共和政期にはなかった「民の生活改善」
前回まででアウグストゥスは実質的に権力を集中させました。今回は、その権力で具体的に何をやったのかが焦点です。
まず取り組んだのが、民の生活の改善でした。共和政期、つまりカエサル以前のローマでは、統治者が住民生活にコミットすることはほとんどなかったといいます。
自分でなんとかしてください、っていう感じですね。
アウグストゥスは都市行政を整備し、都市守備隊を設けました。ただし警察は存在しなかったと話されています。
警察でもないんだよね、多分ね。警察いないんだよね、ローマ。それ聞いた時びっくりしましたけどね。
都市を14の行政管区に分けて担当行政官を置き、住民から選ばれた役人に治安、消防、宗教行為を担当させました。
さらに穀物供給制度を確立し、穀物備蓄庫を設置します。これらは共和政ローマには全くなかった仕組みでした。
その背景には、ポリスならではの「自治」の感覚があります。誰かに任せるのではなく、自ら統治するという意識が強く、共和政ローマでは生活のすべてを自分でやるのが原則だったのです。
一方でアウグストゥスは、市民という重要なステークホルダーに共和政期より良い生活を与え、自分の支持者になってもらおうとしました。
これは、ポリスの延長ではもはや広大なローマ帝国を治められなくなっていたことの裏返しでもあります。システムが変わるときに果たすべき機能を、彼はしっかり果たしていったと解釈されています。
実際これ多分だって安全度高まり、生活レベル上がり、幸福度高まってるはずですもんね。普通に考えたら。
信じられないほど「小さな政府」だったローマ
ただし、アウグストゥスは中華王朝のような完璧な官僚制を敷いたわけではありません。官僚制は「ちょろっと」やった程度だったというのが結論です。
帝国内には地方都市が数多くあり、基本は自治が原則でした。都市が自分たちで治安を守り、税を集める。困ったときだけ帝国に相談する、という自由放任主義に近いスタンスです。
これは中国王朝と真逆の態度でした。中国が大きな政府だとすれば、ローマ帝国は極めて小さな政府だったのです。
官僚の数の差は驚くほどでした。後漢王朝の人口が6000万人ほどのとき、官僚は推計で20万人ほどいたとされます。
一方、同じくらいの人口を抱えたローマの官僚は、約250人ほどだったといいます。
その官僚たちの手足になって働く解放奴隷とか元奴隷、奴隷まで加えたとしても二千名ぐらい。最大版図に達した時のローマでもこの程度なんで。
同じくらいの版図と人口を、桁違いに少ない人数で治める。つまりスタイルそのものが根本から違っていたのです。
人口約6000万人に対し官僚は推計約20万人の大きな政府
同規模の人口に対し官僚は約250人、奴隷等を加えても約2000人の小さな政府
皇帝の私費で建てられたローマの巨大建築
アウグストゥス登場以前のローマの都市は、四階建て住宅こそあれ、まだコロッセオや競馬場のような建物はありませんでした。
映画に出てくるような壮大なローマの建物は、大体が帝政ローマ期に作られたものです。しかも、それらはローマ皇帝の私費で作られていたといいます。
インフラは国家が作るもんじゃなくて、金持ちが慈悲で作るもんっていう感覚があって、その金持ちというか皇帝がですよね。
この背景にあるのが、パトロヌスとクリエンテスの関係です。面倒を見る人と見られる人の構図で、見られた側は忠誠を尽くします。
プリンケプス、すなわち市民の第一人者であるアウグストゥスがパトロヌスで、ローマ市民全体がクリエンテスという状態になっていました。
だからこそ、市民全体を喜ばせるために巨大な建物を建てる文化が生まれ、皇帝が代わるごとに新しい建物が次々と建っていったのです。
アウグストゥスは新しい広場、劇場、神殿、平和の祭壇、そして長距離を石橋で水を運ぶ水道橋などを作り始めました。
ローマをレンガの街として引き継ぎ、大理石の都として残すと自慢したというふうに出てくる。
歴史家スエートニウスはこう伝えています。それほど、彼には都市を変革したという自覚があったのです。
これらの資金源として、エジプトの獲得も影響していると考えられます。建築には莫大な費用がかかるからです。
海運と道路 帝国を支えたインフラと官僚ポスト
アウグストゥスは街道を整備し、港湾を拡張して常設海軍を設置しました。海運はローマ人にとって食料事情と直結する重要事でした。
大量の小麦を運ぼうとすると海運しかないわけ。この海運って食料事情と直結してるんですよ、ローマ人からすると。
安定して治安よく海運ができる状態は、市民にとって大きな安心材料になります。それをアウグストゥスは実現しました。
道路や運送に関わる官僚ポストも作られました。ひとつは街道監督官で、元老院議員から任命されます。
街道監督官は、洪水などの災害時に橋や道の状態を把握したり、街道建設の現場業務や土地所有者との交渉を担当しました。
もうひとつが公共輸送長官です。軍隊の補給物資の輸送や、官職を持つ人の移動の世話をする役職でした。
公共輸送を使うには、皇帝から利用許可状を発行してもらう必要があったといいます。
こうしてインフラを整えるとともに、娯楽も提供しました。いわゆる「パンとサーカス」で、ご飯と娯楽を与えることが皇帝の徳目になっていったのです。
楊さんによれば、アウグストゥスは劇場などの座席を身分に応じて厳密に決め、それを徹底させました。
これは、自分がこの帝国のどこに位置づけられているかを見える化し、強大な帝国の構成員であることを自覚させる仕掛けでもありました。
その施設を作ったのは自分だよっていうのをちゃんとお前ら認識しとけよという、いうのもやってますね。
巨大な建物には皇帝の名前がつけられました。たとえばコロッセオも本来はフラウィウス競技場と呼ばれ、建てた皇帝の存在を意識させる仕掛けになっていたのです。
腹心アグリッパとマエケナス そして「ケンサス」
インフラ整備や行政では、腹心アグリッパが大きく活躍しました。軍事だけでなく内政にも通じた文武両道の人物で、私費も投じていたとされます。
紀元前28年には、アウグストゥスとともに「ケンサス」を実施しました。これはセンサス、つまり国勢調査にあたるもので、課税の基礎資料を整えるのが目的でした。
これは日本の太閤検地に近い事業だと語られています。属州の政情安定にも貢献したとされます。
自治に任せていた都市に対し、どれくらい税を取り立てるかという額を帝国が指定する。その基礎資料としてケンサスが実施されたのです。
内政のもう一人の立役者がマエケナスです。エトルリア地方出身の大富豪で、若い頃からアウグストゥスと親交がありました。
マエケナスは騎士身分に生まれながら、高位の公職を望まず、ひたすらアウグストゥスの忠実な助力者であろうとした人物です。
内政や外交に通じ、アウグストゥスとアントニウスの仲が悪くなったときには間を取りなしたこともありました。
さらにマエケナスは、詩人ウェルギリウスや叙情詩人ホラティウスら多くの詩人と交わり、報酬を与えていました。当時の情報発信者である詩人を、いわばプロパガンダに使ったのです。
なんでマエケナスの言いなりになったわけではないだろうけれども、やっぱりめちゃくちゃ金もらってるから、無言の圧力があったことは否めないだろう。
樋口さんはこれを「広告モデル」と表現しています。詩人の作品をメディアとして使う発想だったといえます。
ガリア再編とトイトブルクの森 生涯痛恨の敗北
アウグストゥスはカエサルが征服したガリアをさらに属州に編成しました。ここでもケンサスが実施されています。
北フランスあたりは、ローマ人からすると森林地帯で謎の部族がいるような場所でした。土地の個人所有という概念がなかった可能性もあり、ケンサスは容易ではなかったと考えられます。
ガリアには新たに3つの属州、ガリア・ベルギカ、ガリア・ルグドゥネンシス、ガリア・アクイタニアが作られ、もともとあった南ガリアのガリア・ナルボネンシスと合わせて再編されました。
当時のローマの版図は、地中海を挟んでヨーロッパ側もアフリカ側も含む広大なものでした。この広さゆえに、自治に任せるのが最も低コストだったとも考えられます。
実は世界史勉強すると、中国以外であのレベルの官僚制引けてる国、近代までどこもないんですよね。中国だけが官僚制をあの規模で確立させてて。
カエサルの死以降、快進撃を続けてきたアウグストゥスですが、晩年に生涯痛恨の敗北を喫します。トイトブルクの森の戦いです。
彼は版図を安定させるため、エルベ川やドナウ川を国境にしようと考えました。守りやすく、キリのいい線引きだったからです。
当時のローマ人からすると、ゲルマン人は弱い相手でした。しかし紀元9年、将軍ワルス率いる三個軍団がゲルマン部族軍に急襲され、壊滅します。
この戦いはNetflixのドラマ『バーバリアン』にもなっています。敵将アルミニウスはワルスの親友で、ローマで育った人物でした。
ゲルマン出身のローマで育った人がいきなりローマ裏切って親友ワルスをボコすっていうやつなんで。
この敗北は作戦を完全に頓挫させ、アウグストゥスに大きな衝撃を与えました。
ワルスの死後、彼は数ヶ月喪に服し、髭も髪も切らず、時には扉に頭を叩きつけながら「ワルスよ、私の軍団を返してくれ」と喚いていたと伝えられます。
戦争での大敗は、リソースの損失だけでなく威信にも傷をつけました。軍人的な気風が尊ばれた国柄では、弱さは信頼やカリスマの失墜につながったのです。
質素な暮らしと難航した後継者選び
圧倒的な地位を築いてからも、アウグストゥスはパラティヌス宮に質素な家で住み続けました。周囲の貴族の方が豪華だったといいます。
これは彼の人となりであると同時に、戦略でもあったと考えられます。自分の地位が何によって成り立っているかを、彼はよく理解していました。
自分の地位っていうものが何によって成り立ってるかっていう、間違いなくでけえ家じゃないってことよ。これは言われりゃそうだけど、むずいぞ、マジで。
一方、アウグストゥスはお酒を少し飲み、ギャンブルを好み、女性も大いに好む容姿端麗な色男だったと伝えられます。体が弱く、能力が高く、慎重で、豪邸に興味がないタイプでした。
そんな彼を苦しめたのが後継者選びです。娘はいても息子がおらず、後継者候補が次々と亡くなっていったのです。
娘ユリアはマルケルスの死後、アグリッパと再婚し5人の子を得ました。しかしアグリッパも亡くなります。
さらに末の息子アグリッパ・ポストゥムスは素行不良で勘当され、島流しの末に殺されてしまいます。二代目皇帝ティベリウスの登場と同時期のことでした。
残る孫のルキウスとガイウスも、それぞれ19歳と23歳で亡くなり、血縁による後継者計画は頓挫します。
困ったアウグストゥスは、娘ユリアを妻リヴィアの連れ子ティベリウスと無理やり結婚させました。
ところがティベリウスには仲の良い妻がすでにいて、無理やり離婚させられたため、この結婚を嫌がりました。ユリアとの仲も悪く、やがて別々に暮らすようになります。
後継者選びに、アウグストゥスは打てる手をすべて打ちました。ローマ帝国が揺らぐ恐怖と、自分の血縁で継がせたいという個人的欲求の両方があったと考えられます。
最初の皇帝の最期と なし崩しの帝政
血縁での承継が叶わず、アウグストゥスは血のつながらないティベリウスを養子にして後継者としました。このときティベリウスはすでに45歳でした。
紀元後4年ごろのことです。ちょうど同じ時期、エルサレム周辺にイエスがいたことになります。イエスはティベリウス帝の時代の人物なのです。
死去の少し前、アウグストゥスは自分の業績をまとめ、帝国内の主な都市に碑文として掲げさせました。
その末尾で彼はこう述べています。権威においてはすべてに優越したが、権限においては同僚にも優越しなかった、と。
これは、彼が集めた権力の一つひとつは元からある権力に過ぎず、突出していたのは「権威」だったことを示しています。ローマ市民への配慮を貫いてきたともいえます。
紀元14年の夏、75歳のアウグストゥスは旅行中に病に倒れ、ナポリ近郊のノラで最期を迎えます。
この時に残した言葉が印象的です。彼は友人たちに「この人生という喜劇で、私は自分の役を上手に演じたと思わないか」と尋ねました。
この芝居がお気に召したら拍手喝采を、そしてご満足でお引き取りを、つって、妻の腕に抱かれながら死んでいった。
自制を重ね、役を演じるように生きた彼にとって、人生は劇場のようなものだったのかもしれません。75歳という長寿も、帝政ローマの完成には重要でした。
遺体はローマに運ばれ、ティベリウスが招集した元老院で遺言状が朗読されました。ティベリウスは母リヴィアとともに第一の相続人に指名され、アウグストゥスの名を用いることを命じられます。
こうして第二代皇帝ティベリウスへ、権力はなし崩し的に引き継がれました。共和政に戻すという声もあったはずですが、44年間も権力を掌握してきた事実は、既成事実化していたのです。
今からさ、やってって言われても、え、どうやってやくんやったっけって。
独裁を嫌っていた人々も、長い時間を経て「そっか」と受け入れました。反乱を起こさせるほどのハレーションを避け、相手から言うまで待って少しずつ権力を獲得したやり方が効いたのです。
一つ一つは反論できないんだよね、やっぱ。総合的には反論できるじゃん。けど一つ一つのプロセスに反論できないじゃん。
もし承継が数年で起きていれば、共和政に戻す力が働いた可能性もありました。しかし44年という時間が、共和政から帝政への移行を後世から見ると「ぬるっと」したものにしたのです。
この後、ローマは五賢帝の時代まで約200年の栄華を迎えます。それを実現した要因のひとつが、まさにこの時間だったといえます。
結局よくわからない「人間アウグストゥス」
序盤の主人公アウグストゥスは、これで退場します。ただ、その人物像はどこか掴みどころがありません。
なんか人間味がよくわからなくない?本心言ってない感すごいあるもんね。
女好き、忍耐強い、役を演じる、慎重。一つひとつの特徴が、一つのキャラクターとしてまとまらないのです。
脇が甘いといった一貫性で語れるアントニウスとは対照的です。アウグストゥスは、求められる役割に応じて異なる決断や行動ができた人物だったと考えられます。
本当にアウグストゥスは自分の求められるべき役割に応じて違う決断とか判断とか行動ができた人でしょうね。状況判断は極めて正確ですよね、彼は。
相当に頭が切れ、優秀で、自制心の中でやり切った。深井さんは「リスペクトされるのはアウグストゥス、好かれるのはアントニウス」とまとめています。
次回からは新たな主人公を迎え、二代目ティベリウスの統治へと物語は続いていきます。皇帝の権力承継という初のケースが、どう展開するのかが焦点です。
まとめ
アウグストゥスは巨大なローマ帝国を、驚くほど少ない官僚と自治への信頼で回しました。市民への配慮とインフラ整備、そして時間をかけた権力集中によって帝政の礎を築き、掴みどころのない人物像を残したまま最初の皇帝としての生涯を終えました。
- 共和政期になかった都市行政や穀物供給を整え、市民生活の改善を統治の徳目とした
- 官僚は約250人と極めて少なく、都市の自治に任せる小さな政府だった中国王朝とは対照的
- 巨大建築は皇帝の私費で建てられ、パトロヌスとクリエンテスの関係が支持基盤を支えた
- トイトブルクの森の敗北や相次ぐ後継者の死といった不運に見舞われ、最後は血縁外のティベリウスを後継とした
- 44年という時間をかけた権力集中が、共和政から帝政への移行を既成事実化し、約200年の栄華につながった
