国家は何もしないのか、面倒を見るのか
社会福祉の歴史編の前回は、前近代社会の福祉と、産業革命後に福祉の担い手が共同体から国家へ移っていく流れを扱いました。楊さんによると、当時の国家は弱者を救うためではなく、社会不安を取り除くために、かなり抑圧的な形で弱者支援をしていたといいます。
今回の第2回は、そこに民主主義の思想が広がり、国民国家が形成されていく段階から始まります。国家が国民の生活の安定を図る義務を負うという考え方が広まり、国が国民の幸福、つまり福祉にコミットするという概念が生まれていきます。
そうなってくると、国っていうものが国民の幸福、つまり福祉ですよね。っていうものにコミットするんだっていう概念が形成されていくわけですよ。
イギリスではこの流れがベヴァリッジ報告 ── 1942年にイギリスで公表された社会保障制度に関する報告書。経済学者ウィリアム・ベヴァリッジがまとめ、戦後イギリスの福祉国家の設計図になりましたとして文書にまとまっていきます。一方で、イギリスとは違う道を歩んだ国としてアメリカがあり、今回の後半ではその対比も扱われます。
楊さんはまず、福祉国家(Welfare State)を、それと対比される夜警国家(Night Watchman State)と並べて説明します。夜警国家は、国の役割を安全保障と警察機能に絞り、それ以外はほとんど何もしない国家のことです。
国の役割は他国から守る安全保障と、治安を維持する警察機能だけ。それ以外のことは国はしない
社会保障制度を整備し、社会福祉に国がコミットする。イギリスがこちらへ展開していく
樋口さんは、福祉国家はそれまでの歴史にあった国のあり方とは全く違い、国が民のためにリソースを注ぎ込むことを前提にしたモデルだと受け止めています。
福祉国家に共通する3つの特色
楊さんによれば、今日ではスウェーデンなど北欧の国々をはじめ、日本を含む多くの国が福祉国家です。日本も介護保険制度や健康保険制度などが整い、福祉が充実した国の一つとされます。
学者の指摘として紹介されるのが、福祉国家に共通する3つの特色です。1つ目は、国民の生存権を保障するものとして社会保障制度が確立していることです。
生存権は基本的人権の一つで、すべての人間には生きる権利があるという考え方です。その権利を守るために、国家が何か行動を起こさなければならないというのが福祉国家の前提になります。
2つ目は、資本主義の欠陥である貧富の格差や失業を修正しようとする修正資本主義 ── 自由市場経済を基本としつつ、格差や不況などの欠陥を政府の介入や規制で補う経済体制。20世紀以降の多くの先進国がこの形をとっていますのもとにあり、経済に対する国家のコントロールが広く及んでいることです。
自由市場経済っていうのは、その性質から言って規制されない方がいいわけですよね。けど、規制しないと自動的に格差っていうのが広がっていく。
楊さんは、今の人々が享受している資本主義はオリジナルの資本主義とはだいぶ違うと話します。独占禁止法のように、資本主義のエネルギーを抑えるストッパーがいくつもあり、同じ資本主義でも時代によって中身が変わってきたというのです。
3つ目の特色は、市民的自由と民主主義を基礎にしていることです。選挙をしていても、1つの党にしか投票できなかったり、投票所で脅されたりする国では、この条件を満たしません。
番組では、市民の自由な投票が大事な理由として、国の側からは問題がどこにあるかわからないことが挙げられます。市民が多様なニーズを自分の声として国家運営に届けなければ、社会福祉は広がっていかないという考え方です。
しかもなんか支援が必要な人って言ったら少なかったり、弱者だったりする可能性が高いから、そこを拾わないと、強者がどんどん強者になっていく。
脱商品化と脱階層化という2つのゴール
3つの特色への補足として、番組では福祉国家が目指す2つの動きが紹介されます。1つ目が、資本主義の欠陥へのリアクションとしての「労働の脱商品化」です。
資本主義社会では、人は自分の労働力を商品として労働市場で売ります。ただ、失業やけがで働けない時期は必ず出てきます。そのとき労働市場から降りても生きていけるバックアップの仕組みがあること、つまり自分の労働を商品にしなくても生きていけることが脱商品化です。
番組によれば、脱商品化としての福祉自体は昔からあり、その例が前回扱ったイギリスの救貧法 ── 16世紀以降のイギリスで整えられた貧困者救済の法律。救済の代わりに労働を課したり、救貧院に収容したりする抑圧的な面もありました救貧法です。ただ救貧法は、市民権の剥奪と引き換えに衣食を与える仕組みで、貧しい人を管理してなくしていこうという高圧的な力が働いていました。
救貧法の救済は権利に基づくものではなかったため、救われる価値がある人とない人の恣意的な選別が入り、不平等が生まれました。これに対し、すべての国民が権利として差別なく平等に福祉を受けられることを「脱階層化」と呼びます。
失業やけがで労働市場から降りても生きていけるバックアップの仕組みを作る
権利に基づき、選別なく必要とするすべての人に福祉のリソースを行き渡らせる
生存権はフランス革命から生まれたのか
番組では、脱商品化や脱階層化の考え方がどこから来たのかという問いに、樋口さんが「フランス革命」と即答します。人権の獲得がフランス革命でなされたからこそ、福祉国家がこの世に存在していると説明されます。
フランス革命期に農民や民衆が求めたのは、パンや食料、土地でした。一方で、所有権を神聖不可侵とする原則のもとでは、貴族や聖職者が持つ土地は変更されず、富の再配分が起きません。
社会全体を生き延びさせようとすれば、所有権に一定の制限をかけ、緊急時には誰かが集めて分配する必要が出てきます。ガチガチの自由市場経済では生存権が脅かされるという議論が、この時期から出てきたといいます。
ただ、1789年の人権宣言 ── フランス革命期に国民議会が採択した「人間と市民の権利の宣言」。自由・平等・所有権などを基本的人権として掲げましたは、基本的人権として生存権を認めていませんでした。楊さんによれば、それは議会が「貧乏人は勝手に死ね」と考えていたからではありません。
当時の議会は、孤児や障害のある人は慈善事業で救えばよく、障害もないのに物乞いをする人は怠け者だと考えていました。宗教改革期以降の人間観を、フランス革命の時点でもまだ引きずっていたというのです。
やる気ないやつは知らんがなっていうね。
一方で自由経済が成長すると、弱肉強食の世界で貧富の格差が広がり、働きたくても土地も職場もない貧困者が増えていきます。そうした人々の権利を考えたときに、初めて生存権という考え方が出てくると楊さんは話します。
そこで登場するのが、コテンラジオのフランス革命回にも出てきたロベスピエール ── フランス革命期の急進派ジャコバン派の指導者。恐怖政治を主導したことで知られ、1794年のテルミドールのクーデターで処刑されましたです。ロベスピエールは1792年12月2日の国民公会で、社会の第一の目的は人間の不滅の諸権利を維持することであり、その第一が生存する権利だと述べました。
人間に必要な食料品は、生命それ自身と同様に神聖である。およそ生命の保全にとって不可欠なものは、社会全体の共同の所有であり、それ以上の超過分だけが個人的所有である。
楊さんは、ロベスピエールが一方で反対派をどんどん処刑していたことにも触れつつ、この主張には生存権の優位という重要な提言が含まれていたと評価します。ただ、国民公会の多数派だったブルジョワジーの賛同は得られませんでした。
これ言ってることって富の再分配に近いから、金持ちからしたら損。
その後、内部抗争を経て成立した1793年の憲法は、ロベスピエールの主張の一部を採用し、公的扶助を「神聖な義務」と定めました。1793年の憲法は実施されませんでしたが、公的扶助は強者からのお恵みではなく社会の義務だとする規定は、今日の福祉国家の理念を先取りしたものだったといいます。
生存権が実際の権利として法律に実装されるのは、100年以上後の1919年のワイマール憲法です。しかも、そのワイマール憲法の下でナチス政権が生まれ、ホロコーストが起きていきます。
真逆なことやってるやん。
番組では、ブルボン王朝の圧政と重税に苦しんだ民衆の「パンが欲しい」「田畑が欲しい」という要求は、所有権の主張であると同時に、生きたいという願いだったと整理されます。その願いが法の概念として生存権に育っていったのが、フランス革命期に起きたことだといいます。
貧困は個人のせいか、社会のせいか
樋口さんは、最初は一部の人にしかなかった生きる権利が、どんどん全員のものになっていったと流れを整理します。その延長として、日本国憲法の第25条も生存権をうたっていることが紹介されます。
日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。番組では、生存権が社会に実装された例として挙げられています。
頑張らない人は救わなくていい、貧しいのは個人の問題だという人間観に対し、18世紀には貧困の原因を社会構造と結びつける理論が登場します。その代表として挙げられるのがルソー ── 18世紀フランスの思想家。『人間不平等起源論』『社会契約論』などで知られ、フランス革命に大きな影響を与えましたです。
ルソーは、強い弱い、貧しい豊かといった違いは運や不運による偶然的なものだと考えました。問題は、その偶然の不平等を社会や政治の制度が固定し、正当化してしまうことであり、それを断ち切るべきだと主張したと紹介されます。
もう一人が、古典派経済学の祖であるアダム・スミス ── 18世紀イギリスの経済学者。『国富論』で分業や市場の働きを論じ、古典派経済学の出発点を築きましたです。番組で紹介された本によれば、キリスト教には、貧しい群衆が社会の底辺を占めるのは神が定めたことだとする考え方があったといいます。
その考え方では、貧しい人への施しは施す側の救済につながり、貧者の存在は神の計画の一部だとされていました。アダム・スミスはこれに異を唱え、貧しい人も生まれつきの能力で金持ちと大差はなく、友人のように見て援助すべきだと言ったと紹介されます。
今からしたらめちゃくちゃ普通ですけどね。でも当時は逆にそう全く思われてなかったんだなっていう。
番組では、その背景に身分制度があったとも指摘されます。貴族は生まれつき富んで人を支配する能力があり、民衆は民衆として生まれたからこんなものだ、という考え方です。
樋口さんは教育の歴史回を思い出し、自分の想像だと断ったうえで、教育が家庭に依存していた時代には貧者が貧者を、富める者が富める者を再生産していたのではないかと話します。これに対して、フランスの社会学者ブルデュー ── 20世紀フランスの社会学者ピエール・ブルデュー。文化資本やハビトゥスなどの概念で、社会階層の再生産を分析しましたの「文化資本」の考え方が紹介されます。
文化資本とは、家で音楽を聴く、本を読む、勉強するといった習慣のことです。相続で分割されやすい経済的な資本と違って失われにくく、社会階層を固定化しやすいと説明されます。
一方で、ルソーやアダム・スミスへのカウンターとして、19世紀には社会進化論を唱えたハーバート・スペンサー ── 19世紀イギリスの思想家。生物の進化の考え方を社会に当てはめる社会進化論を広め、「適者生存」という言葉でも知られますが登場します。楊さんによれば、社会進化論は優生学の土壌になっていきました。
スペンサーは、貧者は社会の病気であり、国家による貧者の支援は自然の浄化作用を止めてしまうから行うべきではない、と主張したと紹介されます。
これはもうゴリゴリの優生学思想やな。
楊さんは、こうした主張は進化論の誤読だったものの、社会的な影響力を持ってしまったと話します。ダーウィンの言っていることとは全く違うものだったといいます。
選挙権の拡大が労働党を生むまで
ここまでが福祉国家を生んだ思想的背景で、次は歴史的経緯としてイギリスで何が起きたかに移ります。楊さんは、簡単に言えば選挙権が拡大したのだと話します。
背景には、労働者が団結して運動するようになったことがあります。運動が求めたのは、選挙のあり方を根本から変える次のような要求でした。
- 成年男子の普通選挙権
- 誰が誰に投票したかわからない秘密投票
- 議員の毎年改選
- 被選挙資格の財産による制限の廃止
- 議員への歳費支給
財産による立候補の制限があると、お金持ちのための政治になってしまいます。また、議員に給料がなかったために財産がないと議員になれなかったので、給料を出せば財産がなくても議員になれる、という理屈でした。
こうした要求は19世紀前半から中盤まで否決され続けましたが、フランスの二月革命 ── 1848年にフランスで起きた革命。七月王政が倒れて第二共和政が成立し、ヨーロッパ各地の革命運動に波及しましたの影響を受け、イギリスでも選挙権拡大を求める声と労働運動が盛り上がっていきます。
楊さんが民主主義の面白いところだと話すのが、当時の二大政党である保守党と自由党の動きです。両党は選挙に勝つため、労働者に選挙権を与え、その見返りに自分たちへ投票してもらおうと考えるようになります。
なんかね、今でもありそうな話だぞ、これは。
選挙権がかなり拡大した20世紀初頭、イギリスは経済的にも大繁栄します。ドイツやフランスの工業化で工業製品が競合し、安い農産物との価格競争で農業も厳しくなる中、イギリスは海運、貿易の手数料、保険料、投資の利子や配当といった金融・サービス経済に軸を移していきました。
今もロンドンが金融の中心の一つである素地は、このころに生まれたといいます。そして経済がイケイケの時期に、選挙権を得た労働者階級はついに自分たちの階級政党を持つに至ります。
これが今では労働党と呼ばれるイギリスの党になっていくんですよ。今、イギリスって保守党と労働党の二大政党制なんですよね。その前は保守党と自由党の二大政党制だったわけなんですよ。
社会保険と年金が生まれた裏に帝国主義
労働者や相対的に貧しい民衆が政治の中で声を得て権利の拡大を求めた結果、イギリスで社会保険が誕生します。それまでは熟練職人など比較的高い賃金を得ていた労働者だけが、自分たちの組合で保険を運営していました。
組合保険を、なるべく多くの人が入れる社会保険に広げようという動きが起きます。あわせて、働けない社会的弱者である高齢者に年金を支給する老齢年金も始まりました。
さらに、医療保険、失業保険、それを運営する保険行政機構の3つを定めた法律も成立します。番組では「国民健康法」と紹介された法律国民健康法で、楊さんは、理念にとどまらず社会保障を行政システムに実装し始めた点を重視しています。
楊さんは、こうした変革の要因として帝国主義 ── 19世紀後半から列強が植民地や市場をめぐって勢力を拡大した時代の動き。資本の独占化と植民地争奪が特徴とされますの時代を挙げます。教科書的な定義を読み上げたあと、楊さん自身が「何言ってるかわかんない」と言い直して、流れを噛み砕いて説明します。
植民地獲得競争
他国に追いつき追い越すため、国力を増やそうとする
独占・寡占の容認
国家が大資本や大企業と結託し、少数による市場の独占を認める
格差と社会不安
失業や貧困が重大な社会問題として表に出て、労働運動や社会主義運動が盛り上がる
社会保障の実装
政府が対応せざるを得なくなり、社会保険や年金が制度化される
それはね、国力上げた方がいいからそうするもんな。で、上がったら上がったで問題が出てきて、それを対処するわな。
総力戦が国と国民の関係を変えた
20世紀初頭のイギリスでは、今の社会保障に近いものが成立しつつありました。そこへ第一次世界大戦と第二次世界大戦という2つの総力戦が襲いかかります。
国民を兵士や武器工場の労働者として使うには、国民もただでは言うことを聞きません。社会保険は、労働者から集めたお金を再分配する形から、政府が財政支出をして回す形へと変わっていきました。
国民に言うこと聞いてもらう代わりに、ちょっと何かしますよ、代わりに。って国が言うようになったってことですね。
楊さんは、戦争のために人的資本を効率的に運用する必要があったことも挙げます。病気の人を戦場に送るわけにはいかないので、政府には国民の健康に介入するインセンティブが生まれ、保険や医療を受けてもらう必要が出てきました。
社会保障が広がると財源の問題が出てきます。戦争中は国が全部持つことができても持続しないため、税金を財源とする公費負担方式から、社会保険料を徴収する社会保険方式への転換が図られました。
第二次世界大戦は、第一次世界大戦以上に本格的な総力戦でした。人々は徴兵や食料の配給、将来の民族育成を念頭に置いた子育て政策など、かつてないほど政府の介入を受け入れます。
楊さんによれば、ともに戦争を戦ったことがイギリス人の間に「みんな仲間だ」という社会的連帯感を生みました。その連帯感があったからこそ、平等主義的な政策や集団主義的な国家介入を受け入れたのだといいます。
これも皮肉ですよね。戦うことによって外敵を作り出すことによって、内部というか、その境界線の中はとても仲良くなるというかね。
楊さんは、この流れで福祉の意味も変わったと整理します。以前の福祉は、富める人が慈善として渡すものか、国が治安のために仕方なく行うもので、受ける側には社会的落伍者というスティグマ ── 社会的な烙印や汚名のこと。福祉を受けること自体が恥とされ、利用をためらわせる原因になる状態を指しますがついていました。
富める人からのお恵み、または治安維持のための施し。受けることが落伍者の烙印になる
事前に保険料を払っているのだから、必要なときに受け取るのは当たり前の権利になる
ただし、こうした社会実装には、帝国主義や世界恐慌、2つの大戦のように、社会を動かすエネルギーを集めるほどの大問題が必要だったと楊さんは話します。樋口さんが「皮肉ですね」と受けると、楊さんははっきり釘を刺しました。
ベヴァリッジが見抜いた失業の正体
第二次世界大戦中の1942年、イギリスでベヴァリッジ報告が公表されます。社会保障制度を拡充するための一連の報告で、戦後イギリスの社会保障の土台となり、ある意味で理想郷としての福祉国家を描いたものでした。
報告をまとめたウィリアム・ベヴァリッジは、イギリスの政治家、経済学者、社会政策学者です。1879年にインドのベンガル地方で生まれ、父は現地の判事、母はインドの女性に向けた慈善事業をしていました。
オックスフォード大学で学んだベヴァリッジは、父が期待した法曹界ではなく福祉の道に進みます。社会運動を通じて、景気循環に合わせて企業が不規則に雇用やリストラをするという、失業の現代的な特徴を見抜きました。
つまり失業は失業者個人の問題ではなく、マクロな社会の動きの結果として生まれるということです。一人ひとりが「働かなきゃ」と思っても働けるわけではなく、産業構造という社会の問題を正さなければ失業はなくならないとベヴァリッジは考えました。
今言えば当たり前の話ですよね。当時はもう大発見だったわけですよね。
ベヴァリッジは、完全に発達した社会保障とは「五つの巨悪」への攻撃だと述べました。楊さんは、それぞれの英語と、日本語訳が持つニュアンスもあわせて解説します。
楊さんによれば、それまで自発的な互助組織が担ってきた機能を、全国民の権利として国家が保障する体制に変えることが、ベヴァリッジの主張でした。これにより、仏教でいう生老病死という避けられない課題に対して、最低限の生活を成り立たせる国家体制が整っていきます。
楊さんは、老いと死の歴史や障害の歴史の回を振り返り、誰がいつそうなるかわからないのに、ある社会では見捨てられてきた人たちを、見捨てない思考へ転換したのだとまとめます。深井さんは、この変化を次のようにたとえました。
自助の国アメリカはどう福祉を広げたか
参政権の獲得から社会保障の拡大と実装へと進み、イギリスでは福祉国家がある意味で完成を見ました。一方のアメリカは、移民が作った自由の国で、自助自立の価値観を非常に重んじる社会でした。
楊さんによれば、アメリカ人は政府や他人が自分の人生に介入してくることを基本的にあまり好みません。二度の大戦で政府の介入を受け入れたイギリスとは対照的に、自由放任の社会であるべきだと考えていたといいます。
個人が頑張れ、土地はたくさんあるから自分で耕せよみたいな。自分で手に入れて耕せよみたいな、そんなイメージですよ。
開拓とフロンティアの歴史を持つアメリカでは、国が何もしてくれないからこそ民間の福祉が発達しました。貧困や障害を抱える人は現実にいるため、ヘレン・ケラー ── 視覚と聴覚に障害を持ちながら教育を受け、世界各地で障害者福祉のために活動したアメリカの社会福祉活動家を支えたベル博士のように、民間の人々が相互扶助で障害者を助けていきます。
ただ、アメリカの国家も何もしなかったわけではありません。第一次世界大戦後の大不況で、アダム・スミス的な自由放任の経済では立ち行かないのではないかという考えが広がり、ケインズ ── 20世紀イギリスの経済学者。不況期には政府が財政支出で需要と雇用を生み出すべきだと説き、各国の経済政策に大きな影響を与えましたの考え方が注目されます。
大恐慌が起きた当時のフーバー大統領は、自由放任主義が大事だとして特に何もしませんでした。後を継いだルーズベルト大統領は、大恐慌はあまりに大きな問題で、自助の伝統だけでは対処できないと考えます。
ルーズベルト大統領は、ニューディール政策や老齢年金を実施し、州政府が行う失業保険を連邦政府が補助するなど、福祉政策の拡充を図りました。樋口さんは、民間でしか担ってこなかったものに州や連邦政府が介入し始めたと整理しています。
楊さんによれば、ニューディール以降のアメリカはケインズ主義的な色彩を帯び、社会福祉を拡充していきます。国民の不満を和らげ、自由主義や民主主義、資本主義への信頼を政府が守ったことで、アメリカは資本主義体制を維持できたといいます。
それに対し、同じく大恐慌に見舞われたイタリアやドイツ、ロシアでは、全体主義的な政策が必要だとされ、共産主義やファシズムに走っていきました。楊さんは、それが第二次世界大戦につながっていったとまとめます。
ちょっと極端の方に振れることをルーズベルト大統領が防いだっていう形ですかね。
ニューディールは何をしたのか、英米の違いとは
樋口さんが「ニューディール政策って結局何をしたのか」と尋ねると、楊さんは公共事業を大量に行ったのだと答えます。日本でも批判される箱物のように、ダムなどをたくさん作りました。
そうすると労働者必要じゃないですか。政府が雇用の主になって、間接的にお金を市場に回すことができ、失業対策にもなる。
深井さんは、そもそも社会保険の前提となる雇用が確保できない状況だったと補足します。政府が積極的に介入し、需要喚起や雇用創出に力を入れたということです。
楊さんは余談として、自由市場経済が機能するには全員が働いて市場に参加している状態が理想だと話します。失業者が増えて市場にアクセスできない人が増えると自由市場経済は機能不全になるため、ケインズは「国が雇えばいい」と考え、ルーズベルト大統領がそれを実行したのだといいます。
楊さんは全体をこうまとめます。世界の主流は、ベヴァリッジ報告に代表される福祉国家への発展でした。イギリスを例に挙げたのは、産業革命や資本主義、帝国主義の発達が最も早く、他国がイギリスをモデルに社会福祉を実装していったからで、日本もその一つです。
選挙権拡大と2つの大戦を経て政府の介入を受け入れ、ベヴァリッジ報告をもとに国家が福祉を担う福祉国家へ
自助自立を重んじ民間の相互扶助が発達。大恐慌を機にニューディールで国が介入するが、夜警国家的な色合いが残る
樋口さんが前回の夜警国家と福祉国家の対比に触れ、アメリカは夜警国家に分類されるのかと尋ねると、楊さんは「夜警国家的」だと答えます。違いは政府の介入度で、どれだけ福祉を国が担うかは主権者である国民の意思に左右されると楊さんは話します。
どれくらい社会福祉を国がやるかっていうのは、ある意味で好みの問題というか。
樋口さんは、この違いを会社にたとえます。年功序列の会社もあれば、成果を出した人に給料を払う完全能力主義の会社もあり、どちらが良い悪いではなく、比較の対象として並んでいるのだと受け止めて、この回を締めくくりました。
まとめ
今回のエピソードでは、フランス革命期に言語化された生存権の思想が、イギリスでは選挙権拡大、帝国主義、2つの総力戦を経てベヴァリッジ報告に結実し、福祉国家として完成していく流れが語られました。一方、自助自立の国アメリカは民間の相互扶助を発達させ、大恐慌をきっかけにニューディール政策で国家の介入を始めます。国がどこまで福祉を担うかは、国民の意思によって変わる選択だというのが、この回の着地点です。
- 福祉国家は、脱商品化と脱階層化を目指し、生存権を権利として保障する国家のあり方
- 生存権はフランス革命期にロベスピエールらが言語化し、1919年のワイマール憲法で初めて法に実装された
- イギリスでは選挙権拡大、帝国主義、総力戦が重なって社会保障が実装され、ベヴァリッジ報告が戦後の土台になった
- ベヴァリッジは、失業が個人ではなく景気循環という社会構造から生まれることを見抜いた
- アメリカは民間福祉が中心だったが、大恐慌でニューディール政策に踏み切り、資本主義体制を守った




