なぜ「医者になる」を信じられなかったのか
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前回、男友達のパーキンスから「医者になってみるといいと思う」と勧められたエリザベス。ですが、その反応はきわめて否定的でした。
「んなわけない、私なんて医者なんてできるわけない」というところで終わってましたね。
いろんな人に相談しても、ほとんどが反対。唯一パーキンスだけが後押ししてくれた状態でした。
心は少し傾いていたものの、本気で医学を目指すには、もっと大きなドライブが必要でした。そのきっかけになったのが、一人の女性の思想です。
19世紀アメリカ最大の女性知識人、マーガレット・フラー
そのドライブを与えたのがマーガレット・フラーという女性です。エリザベスは読書家で、彼女に影響を与えた多くの思想家・活動家の一人として、このフラーがいます。
フラーはエリザベスと同時代の人物で、アメリカのジャーナリスト・雑誌編集者・批評家でした。南北戦争前まで、アメリカで最も著名な女性の知識人だったとされています。マーガレット・フラー ── 19世紀アメリカの批評家・ジャーナリスト。超越主義の思想圏に属し、女性解放思想の先駆的な著作を残した人物として知られます。
二人は直接会ったことはありませんが、エリザベスはフラーの著書を読んでいました。
フラーは女性解放運動に影響を与えた人物ですが、真正面から政治闘争をするタイプではありませんでした。社会改革はまず個人の精神の改革から、というスタンスです。
父親はハーバード大出身の代議士というエリートで、エリザベスの父と同じように、娘に徹底的な英才教育を施しました。男子が修めるべき学問をすべて教わっています。
「私は今世紀で最も頭のいい男性の全てと知り合った。そして彼らが誰も私以上でないと知った」
自らの知性への強烈な自負がにじむ言葉です。樋口さんは、性別に関係なくかましている発言だと受け止めます。
しかしフラーはハーバード大の入学を拒否され、大きな屈辱を味わいます。父の死後は先生をしていた時期もあり、最後は40歳のとき、船の遭難事故で亡くなりました。
東洋思想に似た「超越主義」という土台
フラーの思想を理解する鍵が、彼女が組んでいた超越主義です。深井さんは、老子などの道家思想に頭を切り替えるよう促しながら説明していきます。超越主義 ── 19世紀アメリカで広まった思想潮流。宗教・文学・教育にまたがり、万物が一つの精神でつながっているとする世界観を持ちます。
超越主義では、万物は一つの無限なる精神でつながっていて、自然も人間もその表現だと考えます。この無限なる精神をオーバーソウルと呼びます。
自分の魂もあなたの魂も別々でありながら孤立してはおらず、大きなスピリチュアルな流れを通じて一体的につながっている、という世界観です。
めちゃくちゃ分かります。
真理は、経験や教義ではなく、自分の内面の洞察や直感で示されるとされます。この直感は「感じる」ではなく「観察」の観を書く直感です。
そしてこの直感が、社会改革の根拠にもなります。内なる魂のルールに従うため、伝統的な権威や社会の不公正を改革していく足場になっていくのです。
自分は世界の一部なんやから、その世界の声を聞いてるって感覚で、自分の中の声を聞くってことですね。
男らしさ・女らしさは、混ざり合い流動するもの
この土台の上で、フラーは女性の状況を問い直します。女性は家庭の道徳の守り手として持ち上げられる代わりに、考える自由や行動の自由を手放すよう求められている、と指摘します。
女性らしさ・男性らしさという性差そのものは否定しません。問題は、その性差が差別・排除・支配や権利制限の根拠になっていること。しかもそれが道徳の名のもとに正当化されている、という点です。
さらにフラーは、人類レベルで道徳を転換させるべきだと主張します。それは単にみんながいい人になることではなく、何を正しいとし何を許さないのかという道徳のメカニズムの組み替えを意味します。
そのためにまず、人間理解のアップデートが必要だと言います。男性だから男性らしさしか持たない、女性だから女性らしさしか持たない、という理解がそもそも間違っているという主張です。
フラーは、人間そのものが両性具有的な存在だと捉えます。一人の人間の中で男性らしさと女性らしさが混ざり合い、その比率も人によって異なり、常に変化しているというのです。
男性は男性らしさ、女性は女性らしさを純粋に持つと考え、性別で能力や役割を固定する
一人の中で男性らしさと女性らしさがマーブル状に混ざり、比率も境界も流動的に変化する
境界線も絶対ではなく流動的で、液体と固体のように相互に転換し合う。深井さんはこれを太極図の陰と陽のイメージだと説明します。
勾玉状で真ん中に丸があるやつね。白と黒のやつ、あの太極図ですよね。
だからどちらかが正解や中心なのではなく、男性らしさと女性らしさは相互に補完し合い、同じ価値を持つ関係だと結論づけます。性別できっちり二分し、優劣や上下をつけて道徳にはめ込むのはナンセンスだ、というわけです。
魂を軸に考えれば、人間は性別を超えて同等である
さらにフラーは、男性らしさ・女性らしさのあり方を司る、より上位の存在があると言います。それが人間存在の核である魂です。性別やジェンダーよりも高次元にあるものだとされます。
魂を軸に考えれば、人間は性別を超えて根源的に同等だと分かる。超越主義では、みなが同じ流れで一つにつながっているからです。
元々一個だもんね。
だから性別を超えて、この魂を改革し、内面の意識を成長させていこう、というシンプルなメッセージに行き着きます。
では具体的にどう魂を成長させるのか。フラーが挙げるのが女性の独立です。ただしそれは、親から独立するといった意味ではありません。
ここでの独立は、己の内側で魂の法則を打ち立て、それに従うこと。何がよくて何が悪いかを外部や男性に決めてもらうのではなく、自分の魂で判断し決断できる主体になることを指します。
そしてその独立を現実の世界で鍛え、示せる場が必要になります。そのために、これまで女性が締め出されてきた職業や活動に、幅広く参加できるようにすべきだと主張します。ここが女性の職業解放へとつながっていきます。
女性にどのような仕事が向いているかと尋ねられるのであれば、私はどんなものでもと答えるでしょう。もしお望みでしたら、女性は船長にだってなれるでしょう。
この船長には二重の意味があります。男性の仕事とされた船長になれるという意味と、自分で進路を描ける操縦者になれるという意味です。
現代なら当たり前、しかし当時は異端だった主張
女性が独立を獲得して魂が成長すれば、いびつに男らしさ・女らしさを固定していた道徳にも変化が起きる。これが人類全体の道徳的な覚醒によって実現する、というのがフラーの見立てです。
樋口さんは、言っていること自体は現代のトレンドに近いと感じます。
正直今もうトレンドになってるようなことを言ってるだけな気がしました。当時はこうやって言わないと多分伝わらなかったのかもしれないです。
一方で深井さんは、当時これは非常に革新的で、人によっては邪道・異端と受け取られていたと補足します。樋口さんも、超越した何かや魂を前提とする点に、やはり宗教性を感じ取ります。
フラーが描く理想は、男女が相互に成長して助け合う世界です。女性を底上げするのは女性のためだけでなく、人類全体のためだとされます。
同時に、男性の地位を既存のまま温存すべきではないとも主張します。ただし対立ではなく説得によって態度を変えていく。この姿勢が、後のエリザベスの男性医師へのアプローチの軸になっていきます。
フラーは男性にも変革を促します。女性にばかり純潔を押し付けず、男性も純潔や家庭生活を大事にすべきだ、と両方に変化を求めているのです。
フラーの思想がエリザベスに刺さった瞬間
このフラーの思想が、生き方を模索していたエリザベスに強烈に刺さります。目覚めのきっかけになった、と語られます。
エリザベスはこう考えていきます。男性であれ女性であれ、足並みを揃えて完全を目指さない限り、真の文明は確立されない。女性が男性より劣った状態にあることは、人類全体の進歩を妨げることと同じだ、と。
そのためには、女性が家庭という領域を超えて、自分にも男性にも、女性が職業に就く能力を持つことを証明しなければならない。そう考えたエリザベスは、その証明の手段として医者にたどり着きます。
医者になってやればいいじゃん、私。
男性と同じように医学を修め、正規の学位を取って力を示せば、女性は医者になれないと誰も言えなくなる。事実で殴り、女性の楔を医学の領域に打ち込もうという気概です。
医師になることは「偉大な道徳的闘争」だった
エリザベスはさらに意味づけを重ねます。女性には生まれながらの道徳的な優越性という強みがあり、それは社会に良い影響を及ぼす力とされていました。女性が医者になれば、その強みも武器になると考えたのです。
現実に女性医師に診てもらいたい女性もいる。道徳的な苦しみを抱える人を、自分が道徳性を発揮して解決できる。そうしてエリザベスは、自分が医師になることを偉大なる道徳的な闘争だと表現するようになります。
ここで見えてくるのは、エリザベスが女性の伝統的な価値規範の破壊を目指したわけではない、という点です。むしろ、女性を束縛していたはずの女性らしさを、束縛から抜け出す足場に使ったのです。
樋口さんは、道徳を売りにするなら道徳がなければ価値が下がる、という弱点を確認します。一方で「道徳を家庭の中で発揮しろ」という反論には、あまりピンとこないとも語ります。
「主人公になりたい」という個人の欲求
この選択は、フラーの思想だけでなく、エリザベス個人の欲求とも一致していました。認められたい、主人公になりたい、という欲求です。
エリザベスは小さい頃から、人生で何か意義あることを成し遂げたいと望む一方、ずっと見過ごされてきたという感覚を抱えていました。目立つ兄や姉たちの影にいる存在だったのです。
兄への競争心もありました。ここで自分が医者になれば前人未到の偉業になり得る。空白地帯だからこそ、医者という選択が現実味を帯びていきます。
結婚に絶望し、生涯独身で医学に没頭する
プライベートでは結婚という道もありました。当時の女性にとっては、それがいわば正規ルートの勝ち筋です。
ところが、付き合っていた男性に難解な哲学書を貸そうとすると、そんな本は男が読むもので女が読むものではない、女は詩やエッセイでいい、とナチュラルに言われてしまいます。
「女は詩とかエッセイとか読めばいいんじゃない?」と言われて、「なんだこいつ」ってなった。
この延長にある結婚はしんどいと感じたエリザベスは、結婚の見通しに絶望します。恋愛や結婚から離れた方が心を乱されずに済むと考え、医学の勉強に没頭していきます。
樋口さんは、当時の女性が男性と同等の勉強や仕事をすると、男性のメンツを潰すと受け取られたのではと問います。深井さんは、それ以上に女性と男性の自然な上下という秩序を壊す感覚だったと補足します。
深井さんは、伊藤野枝の回にも触れつつ、当時の結婚の重さは今と違うと語ります。家庭に入ることがフィックスして閉じられる感覚だったため、そこに幸せを見いだせない女性は結婚を避けるしかなかったのです。
もちろん家庭を築きながら医師の仕事を続け、幸せを得た女性医師もいました。エリザベスはその中で、生涯独身を貫いて医学に没頭する道を選んだ、というだけのことです。
気づけば医者を目指すことになっていた人生
樋口さんは、この経緯を振り返ります。医者になろうという思いは、必ずしもエリザベス自身の内から自然に湧き出たものではありませんでした。
気づいたら医者目指すことになってますよね、なんか。
深井さんが印象深いと語るのは、後に医師として名を残し、続く女性医師を育てる仕組みまで残す彼女の根本に、自分が主人公になりたいという個人の欲求があった点です。
ただし、この時点でエリザベスはまだ心の中で決めただけ。フラーに影響されて医者になると決意しただけで、現実の壁はここから次々と立ちはだかります。次回、いよいよ医学を目指す道が始まります。
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まとめ
エリザベスが医師を志したのは、マーガレット・フラーの思想と、自分が主人公になりたいという個人の欲求が重なった結果でした。フラーの思想を足場に、女性が医師になる意義を練り上げていった過程がこの回の核心です。
- フラーは、男性らしさ・女性らしさは固定ではなく、一人の中で流動的に混ざり合うと捉えた
- 超越主義を土台に、魂を軸にすれば人間は性別を超えて根源的に同等だと説いた
- 女性の職業解放は、女性のためだけでなく人類全体の道徳的覚醒のためだとされた
- エリザベスは伝統的な女性らしさを破壊せず、束縛から抜け出す足場として使った
- 医師を目指す動機の根底には、認められたい・主人公になりたいという個人の欲求があった







