悪口を「言わない方がいい」のは当然なのか?
サエキタカフミさんのPodcastは、頭の中にある雑多な思考を吐き出して置いておくための場所です。この回のテーマは「悪口」で、冒頭では「悪口を言いたいと思います」と言ってすぐに「嘘です」と打ち消す冗談から始まります。
サエキさんが話したいのは、悪口を言わないようになるべくしている理由です。悪口を言わない方がいいのは論じるまでもない当然の話かもしれませんが、サエキさんには自分なりの考え方があるといいます。
悪口を言わない方がいい理由は、結局「デメリットがありすぎる」ことに集約されるとサエキさんは話します。一方で、悪口を酒の肴にするのが楽しいという人にとってはメリットもあるだろうと認め、それを否定するつもりはないとも語ります。
否定するつもりないんですけどってエクスキューズをしてる時点で、少し否定したい気持ちが自分の中にあるのはもうバレバレやんみたいな、ちょっとメタ認知もしたりして。
サエキさんはこうした自己ツッコミを挟みつつ、この回はあくまで他人の話をどうこう言うのではなく、自分が悪口をどう捉えているかの話だと前置きしています。
悪口は「力のなさ」を自ら露呈する行為
サエキさんの主張を端的にまとめると、悪口は自分の力のなさを自ら露呈させるものだから言わない、というものです。ここでいう悪口には、愚痴も含めて広く捉えられています。
サエキさんによれば、悪口の元になるのは、自分がいる環境への不満や不足です。「あの人がこんなことをやるからムカつく」「あの人がこうしてくれたら、俺もうまくいくのに」といった言葉がその例として挙げられています。
(環境への不満や不足を)自分の力ではどうしようもできないんです、僕はって。僕は力がないんですっていうことを宣言しているようなもんだと僕は思うんですよ。
だからこそ、サエキさんは悪口や愚痴をなるべく口にしないようにしたいと考えています。
環境への不満・不足
「あの人がこうしてくれたら」という思いが生まれる
悪口・愚痴として口に出す
不満を自分の外に向けて語る
力のなさの宣言
自分ではどうにもできない、と周囲に示すことになる
手の届かない範囲があっても、関与はできる
サエキさんは、頑張れば全てが解決できると言うつもりはないとも話します。本人の能力とは関係なく、立場や役割、関与できる領域などによって、人の手が届かない範囲は間違いなくあるという認識です。
それでも、不満や不足に対してまったく関与できないということはなく、何らかの形では関与できるはずだとサエキさんは考えています。
それ(不満や不足)を僕は関与することをサボってますって言ってるようなもんだなって、僕はこう感じるんですよね。悪口とか愚痴を言ってる人を見ると。
サエキさんはこれを、自分の姿勢としては「圧倒的な自責思考」と言い換えます。反対に、悪口や愚痴をただただ言う人は他責思考が強く、「人がどうにかしてくれないからどうにもならない」と考えているように見えてしまうといいます。
限界はあっても、不満や不足に何らかの形で関与しようとする
人がどうにかしてくれないからどうにもならない、と悪口や愚痴を言う
他人をそう見ているからこそ、サエキさん自身はそう振る舞わないようにしている。悪口は損しかない、というのがここまでの結論です。
「東大に行きたかった」と言う同級生はなぜダサいのか?
サエキさんは、大学時代の具体例を挙げます。通っていたのは、そこそこ名のある大学でしたが、東京大学や京都大学より「もう1個だけ下」の大学だったといいます。
国立大学には前期試験と後期試験があり、前期で東大や京大に落ちて、後期でサエキさんの大学に入ってきた人が一定数いました。その中に、「やっぱ俺東大に行きたかったわ。ここの大学はなんかダメだな」と言う人がちょいちょいいたそうです。
もうシンプルにダサいじゃないですか、まずそれは。ただしかもそれってこう、いやでもお前そこにお前自身今いるんだよって、僕思いながら聞いてたんですよね。
「自分がいる環境だせえ」って言ってるってことは、そこにいる俺もだせえってことだよって。
サエキさんは、なぜその同級生たちがそう思えないのだろうと感じながら、何も言わずに眺めていたと振り返ります。10年以上前の話だといいます。
異動した元同僚の「前の部署はダメだった」
もう1つは、ここ数年の職場での例です。個人が特定されないよう、サエキさんは細部をぼかして語っています。
同じ部署で働いていた人が異動し、サエキさんはそのまま翌年も同じ部署に残りました。その後、異動した人が「あそこの部署はこういうところがダメだった」と触れ回っていると聞いたそうです。
いやいや、あんたも(その部署に)そこにいたんですよと。で、あなた自身がそれをどうにか打開しようと頑張っていたんですか?と。
それを横目に僕は見ていましたが、そういう姿勢は感じなかったですよって、ちょっと声を小さめに思っていたわけですね。
大学時代の同級生も元同僚も、自分がいた環境を外から悪く言っている点で共通しています。サエキさんは、そういう振る舞いはあまりかっこよくないと感じているといいます。
悪口を避ける根っこにある自己肯定感の低さ
サエキさんはさらに、自分の弱みを露呈したくない理由を深掘りします。その答えは、サエキさん自身が自己効力感や自己肯定感がまあまあ低い人間だということでした。
サエキさんは「僕ならできる」とはあまり思わず、自分の能力は基本的に低いという前提で生きているといいます。ただでさえ能力が低いと思っているのに、足りないところを自分から人にアピールして、さらに足を引っ張るのは「意味わからん」というのが本音です。
いやもう露呈せんでも自分で知ってるんでみたいなところですね。
ただしサエキさんは、これは自分を大きく強く見せたいという気持ちではないと補足します。足りないところはなるべく隠しておいていいのでは、という程度の感情で、弱さは自分が一番理解しているから誰かに打ち明ける必要もない、という考えです。
弱みを見せられる人への尊敬
サエキさんは逆の視点からも考えます。自分の弱みを見せることをNGにしない人は、弱み以外のところでは絶対に強いという、すごい自信を持っている人なのだろうとサエキさんは見ています。
そうした人の自己肯定感や自己効力感の高さを、サエキさんは「強肩っぷり」と表現し、尊敬に値すると話します。
そういう人になりたいなって思うんですけど、僕35年生きてきてて、自分がそうなれたシーンが、まあ物心ついてから1個も思いつかないので、まあ僕はこのまんまの心持ちで一回死ぬんだろうなと。
サエキさんは「生まれ変わったらそうなれるといい」と笑いまじりに語り、1つの悪口についてもこれだけ考えるのが自分だとして、この回を締めくくっています。
まとめ
サエキタカフミさんにとって悪口や愚痴は、環境への不満を自分では変えられないと宣言し、関与をサボっていると示してしまう行為です。その背景には自責思考へのこだわりと、もともと自己肯定感が低いからこそ弱みをわざわざ見せたくないという本音がありました。
- 悪口や愚痴は「自分には力がない」と宣言するようなもの、とサエキさんは捉えている
- 手の届かない範囲はあっても、不満や不足には何らかの形で関与できるという自責思考がある
- 自分のいる環境を悪く言うことは、そこにいる自分を悪く言うことでもある
- 自己肯定感が低いからこそ、弱みを自分から露呈する意味がわからないという本音がある
- 弱みを見せられる人の自信は、尊敬の対象として見ている






