独裁できない社会で独裁するという矛盾
三頭政治が終わり、アントニウスを倒した段階で、オクタウィアヌスにはもうライバルがいませんでした。
この時点でカエサルと同じレベルの実力に、若くして到達していたと話されています。
役職はコンスルで、カエサルと同じように終身独裁官になろうと思えばなれた状況でした。
けれど彼はそれをしません。理由はシンプルで、カエサルがそれをやって殺されているからです。
この回のテーマは、深井さんいわく「圧倒的な矛盾を矛盾のまま社会実装する」ことにあります。
絶対に独裁しちゃいけないっていう文化の人たちで、独裁しないと乗り越えられない問題をどうやるか、っていうやつなんでね。
つまり、独裁を嫌う共和政の中で、独裁的な力を使わないと解けない問題をどう処理するか。それがこの回の核心です。
権力はパッチワークでできている
アウグストゥスは、権力を一気に握るのではなく、少しずつ「パッチワーク」のように集めていきました。
集めたものを総合すると皇帝権力になる。けれど、それを一つの名前でまとめて呼ばない、という作り方をします。
ローマ皇帝みたいな名前つけて呼んじゃったら、めちゃくちゃ独裁者がいるように見えちゃうから。この人にはこの権利もあるし、この権利もあってこの権利もあるね、みたいな言い方をするってことです。
楊さんは、これを会社に例えました。代表取締役にはならないが、実質的に会社を差配できている状態です。
だから代表取締役にならないけれども、実質会社を差配できてる。
代表取締役が持つ権利を要素分解して、その一つ一つを全部持っている。それなら実質は代表取締役なのに、本人は「代表取締役ではない」と言い続けるわけです。
驚くのは、この29年をかける必要がなかった点だと深井さんは指摘します。言えばなれたし、周りも「どうぞどうぞ」という状態でした。
言えばなれたし、みんなも「あ、どうぞどうぞ」みたいなこと言ってんのに、「いやいやいや」みたいな態度を取り続けながら、29年かけて全部向こうから言わせます。
自分から「俺がやった方が良くない」とは一言も言わない。各ステークホルダーの側から「お願いします」と言われるまで待つ、というやり方です。
なぜ「全能感がない」ことが強みになったのか
楊さんは、アウグストゥスを「慎重で堅実」と評し、いい意味で全能感がなかったのではないかと話します。
体が弱く、自分の限界に敏感だったこと。そして養父カエサルが殺されたことを知っていたことが、その慎重さの背景にあると考えられます。
自分の養父のカエサルが死んでるのも知ってるから、これをやりすぎたら、自分がコントロールできないところでハレーションが発生して死ぬな、っていう。
深井さんは「全能感がない」をキーワードだと言います。カエサルやアレクサンドロスには全能感があった。それがアウグストゥスからは垣間見えない、という対比です。
あったのかもしれないけど、見せないっていうやり方をしてて、その見せないっていう戦略で動いてます、みたいな風に見えるのがすごく異質で面白い。
全能感が行き過ぎると、物事への解像度が雑になり、行動の修正が効きにくくなる。「えいや」で大きなことをやってしまう、というのが楊さんの見立てです。
大胆に動けるが、解像度が雑になり修正が効きにくい。カエサルやアレクサンドロスの型。
慎重で修正が効き、ハレーションを避けられる。アウグストゥスの型。
8年連続コンスルとプリンケプス宣言
ライバルが消えた時点で、アウグストゥスの立場はコンスルだけでした。共和政の中のトップにすぎない状態です。
一方で、比肩する者のいない軍事力と莫大な富を持ち、元老院はすでに力を失っていました。実質はカエサルとほぼ同じでした。
ここで彼は、紀元前31年から23年まで、8年連続でコンスルを務めます。連続就任は本来の共和政では禁じ手でした。
なぜ許されたのか。内乱で荒廃したローマに実力者が彼しかおらず、また内乱が起きかねないという内圧と外圧の両方があったからだと予測されています。
コンスル就任から4年ほど後、彼は「プリンケプス」を名乗ります。これは「第一人者」という意味です。
ローマ市民の第一人者だよ、代表なんだよ。だけど王様じゃないよって言ってます。私はプリンケプスであり、プリンケプスでしかないと宣言してる。
重要なのは「元老院の第一人者」ではなく「ローマ市民の第一人者」と言った点です。あらゆるステークホルダーに配慮した言い方になっています。
権限を全部返して、称号ごと戻される
プリンケプスを名乗った翌年、紀元前27年に、彼は保持してきた権力と軍を元老院と市民団に返上すると突如宣言します。
返された側は困りました。その権力を一番うまく使えたのが彼だからです。元老院にコントロールする力はありませんでした。
おそらく事前の根回しがあり、返された権限はまた戻されます。そのとき「アウグストゥス」という称号も一緒に贈られました。
アウグストゥスは「尊厳なるもの」「尊敬されるべき人」という意味です。オクタウィアヌスは、これ以降アウグストゥスと呼ばれます。
これで元老院から与えてもらったっていうことが、共和政っていうコーティングになるじゃないですか。中身は実質独裁者なんですけど。
この儀式が決定的でした。一度返して、向こうから名付けさせ、向こうから「やってください」と言わせる。だから、あとで文句を言われても「あなたがやれと言った」と返せるわけです。
戻された権限には、属州の軍事指揮権であるプロコンスル権が含まれていました。
ポイントは、当時イタリア半島に軍団が駐屯していなかったことです。軍団は属州の国境付近にいたので、属州の指揮権は事実上、全軍団の指揮権とほぼ同じでした。
元老院を「壊さず」使いこなす
アウグストゥスは、元老院を対立構造に持ち込まず、共存の道を選びました。無理に潰せば、また内乱になるからです。
同時に大きな改革も行います。カエサル以来1000名まで膨れ上がっていた元老院の定員を、一気に600名まで減らしました。
この元老院をぶっ壊すっていうことはやってないんですよね。ちゃんとリストラするところはリストラして、政治運営機関の一つとして機能を再生させようという挙動なんですよ。
これは、自分のシンパを残しつつ、機能不全だった元老院をある意味で再生させた措置でした。帝政に近づけたとも言える、微妙な動きです。
一方で緊張感もありました。改革中のアウグストゥスは、元老院に胸当てを着込み、脇に剣を差し、ボディーガードを付けていたと話されています。カエサル暗殺を強く警戒していた様子がうかがえます。
元老院は敵にも味方にもなりうる存在でした。だからこそ、機能を残しつつ、防御もし、気も使う。その絶妙な距離感を保っていたと語られます。
さらに、元老院への権力集中を防ぐため、その下の騎士階級(エクイテス)から新しい役職者を多く任命しました。
騎士身分は名乗れるだけで、まだ自称騎士なんですよ。確固たる騎士だと証明するために、一回軍隊の指揮官クラスに就任してから官僚になっていく、というのが彼らの行動パターンです。
コンスルを手放し、護民官の「権限だけ」を得る
プロコンスル権で属州軍団を動かせる状態にした後、数年後にアウグストゥスは執政官を退きます。
理由は諸説あります。重病説、政治的ミスによる自主的辞任説などがあり、複合要因の可能性が高いと話されています。
楊さんは、同僚のコンスルが陰謀事件で処刑されたのを見て、コンスルという職のまま居続けるリスクを避けたのでは、と説明します。
コンスルを手放しても、軍団指揮権はプロコンスル権として持ち続けています。イタリア本島にまともな軍団はいないので、攻められる危険は少ない。だから手放せたわけです。
代わりに彼が得たのが「護民官職権」です。ここが用意周到でした。護民官になったのではなく、護民官と同等の権限だけを渡させたのです。
護民官には就いてない。でも護民官の権限は渡されてる。これによって元老院が何を決めても拒否できるっていう状態が、権限だけ与えられてる状態になります。
護民官の権限には、元老院や政務官への拒否権があります。さらに楊さんは、不可侵権も得ていたと補足します。
護民官には不可侵権っていうのがあって、どんな理由があろうとも護民官を傷つけてはならない、処刑してはならないというやつなんですよね。それも獲得できた。
護民官には任期がありますが、「護民官権限」という概念には任期がありません。だからコンスルを辞めても、元老院にいつでも拒否権を発動できる状態が続きます。
なんかすごい、矢面には立たずに全部実質握ってるみたいな。
さらに同じ年、上級執政官格権限も獲得します。これで元老院直轄属州に対する決定権と軍事指揮権も行使できるようになりました。
この場合は、彼の権力が増したというより、元老院の権力が減った、という表現がしっくりきます。
加えて、コンスルにしか許されない緋色のトガや頭飾り、両執政官と同席する権利なども少しずつ集めていきました。
他に執政官がいるのに、執政官と同席してるっていうね。謎いけど。
29年かけて「向こうから神格化させる」
ここで、権力獲得の流れを時系列で整理します。ポイントは、いずれも「向こうから言わせる」形で得ている点です。
44歳ごろのコンスル命令権も、ローマの政情不安と疫病流行がきっかけでした。他の者では頼りない、という空気が生まれたのです。
そこで「アウグストゥスにやってほしい」と請われますが、彼はまず拒否します。すると「権限だけ渡すから持っていてほしい」と言わせることに成功します。
じゃあもう権限だけ渡すから、コンスルにならなくていいから、ずっと権限持っててくださいって言わせるんですよ。それで獲得する、みたいな。
その後、宗教活動を統括する大神祇官にも就任し、8月を自分の名にちなんでアウグストゥスと呼ばせます。英語のオーガストの語源です。
そして60歳ごろ、ついに「国父」と呼ばれます。これはロムルスとカエサルにしか贈られなかった称号でした。本人は日頃の願いが叶ったと感激したと語られます。
ここまで、アントニウスを倒してから29年。かかったとも言えるし、かけたとも言える時間でした。
この「皇帝」は中国の皇帝とは中身が違う
束になった権力の集合体を、この後アウグストゥスと呼ぶようになります。この権力の集合が、いわば皇帝ということになります。
ただし楊さんは、東洋アジア的な皇帝とは中身が違うと強調します。
東洋最初の皇帝は始皇帝です。三皇五帝から名を取り、王より上位の絶対的な存在として「皇帝」という言葉を新しく創造しました。
こっちのアウグストゥスは、別に自分で皇帝って名乗ってないです。皇帝っていう法的な制度があるわけではないんですよ。
深井さんは、これを「皇帝」と訳したのは適切ではなかったかもしれない、と言います。中国皇帝は「王の上の王」ですが、アウグストゥスは何かの「上」ではないからです。
いろんなものを集めた、複合的な並列のものを集めたものではあるんだけれども、何かより上ではないんです。少なくともその建前を彼はずっと維持してる。
王より上位の絶対的存在として、皇帝という称号と制度を新しく創造した
既存の共和政の権限を寄せ集めて束ね、王の「上」ではない建前を維持し続けた
独裁の教科書として、どう受け止めるか
権力を束ねた結果、彼は政治・軍事・宗教すべてで他の政務官に優越し、かつ元老院に拒否権を発動できる状態を維持しました。
深井さんは、これを「独裁を嫌う人たちの中でどう独裁化するかの教科書になってしまう」と表現します。
なし崩し的に独裁化する時は、既成事実をちょっとだけ積み重ね、3歩先に進んだらダメなのよ。反発があるから。2歩ずつ進んで、相手から言わすみたいな。
一方で深井さんは、これを現代にそのまま当てはめる危うさにも強く釘を刺します。
これらの歴史を踏まえた上で民主主義が出てきてますから、ここの古代に戻るのは、めちゃくちゃただの教養のない愚かな人なんで。人権を守りながらどうやるかにチャレンジしてるのが現代人なんです。
危機的なときに権力集中が求められがちなのは事実です。ただし、それには人権面での大きなデメリットもある、と楊さんも補足します。
樋口さんは、システムと実態のずれに怖さを感じたと話します。制度上は権力が集中していなくても、実態としては一人に集まってしまう構図があるからです。
今のシステムの中でも、実質一人に権力を集めることもできちゃうし、一人に権力があっても実質民主主義的なやり方もできる。システムだけで判断できないところに怖さを感じる。
自分を律し続けた人物像
アウグストゥスは元老院にリスペクトを払い続けました。ただし、元老院体制に戻すつもりはなく、権力を自分の子孫に渡したい欲求も持っていたと考えられます。
本当に元老院を尊敬していたかは謎だと深井さんは言います。それでも、その態度を死ぬまでやり続けたことが重要でした。
深井さんが特にすごいと評価するのは、彼の自己認知のメタ化です。29年もこのレベルの権力の座にいれば、普通は調子に乗るからです。
普通、29年間もこのレベルの権力の座にいたらバグりますよ。調子乗るよ、絶対。それを避けれてるの、相当すげえなって思います。
楊さんは、中華王朝には権力者を諫めるポストがあったと指摘します。それだけ、権力の座に就いた人間は調子に乗る、と古代からわかっていたわけです。
楊さんがもう一つ挙げるのは、彼が自分の権力の本質を深く理解していた点です。それはコンセンサスがなければ維持できないものでした。
自分が握っている権力の本質は、コンセンサスがなければ維持できないものだということに、すごく理解度が高かったと思います。改革と伝統的なものを結びつけないと、このコンセンサスは機能しないなと。
深井さんは、この徹底ぶりを徳川家康と重ねます。信長や秀吉の失敗を見て、時間をかけて権力を確立し、その後の栄華につなげた点が共通しています。
最後に深井さんは、アウグストゥスがストア派哲学の影響を強く受けていたのではないかと推測します。質素な暮らしや自制の強さが、その傾向を感じさせるからです。
まとめ
アウグストゥスは、独裁を嫌う共和政の中で、権力を一気に握るのではなく、29年かけて少しずつパッチワークのように集めました。既存の権限を束ね、称号や権限を「向こうから言わせる」形で得ることで、非難する相手をなくした点が最大の巧妙さです。この回は、独裁がどう作られるかを冷静に理解するための素材として語られています。
- アントニウスを倒した時点で終身独裁官になれたのに、カエサルの二の舞を避けてあえて時間をかけた
- 権力を一度全て返上し、称号アウグストゥスとともに戻させることで共和政の建前を保った
- コンスルを手放しても、任期のない護民官職権とプロコンスル権で実質的な支配を維持した
- ローマの皇帝は「王の上の王」である中国の皇帝とは違い、権限の寄せ集めとして作られた
- 危機時に権力が集中しがちなのは事実だが、人権を踏まえた現代の視点で冷静に受け止める必要がある
