ショート編なのに4話構成?
コテンラジオの今回のシリーズは、楊睿之さんが担当する「ヤンヤン編」です。楊さんは冒頭で、ショート編なのに4話構成だと切り出します。
前回のエリザベス・ブラックウェル編は11話あり、樋口聖典さんは「もはや11話が短く感じてきた」とこぼします。一方で、初期の吉田松陰編は4話で、1話20分ほどで終わっていたと二人は振り返ります。
なぜ今回4話になったかっていうことについて、一旦ちょっと6話ぐらいかけて説明してみますね。
いや、もうおかしいよ。それだけ話になる?
こうした掛け合いのあと、テーマ「疑心暗鬼フランス革命と陰謀論、噂が国を動かす瞬間」が発表されます。
陰謀論はなぜ「バカにできない」のか
楊さんによると、陰謀論はネットの普及以降に盛んに語られるようになったものの、実は長い歴史を持っています。今回のシリーズでは、その陰謀論をフランス革命と絡めて説明していきます。
楊さんは陰謀論を、出来事の原因を誰かの陰謀だと不確かな証拠から決めつける考え方、あるいは邪悪で強い集団が極秘裏に仕組んでいるという考えだと整理します。
陰謀論は個人の趣味にとどまらず、今まさに政治に入り込み、過去には粛清や戦争、虐殺も引き起こしてきました。楊さんは有名な例として、ナチスドイツの反ユダヤ主義の陰謀論を挙げます。
ナチスドイツの陰謀論は、第一次世界大戦の戦勝国がドイツを奴隷化しようとしていて、その背後にユダヤの世界支配の陰謀があるという筋書きでした。この陰謀論によって、ユダヤ人たちは悲惨な目に遭ったと楊さんは話します。
バカにできないっていうのは、それ(陰謀論)が結果本当かどうかっていうよりは、それが人を動かすことについてバカにできないってこと。
楊さんもこれに同意し、陰謀論は想像の世界にとどまらず、現実に影響を及ぼし、現実を凌駕していく点でバカにできないのだと補足します。
信じすぎも、笑いすぎも危ない
楊さんは、陰謀論の良し悪しや真偽の検証には今回あまり踏み込まないと宣言します。関心があるのは、陰謀論的な挙動をする人間の癖であり、その材料としてフランス革命を使うという方針です。
樋口さんは、陰謀論への向き合い方そのものに危うさがあると指摘します。本当に信じる人はとことん信じ、信じない人は全員を馬鹿にしている、その両方が危ないという考えです。
陰謀論って言いながらバカにしてたやつが、なんか500個あるうちの1個マジやった場合とかあるわけじゃない。
楊さんは、陰謀論と呼ばれるものにはおおよそ3つのパターンがあると整理します。
3つとは、本当に陰謀があったケース、陰謀ではないが疑惑と結びつけられそうな出来事があるケース、まったく事実無根の妄想であるケースです。
これ(陰謀論)、実は誰一人本当のことわかんないわけじゃないですか、その瞬間は。だから両方危ないですよね。
楊さんはこの見方を受けて、陰謀論をフラットに見るというより、人間が陰謀論的な認識や理解の仕方をしてしまう生き物だということを把握してみたいと話します。
フランス革命は「陰謀論のバーゲンセール」
なぜフランス革命なのかについて、楊さんは、フランス革命期こそさまざまな陰謀論が生まれた「陰謀論のバーゲンセール」のような時代だったからだと説明します。陰謀論が一種の文化となり、言説の中心にあった時期だというのです。
フランス革命期には、政治の意思決定の場にも、民衆の世論形成の中にも、陰謀論がデフォルトで入っていました。革命を起こそうとする側の政治家たちが、次のような言葉を普通に口にしていたといいます。
- 革命を潰そうとする邪悪な陰謀家たちが陰謀を計画している
- フランス国内には外国の敵に買収された陰謀家がうごめいている
- 陰謀家は仮面をかぶっており、その正体を暴露せねばならない
楊さんが強調するのは、現代との違いです。現代にも陰謀論的なことを言う政治家はいますが、「それは陰謀論でしょ」と批判する評価軸があります。フランス革命期には、そうした評価軸自体がありませんでした。
さらに、フランス革命そのものが陰謀だったという陰謀論も当時から登場していました。代表例が、フランス革命はフリーメイソンの仕業だという説です。
フリーメイソン陰謀論では、フリーメイソンが民主主義や自由主義を作り上げ、判断力や理性のない大衆に政治を主導させて国を弱体化させ、キリスト教をダメにしようとしている、と語られていました。
じゃあ当時からやりすぎ都市伝説やってたってことですね。
楊さんはこのシリーズを通じて、人間が陰謀論的な見方をしてしまう背景を紹介したいと話し、「人間って哀れで愚かで可愛いよね」と感じられるかもしれないと添えます。樋口さんが「いまだにフリーメイソンとか言ってますからね」と返すと、楊さんはロータリークラブ ── 1905年にアメリカで生まれた社会奉仕団体。地域の実業家や専門職の人々が集まり、親睦と奉仕活動を行っていますのような親睦団体だと答えます。
王家の懐が大炎上していたフランス
本題に入る前に、楊さんはフランス革命の最初の部分をざっくり復習します。フランス革命とは、約200年続いた絶対王政のブルボン王朝、ルイ16世が支配していた王朝を一挙に倒した革命です。
フランス革命はナポレオン登場までの約10年間を指し、その間に社会構造のスクラップアンドビルドが激しく続きました。中心にあったのは、政治の正当性を国王から国民に移そうとする試みです。
誰がどう国を統治するのか、何を権利とし誰が享受するのか。そうした前提が作り直され、国民主権、人権、自由、平等、憲法といった近代国家の原理がトライアンドエラーで実装されていきました。
楊さんはこの過程を、命がけのアジャイル開発 ── ソフトウェアを小さな単位で作って試し、修正を重ねながら完成に近づける開発手法。計画を固めきらずに進めるのが特徴ですにたとえます。クラッシュのたびに人が死ぬデスマーチであり、それに一度決着をつけたのが、ブリュメール18日のクーデタで独裁権力を握ったナポレオンでした。
革命前のフランス王国は、深刻な財政危機に陥っていました。戦争で膨らんだ借金や常備軍・官僚制の維持費がかさみ、負債の利子だけで国の支出の5割を占めていたといいます。
税制改革はなぜ進まなかったのか
財政危機の中、フランス王国の重要課題は税制改革でした。ところが、貴族と教会という特権階級が税の免除という特権を持っていて、改革に抵抗していました。
楊さんは、特権階級の言い分にも一理あったと説明します。国王の権威は特権を配分することで成り立っており、特権を認められた側が国王に服従するという関係だったからです。
国王が特権を配分
貴族や聖職者に免税などの特権を認める
特権階級が服従
特権と引き換えに国王の権威を受け入れる
特権を廃止すると
国王の権威を支える基盤そのものが崩れる
つまり特権を削って税を取る仕組みを作ることは、王権の基盤を掘り崩す諸刃の剣でした。楊さんは、うまくいっている時には問題にならず、うまくいかない時に表面化する構造的な矛盾だと話します。
税制改革の大きなハードルになったのが高等法院です。国王の命令は高等法院に登録されないと正式決定にならず、高等法院は登録を拒否できました。その高等法院の多くを、特権を削られたくない貴族が占めていたのです。
楊さんは高等法院を「既得権益の牙城」と表現します。改革を進めるには、ここをどうにかクリアしなければなりませんでした。
名士会から全国三部会へ
国王側はまず高等法院との直接対決を避け、1787年に大貴族からなる名士会を招集します。名士会のメンバーは国王が指名で選べるため、従順そうな貴族をそろえられました。
名士会で改革案に賛成を得れば、その既成事実を武器に高等法院と争える、という作戦でした。ところが、国王の息がかかったはずの名士会でも賛成は得られませんでした。
仕方なく国王は高等法院と直接対決しますが、当然反対されます。さらに高等法院は、改革を審議するために全国三部会を招集しようと持ちかけました。
全国三部会は、聖職者の第一身分、貴族の第二身分、平民の第三身分から代表を出し、最終的に1身分1票で議決する会議体です。最後に開かれたのは175年前で、もともとは国王の諮問機関にすぎない、ほぼ死んだ枠組みでした。
高等法院の狙いは民主主義の実現ではなく、より大きな場で改革案を否定させ、国王の改革をさらに牽制することでした。楊さんはこれを、取締役会で決めてよい議題を全社員の投票にかけるようなものだとたとえます。
あら、むしろ攻撃のためだったよね。
ルイ16世はこれを受け入れ、全国三部会の開催を約束します。楊さんは、この名士会をフランス革命の始まりとする学者もいると紹介します。
ただし楊さんは、国王を国のために尽くす為政者、貴族や聖職者を俗物と見る構図には注意を促します。当時の王国は「王様の家」という感覚で、国王は自分の家の家計をなんとかしようとしていた、というのが実態に近いそうです。
三部会で代表されなかった人々
全国三部会は1789年5月5日、当時の政治の中心だったヴェルサイユで招集されます。印刷物の普及を背景に、国王や側近とは異なる世論が都会の社交界やエリート層を中心に形成されつつありました。
数千のパンフレットが配られ、175年ぶりの三部会に世論は沸騰します。楊さんは、この世論が後の展開で大きく効いてくると予告します。
三部会の構図を見ると、第一身分と第二身分の特権階級は人口のわずか2パーセントほどでしたが、免税特権や広大な土地を持ち、富が集中していました。ただし貧しい下級聖職者や、ビジネスで成り上がった貴族、立憲君主制を支持する貴族など、内部にはグラデーションもありました。
第三身分の8割は農民でした。しかし三部会で第三身分の代表になったのは、主に地主や法律家、文筆家、学者など都市のエリートを指すブルジョワでした。
楊さんが「この構図が非常に大事」と強調するのは、労働者や農民、貧困層が三部会でほぼ代表されなかった点です。パンの値段が上がり最も苦しんでいたのは彼らでした。
代表を送り込めない人々は、一揆や襲撃といった直接行動に出ていきます。議会ができた後には、傍聴席からヤジを飛ばして議員に圧力をかけることもあったといいます。
「絶対負けるじゃんけん」から国民議会へ
三部会は初めから揉めます。争点は、議決を身分ごとに1票とするか、議員1人につき1票とするかでした。
第三身分の代表は人口の9割以上を代表しているのに、身分別投票では特権階級の2票に負けてしまいます。一方で第三身分の代表者数は三部会全体の約半分だったため、議員1人1票ならギリギリ勝てる見込みがありました。
聖職者・貴族・平民が各1票で、特権階級の2票に第三身分が負ける
第三身分の代表が全体の約半分で、特権階級に勝てる見込みがある
いや、これ(身分別投票は)絶対負けるじゃんけんやらされてるだけじゃんって。
行き詰まった第三身分は、全国三部会の枠組みに従わず、勝手に会議を始めます。こうして生まれたのが国民議会です。フリーメイソン陰謀論では、この国民議会もフリーメイソンから生まれたとされていました。
勢いで誓った球戯場の誓い
ルイ16世は三部会を解散したかったといいます。国民議会の議員たちが会議を開こうとすると、議場は閉鎖されていました。
議員たちは、国王が自分たちを弾圧し逮捕するのではないかと不安と恐怖に駆られます。そこで近くの球戯場、いわゆるテニスコートに集まり、憲法を制定するまで解散しないと誓い合いました。これが球戯場の誓い ── 1789年6月20日、第三身分の議員らがヴェルサイユの球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないと誓った出来事。ダヴィッドの絵でも知られますです。
有名な絵の中で両手を胸に当てているのがロベスピエールです。楊さんは、球戯場の誓いは戦略や計画からではなく、防衛本能による「窮鼠猫を噛む」ような行動だったと説明します。
すると国王は意外にも譲歩し、特権階級に国民議会への合流を勧告します。聖職者のほとんどと貴族の一部が合流し、議員たちは自分たちが想像していなかった方向に事態が動いていることに戸惑いました。
楊さんは、フランス革命を理解する上で大事なのは、誰も全体を見通せていなかったという点だと話します。人類で初めての試みであり、誰もが戦略的に動いていたわけではありませんでした。
その瞬間、最適解を出し続けていくしかないですもんね。
国民議会は憲法制定国民議会を名乗ります。ただしこの時点で、王を倒すことや身分制の打倒は主流ではありませんでした。憲法はあくまで議会と国王が主権を分け合い、パワーバランスを調整するものと考えられていたのです。
ロベスピエールは本当に独裁者だったのか
ここで楊さんはマクシミリアン・ロベスピエールを登場させます。ロベスピエールは恐怖政治で政敵をギロチン台に送り、最後は自らもギロチンにかけられた革命家として知られています。
ただ近年の研究では、ロベスピエールは独裁権力を握っていたわけではなく、恐怖政治に加担したのも彼だけではなかったとされます。彼の死後、恐怖政治に加担した他の人々が全責任を彼に被せるプロパガンダを行ったことも分かってきたといいます。
これちょっとまたすごいね。だって歴史に残るのはそっち(プロパガンダ)やから。
ロベスピエールはアルトワ州アラスで敏腕弁護士として活躍していました。社会の腐敗を批判することはあっても、王政の転覆や特権階級の打倒を口にしてはおらず、既存の秩序の中で改革すべきという立場だったと楊さんは説明します。
ロベスピエールのパンフレットに見る陰謀の論法
そんなロベスピエールの言論を一気に鋭くしたのが、全国三部会の開催でした。楊さんは、陰謀論の表出の事例として、彼が三部会の選挙のために公表したパンフレットを紹介します。
パンフレットには、野心家たちが抑圧的な体制を長らえさせるためにずっと前から陰謀を企んでいる、と書かれていました。楊さんは、この野心家とは特権階級のことだろうと読み解きます。
パンフレットはさらに、祖国に対して成し得る最も重要な仕事はその秘密を暴くことだと続きます。そして、国内の敵が密かに祖国の破滅を企んでいるとして、人民に危機を訴えていました。
陰謀がある
特権階級などの敵が密かに企んでいる
秘密がある
国内の敵が祖国の破滅を狙っている
暴いてやる
その秘密を暴露することが最も重要な仕事だ
楊さんによれば、これはロベスピエール特有のロジックであると同時に、他の民衆や政治家にも共有されていたロジックでした。陰謀論の言説で世論の支持を得て政治の場に躍り出るという現象が、当時は普通に起きていたのです。
それ(陰謀)を確かめる術も国民にないってなった時に、なんかヒーローポンって出てきて、すげえ喋り上手かったんでしょう、絶対。
楊さんは、現代人は自然科学や社会科学などの学術に基づいて陰謀論を批判できるが、当時の民衆の中にはそうした対抗軸があまりなかった、あるいは機能していなかったと指摘します。
陰謀論にはカタルシスがある
楊さんによると、ロベスピエールはギロチンにかけられるまで、この陰謀のロジックを一貫して唱え続け、政敵を攻撃しました。その結果、貧しい人民の代弁者、いわば革命のアイドルとして世論の支持を得ていきます。
樋口さんは、ロベスピエールが言ったから人民が同調したのか、人民が薄々思っていたことをロベスピエールが押し出したのか、鶏と卵のようにどちらも考えられると話します。楊さんは、民衆が陰謀論の受け皿を現代人が思う以上にナチュラルに持っていたことは確かだと応じます。
単純に恐怖っていうよりは、ちょっとそうやったらおもろいぞみたいな、なんかあるような気がするんですよ。
マジックショーを見せられてる時の感覚というか。
楊さんは、陰謀論の裏側を知ると人に話したくなり、それで拡散していくと付け加えます。次回は、なぜフランス革命期の政治空間に陰謀論があふれていたのか、その構造的な背景を、あくまで一つの説として話す予定です。
締めくくりでは、樋口さんが「この時期に4話もかけて陰謀の話をするのは裏がある気がする」とからかい、楊さんが「僕は工作員じゃない」と返す掛け合いで回が終わります。
まとめ
今回は、陰謀論を「人間の癖」として捉える視点を示したうえで、財政危機から全国三部会、国民議会、球戯場の誓いへと進むフランス革命の初期を復習し、ロベスピエールのパンフレットに陰謀論の論法を確かめる回でした。
- 陰謀論は真偽にかかわらず人を動かし、粛清や虐殺まで引き起こしてきたため、信じすぎも馬鹿にしすぎも危ういと話されています。
- フランス革命期には、陰謀論を批判する評価軸がなく、政治家の言葉や民衆の世論に陰謀論がデフォルトで入っていました。
- 特権を削ると王権の基盤が崩れる構造が税制改革を阻み、名士会や全国三部会を経て、勢いで国民議会と球戯場の誓いが生まれました。
- ロベスピエールは「陰謀がある、秘密がある、暴いてやる」という論法で世論の支持を得ており、陰謀論にはカタルシスがあるという指摘もありました。






