みました。そして何より、莫大な富と小麦がローマにもたらされます。
後にパンとサーカスと呼ばれる、食料と娯楽で民衆を満足させる統治の食料の元手は、このエジプトでした。ローマの輸入小麦の三分の一をエジプトが占めていたと言われます。
オクタウィアヌスを支えた盟友アグリッパ
これらの戦いで大きな役割を果たしたのがアグリッパです。オクタウィアヌス自身は戦争にそれほど強くありませんでしたが、アグリッパは異常に強い軍人でした。
アグリッパは若い頃から学友としてオクタウィアヌスと行動を共にし、カエサル暗殺の際もすぐに付き従いました。忠実さでは彼に勝る者はいないと学者は評しています。
慎重、周到さにおいてはオクタウィアヌスに肩を並べ、決断と実行においてはオクタウィアヌスを凌駕するほどであったと、ローマ史研究で有名な元村先生がおっしゃってたりする。
アクティウムの海戦も、実質はアグリッパが軍を率いて勝ったものでした。セクストゥス・ポンペイウスを破った戦いも、軍事的にはアグリッパの活躍が大きかったとされます。
これほどの能力者が裏切らずについていくのは、オクタウィアヌスに何かがあるからだと深井さんは考えます。裏切られた人物が多い時代に、優秀な人材を惹きつけて働かせる力があったのです。
ここで深井さんは、アントニウスがオクタウィアヌスについて語った言葉を紹介します。
あの男は寝床に伏したまま、ただ空だけを凝視していた。アグリッパが敵を完全に叩きのめすまで、まるで生きていないかのような姿でじっとしていた。
これはアントニウスが、体の弱いオクタウィアヌスはただ寝ていただけで、戦って勝ったのはアグリッパだ、とバカにした発言です。
一方でアントニウスは、クレオパトラとの関係を突かれた際に反論する手紙も残しています。
あの女王と寝床を共にしたからといって、それが何だというのだ。女王は私の妻だ、この関係はもう九年も続いている。お前だって妻以外の女と寝床を共にしたことがないとは言えまい。
オクタウィアヌスも女性関係が激しいことで知られており、アントニウスはそこを突き返しました。樋口さんは、このやりとりをラップバトルのようだと表現します。
国の行方を争いながら、お前は女と寝ているだろうと罵り合う。深井さんは、当時も完全に許される行いではなかったからこそ、こうして言い合いのネタになったのだろうと指摘します。
公と私で人格が違ったアウグストゥス
続いて深井さんは、アグリッパが凱旋式を勧められても拒み、あくまでオクタウィアヌスを立て続けた話を紹介します。彼は自分をオクタウィアヌスの体制を強固にするためだけに機能させる態度をとりました。
もう一人、マエケナスという文官もいました。武官のアグリッパが右腕なら、文官のマエケナスが左腕です。オクタウィアヌスは自分より優秀かもしれない部下を持っていました。
アントニウス自身も優秀でしたが、彼より優秀な部下がいたという話は出てきません。深井さんは、この人材の差にオクタウィアヌスの優秀さが端的に表れていると考えます。
この後、オクタウィアヌスはアウグストゥスと名を変え、帝政を築いていきます。ここで少し人間性の見える話題に移ります。
アウグストゥスはプライベートとパブリックで人格が全く違ったと言われています。一人の人間としては温情に溢れ友人思いでしたが、統治者としては綿密に計算し、冷淡で味方を切り捨てることも厭いませんでした。
温情に溢れ、友人思いだった
綿密に計算し、冷淡で、味方を切り捨てることも厭わなかった
冷淡な決断にアグリッパが田舎へ引きこもったこともありました。その時アウグストゥスは、アグリッパは自制心に欠けると評したそうです。
樋口さんは、これは公人としての振る舞いと人間としての感情を分けて考えろというメッセージだと受け取ります。会社の経営者として振る舞う時と、人間として社員と向き合う時の気持ちは違うと共感します。
感情をブーストさせればいい経営ができるわけじゃないですからね。優しければいいわけじゃないっていうのは、すごい僕もわかる。
一方、経営を体験したことのない側からすれば、その判断は冷淡でドライに映ることもあると楊さんは補足します。
深井さんは、公と私の切り分けを示すエピソードをいくつか挙げます。散歩中にイノシシに動転した会計係が突き飛ばしても、アウグストゥスはからかいながら笑い話で済ませました。
しかし手紙の情報を売って賄賂を得た書記には両足の骨を折る罰を与え、寵愛した解放奴隷が既婚婦人と姦通したと知ると自殺を迫りました。やっていいことといけないことの線が明確に引かれていたのです。
楊さんは、特に政治のことになると妥協しなかったと言います。自分の立場を成り立たせているものが崩れる脆さを、アウグストゥス自身が自覚していたのではないかと考えられます。
次回は、独裁を絶対に許さないローマの文化の中で、独裁しなければ裁けない状況をどう成し遂げるのか、というアウグストゥスの挑戦が語られます。
まとめ
帝政ローマ編第三回は、粛清で始まった第二次三頭政治が、パワーバランスの変化を経てオクタウィアヌスの一人勝ちに至るまでを追いました。軍事より政治とプロパガンダ、そして人材で抜きん出た人物像が浮かび上がります。
- 第二次三頭政治は元老院に認めさせた公式なもので、反対勢力の大規模な粛清を伴った
- 三人は属州を分割し、アントニウスは国防と財源のため東とクレオパトラのプトレマイオス朝と結んだ
- アントニウスはパルティア遠征に失敗し威信を落とし、オクタウィアヌスは飢饉救済で支持を高めた
- オクタウィアヌスは遺言状の切り抜き拡散でクレオパトラを国敵に仕立て、アクティウムの海戦で勝利した
- オクタウィアヌスは盟友アグリッパら優秀な人材を惹きつけ、公と私で人格を切り分ける統治者だった
